「……参ったな」
 手渡された地図を広げ、青年は大きなため息をついた。サングラスの下にある目は、早くも諦めモードに以降しつつある。
「こっから探せっていうわけ?」
 探し物は、手の中におさまるほどの小さな玉である。名前を護針珠ごしんじゅという。ちょっとした事故で失われてしまったわけだが──人口1万人の町のどこかに落ちたことしか分かっていない物を、たった一人でどうやって探せというのか。
「……知り合いがいたって、難しいよなあ」
 ポケットからシガーを取り出した青年はそれに火をつけ、煙をくゆらせる。考えれば考えるほど、頭が痛くなってくる事件だ。しかし、
「絶対に、見つけてきてくださいね」
 今にも泣き出しそうな顔で、そう言った女の子のことを思い出すと、
「やれるだけやるしかないか」
 そういう気分になってしまう。嘆息をこぼした青年は、シガーを携帯灰皿に押し込んだ。
 彼の名は、ユーキ・チャリオット。かつて、ウィルダネスと呼ばれていた地で、活躍したフリーランスである。


 勇者演戯ラシュネス外伝 夢の続き



 これといった当てもなく、ユーキは町の中をぶらぶらと歩いていた。犬も歩けば棒に当たる、ともいう。とにかく歩いてみるかしないのである。
(全く。ヘンなもんが空気中に散布されてるせいで、探索系の道具が使えないなんて、めちゃくちゃすぎる)
 このヘンなものを解析して、探索系の道具を調整するにはそれなりの時間がかかる。護針珠の機能を考えれば、何が何でも探し出す必要はないだろうという依頼主の判断により、10日探して見つからなければ、探索は打ち切りということになっていた。
 見送りに来てくれた女の子の顔を思うと、探索期間中に見つけてやりたいのだが……
「どうやって探せばいいのやら──」
 後頭部をかきながら、ユーキは嘆息した。今現在分かっているのは、この町のどこかにあるということだけ。誰かに拾われてしまっている可能性だってある。
「いっそのこと、一暴れしてそれっぽいのを……ってワケにもいかないよなあ」
 そんなことをしたら、あっという間にお尋ね者の犯罪者になってしまう。家族に迷惑をかけるのだけは避けなくては。
「交番でも探して、遺失物届け出して来ようかな……」
 来た道を引き返すべく、回れ右をしたその時、大きな表札が目に入った。
 『御剣』と書かれた表札をまじまじとながめ、
「…………まさか、ねえ……」
 そんな偶然があるはずないと、ユーキは肩をすくめた。
 ジャジャーン
「お?」
 突然鳴ったのは、支給されている通信機だった。腰のベルトに挟んでいるそれを手早く抜き取り、ユーキはそれを耳にあてた。
「どうかした?」
『大変、大変なんですよ! なくなった護針珠なんですけど、あれ! 試作品で、欠陥品だったんです!』
「欠陥品?! ちょっ、それってどういうことなのさ!?」
『だから、探索は一旦打ち切って、すぐに戻ってください! 説明しますから!!』
「分かった。道はどこに開けるの!?」
 通信機の向こうの相手に大声を返しつつ、ユーキはその場から離れて行った。その後ろ姿を1人の少年が見ていることに気づかずに──。
「何だ、あいつ……」
 ぱちぱちと大きく瞬きした少年の名は、御剣志狼。
 大昔に起きた500年戦争を終結させたブレイブナイツに見出された、今代の勇者である。


 VS 勇者剣伝 ヴォルライガー



 トリニティという強大な敵を倒し、志狼たちは、自分たちの世界に戻ってきていた。
驚いたのは、長期間にわたって違う世界にいたというのに、こちらの世界の時間はほとんど経過していなかったことである。おかげで、出席日数やら何やら助かった事項は色々あるのだが。
「ねえ、シロー」
「ん〜……」
 学校から家までは、歩いて数分。その長くない下校時間。エリィは、隣を歩く志狼の顔を覗き込んだ。
 少女の声に返ってきたのは、生返事。
 エリィは思わず唇を尖らせる。
 しばらく前から、幼馴染が悩んでいるのは知っていた。けれど、何を悩んでいるのかまでは分からない。
 1人で悩んでないで、相談してよ。喉元まで出掛かっているこの一言が、エリィはずっと言えずにいた。
 今度こそと決意を固めはしても、志狼の横顔を見るたびに、たちまち溶けてしまうのである。
「はあ……」
 思わずため息がこぼれてしまう。すると、
「何だ、どうかしたのか?」
 隣を歩いていた幼馴染は、軽く眉を持ち上げて、少女の方を見る。見つめ返す視線が、恨みがましくなってしまうのは仕方ないというものだ。
「な、何だよ?」
「何でもないわよっ」
 唇を尖らせ、エリィはつんとそっぽを向く。それはこっちのセリフだと、素直に言えたらどんなにいいだろう。自分の意気地のなさに、嫌気がさしてしまう。
 また新たなため息が、少女の口からこぼれかけたその時、
 ズゥ……ン! 地面が揺れた。地震にしては、揺れが短い。顔をめぐらせれば、
「シロー! あそこ!」
 エリィが指さしたのは、市街地の方だ。そこから、薄灰色の煙がぼんやりと立ち上っているのが見える。
「……ッ! エリィ! お前はここにいろ!」
「シロー! 気をつけてね!」
「おうっ」
 幼馴染の激励を受けて、志狼は走り出した。
(──って言ってもな……)
 爆発の起きたらしい場所へ向かう志狼の顔は、苦渋の色が濃い。今、自分は敵を前にして、剣を振るえるのか。
(けど──)
 だからといって、見て見ぬふりはできなかった。
『志狼……』
「分かってるって──」
 心配げなヴォルネスの声。志狼は明るい声で答えたが、それで相棒の不安を吹き飛ばせたわけではないと分かっている。
 己の不甲斐なさを忌まわしく思いながら、少年は煙の上がる場所へ急いだ。
「ここかっ?!」
 市街地の方角だったため、焦ったが、現場は解体前の廃ビルだったようである。見回す限り、けが人はいないようだ。野次馬などの姿も見えない。
「……もしかして、何かの事故だったりするのか?」
 志狼が首を傾げた時だった。
 ドシャ!
 重いものが地面にぶつかったような音が聞こえた。うめき声のようなものも、かすかながら耳に届く。
「行くぜ、ヴォルネス」
『ああ』
 相棒の返事を待って、少年はトタンに覆われた廃ビルの中へ入って行った。
「これは……!」
 現場には、人が何人も倒れている。
 が、彼らは人間ではなかった。
 黒い肌に蝙蝠のような翼を持つもの。頭がなく、胸の中央部に大きな1つ目を有しているもの。目が6つあるもの、目のないもの。緑色の肌のもの。体に鱗持つもの。
『妖魔……だな』
 ヴォルネスが冷静に評価する。
「仲間割れでもしたのか?」
 倒れている彼らを観察してみると、鋭利な刃物で斬られた傷、銃で撃たれた跡、打撲傷、折られた跡、獣にかまれたような跡など、実にさまざまな怪我をおっていた。
 少年が観察していくはしから、妖魔たちは砂のようにさらさらと風に吹かれて消えていく。
「一体誰が……」
 志狼のつぶやきと重なるように、空から悲鳴が降ってきた。
「何だ?!」
 顔を上げると、妖魔が1人降ってくるのが見えた。翼があるにも関わらず、その妖魔は地面に背中から激突。
 バウンドした身体が、その衝撃の強さを物語る。
 さらに、上からもう1人降って来た。
 サングラスをしているため、年齢は不明だが、まだ若い男である。少し伸びた赤茶色の髪を後ろで一つにまとめ、ノースリーブのロングコートを着込んでいた。
 が、一番目を引いたのは、男が持っている大太刀である。自身の身長ほどもあろうかというそれを、彼は片手に持ち──先に落ちてきた妖魔の真横に突き刺した。
「ひぁっ!? たっ、助けてくれよ! 俺たちが悪かった! この通り謝るから殺すのだけは勘弁してくれ!」
 涙と鼻水と血と汗でぐちゃぐちゃになった顔で、妖魔は必死に懇願する。
「……質問は2つ。何故俺を襲った?」
 男の声からは感情を読み取ることができなかった。
 志狼の背筋がぞくりと冷える。
「アンタが余所から来たからだよ! 余所者にデカい顔されちゃかなわねえって、それで……!」
「この世界の人間から見れば、お前らだって十分余所者だろうが。まあ、いい。これを見たことは?」
 男がコートの内ポケットから写真を一枚取り出す。
「知らねえっ! 見たこともねえよ! そんなちんけな玉!」
 妖魔は、首がねじ切れるんじゃないかと思われるほど、ぶんぶんと首を左右に振った。
「あ、そ」
 抑揚のない声音のまま、男は地面に突き刺した太刀を抜いて立ち上がり、妖魔に背を見せる。
「ひゃは! バカめぇ……っ!」
 牙を覗かせた妖魔が男に向かって飛び掛った。
(危ねえっ!)
 心では思っても、声にはならない。ナイトブレードに手を伸ばすも、志狼の位置からでは間に合わない。
「馬鹿はお前だ」
 身を翻すと同時に、男は太刀を真横に滑らせていた。
「あ……れ?」
 腰で上下にぶった切られ、妖魔は砂となって消える。
 速い。
 男が持つ大太刀の長さは、目測で180余り。それを妖魔よりも速く振るって見せたのは、驚嘆に値する。
 こんな奴がいたのかと瞠目し、掌にはじんわりと汗が浮かんでいた。
「分かりやす過ぎ……」
 軽く肩をすくめ、男は大太刀を腰のところにおさめる。鞘も見えないというのに、太刀は柄の部分を残して、後の部分は跡形もなく消えてしまった。
 彼が振り返る。
「ん?」
 男と志狼の目が合った。
 少年の背筋をひやりと冷たいものが走りぬける。
(来るか?!)
 志狼は、ナイトブレードを抜いて構え……
「あり?」拍子抜けさせられた。
 男は、その場で頭を抱えうずくまってしまったのである。
「おい?」ワケが分からない。困り顔で、志狼が声をかけると、
「待って。心の準備がまだ……」
「は?」
 何言ってんだ、こいつ。妖魔を斬り捨てた時は、迷いのカケラも見せなかったというのに。
 わけが分からず、志狼が瞬きを繰り返していると、青年の側に駆け寄るものがあった。
 白獅子と黒獅子である。
 2頭の獣は青年を庇うように立ち、鋭い眼光を少年に向けてきた。ナイトブレードを握る手に、思わず力がこもる。──と、
「ハク、ゲン。大丈夫。敵じゃない」
 立ち上がった青年は、2頭のライオンをなだめるように、その頭を撫でてやった。
「敵じゃないって、何で分かるんだよ?」
「何でって……」
 サングラスの下で、男の目が大きく見開かれる。その時だ。
「志狼!」
 遅ればせながら、仲間たちが駆けつけた。
「遅ぇぞ、お前ら!」
 少年は振り返って仲間を叱咤する。彼らは志狼の後ろにいる青年に気づき──
「あーーーーっっ!!」
 拳火とユマが素っ頓狂な大声を上げた。水衣とブリットも珍しく、顔いっぱいに驚きの色をのせている。
「えっ? えっ? 何? どうしたの?」
 陸丸だけが、きょときょとと仲間と青年の顔を交互に見比べていた。志狼も、彼らの驚く理由が分からない。
「久しぶり。気づいてもらえて良かったよ」



 かけていたサングラスを頭の上に押し上げた青年は、はにかむような笑みを浮かべていた。
 サングラスの下に隠れていたのは、髪と同じ明るい茶色の瞳。笑顔の彼は、足取りも軽やかに仲間たちの元へと近づいて行った。
「っつか、お前何だよ、その身長! それにこれ!」
 親しげな声を発した拳火は、ぶしつけに青年の両耳を引っ張った。
 そこには、リングに似せた三日月のピアスがある。
「ちょっと……痛いって、引っ張らないでよ。そっちこそ、何で全然成長してないわけ?」
「何でって……あれからまだ3ヶ月も経っていないわ」
「うそぉ!?」
 答えた水衣を、青年はまじまじと見据えた。
「ほんと?」
 確認するような視線を他のメンバーに向け、陸丸と志狼を除いた全員が、こっくりと頷いた。
「うっわー……あ、でも、そっか。出先によっちゃあ、そういうこともあるの……か。うわーショックぅ」
 両手を頬に当て、男は「うわー」を繰り返す。
「あ! 分かっ……えぇ?!」
 唐突に陸丸が大声を上げた。その目は大きくまん丸に見開かれ、今にも顔から転げ落ちてしまいそうだった。
「気づいてくれたんだ〜。ノーヒントで分かってもらえるのって嬉しいなあ」
 なんだか、遠まわしに責められているような気がする。
 うっと言葉を詰まらせる志狼へ、仲間たちは追い討ちをかけるような冷ややかな視線を注いだ。
「本当に分からない?」
 志狼の側にやって来た青年は「昔はこれくらいだったんだけど」と腰を落としてみせる。視線の位置は、陸丸と同じくらい。
「…………」
 近眼の人がそうするように、眉間にいくつもの皺を刻み、志狼は青年を凝視する。
「一緒にスカートはいて、ウエイトレスした仲でしょ」
 中腰をやめた彼は、両手を組み合わせ、可愛らしく小首をかしげて見せた。
「………………あ〜っっ!!」
 たっぷり数十秒。志狼は、ようやく青年の正体に気づいたようだ。
「お前、ユーキかっ!」
「遅いよ、志狼」
 ユーキは不満の意志をあらわに、唇を尖らせる。
 かつてトリニティという強大な敵と一緒に戦った少年。ウィルダネスという異世界から来た、異能力者。それが、ユーキである。
「でもあれだね。鈍いからこその志狼っていうか……薄情者ってののしりたくなるのを通り越して、逆に感動しちゃうよね。いや、本当に」
「お前な……」
 やはり、遠まわしに責められている。確かに中々気づかなかったこちらにも非があるかもしれないが、
(さっさと名乗ってくれりゃあ良かったのに)
 志狼は恨みがましい視線をユーキに向けた。
 そんな少年の視線を、青年は黙殺。後ろに控えていた2頭のライオンに声をかけ、手を伸ばす。
「そのライオンは……?」
 伸ばされた手に擦り寄っていくライオンを、おっかなびっくりという顔つきで見つめながら、ユマが尋ねた。
「ハクとゲンだよ。俺の分身みたいなもん、かな──」
 白い方がハクで、黒い方がゲン。捻りも何にもない、そのままの名前である。
 2頭のライオンは、主人に頭を撫でてもらうと、満足そうに目を細め、するりとコートの裾の中へ滑り込んでいった。
「なっ?」
 ありえない現象に、ブリットが目を見張る。
 普通なら、あれだけの大きな動物がコートの中にもぐりこめるわけがない。にも関わらず、ユーキの着るコートはちっとも膨らまず、2頭が滑り込む前のままだ。
「2匹とも、普通のライオンじゃないんですよ」
 苦笑を浮かべたユーキは、懐に手を入れると、手品のように仔猫をするりと取り出した。白猫と黒猫が1匹ずつ。首をつかまれてぶら下げられた仔猫は、ナー、ニャアと鳴いた。
「それって、もしかして、さっきのライオンですか?」
「そうだよ」
 答えながら、ユーキは白猫を陸丸の頭の上に乗せる。
「お前、何者だよ」
「永遠の24歳は、芸達者だったりするわけ」
 腕に抱えた黒猫をあやしながら、ユーキは志狼に向かって笑いかけた。にこやかに笑いかけられると、次の問いを口にすることができなくなってしまう。
 質問封じの必殺笑顔。
 そういえば、前から彼は多用していたなと、志狼は思わず頬をかいた。
「ん? 24歳?」
「そうだよ。ブリットさんに追いついちゃった」
 軽く肩をすくめ、青年はぺろりと舌を出す。
「トーコさんたちは元気?」
「おかげさまで。みんな元気にしてるよ」
 黒猫がニャアと鳴いて、ユーキの懐の中に消えていく。それを見ていた白猫が、陸丸の腕の中から逃れ、主人の元へ走り、懐の中へ消えた。
「じゃあまあ、そういうことで……って見逃してくれないの?」
「ッたりまえだろ」
 青年ユーキの左右を、志狼と拳火の2人でがっちり抑え、少年たちはほくそ笑んだ。
「色々聞かせろよッ」
 腕力で強引に振りほどかれないか、心配だったが、ユーキは肩をすくめると、
「分かったよ。エリィちゃんや鈴ちゃんにも会いたいし、一緒に行くよ」
 苦笑いで応じたのだった。


 ユーキが案内されたのは、先ほど、まさかという疑いと共に表札を眺めていた大きな家だった。この家に、エリィを除いた全員が、居候しているという。
「でも、エリィもほとんどがこっちにいるな」
 ほてほてと歩きながらフェンリル。彼女にとって、御剣邸は、第二の我が家ということらしい。
「おかえり、シロー! 大丈夫だっ……ユーキ!?」
「ユッ、ユーキさんっ?!」
 帰って来た仲間たちを出迎えに出てきた、エリィと鈴は、そこに思いもよらぬ人物がいたことに目を丸くする。
「何ですぐに分かるんだよ……」
 最後まで分からなかった志狼が、くっと唇を噛みしめた。お前が鈍すぎるんだ、というのは拳火の弁である。
「うわあ。2人とも久しぶり」
 お邪魔しますと家に上がりこんだユーキは、2人の少女を前に破顔した。
「水衣ちゃんとユマちゃんを見た時も思ったけど、あれだね。年月は記憶を美化させるっていうけど、記憶ってのはあてにならないね。覚えてる顔より、今ここにいるみんなのほうが何百倍もかわいいんだもん」
「ぅえっ?!」
 ストレートな褒め言葉に、女性陣の顔が軒並み赤くなっていく。たちまち、茹蛸が3つできあがってしまった。水衣だけは、茹蛸にはなっていないが──
(ぐぁっ! 水衣姉ぇが照れてるっ!)
 やはり、頬を赤らめていた。
「こんなにかわいいとみんな連れて帰りたくなるけど、手が付いて幸せ絶頂期のはずだろうし、それをジャマするのはねえ」
 どうせ負けると分かりきってるわけだしと、ユーキは1人でうなずく。ぽんぽん飛び出た奇襲攻撃に、少年少女は目を白黒させるばかりだ。おいッとか、ちょっと待て、くらいでは奇襲を止めることなどできなかった。
「鈴ちゃん、俺と一緒に来る気ない?」
「ぅえぇっ?!」
 ずいっと顔を寄せられ、鈴は目を白黒させる。青年の後ろにいる陸丸からも、えっ?! という驚きの声が飛び出た。
「それとも、もうイイ人いたりする?」
 鈴は、陸に上がった金魚になっていた。
「おいこらっ! 手が付いて幸せ絶頂って……ッ!」
「馬鹿言ってんじゃねえよ!」
 奇襲から立ち直った、拳火と志狼が大声を張り上げる。ユーキは振り返って彼らを見、次に少女たちに視線を向け、
「手出してもらって、幸せ山の登頂に成功したんじゃないの?」
 心底不思議そうに、たずねるのであった。
 少女たちは茹蛸から瞬間湯沸かし器に変身。
 この場の誰もが、心中の複雑な思いに身をゆだねた。
(ユーキって、こんなキャラだったっけ?)
「キサマ……」
 ごほんッとブリットは咳払いを1つ。
 フェンリルは「あれからまだ3ヶ月も経っていないんだぞ」と呆れたようにつぶやいた。
「でも、2ヶ月以上は経ってるわけでしょ? なのに……あーそうか。うん、ごめん。俺が悪かったよ。謝る」
 まるで腫れ物に触ってしまったような表情で、ユーキは男性陣に詫びた。それはそれで、何だか腹立たしい。
「あのっ……!」
「ん? 何?」
 鈴に声をかけられ、ユーキは顔を下に向ける。少女の瞳には強い感情が見えた。
「あたし、ユーキさんと一緒には行けません……その……理由は? って聞かれると困るんですけど──」
「分かってるよ」
 わしわしと鈴の頭をなで、ユーキは笑う。
「大体、今の俺の歳で鈴ちゃんとお付き合いしたら、犯罪だもんねえ。──にしても、女の子にフラレたのって、どれくらいぶりだろ?」
 フラレたというわりに、ユーキの表情は少しも落ち込んでいない。
「……前にフラレたのがいつか、全然思い出せないから、よっぽど前なんだろうなあ……」
「今、何かさらっと凄いこと言わなかった?」
 年下だった少年が、自分たちを追い越して、遠い大人の世界に行ってしまったらしい。
(ユーキって、こんなキャラだったっけ?)
 自分たちの知るユーキは、こんなキャラではなかった。
 それとも、これが大人になるってことなのだろうか。大人になったら、こんなにカルくなるなんて、誰が予想できただろう。あの驚き顔を見る限り、ブリットでさえ、推測できなかったと分かる。
 何か悪い夢をみているような気分だ。
「廊下で何を騒いで…………」
 場の空気を変えたのは、家長の御剣 剣十郎だった。問いかけとともに廊下に姿を見せた彼は、一瞬目を見張り、
「む? ユーキ君、かね?」
「はい。剣十郎さん。お久しぶりです」
 ユーキは深々と頭を下げた。
 一目で看破してみせた父に、息子志狼の唇が歪む。逆に、顔を上げたユーキの口元は、苦笑混じりに緩んだ。
(こりゃ、洒落になんねえわ)
 剣十郎は、剣鬼と称された男である。
 そのことは知っていたし、彼が凄いことも、知っていた。けれど、昔の自分は、それを本当に理解していたわけではなかったようだ。
(今でも、正面からぶつかりたくねえもの)
 心の奥深いところで冷や汗が浮かぶ。
「ずいぶん、変わってしまったようだね」
「えぇ、まあ。でも、楽しいですよ」
 どうやら全て見抜かれてしまったらしい。口元の微苦笑が、完全な苦笑いに変わる。
「ねえ、ユーキはどうしてここに?」
「仕事だよ。探しものがあって来たんだ」
 目線の角度が変わっても、エリィの口調は変わらない。急に年上扱いされなくて良かった。年上になったのだからと、態度を変えられたら、きっとヘコんでしまう。
「とりあえず、場所移動しようぜ。お茶淹れてくるし」
 志狼の一声で、一同は、リビングに移動した。
 志狼がお茶を淹れて、一息ついた後、ユーキはコートの内ポケットから写真を取り出し、テーブルに置いた。
 写真には、黒い珠が写っている。
「これが探し物ですか?」
 写真をのぞきこみ、ユマが首を傾げた。一見、何の変哲もないただの珠である。大きさによっては、ペンダントトップや腕輪などの装飾に使うことも出来そうだ。
「そう。そこらの石ころみたいに見えるけど、実はそうじゃなくてね」
 尋ね主がユマのため、ユーキの口調はいつもと変わらない。
護針珠ごしんじゅって言う名前の、ちょっと強力な防犯ブザーみたいな物だったんだけど……」
 ここで言葉を切り、ユーキはため息をついた。
「防犯ブザー? これが鳴るのか?」
「そうじゃなくて、持ち主の身に危険が迫ると、針を射出するんだって」
「針?」ユマが訝しげに目を細める。ユーキは頷くと、
「仕組みは、聞かれても分からないよ。悪意とか殺気に反応するようになってるって話だけど」
 針を射出するといっても、ニードルガンのような恐ろしいものではないらしい。1センチ程度の長さのものが10本程度ってところだと、言っていた。
「だから、牽制用ってことになるのかな。達人なら、初見で見切ることもできるし、護針珠のことを知っていれば、避けることも難しくないレベルだって」
「だから、ちょっと強力な防犯ブザーなのか」
 感心したように、拳火が頷く。ただし、通常の防犯ブザーと違って、持ち主がスイッチを入れる必要がない分、便利といえるだろう。
「で、防犯ブザーを回収しにわざわざ?」
 ぱちぱちと瞬きをして、エリィが聞いた。
 それだけの物だったなら、わざわざ回収しに来ることもないように思われる。
「それがねえ、紛失した護針珠っていうのが、改良のための試作品だったことが分かったんだよ。この試作品には、欠陥があってね。是が非でも見つけ出さなくちゃいけなくなっちゃったわけ」
 改良版の護針珠は、危険が迫ると針を打ち出すという機能のほかに、鏡の属性を附加し、持ち主の影武者を作り出すという機能も追加されている。
「影武者? それは、防犯ブザー程度では話にならん相手が出た場合のためのものか?」
 ブリットがわずかに首を捻る。
「らしいですね。少々のことではビクともしないんで、2、3回なら命を拾えるだろうって話です」
 影武者は、持ち主の思うままに動く。視・聴・触・臭・味の五感も全て感じ取ることができるという。
「すっごぉ〜い!」
 あまりの高性能さに、鈴は目を丸くした。彼女だけでなく、他のメンバーたちも驚きを顔に表している。
「でも、なくなったのは欠陥のある、試作品なのよね?」
 水衣の冷ややかな視線がユーキに向けられた。
「そう。鏡の属性が強すぎて、持ち主に向けられた悪意や殺気からだけじゃなく、持ち主の感情にも反応するようになったらしくて……」
「感情にって、好きとかそういうのですか?」
 それが、悪いことなのだろうか。考えが及ばなくて、陸丸は首をかしげる。
「誰かに注意をされて腹が立ったり、嫌がらせを受けたり、誰かの行動を見て非難的な意思を持ったりだね」
 持ち主がそういう感情を抱いた場合も、護針珠は反応するらしいのだ。つまり、持ち主が不快に思ったとたん、針を射出してしまうのである。
「おいおい。それってちょっとヤバいんじゃ……?」
「持ち主の性格によっては、ちょっとどころじゃ済まなくなるかもね。それに、時間の経過と共に持ち主と護針珠は少しずつ同化していくって話。そうなると、針の威力も上がっていくらしいよ」
 おまけにこの世界の住人には、マイトという厄介なものがある。これと結びつけば、針はさらに強力なものとなる可能性があった。
 このことが分かってから、探索系の道具を調整することが急遽決定し、現在、作業が急ピッチで進められている。
「何だって、そんなモン作ったんだよ!?」
 強く机を叩き、拳火が腰を浮かせる。
「試作品なんだってば。なくそうと思ってなくしたわけじゃないし。何かある前に回収したくて、俺が来たんじゃないか」
 むぅと唇を結んで、拳火はソファーに座りなおした。
 ふぅと息をはいたユーキは、落ち着くためにも、志狼が淹れてくれたお茶を飲んだ。ちょっとぬるくなっていたのが残念だが、まあ仕方がない。
「見覚え……ありませんか?」
 黙って話を聞いていた剣十郎に、ユーキは締めの言葉を向けた。彼は難しい顔で、腕を組んでいる。
「ある」
「本当ですか!?」
 ユーキは思わず身を乗り出した。
「今日の昼休みだったかな。千代崎 奈央という女生徒がそれらしき物を拾うところを見た」
 岬樹学園の学長室から、剣十郎は、たまたまその現場を見かけたのである。その時は特に気にもせず、注意もしなかったのだが……適当な理由をつけて取り上げたほうが良かったかもしれない。
「ユーキ君。その護針球とやらは、今すぐに回収した方がいいのかね?」
「回収が早いのにこしたことはないですけど、今日の昼に拾ったっていうんなら……同化はそれほど進まないはずです。その──極限状態に追い込まれない限りは」
「そうか。ならば、突然自宅を訪問して不安がらせるよりは、明日、学園で事情を話して回収した方が良いか」
 外に目を向ければ、すっかり日が暮れてしまっている。素行に問題がある生徒というわけでもないし、こんな時間に訪問しては、両親を心配させてしまうだけだ。
「志狼」
「分かってる」
 父の視線を真っ向から受け止めた息子は、しっかりと頷いてみせた。
「明日、一緒に学園へ来たまえ。彼女は志狼が呼び出すだろう」
「ありがとうございます。助かります」
 剣十郎に向かって、ユーキは深々と頭を下げる。
 何気ない動作ではあるが、それは歴とした大人の所作であった。そのことが、志狼の胸の奥に、本人にも分からない程度の痛みをもたらした。


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