ある日、トーコがのたもうた。
「外で月見がしたい!」
 就寝前のゆっくりした時間を過ごしていた面々は、きょとんと目を丸くする。
「外でって、前みたいに甲板で、ってことですか?」
 フラワーアレンジメントの雑誌をぺらぺらと捲っていたイサムは、その手を止めて彼女に聞いた。
「甲板はイヤ。あそこ、月がでっかく見えるだけで、何の面白みもないんだもん」
 ぷくーっと頬を膨らませ、トーコはそっぽを向く。
「地面の上で、月見がしたいのっ!」
「地面の上ねえ……」
 シェーカーを振るジャンクの顔は、難しげな顔になっていた。ラストガーディアンは、現在空の上にいる。
「寄航予定はないな」
 ラム酒の入ったグラスをカウンターに置き、ブレイブナイツのブリットが断言した。トリニティの動きが、少々活発化している現在、夜間の外出許可は出ないだろう。
「うぅ。お月見ぃー」
 こればかりは、いくらトーコがしたい、やりたいと叫んでも、早々簡単に許可が降りることではない。
 夜食を食べ終えて、お茶を口にしていた釧が、諦めろとばかりに一言。
「フン」
「アンタ、今、鼻で笑ったわね!?」
 トーコの涙声が、格納庫にこだまする。


オリジナルブレイブサーガSS
月明かりに照らされて



「おーつーきーみぃー。っていうか、おしゃけー」
 止まり木を前後にがくがく揺らしながら、トーコが言う。
「まだ言っているのか」
 深夜シフトと朝シフトの交代時間をよけて、酒場へやって来た釧が呆れたように目を見張る。
「お酒はほどほどにしないとダメですよ〜?」
「お外でおしゃけ飲みたいのぉ〜」
 ラシュネスの忠告も右から左へ聞き流して、トーコは止まり木を揺らし続けた。
「甲板で我慢するとか、植物園で我慢するとか」
 釧が指定席に座るのを見て、ユーキが食事の用意を始めた。店主のジャンクは、購買へ商談に出かけていて不在なのである。
「いーやあッ。お外で、地面の上でやりたいのぉ〜!」
「子供じゃないんですから、いい加減になさいまし!」
 グレイスの雷が落ちると同時に、トーコの座っていた止まり木がバランスを崩して後ろに倒れ、後頭部を強打。
 かなり、いい音がした。
「わがまま言うから、バチがあたったな」
 ウッドデッキの後ろで、燻製の番をしていたBDがけらけらと笑う。全くですわと、グレイスは憤っていた。
「あわわわ。大丈夫ですか〜?」
 心配顔で覗き込むのは、ラシュネスとイサムだけである。後のメンバーは、自業自得だと気にする様子もない。
「みんな、冷たい」
 仰向けから、ごろんとうつぶせになったトーコは、めそめそ泣きながら、床に『の』の字を描いた。そこへ、
 ふみっ。
「あう゛っ」
「そんなところで、何やってるんだ、お前は」
 購買から、ジャンクが戻ってきた。テレポートで移動し、着地したところに妹がいたので、兄は驚きに眼を見張った。
「いぢめっこ〜」
「そんなところに転がってるお前が悪い」
 慌ててその場を退いたものの、兄の表情は特に変わった様子もない。悪びれた様子もなく、妹へ冷たい言葉を向ける。
 ちっとも反省していない兄へ、非難の言葉を向ける者もいなかった。
 みな、何事もなかったかのように振舞っている。
「冷たい」
 トーコがしくしく泣いていると、ブリッジからの放送が入った。
『全クルーに連絡します。本艦はこれより進路を変更して、ドッグに寄航いたします』
 とたん、トーコがぴたりと泣き止んだ。
 それを聞いたメンバーは、皆が同じことを思う。

(甘やかしちゃ駄目だろ、律子さん!!)

「くしゅんっ!」
 ほぼ同時刻。ブリッジで誰かがクシャミをしたそうな。



「いいのかなあ?」
 姉の思いつきに首をかしげながらも、ユーキは購買に赴き、月見団子を作るための材料を買い占めていた。
 上新粉や団子粉、餡を作るための小豆や砂糖などである。とりあえず、たくさん作れといわれたので、あるだけ買い占めて来たが──
「どれだけの人が来るんだろう?」
「やや。ユーキさんではありませんか!」
「あ、サヤさん」
 ぱたぱたと走ってくるアンドロイドの少女に、ユーキは愛想よく笑いかける。
「お仕事、終わりですか?」
「はいっ。ところで、何を買われましたか?」
 大荷物ですねと、サヤはユーキの持つ買い物籠を覗き込む。
「月見団子を作るんだよ」
「お団子ですか! それは楽しそうですね」
「……良かったら一緒に作る?」
「いいんですか?!」
 いいも何も、オモチャを見つけた子犬のような目をされては誘わないといけないような気になってくるのだ。
「もちろん。準君も連れておいでよ」
「はいっ。ありがとうございます!」
 ぺこりと一礼したサヤは、早速準を探しに、てけてけと駆け出して行った。
「早く戻って、準備しとこ」
 彼女が準を連れて、酒場に顔を出す頃には、団子作りの参加者が何倍にも膨れているに違いない。



「月見……ね」
「そそ。外でやるから、ゴザを貸してほしいわけ」
 生活班スタッフが事務仕事をしている事務所へ顔を出したトーコは、早速ジェームス・リーにお月見の話をした。
「ゴザだけでいいのか?」
「大丈夫よ」
 彼の横で、資材の貸出し依頼書を難しい顔で記入しながら、トーコは答える。食事は、酒のツマミ程度にあればいいから、食器は問題ない。月見団子は、大皿とか紙皿の上にでも盛ればいいだろう。ススキを飾る花瓶も、1つあれば十分だ。
「なるほど。ところで参加者のほうはどうなっている?」
「ウチのが全員で、後は未定。来るもの拒まずのつもりだから、どんだけ膨れるか──」
「ふむ……では、こうしよう。君たち以外の参加者が十人を越えたら、経費報告を回してくれたまえ。参加人数をみて、適当な額をこちらでもとう」
「え? まじ? いいの?!」
「参加人数によって、だがね」
 きらっと目を輝かせるトーコに、ジェームスは苦笑いを浮かべた。トーコが依頼書を書き終えると、彼は承認の印鑑をぽんっと押す。席を立って、後ろのキーボックスから鍵を1つ取り出した。
「古葉君。倉庫へ行って、ゴザを取って来てくれないか」
 言いながら、鍵をセイヴァリオンチームの古葉真人に放り投げる。
「何で俺が……」
 倉庫の鍵を受け取りながらも、真人の顔は不満でいっぱいだ。先日のシーサイドパークでの一件以来、多額の借金を背負ってしまった彼は、借金からの天引きを労働条件に、ジェームスの下でこき使われているのである。今も伝票整理を手伝わされている最中だ。
「別に嫌なら構わない。今すぐに、借金を返済してくれたなら、君は自由の身だ」
「う゛っ……! 分かったよ」
 反撃のチャンスすらつかめず、古葉真人、敗退。
「あ、じゃあついでに格納庫まで運んでよ」
「OK」
 逆らったところで、何の得もない。真人は降参とばかりに、両手をあげてトーコに従った。



 倉庫にあったゴザを台車に移し、トーコがそれをがらごろ押して歩く。台車に乗り切らなかった分を、真人が担いで格納庫まで向かった。
「アンタも勇矢たち誘って来れば?」
「そうだな……お邪魔させてもらおうかな」
「外でやるから、セイヴァリオンたちも参加できるし」
 まあ、ロボット連中は、基本的に見ているだけしかできないのだが、こういうものは、参加することに意義があるのだ。
「とりあえず、声をかけてみるよ」
「そうしてちょうだいって、うっわー……何かすごいことになってるわよ、ちょっと」
「10人どころの騒ぎじゃないな、これは」
 格納庫に下りるエスカレータから下の様子を覗くと、酒場のあたりで、たくさんのちびっ子とその保護者が集まっていた。
「勇矢君もいるな」
「あら、ホント。こりゃもう、参加決定だわね」
「そうだな」
 熱心に団子を丸めている勇矢の姿に、真人の表情もほころぶ。
「ただいま。大盛況ね」
「サヤさんが広めてくれたみたい」
 イタズラっぽく笑う姉に、弟はひょいと肩をすくめてみせる。広告塔をつとめてくれたサヤは、子供たち以上の熱心さで、団子を丸めていた。
「ねーえ、ゴザってどこに置いといたらいい?」
「とりあえず、そこの隅っこに積んどけ」
 カウンターの向こうに座って、タバコをふかしているジャンクが、ランド・シップの入口付近を指差した。
「りょーかーい」
 指示された場所へ、トーコはがらごろと台車を押していく。
「どうかした?」
 真人がついてこないので、トーコは後ろを振り返った。
「ああ、すまない」
 はっと我に返った真人が慌てて、やって来る。
「どうかしたわけ?」
「ん、ああ。あれがね、ちょっと……」
「ん? あら、ダーリン2号じゃない」
「2号……」
 トーコの呼称に、真人は小さく目を見張る。
 ダーリン2号と呼ばれたのは、勇者忍軍の風雅 陽平であった。いつは、明るい顔をしている少年なのだが、今はちょっとばかり様子がおかしい。
 彼の側で、翡翠が団子を捏ねているのだが……少年はそれを見守るでもなく、ぼんやりとしているのだ。
「何、あれ」
「だろう? 何かあったのかい?」
 担いできたゴザを台車の横に下ろし、真人はトーコを見る。彼女の兄ジャンクは、情報屋なんて家業のせいか(需要のほどは今ひとつ不明であるが)艦内で起きた出来事のほとんどを把握しているらしい。なので、何か知っているかと思ったのだが──
「さあ? 何にも聞いてないわ」
 トーコは軽く肩をすくめる。そうかと短い言葉を返した真人は、改めて陽平へ視線を向けた。
 いつもならとっくに、彼はこちらに気づいている。にも関わらず、陽平はぼんやりと虚空を見上げるばかり。
 彼から少し離れたところで、翡翠が団子を丸めていた。周囲にいる子供たちは、楽しげな笑顔を浮かべているのに、翡翠だけは浮かない顔をしている。後ろにいる陽平が気になっているのだろう。
 その証拠に、少女はちらちらと後ろを振り返っていた。普段の陽平なら、翡翠の視線にいち早く気づき、「どうしたんだよ」と問いかけているはずである。
「何、あれ。お姫様のことも気づいてないじゃない」
 翡翠は振り返るたびに、陽平に声をかけようと口を開くのだが、結局は何も言わないまま、口を閉ざしてしまっていた。
 さっきから、これの繰り返しである。
「忍びが主君に気を使われているようじゃな……」
「あの横っ面、張り倒してやりたくなるわね」
「それは、君に任せるよ。俺はあんまり長居もしていられないんでね……」
「そうだったわね。リー兄によろしく」
「後で話を聞かせてくれよ」
「はいよ」
 答えたトーコは、そのまま格納庫の下の階層が見下ろせる場所へ向かった。
 格納庫には、勇者忍軍の風魔 柊が整備班の手伝いに来ているはずである。なので、あそこから少年を呼ぶのだろうと、真人は考えた。
 酒場から離れ、エスカレータに乗り込む。上の階層に移動しながら、真人はトーコのやることを眺めていた。
 すると、彼女の手の中に一本の釣竿が現れたではないか。トーコは堂に入った様子で、釣竿を構え、その先を下の階層に投じた。
「おいおい、まさか……」
 そのまさかであった。
「うわああぁッ?!」という悲鳴と、
「一本釣りィ!」という声がピタリと重なる。
 トーコが、釣竿で柊を釣り上げたのだ。
 今の悲鳴はかなり大きな声だったのだが──
「……駄目だ。気づいてない」
 相変わらずぼんやりしたままの陽平に、真人は「これは重症だな」とため息をついたのだった。


「何、何?!」
「落ち着け」
 釣り上げた獲物の額を、トーコはべちっと叩く。叩かれた額を手で押さえながら、柊は不満イッパイに唇を尖らせ、文句を言った。けども、案の定といおうか、トーコは全然悪びれもせず、
「聞きたいことがあんのよ」と言った。
「何? 急ぎなの?」
「急ぎといえば、急ぎね。アレなんだけど」
 トーコは、両手でビシッと陽平を指差した。
「あ、あれ? アニキ?」
 ぱちぱちと大きく瞬きをし、柊は忍び頭の横顔を見る。
 心ここにあらずといった雰囲気で、ぼうっとしている。
 柊が、あんなに大きな悲鳴を上げたというのに、彼はそのことに気づいていないようなのだ。
「何か心当たりある?」
「心当たり……う〜ん……あれかな?」
 その場に胡坐をかいて座り、柊は腕組みをする。周囲の状況から、ここで月見の用意をしているようだと、判断しての心当たりだ。
「ほほう。何々?」
 釣竿を消し、トーコはその場にしゃがみこんだ。
「オイラも細かいトコロはよく分からないンだけどサ」
 ぼそぼそと小声で話してくれた。
 それによると、月には、かぐやという少女がいるという。この少女と陽平が一緒に過ごした時間は短かったものの、少年は彼女に恋心を抱いた。たぶん、陽平だけでなく、かぐやのほうも。
「だったら、そのコがここにいないわけは何?」
「仕方ないって言葉で片付けちゃいけないンだろうけど、あのコはさ、人柱なンだよ。月に吸い上げられてく地球の負の感情を、あのコは一生かけて浄化していかなきゃいけないンだって」
 離れたくて離れたわけじゃない。しかし、離れざるをえない理由があったのだ。
「なるほどねぇ……」
 がりがりと面倒くさそうに、トーコが頭をかく。なるほどと言ってはいるものの、彼女は完全に納得したようではなさそうだ。
「アニキにアドバイスは?」
「言いたいことは色々あるけどね。2言でいうと、さっさと過去形にしてしまえ。女々しすぎる」
「辛口だね」
 柊は苦笑いを浮かべた。今の陽平は、忍びとしては失格である。今翡翠の身に何か起きたとしたら、陽平はすぐに行動することができないだろう。
「でもさ、オイラたち、そういうアニキだからついていこうって思えるンだよね」
「その気持ちも分かるけどね。でも、あれはダメダメのダメ。思い出なんざ、時々取り出して眺めてすぐにしまっとくもんよ。いつまでも味わうようなもんじゃないわ」
 言いながらトーコは、どこからともなく手帳を取り出した。ペラペラとページを捲ると、ペンで何かを書き込んでいく。
「何書いてンの?」
「見ちゃダメ。マル秘」
 トーコはページを隠すように手帳を立てた。すると、『勇者忍軍 成績帳』という達筆な字が見えた。
「何、その手帳……」
「ん〜……雅夫さんがお中元でくれた」
 なんでやねん。柊はがくりとうなだれる。こんなにも、はぐれカズマ君1号を切望する日が来ようとは……。
「──ということなので、先生、ご子息をいぢめてもいいでしょうか? あたしのサド心がうずいてしょーがないんですが」
「まずは話を聞こう」
「うわ?!」
 真上から降ってきた声に、柊は驚きの声を上げる。振り返れば、風雅雅夫が腕組みをして立っていた。
 声がするまで、その存在に全然気づかなかった。
(オイラもまだまだ修行が足りないな)
 少年は、がっくりと肩を落とす。



 ラストガーディアンは、予定通りドッグへ寄航した。出発まで、3日ほど時間があるということなので、今夜はゆっくりと月見を楽しむことができるだろう。
 月は早々と空にあがっていたが、あんまり早い時間から始めても興ざめである。
 お月見のスタートは、夜の8時からということになった。空を見上げると、やや雲が多いものの、概ね良好の月見日和となったようである。
「あーらら。何か大盛況ね」
 ゴザを敷いた周りには、ずらりと提灯が掲げられていた。皆で作った月見団子は、食堂から借りてきた大皿にどーんと盛り付けられ、ススキは、タライの中に剣山をびっしり並べて即席の花器に豪快に生けられていた。
 スタートまでもうちょっと。小学生組を中心とした子供たちはそわそわと落ち着かない様子であった。
 というのも、誰が言い出したのかさっぱり分からないのだが、お月見の余興として、『月』と『虫の声』の2曲を演奏&合唱することになったのである。
 演奏楽器は、小学校の授業でお馴染みのソプラノリコーダーだ。それに、グレイスが電子ピアノを、BDがドラムを演奏してくれるらしい。それでも──


「誰だよ、こんなこと言い出したのは……っ」
 北山 雷人が忌々しそうに舌を鳴らす。その側では、星崎 瞬と羽丘 リリィが、おぼつかない指運びで笛の練習をしている。2曲ともさほど難しいものではないのだが、2人とも音楽が苦手なので中々思うようにはいかないのである。
「全くだわ。何で私がこんなこと!」
「指使い、覚えられてないよ……」
「まあまあ。でも、2人とも少しずつ上達してますわ」
 雷人と同じ歌組の草薙 沙耶香が、2人を励ますようににっこりと笑う。そこへとことことこーっと、翡翠がやって来て、
「だいじょうぶ」
 瞬とリリィに向かって、こくこくと頷く。
「あ、あの翡翠さま、わたっわたしも歌わなくてはいけませんか?」
 目じりに涙を浮かべ、孔雀が少女に問いかける。振り返った翡翠は一言、
「孔雀も歌う」
「あぅ……」
 メガネの少女はがっくりとうなだれた。
 乗り気ではない子供たちと違って、
「楽しみですね、ジュン!」
「わあ。サヤさん、張り切ってますねえ」
「ラシュネスさんも楽しそうですよ!」
 いわゆる特別参加となる、サヤとラシュネスだけが異常に高いテンションをキープしていた。
「やる気満々なんだね。サヤお姉ちゃん」
「俺たちは席で応援してるからがんばれよ」
 ソプラノリコーダーを持ってはいるものの、準の表情はイマイチさえない。それを知りつつも、和真は弟分の頭を撫でた。
「う、うん」
「写真もバッチリ撮ってあげるから任せといて」
 西宮 麻紀は、購買とアナウンス部のバイトによって得た収入で購入したデジカメを見せる。その隣には、薄手のセーターにジーンズという格好の鳳 明日香がいて、
「楽しみにしているぞ」
 笑顔を浮かべていた。
 緊急の小さな発表会ではあるが、こんなにたくさんの人が自分のことを見てくれていると思うと、うれしいような照れくさいような気持ちが湧き上がってくる。
「うん。僕がんばるよ」
 3人に微笑み返した後、少年はサヤに向かって「頑張ろうね」と声をかけた。
「もちろんです」
 サヤは力強く頷き返す。
「みなさん、そろそろ時間ですわよ。先ほど決めた順番どおりに並んでくださいな」
 パンパンと手を叩きながら、グレイスが声をかけた。彼女の前には、人間用の電子ピアノのが置いてある。
 小学生組が準備を進めているころ、
「待たせた」
「おー! さっすがブリット!!」
 主催者とも言うべきトーコの元へ、ブリットが釧を連行してやって来た。2人の青年を、その場にいたユーキ、ジャンク、イサムがぱちぱちと拍手で出迎える。
「キサマら!」
 こんな場所に借り出されたことに、釧は不機嫌オーラを爆発させていたが……それくらいのことでへこたれるような神経の細い者は、この場にいない。
「はい、釧さん、ご飯まだでしょ」
 強引に座らされたところへ、すかさずユーキが食事の乗った盆を差し出す。さらにイサムがのほほんとした顔で、こぽこぽと緑茶を淹れて差し出した。
 豚肉と茄子の味噌炒めがかかったご飯と、白菜と油揚げのおひたしのようなもの。それにすまし汁が乗った盆は、旨そうな匂いをさせている。
「月を見る余裕すらないか?」
 からかうように、ジャンクが言った。



 ここで席を離れれば、彼の言葉を肯定することにつながってしまう。釧が敗北する、数少ない瞬間であった。
「食べながらでいいからさ、あっち見てよ。あっち」
 釧をつれてきたブリットにお猪口をもたせ、そこにお酒を注ぎながら、トーコが目線である一点を示した。
 言われるままに視線を移動させると、子供たちに混じって翡翠と孔雀の姿を発見する。
 2人の少女は、青年が自分たちを見ていることに気づき、一瞬の驚きの後、嬉しそうに目を細めた。
「翡翠が笛で、孔雀が歌よ。ちびっこたちが余興で2曲やってくれるんだって」
 何であんなところにいるんだと疑問を抱いた釧へ、トーコがすかさず説明をする。
 それが終わると同時に、子供たちの小さな音楽会が始まった。
 曲は2曲。『月』と『虫の声』という曲である。どちらの曲も小学校の低学年で習うような簡単な曲だ。
 観客からの拍手が鳴り止むと、BDがドラムスティックをたたいてリズムを取りだす。続いてグレイスが電子ピアノの繊細な指使いで奏で始め──リコーダー組が、笛を吹く。息を吸い込み、歌組が歌いだす。
♪出た 出た 月が
 まあるい まあるい まんまるい
 盆のような 月が ♪
「おー、いいぞ!」
「坊主共、声が小せぇぞ!」
 1部の参加者は、ここへ来た時からすでに飲んでいたらしい。口笛が鳴らされ、大きな手拍子が送られる。
 野次とほとんど変わらないような声援だが、受ける側の子供たちは照れくさそうに笑っていた。
 発表会の時間は、10分ほど。実に短い時間である。役目を終えた子供たちは、グレイスの弾くピアノの音に合わせて観客へ1礼。保護者のところへ戻っていた。
「がんばってたわねえ」
「フン」
 同意を求めるような笑みを向けられ、釧は鼻を鳴らした。このために連れ出されたのかという、不機嫌さを青年は隠そうともしない。
「ではでは、本日の秘密のメインイベントー」
 指の先をぺちぺち合わせ、トーコは意味深に微笑む。
「秘密? 何をするつもりだ?」
 ブレイブナイツから離れて1人この場にブリットが、酒の杯を下に置き首を傾げた。お酒が呑める場所は決められているので、未成年メンバーはこちらに入ってこないのである。ちなみに、ユーキは主催者の1人というかたちで容認されていた。
「親公認で、陽平をいぢめます♪」
「何?」
「まあ、まずはこれを見ろ」
 どういうことかと目を見張るブリットの前に、ジャンクが四角いマーカーを置いた。すると、そこから映像が飛び出した。映像は、陽平を映し出している。
「これは……?」
 ゴザの上に座って翡翠を出迎えているところから察するに、リアルタイムの映像のようだ。首をめぐらせて、当人を探せば、前の方に座っている忍軍の姿を見ることができる。
「……何だ、この腑抜けたツラは」
「──昼間より重傷ですね」
 映像に映る陽平の表情は、イサムが言うとおり、昼間よりも酷くなっていた。今にもホロリ涙を流して、酒でも煽りそうな雰囲気である。
「何があった?」
「思い出に浸ってるみたいねえ」
 陽平がこんな顔をしている理由について、トーコは報告した。話を聞き終えると、事情を知らないブリットは、「なるほどな」
 とうなずく。一方、若干ながら関わりあっていた釧は、
「くだらん」の一言で切り捨てた。
「ねえ、ストレートにガツンって殴っちゃダメなの?」
「それじゃあ、あたしが楽しくないでしょ」
 弟の問いかけをトーコは、ばっさり切り捨てた。
 何でお前が楽しむ必要があるんだと、その場の全員が思ったが、彼女に意見する者は誰もいない。
 孤立無援の風雅陽平。当人のあずかり知らぬところで、計画は進んでいく。

「まさか、こんな大仕事を頼まれるとはな」
 計画の成功は、全てジャンクの手腕にかかっているといっても過言ではなかった。

 月見の席から抜け出した陽平は、1人で月を見上げていた。
 あちらでは、月見団子を食べながら、みんな、楽しそうに笑っている。陽平だけが、その輪の中で笑うことが出来なかったのだ。
 もう大丈夫だと思ってたんだけど……。
「まだ……だったんだな」
 前髪をつかみ、少年はうつむいた。
 月を見ていると、どうしても思い出してしまう。
 あの子の声、あの子の笑顔。
 あの子と離れてしまったときのこと。
 今の自分は、あの子が好きになってくれた自分じゃないと分かっていても、陽平にはこの気持ちを胸の引き出しにしまっておくことができなかった。
「くそ……っ」
 この気持ちに名前を付けられたら、ちょっとはすっきりするのかもしれない。
 月見の席の笑い声が、風に乗って聞こえてくる。今の陽平は、あそこに居ることすら辛くて出来ない。
 あの子は、どうしているのだろう。
 辛い、寂しい、哀しいと泣いていないだろうか。
 あの子を支えてくれる誰かが、あの子の側にいてくれることを願う。
 その誰かと笑い合えていてくれるようにと祈る。
 そんなことばかりが思い浮かぶ。
 知らず知らずのうちに、拳をぎゅっと握りこんでいた。
「ようへい」
「翡翠?」
 主君に名を呼ばれ、少年は振り返った。
 陽平を追いかけてきたのだろう。スカートの端々に枯れ草がくっついていた。
「どうしたんだよ?」
 主君以外の人のことばかり考えていたことに、若干の後ろめたさを覚えつつ、陽平は少女に問いかける。
 すると、翡翠は何も言わず、ばいばいと手を振った。
「は?」
 学校に行く陽平を見送るようなそんな気楽さで手を振った少女の体が、ふわりと宙に浮く。
「な?! ちょっ?! おいっ!?」
 陽平は慌てて翡翠を追いかけ、その体を引きとめるべく手を伸ばした。
 ──が、少年の手をすり抜け、翡翠の小さな体は、満月に吸い込まれるように空高く上っていく。
「ウソ、だろ?」
 あっという間に見えなくなった翡翠を満月と一緒に、雲が隠してしまった。
「くそ、何がどうなってンだよ!?」
 何も分からないながら、1つだけ確かなことがある。主君を取り返さなくてはならない、ということだ。
 陽平はすぐさま、クロスを呼び出し、クリムゾンフウガを召喚する。
「風雅流奥義之壱、三位一体っ!」
 奥義書を解き放ち、
「獣王式忍者合体っ!」
 少年は強い決意を胸に秘め、夜空を睨みつける。

「クロスッ! フウガァァァッッ!!」

 地面を蹴り、クロスフウガは空へ舞い上がった。
 ぐんぐん上昇を続け、忍巨兵の巨体が雲の中へ飛び込んでいく。
 あの子のことばかり考えていて、主君のことがおろそかになっていた。そのことで、こんなヘマをやらかすとは、忍び失格である。
 守ると約束したのに、こんなことで少女を失うなんて。
「翡翠っ!」
 雲の隙間から月明かりが見えた。そのことから、雲の上へ出る距離を推しはかることができる。
 今、助けると言おうとしたその時だ。前方に大きな影が現れた。明らかに雲とは異なるシルエットだ。
『油断するな、陽平!』
「分かってる! 待ってろ、翡翠っ!!」
 少年の悲壮感漂う叫びと、
「ようへい♪」
 巨大翡翠の嬉しそうな声がぴったりと重なる。

「なんだってー!?」

 陽平は、クロスフウガごと、ずっコケた。
「よーへー! 何やってるの?」
 続いて巨大光海が現れる。2人の少女は、きょとんとした顔で、クロスフウガを見下ろしていた。
「どうなってんだよ?」
 体をくの字に折り曲げながら、陽平は嘆く。
 泣きたいのか、怒りたいのか、喜びたいのか、自分で自分が分からなかった。
 よくよく回りを見れば、翡翠や光海の他にも、ちびっ子や少年少女たちがふわふわと宙に浮いている。はぐれカズマ君1号まで浮いているのを発見した時には、もはや脱力するしかなかった。
 彼らはみな、今の陽平が見上げなくてはならないほど、巨大化している。
「どーなってんだよ?」
 今にも泣きそうな声で、陽平は光海にたずねる。
「どうって、ジャンクさんの異能力で、宇宙遊泳ごっこしようってことになって……」
「空、とんでる。たのしい」
 これは、飛んでいるのではなく、浮いているだけです。
 少年の嘆きはおさまらない。
 がっくりうなだれているため、真下を見下ろすことができる。と、ニヤニヤ笑っているトーコと雅夫の姿が視界に入った。
「あ・い・つ・ら〜ぁ……っ」
 わなわなと指先が震える。活火山活動開始。噴火まで、数十秒。
 しかも、よくよく見れば、2人の後ろには舞台を整えたジャンクだけでなく、イサムやユーキ、ブリット、あまつさえ釧の姿もあるではないか。
 悔しさ倍増。
 と、釧の顔が上を向く。そして、唇がわずかに動いた。声は聞こえなくても、何を言っているのかくらい分かる。忍びなら、読唇術くらいできて当たり前だ。彼は、
「無様な」と、嘲笑していたのである。
 情けなさも増えた。
「何で俺がこんな目に……」
 付き合わされたクロスこそいい面の皮である。それはともかく、
「あ、おじさまから伝言預かってるわよ?」
「何?」
「思い出に浸るのはいいが、浸りすぎるな。翡翠ちゃんに気を使われているようでは、忍び失格──ば〜いパパ……だって」
「……パパって顔かよ、クソオヤジめ」
 とはいえ、指摘された事項は間違っていない。
「とーこから、これ、あずかった」
 続いて、翡翠がスカートのポケットからメモを取り出す。少女はそれを読まずに、陽平の前に広げて見せた。
『ドッキリ☆大成功♪』
 少年の心が完全に砕けた瞬間だった。



「あーあ。完全にヘコんじゃった」
「ちょっと悪趣味じゃないですか?」
 空の上で、がっくりとうなだれている忍巨兵(空間干渉により、縮小中)の姿を見て、ユーキとイサムが同情的な言葉をもらす。
「イタズラ番組ってこんなじゃなかったっけ?」
「頭に海外のがつくだろうがね。愚息にはいい薬になったのではないかな」
 仕掛け人2人は、悪びれた様子もなくからからと笑っていた。
「貴様、生きているのか?」
 ゴザの上でごろんと横になったジャンクへ、ブリットが声をかける。
「これくらいで死にゃしねえが、さすがに今のままで4つ同時進行はきつかったな」
 陽平の様子を見、それを映像として映し出し、巨大な空間を切り取り、その中の重力をゼロにしたのだ。へたばって当然である。
「フン。ご苦労なことだな」
「そう思うなら、ねぎらってくれ」
「誰が」
 もう一度フンと鼻を鳴らす釧。彼の後ろでは、緊急でお酌係に抜擢された孔雀が、
「釧さまぁ……」
 とちょっぴり泣いていた。あちこちからお酌を頼まれ、忙しいらしい。時々、コケそうになって、そのたびに「おっとと」と誰かに支えれている。
「トーコさん、何か歌ってくれよ!」
「何かって何よ、ちゃんとリクエストしてくんなきゃ困るじゃない」
 整備班スタッフの声に、トーコは振り返りながら笑う。
 空の上では、何とか立ち直り、合体を解いた(縮小も解除されたらしい)陽平が、半日ぶりくらいに翡翠の手をとって遊んでいた。
 





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