「あ、ヤベ……」
 モニタに映し出されたデータに、グリモワールは慌てて入力の手を止めた……のだが、ちょっと遅かったようである。
「やっちまった〜……」
 ぽりぽりと頭をかき、どーすっかなあとぼやく。心情的にはこのまま放っておきたい気分なのだが、別画面の隅っこに警報が表示されていた。その内容を見るに、どうやら誰かを巻き込んでしまったらしい。
「あ〜……っと……」
 ぽりぽりと頭をかきながら、しばし黙考する。
 自分一人だけなら、やっちまったものはしょうがねえよなと放置しておくところだが、今は自分以外の手があった。
「しょうがねえ……か」
 面倒くさそうにつぶやいたグリモワールは、頭の中で手早く段取りをつけていく。段取りがついたところで椅子から立ち上がり、グリモワールは部屋を後にした。


絵本的勇者 外伝
レインボーコネクション



「……ホネのやつ、ここで待機してろなんて、一体どういうつもりなんだ?」
 石上山に祀られている巨石の上に腰を下ろしたクオンは、やれやれとため息をもらす。『お石さん』と呼ばれるこの巨石は、王嶺寺おうりょうじ 一族でとても大事に扱われていた。
 もっとも、この一族とは関係のないクオンにしてみれば、これは単なるポイント──世界と世界を繋ぐ出入り口──でしかない。
「何かあんのかな?」
 首をかしげながら、少年は不満げに唸った。
 こんな訳の分からない用事よりも修行のほうを優先したいというのが、彼の本音である。
 しかし、師匠に逆らうと後が怖いので素直に従い、ここで待機しているというわけだ。
「っつか、待機してんのはいーけど、いつまでここにいりゃあいいんだ?」
 巨石の上で、少年は首をかしげる。そろそろ、不運にもこの石の守役をおおせつかってしまった娘、王嶺寺かなえが帰ってくる時間でもあった。
「……カナエがきたら、一緒に帰ろうかな?」
 彼女は学校から帰ると、この巨石のところへ訪れることを日課としている。なので、そのうちここへやってくるはずなのだ。
「ん。決めた。そうしよう」
 クオンはこっくりうなずいた。そのときである。巨石がにわかに発光しはじめた。この現象には覚えがある。
「誰か渡ってくるのか!?」
 巨石から飛びのき、少年はやって来るだろう誰かを待った。


 
VS
勇者忍伝 クロスフウガ
    

「おはよー」
「はよー」
 登校してきた生徒たちが、互いに知った顔を見つけ、挨拶を交し合う。それは時非ときじく 高校の日常風景であった。
「おはよ、アニキ」
「おはようございます、先輩」
 くぁ〜っとあくびをしていた風雅陽平ふうがようへい は、背後からの声に顔を後ろに向けた。そこにいたのは、1学年下の風魔ふうま 柊と楓の双子の兄妹である。
「おう。おはよ」
「今日は1人なんですか?」
 二言目に楓がつむぎだした言葉に、陽平は思わず苦笑いを浮かべる。自分が幼馴染の桔梗光海ききょうみつみ と登校していることが多いことを知っていて、楓はこんな質問をしてきたのだ。
「光海は朝練だよ」
 3人並んで歩きながら、陽平は幼馴染が不在の理由を説明した。彼女は、弓道部に所属しているのである。
 もっとも、彼女の場合、自分が練習するというよりは後輩たちに教える方がメインだと言えた。
 それを聞いた楓は、そういえば試合が近かったですねと納得顔でうなずく。
 さすがだなーと感心するのは、柊だった。
 親しい先輩と後輩が雑談をしながら、校舎へ向かって歩く。それは、ありふれた風景だ。誰もが昨日と変わらない1日を想像し、少しだけ昨日と違う今日を期待する。
 望むのは昨日よりもほんの少しだけ違う時間。それも、できれば楽しい驚きによる違い。
 なのに、神サマという存在は時に気まぐれで、昨日とは真逆の日常へいざなってくれることもある。
 しかもそれは、あまりにも突然なのだ。心の準備を整える暇なんてありはしない。
 例えば、そう……こんな風に。
「……っな?!」
 前に踏み出した足の先が、突然光り始めたことに、陽平は目を丸くした。
 あまりにも日常からかけ離れた出来事に、少年の思考がいったん停止する。それが再起動を始めたころには、CD−ROMくらいの大きさだった光は回転しながら大きく広がり、最終的には陽平ら3人をすっぽりとその中におさめてしまった。
「何だ、なンだ?!」
「これは──魔法陣!?」
 柊と楓も突然過ぎる出来事に目を見張る。足元に現れた魔法陣は絵画的な美を有しており、マンガなどで見られるような、幾何学的なものとは大きく異なっていた。
「体が沈む?!」
 突如として底なし沼が出現したかのようである。光を発する魔法陣から抜け出そうにも、沈むスピードは意外に早く、周辺に掴めるような物はない。
「アニキ!」
 柊が呼ぶ。
 魔法陣に絡めとられたのは、陽平と柊、楓の3人。同じ学校に通う人間が不可解な現象に巻き込まれているというのに、周囲の生徒たちは驚きもせず登校を続けている。
(私たちに気づいていない?!)
 楓はそのことにも目を見張った。
 普通の女子高校生ならば、パニックを起こしてキャアキャア叫んでいるところだろうが、楓は普通の女子高生ではない。
 風魔忍軍の末裔であり、今もその技と術を受け継ぐ現代の忍び。加えて、ガーナ・オーダという侵略者と戦う勇者忍軍の一員でもあるのだ。
 忍びはこんなことで取り乱したりはしない。
 楓は、冷静に今の状況を分析していた。
 こんなことができるのは、ガーナ・オーダか、勇者忍軍を擁する風魔忍軍くらいのもの。
 だが、この術式は風魔では使われていない。風魔忍術の源流となった風雅流でも同じ。仮に、風魔以外の術だったとしても、風魔忍軍には、このようなことをする理由がなかった。
 3人とも風魔上忍たちの目から見れば、未熟者ということになるのだろう。今後の戦いはより激しいものになると予想される以上、今よりも強くならねばならないのは分かる。けれど、このような人目のある場所で、仕掛けてくることは思えない。
 それにレベルアップが目的であるならば、同じ勇者忍軍の一員である桔梗光海の存在は不可欠なはずだ。
 もう1つの可能性であるガーナ・オーダだが、こちらは勇者忍軍の忍びがこの学校に通っているということを知らない。それとも、無作為に選び出した人間が、偶然にも忍軍の忍びだったということか? 可能性はゼロでないにしろ、少々考えにくい。
 だいたい、無作為に高校生を選び出す理由が不明だ。そんなことをして彼らに何の利があるというのか。何か企んでいるとも考えられなくはないが……やはり無理がありそうだ。
 他にはどんなことが考えられるか。勇者忍軍の参謀でもあるクノイチは、その頭脳をめまぐるしく回転させていく。
(変なの……。どうなってンだ、これ?)
 沈んでいるということは、落ちているということだ。けれど、柊が感じているのは落下する感覚ではなく、その反対。体が浮かんでいるような、そんな感覚だった。
 変なことはもう1つ。
 まぶしくないのである。
 目を細めたくなることもなく、普通に目を開けていて何の不都合もない。
 視界は光で満たされているのに、それこそ見渡す限り白1色に支配されているというのに、だ。
 陰陽マークの別称でも知られる太陰対極図に示される、陽中の陰とはこういうことを言うのだろうか。
 沈んでいるのに浮かんでいる感覚。
 まぶしいはずなのに、まぶしくないこの空間。
 息苦しくないのがありがたい。
 つくづく妙なところである。一体、何がどうなってンだと、柊は首をかしげた。
 周りを見れば、双子の妹と陽平がいる。
 2人とも驚きと冷静さを半々に顔に現していた。
 きっと、自分もあんな顔をしてるンだろうなと思うと、ちょっとだけ笑える。
 そんな時だった。ふいに、足裏に地面の感覚が伝わってきたのだ。落ちていたはずだから、いつかは終点に着くものなのだろうが、体は浮遊感を感じていただけに、違和感は拭えない。
「……っと……」
 両足が地面につき、柊はよろりと前に歩を進めた。とたん、緑の匂いを含んだ爽やかな風が頬を撫でていく。
 周辺を見回すと、山の中らしい。振り向けば、そこには注連縄を巻いた巨石が鎮座していた。石の周りはちょっとした広場のようになっている。
(ここはどこだ?)
 まったく見覚えのない景色。ほんの少し前まで通いなれた校舎までの道を歩いていたというのに、その残滓はどこにも残っていない。
 あんな不思議体験中にも、通学用の鞄を手放さなかった自分を偉いと思いつつ、陽平は注意深く周辺へ視線を配り、同時に気配を探った。
 自分たちの身に、一体何が起きたのか。
 ひょっとして、これは何かの罠なのか。
 そんなことを思い浮かべつつ、彼が自分たち以外の気配の数を2つだと察知し、その位置関係を把握した直後、
「おー……これかあ……」
 同年代くらいの少年の声が上から降ってきた。その声の主が、敵意を持っていないようだったからよかったものの、その逆だったらと思うとぞっとする。
 声の主は、警戒心すら持っていないようだった。
「──って妖精?!」
「ウソだろ!?」
 柊と陽平が素っ頓狂な声を上げた。柊の台詞に、彼も自分と同じことを考えたのかと、陽平は少しだけ目を丸くする。
「誰が妖精だよ」
 露骨にむっと顔をしかめるのは、身長15センチほどの小さな少年だった。彼は陽平たちとほぼ同じ目線の位置にふよふよと浮いている。
「あんなのと一緒にするなよな」
 一緒にするなといわれても、陽平たちの目から見れば、少年は立派な妖精である。背中にトンボや蝶のような翅はないが、そんな小さな体でふよふよと宙に浮かれていては、妖精としか思えない。
 ただ、着ている服は妖精らしからぬものではあった。彼が着ているのは、デニムのベストにジーンズにしか見えない。容貌だって、琥珀色の目と身長さえ除けば日本人のようでもある。
「お前、誰だ?」
「それを聞きたいのは、オレも一緒だけどな。ま、いいや。オレはクオン・ソール」
 少年が名乗ったので、陽平たちも順に名前を教えた。すると、クオンは「ヨウヘーとヒイラギとカエデだな」
 自分たちの名前を反芻し、確認する。
「ヨウヘーじゃねえ。陽平だ」
 てめえも間延び族か。しかも、同じ間延び族である幼馴染とは発音がちょっと違う。
「ダメなのか?」
 少年がかくんと首を横に倒した。その大きさで、そんな仕草をやられるとちょっと困る。要するに可愛いのだ。ちっこい生き物はこれだから……陽平は仕方なく
「好きに呼べよ」と許可を出した。
「おお、ありがとな」
 クオンがにこーっと笑うと、目が一本の線になる。まるで猫だなと、陽平の顔にも思わず笑みが乗った。
「ごめんなさい……クオンくんでいいのかしら?」
「おう。何だ?」
 ぱちぱちと少年が瞬きをする。楓は次の質問をしようと口を開きかけたその時だった。少し離れた場所から、クオンを呼ぶ声がして、
「グリさんがアホやったってホンマかいな!?」
 そんな台詞とともに、柔らかく波打つ髪を持った少女が、細い山道を走って来るのが見えた。
「アホっつーか、ドジ?」
「グリさん、いつから、ドジっ子になったん……」
「けっこー昔から?」
 眉間に皺を寄せる少女へ、クオンは何でもない顔をして答えた。
「ちょっと待って。オイラたちが、ここにいる理由になンか心当たりでもあるわけ?」
 2人の会話に柊が口を挟むと、少女のほうが「大有りや」とはっきりうなずく。
「こんなところで立ち話も何やし、ウチに来てください。もうちょっと詳しいモンがおりますから、そっちから説明させてもらいます」
「お、おう……」
 陽平がうなずく側で、少女はクオンに「先に行っとって」と言葉を続ける。少年はうなずくと、
「こっちだ」
 ふよふよ〜っと宙を漂うように飛びながら、少女が通って来た道へ3人を誘う。その道すがら、
「何で残るのかは聞かないでくれな」
と、こちらが問うより早く、クオンはそれをするなと制したのだった。
「……じゃあ、ここがどこなのかは、聞いてもいいかしら?」
 楓の質問に対して返された答えは、聞いたことのない地名だった。逆に時非市ときじくし の名前を出してみたが、クオンは聞いたことがないと答える。
 国は日本だということだから、
「……ってことはだ。日本は日本でも、ここは俺たちの知らない日本ってことか?」
「たぶん……ねえ、クオンくん。さっきの子は、この件に関して、心当たりがあるって言っていたけど……あなたも心当たりはあるの?」
「ホネが何かしたんだろ。詳しいことは聞いてねえから分からねえけど」
 意外にも少年は、きっぱりと断言した。
 骨なんぞに何かができるとは思えないのだが……あだ名か何かなのだろうか? だとすれば、奇妙なあだ名もあったものである。
 その他にも疑問はあるが、どれをどう切り出して良いかが全く分からない。クオンに聞いてみても、明確な答えは得られそうになかった。
 となると、さっきの少女が言っていた『もうちょっと詳しいモン』とやらにまとめて聞くのが一番よさそうである。
「…………」
 気まずい。聞きたいことは後でまとめて聞くことにしたら、話題がなくなってしまった。日常的な雑談をと思っても、妖精相手ではどんな話をしていいのやら、さっぱり見当がつかない。
 まさか、ご趣味は? なんて聞くわけにもいかないだろう。それじゃあ見合いである。
 どーしたもんかと思っていると、細い山道の脇に生える木々の枝葉の隙間から大きな屋敷が見えてきた。ここからだと屋根部分くらいしか見えないが、相当の年代物であるように思われる。
「すっげ……」
 山道をおりて屋敷の横を通りながら、陽平はあんぐりと口を開けた。
 そこに建っていたのは、明治か大正時代の古き良き時代を彷彿とさせる造りのお屋敷だったのである。横浜や神戸の外国人居留地に建っていても、何の違和感もないような立派な建物だ。
「こんなトコに住んでる人なンているんだ……」
「すごいわね……」
 ただのお金持ちの屋敷とは一味も二味も違う。単にお金をかけて古めかしい外見の屋敷を建ててみたのとは明らかに異なっている。この屋敷は、歳月を重ねてきてそれに見合う風格を漂わせていた。
 石造りの壁の横を通り、屋敷の前に出るとテレビでしかお目にかかれないようなアイテムがいくつも並んでいる。まずは、張り出し屋根のある車溜まり。それから、3段の噴水──今も元気よく水を吐き出している──。
(世界が違うジャン?!)
 3人は、目を白黒させた。
 屋敷の前庭は、噴水という障害物があるものの、テニスコートなら3面くらいは取れそうな広さだ。その広々とした庭に、低木を使った垣根や花壇、コンテナの寄せ植えなどが趣味よく配置されている。きっと、専門の業者がきちんと手入れをしているのだろう。
「どーしたんだ? こっちだぞー」
 呆然と庭を眺めている3人へ、クオンが手招きした。あわてて後を追いかければ、目の前には年代物の両開きの扉。もちろん(?)チャイムなんてついてない。その代わりに、リングを口にくわえた獅子が鎮座していた。
(本当に入ってもいいんだろうか?)
 及び腰になってしまう陽平たちであったが、クオンは気にする様子もなく扉を開けた。


 それから10数分後、陽平たちは客間にいた。テーブルの上には露を滴らせる、アイスティーが入ったグラス。腰を下ろすソファーは、ちょっとありえないくらいにふかふかだった。
 3人の目の前には、先ほど山へやって来た少女、王嶺寺かなえ──陽平は母親と同じ名前だったので、ちょっと驚いた──と彼女が言っていた『もうちょっと詳しいモン』エナ・マージョリーという金髪の少女がいる。
 彼女は、魔導師まどうし なのだそうだ。マンガなどではお馴染みの単語ではあるが、実物を見るのは初めてである。
 柊は好奇心から、魔導師というものがどういうものなのか聞いてみた。マンガやアニメが大好きな彼は、創作の世界と現実との違いについても興味を示したのである。
「魔導師というのは、魔法を他人に教えられる者が得る称号のことヨ」
 ちなみに、この称号は魔法を学んでいれば誰でも得られる類のものではない。魔法を使えることと、魔法を教えられることは、別のことなのである。
 自身の称号について説明しながら、少女は3人を睨みつけるようにじっと凝視していた。真正面から、刺すような鋭い視線を向けられては、何ともいたたまれないものがある。
 助けを求めるつもりで、陽平はクオンを見た。
 が、小さな少年はエナの視線には全く気づいていない様子で、シロップを背中におって、グラスにひっかけたはしごを上っている。
 陽平たちをここに連れて来たことで、自分の役目は終わっていると言わんばかりの態度であった。
(この妖精め……!)
 グラスにさしたストローの先をがじがじと齧りつつ、陽平は恨めしげにクオンを見る。
 年下の女の子であるかなえに助けを求めるのは、何となくプライドが邪魔をした。しょうがない。ここは、本人に当たって砕けるかと陽平は口を開こうとし、
「あの、さっきからずっと私たちを見てらっしゃいますけど……何か?」
 楓に先を越された。
「覚えのあるパターンかどうか、考えていたのヨ」
 エナはひょいと肩をすくめる。
 パターンとは一体何のことだろうと思ったが、そのことも含めて、彼女がこれから説明してくれるようだ。
「さて……これから現状を説明するわけだけれど、その前にいくつか質問させてもらうワ。まず、ポイントというものを知っているかしら?」
「ポイントですか? 特定の場所、あるいは競技の点数──とかの意味……では、ないですよね?」
 楓が言うと、エナはそれとは少し違うわねと顎を指先で撫でる。その横で、ストローから口を離したかなえが
「エナが言うてんのは、ワープポイントのことやねん。マンガとかで、ようあるやろ? あれや、あれ」
 出会った時は敬語だったものの、陽平たちが敬語なんて必要ないと言うと、かなえはあっさりと敬語を切り捨てた。
 ワープという単語を耳にした陽平は、かつて琥珀が乗ってきたという方舟に搭載されていたワープ装置のことを思い出していた。
「ワープ? なあに、それ?」
 首をかしげるエナを見て、柊は自分の持っているワープについての知識を披露する。
 それを聞いたエナは、なるほどねとうなずき、
「大まかには似ているわネ。ただ、ポイントは世界と世界を繋ぐものヨ。どこでも設置できるものじゃないのだけれど……それは、まあ今回の話には関係ないワ」
「オマエたちが出てきたポイントは、あそことホネの屋敷とを繋いでたんだ」
 グラスの縁に胡坐をかいて座ったクオンは、ストローでアイスティーをぐるぐるかき回しながら言った。ようするに、トンネルみたいなもんだなと、付け加える。
「アナタたちがこちらに来てしまったのは、ポイントの設定変更の作業に失敗してしまったからなのヨ。運が悪かったわネ」
「ンな……っ?!」
「なっ、なんじゃそりゃあっ!?」
「そんなのって、ありなんですか?!」
 柊、陽平、楓の順番に素っ頓狂な声があがる。
「珍しいケースではあるけれど……報告例はいくつもあるワ」
 ちっとも悪びれた様子もなく、エナは軽く肩をすくめてみせた。
「でも、アナタたちは良いほうヨ」
「良いって、何がいいんだよ?!」
「グリモワール様以外の魔法使いが原因だったとしたら──アナタたち、漂泊者になっていたところヨ」
「どういうことですか、それ」
 何となく嫌な予感を覚えつつ、楓はエナにたずねた。
「普通の魔法使いだったら、あ、失敗したなー気をつけなきゃ、で終わっているワって話」
「ちょッ?! 何だよそれっ?!」
 思わずテーブルを拳で叩き、身を乗り出した柊だが、エナは平然とした顔で
「作業を失敗したのは分かっても、それがどういう影響を世界に及ぼしたかなんて、調べようがないモノ」
 だから、フォローなんてできないし、考えもしないと、とんでもないことを口にした。
「おいおいおいおい…………」
 何ともはた迷惑な話である。
「だから、運が良かったわネって言っているの。グリモワール様だから、アナタたちは空間の狭間を漂うこともなく、言葉も通じないような別世界へはじき出されることもなかったってワケ」
 そうは言われても、原因がそのグリモワールとやらにある以上は、素直によかったと喜べない。
 苦虫を噛み潰したような顔でいると、エナは「アナタたちの気持ちも分からないではないけれどネ」と苦笑いを浮かべた。
「グリさんは、後でしばいたったらえぇねん。それくらいしたって、バチはあたらへんて」
「そんなわけないでショウ?! グリモワール様なのヨ?! そんな大それたこと、天地が許しても、ワタシが許さないわ!!」
 あっけらかんとしたかなえの発言に憤ったのは、エナである。ソファーから立った彼女の周辺に、時期外れの台風が吹き荒れた。
 突然の出来事にワケが分からず、3人が瞬きを繰り返していると、クオンが
「あー病気みてえなモンだから、気にしなくていいぞ」
 そのうち治まるから、ちょっと待ってろと顔の前で手を振った。
「そうなのか…………」
 淡々とした口調で話すものだから、てっきりクール系なのだと思っていたら、意外に感情的だったらしい。
「何か、大変ですね」
「いやあ……慣れたら大丈夫だぞ。スイッチはホネだって分かってるしな」
「ふうん……そのグリモワールってどんな人なわけ?」
「ホネか? あーそうだな……一言で言うと、すっげー自由人だな」
 うんうんとうなずきながら、クオンは答えた。
 陽平たちは、少年のグリモワール評を興味深く拝聴する。今までの話からして、自分たちの命運はその人にかかっているようなので、どんな人物か気になるのだ。
 かなえとエナの舌戦は決着がつかず、5分ほど経過したところで、
「なあ、いつまでヨウヘーたちを放っておくつもりだ? いい加減飽きてくるぞ」
 レフリー・クオンが勝負を預かるという形で落ち着いた。
 エナは気恥ずかしそうに頬を赤らめ、コホンと咳払いを1つ。
「大丈夫ヨ。ちゃんとアナタたちの世界に帰れるワ。ポイントの接続に少し時間がかかるけれど、その辺はきちんとグリモワール様が責任を取ってくださるそうヨ」
 元の世界に帰れると知って、陽平たちはほっと胸をなでおろした。とりあえず、一安心である。
「少しって大体どれくらいですか?」
「そうね……早くて3日か4日。遅くても10日以内には帰り支度を整えられると思うワ」
 そのために、サンプルを取らせてちょうだいと、エナは小さなシールのようなものを取り出した。
「何これ?」
 1円玉くらいの大きさのそれを手にとって、柊はそれをしげしげと眺める。表面はミラー加工が施されたようになっていて、光を反射してきらきらと光っていた。
「それはプロセス・メモリと言って、アナタたちのソウルゲノムを記録するものヨ」
 眉間に貼って、3分ほど待てとエナは指示する。
「貼り付けるのはいいけどよ、そうるげのむって、何なんだ?」
 シールを台紙からはがして眉間に貼り付けながら、陽平はエナに尋ねた。
「それを記録すると、何がどうなるわけ?」
 シールを貼ったところがぽわっと温かくなって、何となくむず痒い。無意識のうちに、眉間に手をやると、触っちゃだめヨとエナに注意される。
「ソウルゲノムは、アナタたちがいた世界の座標を特定するのに使うのヨ」
「もうちょっと詳しく説明してくんないかな? 魔法とかってド素人もいいところなんだよね」
 マンガやアニメで得た知識なんて、何の役にも立ちそうにない。白旗をあげるような気分で柊は言う。それは、彼だけではなく、他の2人、陽平と楓にも共通する思いだった。
「えぇとそうね……DNAは知っている? これに相当するものが、魂にもあることは?」
「DNAは知ってるけど……魂にもDNAみたいなのがあんのか?」
 陽平が確認すると、エナははっきりうなずいた。魂のDNAのことを、エナたちはソウルゲノムと呼んでいるらしい。
「このソウルゲノムには、世界の個性というものが少なからず反映されているものヨ。お国柄とか土地柄とかいう言葉があるでしょ? これと同じようなものだと思ってくれれば良いワ」
「えぇとつまり、私たちがいた世界を特定するために、世界柄とでも言うような個性をサンプリング抽出しようとしているってことでいいのかしら?」
「そういうことヨ。グリモワール様は、アストラルサイド……精神的世界の特徴を利用して、アナタたちがいた世界の座標を特定しようっていうお考えのようネ」
 楓が首をかしげ、精神的世界の特徴についてたずねる。エナは少し考え込むと、今回のケースで利用される特徴は、共通項のある情報は引き合うということ──
「類は友を呼ぶって言うでショ? あれよ、あれ」
 もう1つはアストラルサイドにおいて、距離はあってないようなものだということ。
「それこそ銀河を2つ3つ跨いでしまうような距離だったとしても、アストラルサイドではそれをゼロにしてしまえるってワケ」
「類友は分かるような気がするけど……」
 もう1つの特徴については、今一つ納得がいかない。陽平が困惑していると、蚊帳の外にいたかなえが、
「体は家ン中おっても、気分だけやったら学校でもハワイでもどこでも行けるっちゅーことちゃうのん?」
「そうそう。そういうことヨ」
 かなえが出した例えに、エナはポンと手を叩く。
 そんなことを話しているうちに、3分という時間が経過した。魔導師の少女は3枚のシールを回収し、グリモワールに渡してくると席を立つ。
「ほな、陽平さんたちが帰る手段はグリさんとエナに任せるとして、それまでの間はここにおって下さい」
 幸いにして、部屋は有り余っているので問題はない。着替えの方も心配いらないと、かなえは付け加えた。
「悪ィな、世話ンなる」
 陽平が言うのにあわせて、風魔兄妹も頭を下げた。
「そんなん、気にせんとって。悪いんは、グリさんなんやもん。エナはそんなんとんでもないて言うとったけど、かまへんから、グリさんに一発ぶちかましたったらえぇねん」
 なあと、かなえはクオンに同意を求める。求められたクオンは「そうそう」こくこくと首を上下に振った。

 その後は、ちょっとした大騒ぎだった。
 まず、泊まる部屋を決め──部屋数があるので、部屋を好きに選んでいいと言われたのである。また、この家にはハウスキーパーがいるということに驚いた後、この広さだもんなあと納得した。
 3人が選んだのは、2階の南向きの部屋である。この部屋からは庭が一望できて、さながら一流ホテルのようなロケーションだった。
 部屋を整え終わり、制服を着替える。少年たちは、かなえの父親のものを借り──「柊、お前ぶかぶかだな」「しょうがないジャン! そう言うアニキだって、ちょっと余ってるし!」「お前よりマシだ」──楓はエナの服を借りた──「私はほぼぴったりです」
 そんなことを言い合いながら、リビングへ向かう。すると、そこにはまだ歳若い男性がソファーに座って新聞を読んでいた。
「えっと、あの……お邪魔してます」
 3人はぎこちなく頭を下げる。男性の見た目だけで言えば、やくざっぽく見えなくもない。が、陽平の声を聞いた彼は、
「話はかなえから聞いてるで。災難やったなぁ」
 一転、人好きのする顔に変わった。
「おとうちゃん、お茶……っと、陽平さん──」
 リビングの入り口のところで立っていた3人の後ろからかなえの声がかかる。
「え? おと……え?」
 少女の口から飛び出た単語に、陽平は目を白黒させた。目の前の男性は、どうみてもかなえぐらいの子供がいる年齢には見えないからである。
「はじめまして。王嶺寺総馬おうりょうじそうま や」
 こちらの戸惑いが分かったのか、総馬と名乗った男性は、笑いをこらえながら手を差し出してきた。
「どうも……風雅陽平です。しばらく、お世話ンなります」
 手を握り返し、陽平はもう一度頭を下げる。双子の兄妹もそれぞれ名を名乗り、総馬と握手を交わした。
 はじめ、義理の親子かとも思ったのだが、それにしてはどことなく雰囲気が似ている。柊と楓は、この2人が血縁関係にあると直感した。さらに忍びの眼力は、総馬の年齢を20代後半から30代前半と推測している。かなえは中学生だと言っていたから、それと照らし合わせて考えると、自分たちの年齢くらいの時にかなえをもうけた計算になってしまう。
「……すげえな」
「うん」
 陽平と柊は、こっそりと囁き合った。今の自分たちくらいの年齢で父親になるなんて、想像もつかない。
 忍軍の3人がちょっとしたショックを受けている頃、彼らをここへ導いた山中の巨石にちょっとした変化が起きていた。
『……ココハドコダ?』
 日が落ち始めた山中をぐるりと見回し、それは首をかしげた。見覚えのない景色、覚えのない匂い。空に瞬き始めた星の位置は、それの知らないものであった。
『トバサレタノ……カ?』
 世界と世界の狭間を超えて、別の世界に来てしまったのかもしれない。そんなことを思いながら、それは現状を把握すべく、周囲を歩いてみることにした。


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