「──というわけで、護針珠ごしんじゅの方は何とかなりそうだよ」
 夕食を終えて、風呂も借り、あとは寝るだけとなった時間。ユーキはベランダに出て、シガーを燻らせつつ、雇い主へ現状報告を行っていた。
『そうですか。良かったあ』
「やっぱり、幸運の女神さまおんなのコには、ウケがいいみたいだね」
『……恨まれないようにしてくださいよ?』
「心配してくれるの? ありがとう。嬉しいよ」
 素直にお礼を言うと、通信機の向こうの人物が言葉を詰まらせた。それが可愛くてつい笑みを浮かべると、向こうにそれがバレたのか、
『ッ! 何かあったら、また連絡しますからっ!』
 通信が慌ただしく切れてしまった。
「かわいいなあ」
 笑みを浮かべたまま、ユーキは通信機をズボンのポケットにねじ込んだ。
「お前、そんなにカルかったっけ?」
 不審の眼差しが背中に突き刺さる。
「前から女のコは好きだもん」
 悪びれもせず答え、ユーキは手に持っていたシガーを口元に運び、煙を軽く吸い込んだ。
 肩越しに後ろを振り返り、そこに立つ志狼を見る。
「──だったでしょ?」
「……そういわれれば、そうだったかもな。ところでお前、タバコなんて吸うのかよ?」
「まーね。ジャンクさんほどじゃないけど……あーでも、今じゃ俺の方が上かな?」
 ユーキは苦笑いを浮かべた。
「それで? 何を悩んでるわけ?」
「ぐっ……」
 隣に立った少年を覗きこむようにしてたずねれば、志狼は、突然腹痛に襲われたような顔になった。
 本当に、分かりやすい。
 が、それは自分が本当の意味で彼の仲間ではないから見せることができるのだということも、ユーキはちゃんと理解していた。たずねたのが、エリィや拳火であったなら、志狼は「何でもねえ」と答えるに違いない。
「……吸ってみる?」
 シガーケースを差し出し、聞いてみた。
「いや、いい」
「そ」
 シガーケースをしまう。
 ベランダの手すりに頬杖をつき、ユーキは星空を見上げた。見慣れない星空だ。それでも、何となく見当はつく。あの星が極点かなあ? なんてことを思いながら、ぼんやりしていると、
「なあ……」
 志狼が口を開いた。先を促すように目を向けると、
「ユーキは、力を持ってることが怖くならねえのか?」
 自分自身の掌を見つめながら、少年は囁くように言った。
「全然」
 頬杖をつくのをやめて、背中を預けるような形で欄干に肘を乗せてから、ユーキは断言する。
「住んでた所が住んでた所だからね。もっと力がほしいって思ったことはあっても、要らないって思ったことはなかったよ」
「人を傷つけることに抵抗は?」
「それも、あんまり。好きじゃないけどね。やっぱり、環境が環境だったから。早いうちに、仕方がないって割り切ったよ。もちろん、その先のこともね」
 やらなければ、こっちがやられるという状況なんて、日常茶飯事だったのだ。助けを求めたって、誰も助けてくれないのが、当たり前の世界だったのである。
 自分を救えるのは自分だけ。だったら、生きるためには何でもするぐらいの気概が必要だ。そのことで誰かに責められても、「それがどうした」と胸をはれる。
 ユーキは、隣の少年を横目で見つめた。
 志狼が本当に恐れていること。
 それは、人を傷つけ、殺してしまうことではない。
 人を傷つけても、殺してしまっても、それが自分の選択した結果であるなら、彼はちゃんと受けとめられる。
 御剣志狼が、本当に恐れていること。
 それは、人を傷つけ、人を殺してしまうことに慣れてしまうこと。
 あるいは、自らの意志から離れたところで、誰かを傷つけ、殺してしまうこと。
 ユーキは目を伏せ、次の言葉を紡ぎだす。
「──それに、暴走させるような力は持ってない」
 自分の力は、全て完璧にコントロールしてみせる。それだけの気概と自信は持っている。
 とたん、志狼が息を呑んだ。体は強張り、場の空気が一気に重くなる。
 少しの間をおいて、ユーキは囁くように問いかけた。
「人を傷つけるのが怖い?」
 かつては年上だった少年も、今では年下になってしまっている。まさか、こんな話をする日が来るなんて、予想もしなかったなと、ユーキは心中で肩をすくめた。
 志狼は無言で頷いた。
「あいつらみてぇな、戦う理由がねえンだ」
 人を傷つける恐怖を克服できるだけの理由が、志狼にはない。エリィを守りたいというのは、嘘偽りない本心だ。だが、仲間たちに比べると、それは何てちっぽけな理由だろう。
 そんな理由で、剣を振るい続けることができるのだろうか。剣を振るっていいのだろうか。
「……考えすぎだと思うけどね」
 ユーキはひょいと肩をすくめた。──だが、何故ここだったのか、理由が分かったような気がした。
 チャリオットの名に隠された意味。
 それは、心の強さによる問題の克服。そのためのきっかけを得たくて、志狼は無意識のうちに、ユーキを呼んだのかも……知れない。そう思うことにしよう。
「志狼は考えすぎなんだよ。だから、考えすぎて、悩みが全部ごっちゃになっちゃったんだねえ」
 すいっと人差し指を持ち上げて、ユーキは志狼を見た。
 2人の視線がぴたりと重なる。
 志狼の目が途方に暮れた様子で揺れていた。その思いを飲み込むように、ユーキは1度頷く。
「俺が思うに、志狼に足りないのは覚悟と自信だね」
「ぐ…………」
「で、覚悟を決めるための理由が見当たらないと」
 志狼は答えず、目を伏せた。
「こんなの、理屈じゃないんじゃないの? それに、陸丸や拳火たちと比べてるみたいだけど……」
 ここで言葉を切ったユーキは、まじまじと少年を見下ろし、言った。
「バカだねえ」
 持ち上げた人差し指で、少年の額をはじいてやる。
「ふぬっ!」
「人と比べてどうするのさ? 命がけでやろうとしてることに、重いも軽いもないよ」
 どんなに馬鹿げてみえることでも、その人が本気なら、人は笑わなくなる。その思いが真摯であるなら、手を貸してくれる人だって現れる。
「…………」
 志狼は何も言わない。ユーキはため息をついた。
「大体ねえ、自分の性格分かってて、戦う理由がないなんて言ってるの?」
「どういう……ことだよ?」
 呆れたようなユーキの声に、志狼はわずかな反発心を抱く。自分の性格なんて、自分が1番──
「誰かが困ってるの、放っておける?」
 目をテンにした志狼を無視して、ユーキは言葉を続けた。
「陸丸が悩んでるの、拳火が悔しがってるの、水衣ちゃんが落ち込んでるの、ユマちゃんが悲しんでるの、ブリットさんが苦しんでるの、鈴ちゃんが怒ってるの──何よりエリィちゃんが泣いてるのを見て、放っておける性格じゃないくせに」
 そういう性格だから、仲間が集まってきたんだろうし、トリニティという巨大な敵と戦った、あの戦いにおいても、多くの勇者たちから信頼を集めることができたのだろうに。
「ぐぬぅっ……」
「いいと思うよ? 仲間が苦しんだり、悲しんだりしてるのを見たくない。だから、戦う。上等じゃない」
 少なくとも、生活のために戦ってきた自分たちよりは、何十倍も立派である。
「志狼は自分を過小評価しすぎ。自分が、世界どころか宇宙の存在を救っちゃった勇者の一員だったってこと忘れてない?」
「あれは……!」
「俺一人の力じゃないって? 当然でしょ」
「ぐ!」まさかの切り返し。
 さっきから、絶句させられてばかりだ。ユーキはふふんと得意げに笑っている。それが、非常に悔しかった。
「あれだけの人たちがいたから、宇宙を救えたんだ。あの偉業を成し遂げた仲間たちに、志狼は頼られてたでしょ? 忘れたの? あれだけの人たちに、志狼は認められてたのに、そんな自分に自信がないって、どういうこと?」
 志狼は、もっと自信を持っていい。
 ──もしかしたら、あれだけの人数がいたところから出てきたために、現状を認識し、自信を喪失したのかも知れないが。まあ、これは言わなくてもいいだろう。
 志狼は、答えられずにかたまったままだった。
「ずばっと言おうか?」
 ため息を乗せて、ユーキは言う。
「自分一人で、世界を背負ったような顔してんじゃないよ。志狼一人でどうにかなるほど、軽いモンじゃないでしょ。世界ってやつは」
 いつの間にやら、シガーが短くなってしまっていた。ユーキはそれを携帯灰皿に押し付け、息を吐く。
「みんながいるから、戦える。みんなのために戦う。いいじゃない。分かりやすくて。正義のために〜なんていうよりは、よっぽど共感できるね」
 だいたいだ。人間一人の持つ世界なんて、ちっぽけなものである。『みんな』なんて聞くと何万人もの人数を想像してしまうが、人の言う『みんな』というのは、実はそれほど多くないはずだ。あるいは、数がいるだけで実のない、影のようなものか。そのどちらかだろう。
 横目で少年の顔をうかがうと、若干、顔のこわばりがとけていた。吹っ切るまではいかないものの、こんがらがった糸をほどくことはできたようである。
 きっかけを与えることはできたようだ。
 志狼に必要だったのは、第3者による、外からの意見だったのだろう。
「まあ、好きなだけ悩めばいいよ。俺から言えるのは、あと1つだけだし」
「何だよ?」
 まだ言い足りないのかと、志狼の視線が言っている。ユーキは悪戯っぽい笑みを浮かべると、少年の両肩をポンと叩き言った。
「下手の考え休むに似たりってね!」
「ぐはっ!」
 御剣志郎、フリーズ。今まで散々悩んできたことが、たったその一言で、粉々に砕かれてしまった。
「大丈夫だよ。志狼は、もっとみんなを信頼するべきだと思う。一緒にエリィちゃんを守ってくれるし、志狼が道を踏み外しそうになったら、体張って止めてくれるよ。志狼だってそうなんだもん。大丈夫だって」
 あはははと笑いながら、ユーキはベランダから出て行った。最後にぐさっと抉っていくところ、彼の兄であったイサムにそっくりである。
 わけもなく、悔しかった。完全に負けたとも思った。
 何に対しての敗北感なのかは、さっぱり分からないが。
「…………覚悟と自信……か」
 命をかけて戦う理由に、重いも軽いもない。
 他人と比べなくていい。
 少しだけ、軽くなった気がする。視線を上げれば、満天の夜空が見えた。そういえば、しばらく空なんて見上げてなかったような気がする。
「ん?」
 空を見上げる視界の端に、走る人影が見えた。人影はわき目も振らず走り続け、御剣邸の前を通り過ぎて行く。
「千代崎?」
 パーカー姿の人影は、確かにクラスメイトの千代崎奈央のものであった。彼女の顔色は、夜目でも分かるほど青ざめていた。



「何だ? 出かけるのか?」
 慌ただしく靴を履いている志狼に、風呂上りの拳火がたずねる。
「おう。ちょっとな」
 言葉短く答えた志狼は、振り返りもせずに家を出た。奈央が走って行った先には深い森がある。木がわさわさと生い茂っているせいか、奥へ行くと方向感覚がおかしくなってくるのがこの森の特徴だ。
 そのため、志狼も、あまり奥へ入っていくことがない。
「千代崎のやつ、何でこんなところに?」
 奈央の家は、御剣邸から歩いて20分ほど離れたところにある。フェイやJJの家と近かったはずだ。幼い頃は、それなりに遊んだ記憶もあるが──学校に通うようになってからは、ろくに会話した覚えもなかった。
 何にせよ、年頃の女の子がこんな時間に、こんな場所を歩いているのはただ事ではない。まして、顔色が悪かったとなれば、なおさらである。
「千代崎!? いるんだろ?! おい、千代崎!」
 月明かりを頼りにいくらか森の中に踏み込んだところで、志狼は声を出した。回りを見回しながら、慎重に人影を探す。何度となく奈央を呼ばわり、森の奥へさらに踏み込んで行く。と──
「御剣君?」
 驚き声が返って来た。奈央の声である。別の世界に行っていたことを抜きにしても、彼女の声を聞くのはずいぶん久しぶりのような気がした。
「千代崎……そこにいたのか」
 志狼はほっと胸を撫で下ろした。木の陰に隠れているので、彼女の姿を目で確認することはできないが、ちゃんと息遣いが聞こえる。鈍いだの勘がないだの言われてはいるが、誰かがそこに居ることが分かっていたら、気配を感じ取るくらいはできるのだ。
「どうしたんだよ、お前」
「それはこっちのセリフだわ。御剣君こそどうしたの?」
「どうって……お前が走ってくのが見えたから、サ。こんな時間にジョギングでもねえだろ?」
 青い顔をしてたから余計に気になったとは、言わなかった。
「そ、う。心配、してくれたんだ。ありがとう。でも、大丈夫……だから……」
「大丈夫みてえには聞こえねえんだけど? 何かあったのか?」
 奈央を刺激しないように注意して、志狼は彼女の側へ近づこうと試みた。とたん、
「来ないで!」
 はっきりとした拒絶が返ってきた。歩みを止めた志狼は、
「どうしたんだよ?」
 もう一度たずねた。気分は、手負いの野生動物への接近を試みる動物学者か何かである。
「御剣君が心配してくれるのは、ほんと嬉しいんだけど。ほんと、何でもないのよ? 大丈夫だから」
「だから、大丈夫そうには思えねえんだって。来るなって言うんなら、行かねえけど、何があったんだよ?」
 刺激しないように。刺激しないように。志狼は自分に言い聞かせる。これがJJとか拳火だったりしたら、「何でもねえワケあるかーっ!」と怒鳴り声一発、ぶん殴ってやるところだ。
 女の子相手に怒鳴ったり、ぶん殴ったりするわけにもいかず、志狼は歯がゆいのを我慢して、何とか事情を聞きだそうと試みる。今更ながらに、誰かと一緒に来ればよかったと、後悔する志狼であった。
「なあ、千代崎―。このままじゃ、帰るに帰れねえんだけど。家で何かあったのかー?」
 接近は、早々に諦めた。無理に近づいても、相手を脅えさせるだけだ。それに悲鳴の1つも上げられれば、我が家から鬼が飛び出してくるに違いない。鬼以外にも、たぶん色々と──蝶マスクの怪人なんぞに出てこられた日にゃ、明日の朝日も拝めそうにない。そうなった時のことを想像し、志狼は、思わず身震いをしてしまった。
 ああ、恐ろしい。
「千代崎ー。俺を家に帰したいってんなら、せめて、顔見せろよ。それで、大丈夫そうかどうか判断するから」
「私、そんなに信用ない……かな?」
「お前、自分がどんな声で話してるのか、分かってて言ってんのか? 今のお前の言葉は信用度ゼロだ」
「そっ、そんなヘンな声してる?」
「気づいてねえのか? 泣きそうな声になってるじゃねえか」
 わしわしっと頭をかいて、志狼はため息混じりに答える。どうすれば、話を聞くことができるのか、サッパリ分からない。女の子ってのは、これだから厄介で困る。
 一度家に戻って、水衣かユマを呼んで来るべきだろうか。他のメンバーは……今日来た1人を除けば、あんまりアテになりそうにない。
「……そういや、お前、学校で黒い珠を拾わなかったか?」
「……どうして、知ってるの?」
 奈央の声がわずかにこわばったのだが、志狼はそれに気づかず、話を続けた。
「いや、親父が見たって言ってたから。その黒い珠を捜してるやつが、今ウチにいるんだよ」
「──どんな人?」
「どんなって……ふつ──フツー? でも、いいヤツだぜ? 仲間だし」
「……幾つぐらいの人? 男なの? それとも女?」
「24の男。何だ、急によく話すようになったな」
 とにかく何でもいいから、奈央に話をさせたほうがいい。そう判断した志狼は、何でもいいから彼女に話しかけるようにした。
 どうやら、雑談であれば、奈央は応じてくれるらしい。志狼は、しどろもどろになりながら、何とか話題を探して少女に話しかけていた。
「──こんなところで、仲がいいねえ。お2人さん。羨ましいよ」
 品のない笑みを浮かべた男たちが、こちらへ向かって歩いてくる。一目見て雑魚だと分かり、志狼はげんなりした顔で連中を見るのだった。



「……ベタなセリフ」
 ココロが見つめる先には、数十人の男たちがいる。彼らは、志狼と奈央を取り囲むようにして立っていた。少し気配を探れば、森全体に百人単位の者が集まっているのが分かる。
 雑魚がいくら集まっても、志狼には勝てない。荷が重すぎたかしらと、今更ながらにココロはため息をついた。
 連中は、カインの下で働きたいと言ってきた妖魔たちである。一目見ただけで、雑魚だと看破したが……
「雑魚には雑魚を──と思ったんだけど。場所が悪かったわ」
 ココロは軽く肩をすくめた。
 その視線の先には、千代崎奈央がいる。
 先日、次元を超えて落ちてきた何か。ココロは、それを探るように言われ、このあたりを探索していた。
 少女がそれを見つけたのは、偶然である。たまたま、不可解なマイトの発動を感じ取ったのが原因だった。
 現場は、ごく普通の家庭であった。家の中に忍び込むと、ダイニングで中年の男女が、ハリネズミのようになって倒れているのを目撃。そして、そこから逃げていく人影が1つ。それを追いかけていると、志狼も家から飛び出して来たというわけだ。
(ヒーローっていうのは、つくづく事件に遭遇するようになっているのね)
 ココロは心中でため息をつく。
 志狼が飛び出して来た時には、雑魚共へ指令を出したことを後悔したものだ。というより、今も現在進行形で、後悔している。
 相手の実力も分からずに、チンピラまがいの因縁をつける雑魚たち。志狼の方は連中を相手にするつもりはないようだが……そもそも、雑魚は思慮に欠けて無鉄砲なものである。
 そのうち、腕尽くで──とかになるだろう。
(その混乱を狙うか)
 タイミングを見計らうべく、ココロはすっと目を細めた。その時、背後に気配が現れた。殺気漂う、わずかな水気を含んだこの気配──覚えがある。
「──っ!?」
 クナイを構え、ココロは振り向く。
「いないっ?!」
 そんな、まさか。気配は確かに……消えた?! 背筋を悪寒が走りぬける。生唾を飲み下し、ココロは自身の気配を周囲に溶け込ませた。
 両手にクナイを構え、木から下りる。
 が、誰もいない。
(どうなっている?)
 眉間に皺を寄せ、ココロは右へ左へすばやく眼球を動かす。あの気配を気のせいで片付けてしまうには、はっきりしすぎていた。
「捕獲ー」
「なっ?!」
 急に後ろから抱きすくめられ、ココロは息を呑んだ。
 肩越しに振り返れば、見覚えのある面影を残した青年の顔がある。顔だけではない。彼の気配──嵐の前に吹く、水気を含んだ風に似たそれにも覚えがあった。
「こんばんは。ココロちゃん」
「ユッ、ユーキさん?! どっ、どうしたんですか、それ!?」
 ココロは少年の成長ぶりに目を見張る。彼と別れてから3ヶ月未満しか経っていないというのに、ユーキは大人になっていたからだ。
「こっちじゃまだ3ヶ月も経ってないんだってね。でも、俺の方じゃその何倍も時間が過ぎててねえ」
 青年は、くすくすと面白そうに笑った。
「何倍もって……」
「記憶以上にキュートなココロちゃんとこんなところで会えるなんて、運がいいなあ。それとも、運命ってやつかな? どう思う?」
「キュ……知りませんっ! ていうか、放して下さい!」
 まじまじと顔を覗き込まれたココロは、顔を真っ赤にして、怒鳴り返していた。
「え〜。放さなきゃダメ? 気持ちいいし、楽しいし、幸せなのに。ココロちゃん、可愛くって柔らかくって、イイ匂いするし。天気のいい湖の匂いだよね」
「ダメです! 放して下さいっ!」
 ついぞ聞いたことのない言葉の羅列に、ココロは早くもパニックを起こしかけていた。
「じゃあさ、俺のお願いきいてくれる? きいてくれたら、放してあげてもいいよ」
「お願いって、何ですか?」
 ちょっと警戒しながら、ココロはユーキの顔を見上げた。彼は目を細めて笑ったまま、
「今見てた、あのコのことは諦めて」
「何の話……ですか?」
「とぼけるの? じゃあ、放さない」
「う゛っ……」
 絶句すると、頭の上でくすくすという笑いが漏れた。
「まあいいや。あれはね、欠陥品なんだよ」
「欠陥?」
 どういうことなのかと、目を眇めるココロ。ユーキは、少女を腕の中に抱いたまま、懇切丁寧に説明してくれた。
 あの娘が持っているのは、護針珠という、影武者機能付き防犯ブザーのような物であること。ただし、試作段階の欠陥品なため、ユーキが回収に来たこと。
 機能をもう少し詳しく教えてほしいと頼むと、ユーキはあっさりと話してくれた。別に、隠しているわけではないらしい。
「その欠陥さえなければ、便利ではありますね」
 ココロは、青年へ不敵な笑みを向けた。
「まあね」
 淡々とした声が、何となく面白くない。こんな声音、彼には似合わないと思う。なので、感情を引きずりだしてやるつもりで言ってみた。
「絶対にいただいて行きますって、言ったら、どうします?」
「この体勢で、持って行けるの? 昔の俺とは違うよ?」
「そうですか? これで私の動きを封じたつもりだったら──甘いですよ」
 ココロは冷ややかに応じた。
 ユーキが強いのは知っているが、ココロの目から見れば、まだまだだった。身体能力は優れていたが、技術は未熟。スピードとパワーに注意して、技や術で攻めれば、簡単に倒せる。そういう相手だった。
 持っていたクナイを落とし、ココロは術を使うための印を組む。印の中には片手で組むものもあるのだ。
「術の発動と、俺が首筋噛み切るのとどっちが速いと思う?」
 肩の上にトンと、青年の顎が乗る。かすかな息遣いが耳元で聞こえ、こそばゆい。
「!」
 術の発動に必要な集中力が途切れる。青年の冷淡な声音に、ココロは彼の本気を感じ取った。
「細い首だよねえ。ちょっと力をこめたら、簡単に折れちゃいそう。女の子って、本当すぐに壊れるよね。──ねえ、ココロちゃん。その命、こんなことで捨てるほど、安かったりする?」
 顎の先から喉元へ、ユーキの指がすっと這い降りていく。耳たぶに息がかかり、熱が間近に……。
 ココロの思考回路が、完全に停止した。息ができない。なのに、心臓はばくばくと早鐘を打つ。暑いのか寒いのか、サッパリ分からない。
 怖いと思った。殺されるかもしれない、という恐怖より、何をされるか分からないという恐怖の方が上だった。
「……この体勢でいるとあれだね。イタズラしたくなるね。っていうか、イタズラしてイイ?」
「──っ! ダメですッ!」
「満足させてあげられる自信もあるよ?」
「させてクレなくてイイですッ! なななな、なんてこと言うんですか!?」
 ばふーっ! と顔から蒸気が噴出。目はぐるぐると回り、頭の中は大混乱中。ココロは、
(ユーキさんって、こんなキャラだったッ!?)
 これしか考えられなくなっていた。
「くくくくっ。ホント、かーわいいなあ。ココロちゃん」
「〜〜〜っ! カッ、からかったんデスカァっ!?」
 ばっと後ろを振り向き、ココロはユーキを睨んだ。というのは、彼女の希望する行動であって、実際は振り向きザマに、へなへなと腰を抜かしてその場にへたり込み、半泣きになって、青年を上目遣いで見上げただけだった。
 解放された、という意識もなかった。
「ご希望なら、隅々まで満足させてあげるけど?」
「エンリョしますッ!」
 即答したら、また笑われた。
「う〜ん、残念。2号でも3号でもいいから、ココロちゃんの愛がほしかったのに」
「あげませんッ! というか、そんなものありません!」
 へたり込んだまま怒鳴っても、迫力はカケラもない。ユーキは笑いをこらえたまま、
「どっちにしろ、その様子じゃ護針珠は諦めるしかないよね」
「!」
 腰が抜けたままなので、動くことさえ、ままならない。
(ヤラレた!)
 ココロは本気で悔しく思った。
「ハク、ゲン。ご苦労様。大丈夫とは思うけど、ココロちゃんを見てて」
「な……ライオン?!」
 悔しさに伏せていた顔を上げると、白と黒の雄ライオンがココロの側に寄ってくる。と同時に、森の中にあった雑魚たちの気配がほぼ消えてしまっていることに気がついた。
 白いほうのライオンの口周りには、赤い血がべったりとついている。足をみれば、そこにも血糊がついていた。毛並のせいで分からないが、黒いほうにもおそらく。
(いつの間に──)
 ココロがユーキに気を取られている間に、この2頭は森の中の雑魚を一掃していたのだ。全然、気づかなかった。悔しさがさらに募る。
 こちらの恨みがましい目線に気づいたのか、ユーキは得意げな笑みを返してくれた。
「次は負けません……っ」
 そう口にはしたものの、ささやくような小声では、実現度は低そうである。実際、青年は、やれるもんならやってごらんといった顔を浮かべていた。
 完全に相手のペースに呑まれてしまっているココロである。
「さてと。それじゃあ、せっかくのこのチャンス、逃す手はないよね」
 ちょうどあっちも片付いたしと、ユーキは顔を遠くに向けた。
 視線の先には、志狼と奈央がいる。
 少女を背中に庇った少年は、ぜぇはぁと肩で息をしていた。ナイトブレードを持っていないところを見ると、徒手空拳で雑魚を片付けたらしい。
「よっぽど急いでたんだねぇ」
 相棒ヴォルネスを置いていくぐらいに。
「そういうユーキさんは、しっかり武装してますね」
 嫌味のつもりでココロは言ったのだが、
「俺の特技の1つは、3秒早着替え。忘れ物があっても、ハクとゲンが持って来てくれるし」
 青年はちっとも堪えていなかった。ねえと、ペットに同意を求めれば、白黒のライオンはその通りだと言わんばかりに鳴いた。



「御剣君──」
「おう。大丈夫か、千代崎」
「う、うん。私は大丈夫……でも、御剣君が──」
 妙な男たちに絡まれたせいで、奈央は木の陰から出て来ていた。少女は心配そうな顔で志狼を見ている。
 ナイトブレードを持たずに家を出てきたため、無手で片付けることになったわけだが……
「平気、平気」
 強がりでもなんでもなく、志狼はにっと笑って見せた。どんなに群れても、雑魚は雑魚。志狼の敵ではなかったということである。
 周りに転がっている男たちは、きれいに気を失っていた。
「お疲れ様、志狼」
 ぱちぱちと気のない拍手と共に、ユーキが現れる。のんびりとした足取りとのほほんとした顔に、
「いつからいたんだよ、お前」
 志狼はジト目でにらみつけた。
「わりと最初の方からいたかな? でも、手伝う必要はなかったでしょ?」
「つか、何で着替えてンだよ、お前」
「3秒早着替えも特技の一つです」
 しぴっと顎の下に、親指と人差し指で作ったL字を添えて、ふふんと笑うユーキ。
「あ、そ」
 反論する気力もツッコむ気力もない。何だかなあと思いながら、志狼はため息をつき、後ろ頭をかいた。
「で、何しに来たんだよ?」
「何しに……とはお言葉だね。もちろん、護針珠を回収に来たに決まってる」
 不適な笑みを口元に乗せ、ユーキは頭の上に押し上げていたサングラスを下ろした。
「夜なのにサングラスかよ」
「これ、特別でね。夜でも視界は良好なんだ」
 世の中には色んなサングラスがあるものである。
「今ので話は大体分かったよね、お嬢さん。キミが昼間拾った黒い珠、俺に渡してもらえるかな?」
 口調こそ穏やかではあるものの、声音には有無を言わせない強制力が含まれていた。
 表情を固くした奈央は、助けを求めるように志狼を見る。少年は苦笑いを浮かべて肩をすくめると、
「こいつがさっき言ってたヤツだ。信用して大丈夫だからさ」
「一体どういう説明をしたのさ?」
「いいヤツだって、言ったぜ。ちゃんと」
「そのワリには、何か脅えられてるっぽいんだけど?」
「今の言い方が悪かったんだろ。悪役みたいだったぞ」
 志狼が指摘すると、ユーキはそうかなあ? と首を傾げた。どうやら、威圧感を伴っていたことに気づいていないらしい。
「千代崎、本当に大丈夫だから。拾った珠、渡してやってもらえねえかな?」
「でも……」
 苦笑いを浮かべる志狼へ、奈央は不安そうな顔を向ける。彼に大丈夫だと言われても、まだ信用する気にはなれないらしい。
「──キミ、血の匂いをさせてるよね? 何があった?」
「っ!」
 とたん、奈央は顔色を変えた。
「それが何故起きたのか、分かってる?」
「どういう……ことですか?」
「黒い珠を拾ったせいだよ」
 ユーキははっきりと断言した。
「嘘! だって、あれは私を守ってくれるって……」
「そう。キミを守ってくれるだろうね。キミへ危害を加えようとしたものだけじゃなく、キミが嫌だと思ったもの、不快感を持ったものにも見境なく針を飛ばして──」
「そんっ……!」
「護針珠は、教えてくれなかった? 自分は欠陥品なんだって」
「欠陥──品?」
 奈央の目が、大きく見開かれる。
「えーと、悪ィ。話がみえねえんだけど……」
 話の腰を折ると分かっていながら、志狼は質問をした。
「護針珠は親切設計でね、持つと使い方が頭の中に流れ込んで来るんだよ」
「マジかよ!?」
「マジだよ。仕組みについては、分からないから聞かないで」
「聞いても分かんねえだろうから、聞かねえけどよ」
「それは良かった」
 頷いたユーキは、改めて奈央に目を向けた。
「護針珠は、自分が欠陥品だって言わなかったんだな?」
「私は……欠陥品なんかじゃ……ないっ!」
 腹の底から絞り出したような声に、ユーキは目を見張る。志狼も何言ってんだ、コイツ? というような顔をしていた。
「私は、奈央を守るために来たの。騙されないで!」
 少女は自分で自分を抱きしめ、言う。その顔色は蒼白になっており、今にも貧血なんかで倒れてしまいそうな雰囲気だ。
「……チッ」
「ユーキ?」
 小さく舌打ちした青年は、ベルトに挟んであった通信機を抜き取り、すばやくボタンを押す。どこかと話をするのかと思われたが、ユーキはそれを耳に当てることなく、奈央へ言葉をかけた。
「そのコを守るため? 冗談言っちゃいけない。お前がここへ来たのは、ほんの偶然だったはずだ」
 ユーキは口早に言葉をつむぐ。どうやら、予想以上に、持ち主と護針珠との同化が進んでいたらしい。このままでは、押し問答が続くだけだ。
「ちが……う。私は──ッ!」
「違わない。使用者に嘘をつくのか?」
「嘘なんかついてない! 私は──!」
「偶然、この世界にきた、欠陥のある試作品だ。そうだろう?」
「違うッ!」
 ユーキの問いを、奈央は力いっぱい否定した。
『──破壊を許可する』  通信機から、ため息と共に聞こえてきたのは、今回の仕事の依頼主の声。
「了解」
「嫌ぁぁぁッッ!!」
 奈央が絶叫した。と同時に、彼女から何十本という針が飛び出す。それらの針は、ユーキに向かって一直線に飛んでいく。
 針が飛び出したこと。
 その数の多さ。
 この2つに、志狼は目を丸くした。
 驚きに感情が支配されたため、行動が遅れる。
 ナイトブレードもない。
 針の軌道は、全て見えているというのに!
 奈央は、針を射出すると同時にきびすを返して逃げ出していた。
「遅い」
「ひっ!」
 いつの間に回りこんだのか、奈央の目の前にはユーキが立っていた。大型の無骨な銃の先が、少女に向く。
「バイバイ」
 立て続けに2度、銃が吼えた。
 ぐらりと少女の体が傾ぐ。
「千代崎!」
 志狼は彼女の元へと駆け寄り、その体を起こす。
「ユーキ、お前っ!」
「そんな怖い顔しなくても大丈夫。生きてるよ」
 怒りに満ちた志狼の視線をさらっと受け流し、ユーキは通信機と銃を片付ける。
「大山鳴動してネズミ一匹って気分だな」
 やれやれとつぶやきながら、彼は地面に落ちた石の珠を拾う。
 手の中にすっぽりおさまるほどの小さな珠には、弾痕が2つ、くっきりと刻まれていた。それをコートのポケットにしまいこむ。
「忘れた? 護針珠は使用者の影武者を作る機能があるって話をしたでしょ」
「今、話をしてた千代崎は、影武者だったって言うのか?」
「そうだよ。ああいう状況で1つも汗をかかない人間なんていないからね。確信があったから、ズドン!」
 銃の形に似せて折り曲げた指の先をこめかみにくっつけ、ユーキはイタズラっぽくウインクをしてみせる。
「……心臓に悪いぜ」
 咎めるような視線で彼を見上げながら、志狼はほっと胸を撫で下ろす。
「──ん……」
「千代崎! 大丈夫か?!」
 腕の中で奈央が身じろぎしたので、志狼は慌てて彼女に声をかけた。少女のまぶたが揺れる。
「あ……わた……し、どうして?」
「珠が身代わりになってくれたっつか、珠が身代わりになってるだろうから、撃たれたっつか……」
 上手い説明方法がみつからず、答える志狼の声がしどろもどろになっている。それでも、奈央には意味が通じたようだ。はっと息をのむと──
「私…………」
 たちまち、少女の目じりに涙が溢れた。
 ぽろぽろと涙をこぼす奈央に、かける言葉を見つけられない志狼は、おろおろしているばかりである。
 助けを求めるつもりで、ユーキを見ると、
「やった。ありがとうございます。助かります」
 直したはずの通信機で、どこかの誰かと話をしていた。
「その件が終わったら、お酒、持って行きますから」
 通信機の向こうの相手に、向かって彼は頭を下げている。話が終わるのを待ってから、志狼は彼に声をかけた。
「……誰と話してたんだよ?」
「志狼の知らない人。今回の件で、ちょっとフォローを頼んだんだ。今のは、それが上手くいったっていう報告」
「フォロー?」
「そ。フォロー。そろそろ来るんじゃないかな?」
 ユーキが頷くのと、
「シロー!」
 離れたところからエリィの声がしたのは、ほぼ同時だった。
「エリィ?」
 振り返ると、幼馴染の少女が白い雄ライオンの背中に座っているのが見えた。ライオンは、人1人を乗せているとは思えないほど力強く俊敏な動きで、こちらへ近づいてくる。
「シロー! もしかして、この辺に奈央ちゃん……いた!」
 ライオンの背から下りたエリィは、びしっと奈央を指さす。奈央は、きょとんとした顔でパチパチと大きく瞬きをした。
「お父さんとお母さんが、病院に運び込まれたって! 命に別状はないそうなんだけど、奈央ちゃんと会いたがってるんだって!」
 奈央の両親が救急車で病院に運び込まれたという一報は、学園長を勤める剣十郎のもとへ届き、すぐに奈央を探してくれるように頼まれたのだ。
「で、みんなで探そうって言ってる時に、このコが来たの。何か、背中に乗れって言ってるみたいだったから」
「乗って来たってワケか」
「その通りっ!」
 今度は幼馴染をびしっと指差し、エリィは拳をぐっと握る。
「そういうわけだから、一緒に病院に行こう!」
 志狼の腕の中にいる奈央へ、エリィは手を差し伸べる。
 本当は、少年の腕の中に彼女がいる理由を知りたいだろうに、エリィはそんな気配を少しも感じさせなかった。
「普通に行くより、ハクに乗ってった方が速いよ」
「いいの?」
「いいよ。好きに使って」
 頷いたユーキは、戸惑っている奈央へ目をむけ、
「行っておいで。大丈夫だから」
 優しく笑いかけた。
「行って来いよ」
 少女の背中を押すように、志狼も力強く頷く。
「う、ん……」
 答える声は、まだ少し戸惑っていたようだが、奈央は差し出されたエリィの手を握り返し、立ち上がった。
「それじゃ、行ってくるね」
「場所の誘導だけお願い」
「おっけぇ」
 ライオンの背に乗ったエリィは、任せてとばかりに特大のウインクをしてみせる。
「それじゃ、お願い」
 エリィが呼びかけると、ライオンは一声鳴いて、森の外に向かって駆けていった。うわとかひゃあとか小さな悲鳴が聞こえるのは、愛嬌ってものである。
「──さて、お仕事終了っと。志狼、エリィちゃんが帰って来たらここであった事、ちゃんと話さないと明日が怖いよ」
「俺から話すのかよ?」
 立ち上がった志狼は、軽く目を見張った。何でそんなことをと、思っているのは明白である。
「志狼から話すことに意味があるんだよ。それともう1つ。自覚できた?」
「何がだよ?」
「困ってる人を放っておけないっていう、自分の性格」
「う゛……」
 ずばり指摘され、少年は言葉を失った。
「それが志狼の長所だと思うな。俺はっ」
 志狼の背中をばしっと叩き、ユーキはからからと笑う。そこへ、もう一頭のライオンが戻って来た。黒猫へ転じたそれは、甘えるように主人の足に頭をこすり付ける。
「今のアレが、言ってたフォローってやつか?」
「そうだと思うよ。どんなフォローをしてくれたのか分からないけど、悪いようにはならないと思うから」
 黒猫を抱き上げ、ユーキは少年を肩越しに見た。
「ふうん。ま、いいけど」
「さて、それじゃ、ハクが戻ってきたら、すぐにお暇するから」
「何だよ、泊まっていけばいいじゃねえか」
「それがねえ……何かショウが呼んでるんだってさ」
「ショウ?」
 誰だそれはと、志狼が目を丸くする。
 いつまでも森の中にいるのも何だからと歩きだしたユーキは、苦笑を浮かべて言った。
「姉ちゃんとジャンクさんの子供」
「は!?」
 予想の斜め上を行く答えに、志狼の目がテンになる。
「鉄砲玉であっちこっち遊びに行くんだけど、遊びに行った先で何かあったみたい。すぐに来てくれってさ」
 ひょいと肩をすくめ、「ゆっくりしたいけど、しょうがないよねえ」と、黒猫の頭を撫でながら言う。
「こども……ねえ」
 あの2人の間に子供ができたなんて、ちょっと想像し辛い。いったい、どんな子供だというのか。
「機会があったら、1度連れて来るよ」
「お、おう」
 話をしているうちに、2人は森から出た。そのまま御剣邸に直行すると、すでにハクが玄関前で、ちょこんと座って待っていたのだから驚きである。
「お前、もう病院行ってきたのか?」
 志狼が問いかけると、ライオンは当然だとばかりに一声鳴いた。
「千代崎さん、見つかったんですって?」
 その声に引き寄せられたわけでもないだろうに、千代崎を探しに行っていたのだろう、仲間たちが戻ってきた。
「まあな。今、エリィと病院に行ってる」
 それを聞いた全員が、ほっと胸を撫で下ろす。
「志狼。それじゃ、俺は帰るから」
 すちゃっと手を上げたユーキの目の前には、光の柱が立っていた。
「え? も、もう帰っちゃうんですか?」
「ごめんねえ。次の仕事が入っちゃって。今度はゆっくり遊びに来るから」
 残念そうに眉尻を下げたユーキは「じゃあね」と手を振り、あっさりと光の柱の中へ入っていった。
 青年の大きな体が光の中に消えると、柱はすうっと蜃気楼のように、夜の中に溶けて消えてしまった。
「なんか、台風みたいだったな」
 光の柱があったところをじっと見つめながら、拳火がつぶやく。
「そうですね。でも、またいらっしゃるようですし──」
 そのときは、もっとゆっくり話が出来るだろうとユマが笑う。
「そうだな」
 少女の意見に、ブリットはうなずき、陸丸は、 「稽古の相手、してもらいたかったのに……」
 残念そうにぼやいた。
「また来るって言ってたんだから、そのときに相手してもらえばいいでしょ!」
 べしっと少年の背中を叩いたのは鈴だ。とたん、「何するんだよ!」と喧嘩が始まってしまった。
「お前ら、喧嘩するなよ」
 見かねた志狼が、2人の仲裁に入る。


 今度、ユーキと会う時は、どんな自分になっているのだろうか。


 少しでも、自分の理想に近づけているといいのだが。


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