翌朝、陽平は、庭を一望できる屋敷のバルコニーに立っていた。山の斜面を切り開いて作られて高台のようになっているため、見晴らしは抜群である。天気がよいせいか、高層ビル群のようなものも遠くに見えた。
「それで、ワタシに聞きたいことって何かしら?」
 陽平の隣には、エナがいる。昨夜は寝たのが遅かったからと、彼女は小さな欠伸を一つこぼした。
「あ、あのさ……昨日のあれ、プロセス・メモリって言ったっけ──あれで人探しってできねえかな?」
「人探し?」
 魔導師の少女は眉間に皺を寄せた。陽平の発言の意味を図りかねているらしい。
 そりゃそうだよなと、少年は苦笑を浮かべ、忽然と姿を消してしまった親友について説明をした。
 ただの行方不明とは違う、彼の失踪。
 親友のことを覚えているのは、自分と天城瑪瑙あまぎめのう という少女だけ。人々の記憶はもちろんのこと、彼がいた痕跡すら何1つ残っていないことを話す。
「ふうん……珍しいケースね」
 話を聞き終えたエナの第一声がそれだった。彼女は、左手を右ひじに添え、右手の人差し指をくるくる回している。彼女なりの思案のポーズらしい。
 陽平は、エナが口を開くのを待った。
「そうね……考えられる可能性はいくつもあるわ。でも、アナタが知りたいのはそのカレが消えた原因ではなく、カレを探す方法なのよネ?」
 その手段として、陽平は自分たちが帰るための方法を応用できないかと考えたのである。
「ああ。昨日聞いた話だと、あいつにだって俺たちのソウルゲノムってのと、共通するところはあるんだよな?」
「あるわね。でも、無理ヨ。可能性は0じゃないけれど、砂漠の中から砂金を1粒探し出すようなものだもの」
「……それは、探す対象が小さいから……か?」
 それもあるわねと、エナはうなずいた。
「同時に、探す範囲が広すぎるのヨ。アナタだって世界というものの広さは知っているでショ? そういった世界が、無数にあるのヨ。その人がいる方向は?」
「あ……いや、それは……」
「全方位を探査するとなれば……どれだけの労力がかかるか何となく想像はつくわよネ?」
 今回、陽平たちが元の世界に帰れるのは、探査する方向の見当がついていることと、繋がったポイントの痕跡が残っているからなのだという。
「……そっか……」
 陽平は、息を吐き出した。顔には苦笑いが浮かぶ。思ったよりも落胆が小さいのは、さほど期待していなかったからかもしれない。
「──あのさ、向こうに戻ったら、俺たちのことも忘れられてるって可能性はないかな?」
「それはないわネ。アナタの言うような形での存在抹消って難しいのヨ」
 そもそも、ポイントというのは、世界と世界を行き来するための物であり、その人の存在に干渉するような機能はついていないのである。
 ふうんと頷いた陽平は、
「……あのさ、グリモワールってどういう人なんだ?」
 昨日、クオンに聞いたことと同じ質問を口にした。妖精の評価を要約すると、物凄い変人ということになる。
 そんな人に自分たちの命運を預けて大丈夫なのかと、陽平は不安なのだ。眉間に皺を寄せるエナに、少年はクオンのグリモワール評を聞かせると──
「あんの……ぶゎかぁっっ!!」
 全身の毛をぶわっと逆立てる。全く関係のない陽平だが、思わずうっと半身をのけ反らせた。
「グリモワール様唯一の弟子の癖に、何たる言い草なノ?! 師を敬おうって気持ちはないのかしら!?」
「え? 何だ、クオンとそのグリモワールって人は、師弟関係にあるのか?」
「えぇ、そう。グリモワール様は、星を生み、星を壊す力を持つとも言われているほどの方ヨ。ワタシたちの故郷だけではなく、その他の世界にも名を知られた偉大なる至上最強の大魔道士だワ」
 彼の名前は、歴史や伝説にも登場する。当然、エナの故郷では、小さな子供だってその名前を知っていた。
「歴史や伝説って……何歳なんだよ、その人……」
「さあ? でも一番古い伝説──名も無き闘士の伝説は、千年ほど前のものネ」
「せっ……?!」
 危うく、化け物かよと言いそうになってしまった。エナの前でグリモワールを悪く言うのは良くないと、昨日のかなえとのやり取りで知っている陽平は、喉元まででかかったそれをかろうじて飲み込んだ。
 そんなことを言えば、まず間違いなく完膚なきまでに叩きのめされるに違いない。かなえほど口が回れば、身を守ることも可能かもしれないが、陽平には無理だ。
(っつか、あれに対抗できる奴なんているのか?)
 少なくとも自分の回りには、居そうにない。最強の忍びとも言われる、父雅夫でさえ、対抗できるかどうか怪しく思われた。


 陽平が年下の少女の舌技に感心しているころ、双子の忍びは、爽やかな汗と冷や汗とを半々の割合で額に浮かべていた。
「……これはっ……ちょっと…………」
「キツイですね……」
 両膝に手を当てて、双子は肩で息をする。
「面白いだろ」
 そんな2人の様子を、クオンは道端の石に腰掛け、にこにこと笑顔を浮かべて見物していた。
 彼が案内したのは、屋敷からほど近い場所に仕掛けられたトラップ道である。なぜこのような物があるのか、クオン自身も知らないそうだが、彼はここを遊び場として気に入っているらしい。
「オマエたちも闘士だろ? だから気に入ると思ってな」というのが、彼の言い分であった。
 トラップ道は、直線距離にしておよそ1000メートル。陸上競技では、中距離として捕らえられている距離である。その短くもないが、長くもない距離の間に、これでもか! というぐらいの罠が張り巡らされているのだ。しかも、罠の1つ1つが恐ろしく危険度が高い。ちょっとの油断が命取りになる。
「何でこんなのが、こんなところにあるンだよ?」
 風魔の里でもこんなハイレベルのトラップ道は、なかなかお目にかかることができない。
「アケミちゃんの話だと、昔はここでニンジャとかいうのが修行してたらしいな」
「マジで?!」
 何だよ、それぇ……。柊は、その場に仰向けになってひっくり返った。っつか、何でお手伝いさんハウスキーパー がそんなことを知ってるんだという疑問が湧く。
 額に手を当てた楓は、深々とため息をついた。
「これを面白いと言えるあなたが分からないわ」
 戦闘能力の向上には多大な意欲を見せる楓だが、それを楽しいとか面白いとか思ったことはない。
 そういう感情が入り込む余地など、どこにもなかったというのが正しいのかもしれない。
 物心ついたときには、忍びとしての修行をしていた。
 忍びの修行とは、人を人として扱わず、身も心もただの道具として割り切り酷使し、命を削るようにして、技術を得るものだ。それを楽しいと、面白いと思える者は、すでに何かが壊れている。
 クオンはきっと、忍びの修行がどういうものかを知らない。この道を作った人間が、どういった意図で作り上げたのか……そこに隠れ潜んだ狂気に彼は気づいていないのだ。
「何だ、気に入らなかったのか」
「オイラたちには、ちょっと合わないかな」
 柊はひょいと軽く肩をすくめてみせる。
「ふうん……そりゃ残念だ」
 人形のように小さな少年は、心の底からそう思っているようだ。
「あなたは……ッ?!」知らないからそんなことが言える。幼い子供に殺し合いを強要する者たちの狂気の海を知らないから……!
 思わず感情的になりかけた楓だったが、そこに第三者の気配を感じて、とっさに身構えた。自身でも気が高ぶっているのが分かる。
「誰ッ?!」
 柊も瞬く間に戦闘モードへと切替えた。
 普通の人間が近づいてきていたのなら、これほど近づくまで気づかなかったわけが無い。
『ヒトガイル……ヒト……ヒト……オレトチガウ』
 茂みの中から現れたのは、2足歩行する緑のハリネズミ人間といった風体だった。
 それのファンタジックな外見に、柊は
「クオンの友達?」と聞いていた。
「そんなわけないだろ」
 腰掛けていた石の上に立ち上がった少年は厳しい顔で、
「オマエ、レナケウスだな? どうやってここに来た」
『オマエ、シッテル。……デモ、オレ、シラナイ。オレ、トバサレタ。ココ、シラナイ』
 ハリネズミ人間の返答は、柊と楓にとっては要領の得ないものだった。しかし、クオンにはその意味が理解できたらしい。少年はちっと舌を鳴らした。
「オレがオマエを元の世界に帰してやる。だから、おとなしくオレについて来るんだ」
『オレ、ココ、キニイッタ。ミドリ、イッパイ。オレ、フエル。ナカマデキル、タノシイ、ウレシイ』
「それはオレが許さない」
 クオンが石を蹴る。人形のようだった少年の体は、たちまち柊らと変わらぬ大きさになり、
朱雀演すざくえん  紅嘴こうし
 一足飛びで間合いを詰めたかと思うと、ハリネズミの鳩尾と思しき部分に炎渦巻く手刀を突き刺した。
『ア……オレ……フエ……』
「それは、オレが許さないと言った」
 体を貫通させた腕を引き抜き、少年は体を回転させる。
朱雀演すざくえん  脚焔きゃくえん
 ぼしゅっ。
 愛嬌があるといえなくもなかった、ハリネズミ人間の頭部が少年の蹴りによってあっさり刈り取られる。
「え……?」
 風魔の兄妹は、目の前の出来事が理解できなかった。
 それまで屈託なく笑っていたクオンが突然大きくなって、ハリネズミ人間を攻撃──いや、殺したのだ。そういった行為とはまったく無縁そうに見えただけに、彼の行動を理解するのが遅れた。
 ぱちぱち。2度ほど瞬きをすれば、とんと地面に落ちた頭が燃え尽きる。
 首のない体は、地面に倒れる前にクオンの手によって焼き払われてしまった。
 まるで、ハリネズミ人間の存在を抹消するかのような行動である。
「──はっ! ちょっ、何なんだよ、いきなり?!」
 暗殺をする忍びでもここまですることは滅多にない。柊は、非難の視線を妖精に送るが──
「増える気満々のレナケウスは、危ないんだ」
 手の甲で汗を拭ったクオンは短く一言、帰るぞと告げる。
 その表情は、どこまでも厳しく、柊の視線をまるで意に介していない。先ほどのほにゃほにゃしていた笑顔の持ち主とは別人のようだった。
「あなた一体……」
「リミル人は、命に危険を感じたらでっかくなれる。でも、闘士はいつでも、でっかくなれるよう訓練を積んでるんだ」
 ぶっきらぼうに答えたクオンは双子に背を向け、走り出した。
 聞きたいのは、そのことではなかったのだが……いや、そのことも気になったといえばなったのだが、それよりも彼の行動の理由の方が何倍も重要である。
「……一体どうなってンの?」
「さあ?」
 風のように駆けるクオンを追いかけながら、2人は首をかしげた。


「──ってわけでよ……」
「アナタもずいぶん苦労しているのネ」
 気がつけば、陽平はエナを相手に日ごろの不平不満をぶちまけていた。そりゃあもう、多感なお年頃なので愚痴の10や20はボロボロ転がり出てくるのである。
「あーっと……何か俺ばっかり話してるけど、お前にも不満っつーか愚痴ってあるんだろ?」
「そりゃあ、あるわヨ。いかな天才と言えど、世の中は自分の思い通りにならないもノ」
 エナはひょいと肩をすくめて笑う。けれど、その笑いには、思い通りにならない世の中を楽しんでいるような節が見てとれた。
 笑みの中に隠した弱さとそれを呑み込む強さ。陽平は、一瞬、ドキリとさせられた。
「──ッ」
 幼馴染の少女もそうだが、女の子というのは時に思いもよらぬ顔をする。
 不意をつかれるのに、男って生き物は弱いのだ。
「どうかしたノ?」
「あ、いや……何でも……」
 赤く染まりそうな顔を彼女から逸らし、陽平は落ち着けと己を叱咤する。そんな時、
「エナ! 非常事態だ! レナケウスが出た!!」
 クオンが大声で叫びながら戻って来た。
「何だあ?」
 陽平は、少年の身長が柊とさほど変わらないものになっているのに驚いた。どうなってんだよと、隣のエナにたずねようとしたが……
「何ですって!?」
「とりあえず、1体片付けたけど、増える気満々だったぞ!」
「分かったワ。手が要るわネ」眉間に皺を寄せたエナは少し考えると
「クオン、アナタはカルニィを呼んで来てちょうだい! グリモワール様のお屋敷にいたワ!」
「分かった! ついでにホネにも言って、ジェーンをこっちによこしてくれって頼んでくる!」
「そうしてちょうだい!」
 エナは言うと、バルコニーに背を向けて家の中へ入っていく。
「アケミ! しばらくの間、外出禁止ヨ! ペットたちも外に出さないで!」
「お、おい……一体何事なんだ?」
 彼女の後を追いかけ、陽平が尋ねた。
「聞いていたでショ? レナケウスが出たのヨ。ワタシはこれから検索魔法の調整をするワ」
 魔導師の少女は無情にもそう言い放つと、ぱたんと自室のドアを閉めてしまった。
「だから、そのレナケウスって何々だよ?」
 部屋の中に向かって問いを口にしたものの、返事はない。参ったなと頭をかいた少年は、とりあえず下に行って柊と楓から話を聞いてみることにした。
 映画のセットのような階段を下りていくと、玄関ホールにて戸惑い顔の兄妹を発見。
「よう。一体何がどうなってんだ?」
「それはオイラも聞きたいよ」
 さっぱり訳が分からないンだと、柊は肩をすくめた。
「ハリネズミのような姿をした緑色の生物が突然現れたと思ったら、クオンがオイラと同じくらいの身長ンなって、そいつをやっつけちまったンだ」
「マジかよ?!」
「本当のことです」
 楓はため息をつくと、クオンの種族は命の危険を感じると地球人とほぼ同じ大きさになれること。闘士は、緊急時に限らず自在に大きさを調節できるよう訓練するらしいことを、陽平に話した。
「へえ……そういう人種っていうか、種族ってのもいるんだな」
 宇宙って広いんだなと、3人はしみじみ感じ入っていた。とそこへ、階段下の物置らしきところからクオンが飛び出して来て、エナはどこだと尋ねてくる。
「部屋で検索魔法の調整をするって言ってたぞ」
「そか。アリガトな」
 身軽に手すりを乗り越えて、クオンは上へとあがって行く。
「バックアップが整うまで、待機な!」
 それは陽平たちに向けた言葉かと思われたが
「はい。分かっていますよ」
 どうやら少年の後に続いて出てきた者に向けたものだったらしい。そこに立っていたのは、どことなく儚げな印象のある人物だった。
 身長は陽平より少し高いぐらい。決して華奢というわけではないのだが──どこか頼りない弱弱しさを漂わせている。一見すると女性のように思えるのだが……
「…………あの、失礼デスけど……男……ですヨね?」
「ええ。はじめまして。カルセドニィ・セラータと申します。陽平さん──でしょうか?」
「そうですけど、何で俺の名前を?」
「昨日、エナから伺いました。グリモワール様の手違いでこちらへ呼ばれてしまったと……」
 カルセドニィ──クオンたちは、カルニィと呼んでいるそうなので、陽平たちもそう呼ばせてもらうことにした──は、柊と楓の名前も見事に当ててみせた。
「あの、レナケウスってのについて、詳しく聞かせてもらっていいですか?」
「私で宜しければ」
 ふわりと微笑んだカルニィは、3人を客間へ通した。お茶をもらってくるからと彼は部屋から出て行った。
「何か変わった人ですね」
「そうだよな」
 カルニィの足運びなどを見ていると、彼が相当の使い手であることは容易に想像がついた。自分たちの基準に当てはめてみれば、釧や椿と肩を並べることができるのではと思われた。
「でも、違うンだよね。何て言うか、強いンだろうけど、オイラたちでもあっさり勝てちゃうンじゃ? って思えるって言うかサ……」
 柊の評価に、陽平と楓はこっくりうなずいた。
 強いはずなのだが……そうは思えない。不思議な人物である。そんなことを思っていると、お茶を持ってカルニィが戻ってきた。
「さて、レナケウスについて……でしたよね」
「はい」うなずいた楓は、自分たちが見たことをカルニィに話して聞かせる。
 黙って話を聞いていた彼は、少女が話し終えるのを待ってからクオンの行動は間違っていないと答えた。
「レナケウスというのは、第1級危険生物として指定されている、魔法系植物性寄生生命体です」
 その理由は旺盛な増殖力にある。何せ、連中は植物以外の生物になら何にでも寄生してしまうのだ。
「増え方はですね、自身の体を覆う緑色の針金のようなもの、胞子管と言うそうですが、それを別の生き物に突き刺すだけなのですよ」
 ちなみに、この場合の生死は問わなかったりする。レナケウスの針に刺されてしまうと、大体半日くらいで体内から体外に姿を見せはじめ、翌日にはレナケウスと化してしまう。
「たった1日!?」
「ええ」
 それだけじゃない。レナケウスは死体になってから1、2時間後に胞子管を炸裂させるのだ。この胞子を誤って吸い込んでしまえば、やっぱりレナケウスになってしまう。
「彼らの本能は、増殖の1点に限られます。子供程度の知識を備えていることも、面倒なことでして……」
 森は、レナケウスにとって増殖する恰好の場所だった。何せ、寄生する先の生物が豊富だからである。
「森でなくても、レナケウスを見つけたら即退治、というのが常識となっています」
「そーなんすか……」
 宇宙って所には、いろんな生き物がいるものだ。
「でも、それだと一匹っていうか一体でも見逃しちゃったら、また増えるンだよね?」
「増えますね。ですから、検索魔法を使って見落としがないよう、注意するんですよ」
「……弱点とかってあるんですか? クオン君は、炎の技を使っていましたけど……」
「植物という分類ですので、火系の魔法や技には弱いですね。増殖力だけが危険視されていまして、単体ではさほど強い種ではありませんから──」
 それでも、一般人にとっては十分脅威となりうる。
 話を聞き終えた3人はお互いに顔を見合わせあうと、こっくりうなずき、
「あの、俺たちにも手伝わせてもらえないっすかね?」
「君たちにも……ですか?」
「お役に立つ自信はあります」
 驚くカルニィへ、楓はにっこりと笑ってみせた。その自信の根拠を「実はオイラたち──」と柊が説明する。
「その申し出はとてもありがたいのですが……私の口からお願いしますとは言えないのです」
 青年は、申し訳なさそうに表情を曇らせた。
 それじゃあ、誰に言えばOKをもらえるのかと、陽平が問いかける寸前、
「カルニィ! どこだ? 打ち合わせするぞ」
 クオンでもない、総馬でもない、別の男性の声が部屋の外から聞こえてきた。耳に心地よいバリトンの声は、ガキ大将のような雰囲気をにじませている。
「グリモワール様!」
 ほっと安心した様子でカルニィが部屋の外へ飛び出して行った。
 部屋に残された3人は、あれが噂の大魔道士の声なのかと、思わず背筋を正していた。ただ、陽平だけはその声音の中に、父雅夫と共通した雰囲気を感じ取り、少しばかり嫌ぁな予感に襲われていたりする。
「先輩、ご挨拶に行きましょう」
 ジュースと間違えて酢を飲んでしまったような顔をしている陽平に楓が声をかけた。自分たちをここへ呼んだ原因を作った人間とはいえ、相手は目上である。
「第一印象がよければ好感度アップ! 帰れる日が早まるかもよ?」
「……まあ、そうかもな」
 柊にも後押しされて、陽平は渋々ソファーから立ち上がった。どうにも気が進まないのは、父と似ていそうだからという理由である。
 部屋のドアを開けて廊下の様子を伺う。グリモワールらしき人物の姿を探してみるが──カルニィの背中に隠れて見えなかった。
「あの……カルニィさん?」
 遠慮がちに声をかけてみると、青年が振り返る。色素の薄い切れ長の瞳がわずかに見開かれ、どうかしたのかと視線でたずねられた。
「……グリモワールさんに挨拶しとこうかと……」
「ほほー。殊勝な心がけじゃねえか」
 カルニィの陰からひょっこりと顔を覗かせたのは骨だった。
 どこを見ても、骨である。
 それも、トカゲとかイグアナを連想させる爬虫類の骨。それが、ローブを身につけ、ふよふよと宙に浮かんでいるのである。
「え? あ、あの……えぇっ?!」
 想像をはるかに超えた物体がそこに居たのを見て、陽平の思考回路は完全に停止した。少年は、空飛ぶ爬虫類人間の骨格標本を指差し、「えぇっ?」を繰り返す。
 一体どういう反応をすれば良いのか、柊は言葉に詰まっていた。まさかいくらなんでも、「ステキな骨ですね。良いダシが取れそうです」なんて言うわけにもいくまい。それとも、「猫まっしぐらならぬ犬まっしぐら! その骨なら、喜んで拾って来てくれそうですね」なんて……言ったら確実に殺される。
 広い宇宙には、骨格標本が、人間として生きているのか。っつか、骨格標本なら骨格標本だと教えておいてくれないと困る。
 平常心を心がける忍びだって人間なのだ。こちらが想像していた当たりをはるかに上回る場外ホームランなんて打たれてしまっては、立ち直るのに時間がかかってしまう。
「……っ! 化け物!!」
 少年たちの思考回路を戻したのは、楓の一言だった。少女は眉間に皺を寄せると、忍ばせていたクナイを現し、身構えた。それにストップをかけたのは、柊である。
「ちょっ……楓っ?!」
 少年は、今にもクナイを放ちそうな妹を後ろから羽交い絞めにする。
 これでは、第一印象を良くして高感度をアップさせようという、当初の目論見が台無しだ。失礼なやつだと悪印象をもたれたら、どうするつもりなのか。
 冷や冷やモノで、柊はグリモワールの反応を待った。思わず、ごくりと生唾を飲み込む。が、予想に反して骨の魔道士は面白そうにけらけら笑い、
「はっはー。血の気の多いお嬢ちゃんだな」
 と、のたもうた。とりあえず、怒るつもりはないらしい。
「忍びとしちゃあ失格だろうがな」
 付け加えられた一言に楓はきゅっと唇を引き結ぶ。確かに、少々軽率だったとも言えなくはない。
 自分を責めるような難しい顔をしながら、楓はクナイをしまいこんだ。グリモワールもそれ以上は何も言うつもりがないようである。
 助かった。柊はほっと一息ついて、羽交い絞めにしていた妹を解放する。
 横目で陽平を見やれば、こちらもほっと胸を撫で下ろしていた。
「あの〜、ところで、その……何でそんな…………?」
 安心すると、好奇心が頭をもたげてくる。柊はグリモワールを指差して、疑問をぶつけてみた。ためらいがちなものになったのは、失礼にならないかという気持ちがあったからだ。
 そんな柊の心情を知ってか知らずか、魔道士は
「趣味だ!」
 偉そうに胸を張り、きっぱりと断言した。
 忍び3人組の目は、テンになる。
 マンガやアニメだったら、頭の上をカラスが鳴きながら通過しているのではなかろうか。
「──んで? こいつらが手伝いたいって?」
「はい。手は多いほうが良いので、手伝っていただけると助かると思うのですが……」
「そりゃ、そうだ」
 面白そうに目を眇めたグリモワールは、陽平たちに向かってついて来いと声をかけた。
 趣味宣言から立ち直れずにいた3人は、え? え? と戸惑いがちになる。
「お前ら忍びのくせに、鈍臭いな」
「う゛……」
 グリモワールの情け容赦ない評価に、陽平は言葉を詰まらせた。
 何か親父以上に得体が知れない。
 それが、偉大だと言われている魔道士への印象だった。
 後でかなえに教えてもらうのだが、グリモワールもクオンも思考の切り替えが早いのだそうである。
「もうこれ以上つついても何も出てけぇへんな、て思うたら、すぐ次にいってまうねん」
「それって、付いていくの大変なんじゃ?」
「慣れればどうってことあらへんで」
 年下の少女は、あっさりと言ってくれた。
 慣れるまでここにいるつもりはないのデスガ。
 世の中ってのは、いろんな人がいるんだなあとつくづく思わされた出来事であった。
 それはともかくとして、グリモワールに連れて行かれた先は、子供向け特撮番組に出てきそうな指令室のようになっていた。
 部屋の中心には、モニタが埋め込まれた大きなテーブルがどーんと鎮座している。部屋の一角には、何に使うのか見当がつくような、つかないような大きなカプセルがあったり、他にも怪しげな物がずらりと並んでいる。
 思わず「何じゃこりゃあ」と言いたくなるのを、陽平は我慢した。楓の様子を伺えば、頭が痛いとばかりに額に手を当てている。喜んでいるのは、特撮大好きな柊だけだ。きらきらと目を輝かせる少年の尻に、ぱたぱたと左右に揺れる尻尾の幻が見える。
「……ほどほどにしとけな」
「分かってるって」
 本当だろうかと疑わしくはあるものの、それ以上は突っ込まないことにしておく。
 テーブルの前にはエナとクオンがいる。2人は、陽平たちがここへ来たことに驚いた様子で眉を軽く持ち上げていた。
「手伝ってくれるんだと。手は多いほうがいいからな」
 2人の疑問をそれだけで解消し、グリモワールは部屋に集まった6人の顔を見回した。
「打ち合わせっつーても、そんなたいした事はねえんだけどな」
 本人が言ったとおり、打ち合わせはごく短時間で終了した。探査のナビゲートは、彼の助手であるジェーンが担当すること。レナケウスが外へ出ないように、囲い込みも施してあることの2点だけである。
 その後は、くじ引きでチーム分けをして、6人は屋敷の外へ放り出された。
 柊とペアを組んだのは、エナである。
 彼女は少年の少し前を歩きながら、レナケウスの倒し方についてアドバイスをくれた。柊はそれを聞きながら、
「探査魔法って、結構簡単に組みあがるンだね」
 1時間足らずで事態が進行したことに、柊は感心した。風魔の里であったなら、こんなにも早く進展はしないように思う。
 なので、エナの技量を素直に凄いと受け止めたのだが、少女は苦虫を噛み潰したような顔で、それは違うと首を横に振った。
「ワタシは、グリモワール様がお持ちだった雛形にグリモワール様がお持ちだった情報を詰め込んだだけヨ。ワタシだけの力でここまでやろうと思ったなら、最低でも3日はかかるワ」
 3日でできるのなら、それでも十分凄いと思うが、それよりも驚くべきはわずかな時間でお膳立てを整えてしまったグリモワールの方だろう。
「一体どういう人なワケ? その偉い魔法使いだってことは聞いてるけどサ……」
 具体的にどう偉いのか、柊には今1つピンとこないのだ。それを告げると、エナはそうねと考え込み、
「グリモワール様は新しい魔法体系を生み出された方ヨ。開祖とか始祖とか、そんな風に呼ぶこともできる方だワ」
 柊の立場に置き換えてみると、風魔忍術を起こした人と同じくらい偉いということになる。家業を敬う気持ちの薄い柊としては、今イチありがたみが湧かないが……忍びに憧れを持つ陽平なら「すげえ」を連発しそうだ。
「グリモワール様は、ザイィの魔法学界の頂点に何百年という長い間、君臨し続けていらっしゃる方ヨ。他界を含めても、その実力は折り紙付きだワ。グリモワール様と互角に渡り合える魔法使いなんて、ワタシは知らないわネ」
 少年は、背筋が寒くなるのを感じていた。
「なんびゃくねんって、あの人、今いくつなわけ?!」
「最低でも千年は生きておられると思うワ。そんな気の遠くなるような時間を、あの方は魔法の研究に費やしてこられたワケ。知識や技術を誰かに伝えることなく、ずっとネ」
 何となく分かるような気もしたが、あえて柊は、身近な人物に置き換えてみることにした。 
 少年が真っ先に思い浮かべたのは、フウガマスター風雅雅夫である。今でも化け物じみた強さを誇る彼が、千年という時間を全て忍術の研究、習得、発展に時間を費やしたとしたら?
 想像しただけで、魂が凍りつきそうだ。
「……っと待って。技術を誰かに伝えることなくって、クオンは? クオンはグリモワールさんの弟子なんだろ?」
「クオンは闘士だもの。魔法使いじゃないワ。ワタシは、カレを弟子だと認める気にはなれないノ」
 答えるエナの顔には、苦々しいものが広がっていた。


「闘士って何ですか?」
 クオンとペアを組むことになった楓は、横に並ぶ少年へ問いかけた。彼が口にする『闘士』とは、言葉が持つ意味以上のものが含まれているように思われたからである。クオンは少女へ一瞥を向け、
「闘士っていうのは、命を守る仕事をしてる者のことだ」
 世界空間協定に加盟する無数の世界の中でも、ザイィの危険度はトップクラスを誇る。その危険はビーストと呼ばれる巨大生物によってもたらされるものだ。
「ザイィには色んな流派があるけど、どこの流派の闘士も、このビーストから命を守ることが一番の仕事だ」
 最近では、他界へ出稼ぎに行く者もいるが、それはまだまだ少数派である。
「エナさんは魔法使いだとおっしゃってましたけど、それはとはまた違うんですか?」
「魔法使いも命を守る仕事はするけど……闘士とは役目が違うな。闘士が剣なら、魔法使いは盾だ。何か起きたときに対応するのが闘士なら、何かが起こらないように対応するのが魔法使いだ」
 今回のように、何かが起きた時に闘士をサポートするのも魔法使いの役目である。もっと単純に言ってしまえば、闘士は肉体労働派、魔法使いは頭脳労働派ということだ。
「命を守る仕事なのに、レナケウスは倒すんですね」
 我ながら、少々意地の悪い問いかけだと思う。楓の質問にクオンは痛いところを突かれたと、苦笑いを浮かべる。
「レナケウスが増えないって言ったら、倒さなくてよかったんだけどな。ここには、レナケウスの外敵がいないから、放っておくわけにはいかないんだ」
 それを聞いた楓は、そう言えば倒す前にそのようなことを口にしていたわねと、納得顔でうなずいた。



 柊と楓がそれぞれの疑問に対する返答を得ていた頃、陽平は非常に気まずい状況に置かれていた。
「…………」
 カルニィが喋ってくれないのである。こちらが話しかければ答えてくれるが、「そうですね」とか「はい」とかそんな短いものしか返ってこないのである。
 誰かさんを思い出すよなあと、少年は心中で頭を抱えていた。彼が言う誰かとは、瑪瑙と釧の二人である。彼女と彼を足して2で割ったら、カルニィになるんじゃないかと、そんなことすら考えていた。
「陽平さん」
「ぅわぁはイっ!?」
 レナケウスの探索に出て初めて、カルニィから声をかけられた。その前にちょっとばかり失礼なことを考えていた陽平の口からは、慌てた裏声が飛び出てくる。
「どうか……しましたか?」
「あーいやいや。何でもないっす」
 突然だったのでびっくりしただけでと、陽平は苦しい言い訳を口にした。青年は「そうですか?」と軽く眉を持ち上げただけで深く追求してこなかった。
「それで、どうかしたんすか?」
「上にいますよ」
「は?」
 何を言っているのかと陽平が目を見張るのと同時に、カルニィが動いた。
 ベルトからぶら下がっていた10センチほどの円形の板に右手をやったかと思うと、そこから刀が1本、出現したのである。
参拾弐式さんじゅうにしき ──!」
 居合いの要領で抜かれた刀の先端から、赤い塊が飛び出す。それは小刀の切っ先にも似た形をしており、
「え?」
 陽平の頬を掠め、急上昇。ぱちぱちと瞬けば、上からぼとりと焼け焦げた小動物らしき物が落ちてくる。
「……カルニィ……さん?」
「考え事も結構ですが、お仕事を忘れないでくださいね」
「う、あ、はい。すんません……」
 ごもっともでございますと、少年はうなだれた。その上でカルニィの手にある獲物に目を向ける。
「剣士……だったんすね」
 刀と思ったそれは、よく見ると太刀だった。かなり古い物のようだが、手入れが行き届いていて、刀身の輝きは美しく見惚れてしまう。
「ええ」彼はあっさりうなずいた。
「ビビりましたよ……」
 一瞬のことではあったが、あれは肝が冷えた。強いんですねと苦笑いを向ける。すると、カルニィは力なく首を左右に振り、
「さて、それはどうでしょう? 技術や体力、経験だけなら人に劣らないでしょうが──心がついていきませんからね」
「それは……どういう?」
「私は、私を取り巻くほとんどのことをどうでも良いと考えているからですよ」
 青年は力ない笑みを浮かべた。
「どうでもいいって……」
「無駄に長く生きすぎたせいですね。君たちが羨ましい」
「長くって……カルニィさん、俺らとそんなに変わらないんじゃ……?」
「あと2、3年生きれば300歳になります」
「えぇっ?!」
 とてもそうは見えない。思わずしゃくれ顎になってしまった陽平へ、カルニィは微苦笑を浮かべて頷く。
「本当のことですよ。私にとっては無駄な時間でしかありませんでしたが……」
 柊があっさり勝ててしまいそうだと、評価した理由がようやく分かった。彼の心は半分死んでいる状態なのだ。 
 生きる意志が薄弱なため、勝とうという意志が弱いのである。ちょっとヤバくなったら、すぐに戦闘を放棄してしまうだろう。そうして、あっさりと命を投げ出してしまうに違いない。
 それは、確信に近い想像だった。自然、陽平の顔にキツイものが浮かぶ。
「無駄って……じゃあ……何で生きてきたんすか?」
「生きていても仕方がないと思いながら、捨てられずにいた望みがありましてね……」
 カルニィは、寂しげに笑った。その笑みの下に、強く深い孤独感を感じとり、陽平は言い過ぎたかと反省する。
「君は優しい子ですね」
「……すんません。カルニィさんのこと、何にも知らねえのに……」
「いえ、私のほうこそ言い方が悪かったですから、そんな顔をなさらないでください」
 それに、今は少しだけ前向きなんですよと、カルニィは付け加えた。
「そう……なんすか?」
「ええ。長年捨てるに捨てられなかった望みが叶いましたし、クオンに剣を教える約束をしていますし、鑑定士や採集士として独り立ちするために勉強もしなくてはなりませんしね」カルニィは言う。
「クオンに剣を?」
「えぇ。教え甲斐のある生徒で、私も楽しいです」
「そうなんすか」
 青年がクオンに剣を教えている所……少し考えてみたが、ちっとも想像がつかなかった。
「楽しいこと、もっと増えるといいっすね」
「カナエと同じことを言いますね」
 カルニィは、どこかくすぐったそうに笑った。

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