科学技術は日進月歩。その進歩たるや、めまぐるしいものがある。そんなわけなので、トリニティの怪人による、艦内への直接侵入を防いでいる、リープ・ジャミング・システム(まだ仮称)にも、バージョンアップは必要不可欠であった。
 バージョンアップ前に、何者かが艦内へ直接侵入したという報告もある。さいわい、この時は敵対することなく、すぐに退艦したとのこと。とはいえ、この次もこのように何事もなく終わるとは限らない。
 そのことは開発した当人たちもそのことは十分わかっている。
「──本日午後より、リープ・ジャミング・システムのバージョンアップを行います」
 前回の失敗を踏まえて、バージョンアップスタートの時間は、格納庫にて暮らすウィルダネス組にも通達がなされていた。
「前回のようなことにはならないと思うけど」
 綾摩律子は、こっそりと小さなため息をつく。
「まあ、あれは不慮の事故のようなものでしたし……」
 彼女のつぶやきを耳にした小鳥遊博士は、苦笑いを浮かべた。


オリジナルブレイブサーガSS
彼方の人



 艦長たちの小さな憂鬱を知ってか知らずか、格納庫のウィルダネス組生息地は、平和である。艦長の胃を刺激するような事柄もなく、時間は穏やかに進み、トーコはジャンクと仲良く昼寝をしていた。
「これなら、この間みたいなことはないよね」
「でしょうね」
 時計の針を見れば、そろそろバージョンアップが始まる頃である。カウンターの止まり木に座ったユーキとイサムは、ウッドデッキの上で寝息を立てているトーコの姿に、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「あのときは、本当にどうなることかと……」
 60センチサイズBD人形を作る手を休めて、グレイスがため息をつく。
「全くだな」
「トーコ、すっごく落ち込んでましたもんねえ」
 精神的な理由から異能力を仕えなくなったトーコは、見るに忍びない姿をしていた。その時のことを思い出し、BDとラシュネスも、大きなため息をつく。
「まあまあ。今度は大丈夫だって。何たって寝てるんだもん」
 ロボットたちのぼやきに、ユーキが苦笑いをこぼしたその時だ。
「──っ!」
 昼寝をしていたジャンクが、がばっと跳ね起きたのである。その顔色は珍しく、青ざめていた。
「……ジャンク……さん?」
 パチパチと瞬きをするユーキ。様子がおかしいので、
「おい、どうした?」戸惑いながらBDが聞いた。
「切り離された」
 端的な答えに、その場にいた全員が目をテンにして、思考回路を停止させる。
 苦々しげに答えるジャンクの雰囲気が、いつもと異なっていた。
「え? 何だ……J?」
 戸惑う声は、BDのものである。
 そして彼が口にした名は、ジャンクの昔の名前だった。
「あ、あの……えっと、これはどういうことでしょー?」
 BDとジャンクの顔を交互に見比べながら、ラシュネスが首を傾げる。
「さあ?」
「どういうことなんでしょう?」
 イサムとグレイスも困惑していた。ただ、そんな中にあって、トーコだけは幸せそうに昼寝を続けていた。
 それから、酒場はちょっとした騒ぎになった。営業終了の看板を出して、トーコを起こし、ジャンクが口を開くのを待つ。
 彼は、修行僧が瞑想するように、胡坐をかいて座り、そこからピクリとも動かなかった。
「むぅ……確かにアニキっぽい……」
 止まり木に移動したトーコは、60センチほどあるラシュネス人形(グレイス作)を抱え、まじまじとジャンクの顔を見つめる。
「だよなあ……」
 腕を組み、姉と同じようにむぅと唸るのはBDだ。昔と雰囲気が全然違っていたから、Jをジャンクと呼びかえるのはそんなに難しいことじゃなかったのだが……
「これじゃあ、また“J”って呼んじまいそうだぜ」
「分かるわあ」
 弟のぼやきに姉は、うんうんとうなずいた。
「……そんなものなんですかねえ?」
「う〜ん……こればっかりは何とも……」
 ジャンクがJと名乗っていた頃の──もっと言えば、彼が人だった頃のことを知っているのは、トーコとBDだけだからである。
「くそ……」
 閉じていた目を開けると同時に、ジャンクが悪態をつく。そんな彼を気遣って、ユーキがさっと酒のグラスを差し出した。ジャンクはそれを受け取り、一気に流し込む。
「それで、何が起きたのか説明してもらえるんですか?」
 ジャンクが一息ついたのを見計らって、イサムが問う。
問われたほうはうなずくと、結わえずにいた髪をバンダナでまとめながら、
「簡単に言うと、俺の中にいたウツホが消えちまった」
「何ソレ。そんなの、簡単に消えるわけ?」
 ぎょっと目を丸くするトーコに、ジャンクは、運が悪かったなと頬杖をつく。
 ウツホが消えた原因は、主に2つが考えられる。1つは、バージョンアップが予定されていたリープ・ジャミング・システム。もう1つは、ジャンクがウィルダネスに残して来た眷属と接触をはかっていたこと。
「こう……俺とウツホの繋がりが薄くなってたところにシステムが作動して、ぶっつり切られたんだろうな」
「繋がりが薄くなってたって……」
「濃くなったり薄くなったりするものなんですか?」
 ユーキとラシュネスが思わず顔を見合わせる。
「さあ? よく分からんね」
 ただ、そう説明付けたほうが分かりやすい。
「それで……元に戻れますの?」
「消えたとはいえ、アレも含めて俺だからな。そのうち帰って来るだろ」
 小さなため息をこぼし、ジャンクは頭をかいた。


「どうしてこう……」
 ジャンクの身に起きた異変について報告を受けた律子は、大きなため息をついた。
「まあ、不可抗力ですから……」
 まさかこんな事態が起きるなんて、誰が予想しえたであろうか。今にも胃薬に手を伸ばしそうな律子の様子に、小鳥遊は苦笑いを浮かべた。
「トーコさんの時のように、ぐだぐだになっていないのが救いといえば救いかしら……」
「そうですね。ただ……」
「ただ?」
「話を聞いていると、自分の一部……いえ、それ以上のものがかけてしまったような状態ですから──」
「精神状態は不安定、というわけですか?」
「ええ。時が解決してくれるとは思うんですが……」
 律子から視線を外した小鳥遊は、カウンセリングを受けていたジャンクの顔を思い出して、ため息をついた。
 慌てる様子もなければ、うろたえる様子もない。ただ、彼は能面のような顔で、淡々と小鳥遊との会話に応じていた。
 彼が人間でないことは知っている。だから、人間と全く同じに考えるべきではないと思うのだが……
「少し心配ですね」


 消えてしまった片割れに向かって、叫ぶ。
 ここへ戻って来いと。
 しかし、声は返ってこない。
 10年前のあの夜のように、慟哭する。
 喰らいに来いと。
 しかし、応じる声はない。
 あの夜に似たこの世界で、呼び続ける。
 目に映るのは、天の川にも似た人の意思のきらめき。たが、これら無数の星は、こちらの存在など気にも留めず、瞬いているだけだ。
 10年の歳月が流れても、存在する世界が異なっても、星々は無情である。
 写真で見る宇宙にも似たこの世界。片割れが戻って来るまで、片割れの声がするまで、ここに留まっていたい。
 しかし、それでは現世で存在し続けるのに不都合が生じる。片割れが側にあった時のように、気軽に作り直したり、作り変えたりすることはできないのだ。
 ジャンクは、ため息をつき、この世界から浮上していく。この瞬間は、海中から海上へ出る時とよく似ている。
 海中にいるのは、誰かの腕の中にいるようで、心安らぐものだ。母というものを知らぬ身ではあるが、母に抱かれているような感覚がする。
「……捕まりませんか」
 精神世界から戻ると、隣にイサムが座っていた。左を見れば、ブレイブナイツのブリットと勇者忍軍について(連れられて?)来た釧が座っている。
 その視線は、気遣わしげでもあり、観察するような冷静さも含んでいた。向けられる目の奥に隠れた意図をはかりかねて、ジャンクは目を眇めた。
「…………何だ?」
「ただの見物ですから。お気になさらず」
 イサムがしれっとした顔で答える。
「こういう機会は、めったにありませんからねえ」
 あはははと、晴れ晴れしい笑顔すら浮かべ、彼は断言した。自分の不運も人の不幸も、等しく「どうしましょうねえ」と笑えるのがこの男である。
 頭を抱えて唸るジャンクの隣で、ブリットと釧は無言で酒のグラスを傾けていた。
 じっ。お前らも笑いに来たのかと、ジャンクは視線で彼らを問い詰める。
 2人の青年は、答えるでもなく、無言で琥珀色の液体が入ったグラスを傾けていた。けれど、その横顔には、うっすらと冷や汗が浮んでおり、勘弁してくれという、彼らの心境がはっきりと見て取れる。
「八つ当たりは可愛そうですよ」
 このぎすぎすした雰囲気を作った犯人は、悪びれずに新しいグラスを出してきて、
「まあ、どうぞ」バーボンを注いだ。
「お前な……」
 原因を作ったのは誰だと、視線で責めれば、
「外に目を向けられるのなら、大丈夫ですね」
 そのセリフに、ジャンクは言葉を詰まらせた。イサムは変わらず、にこにこ笑っている。
 一本取られた気分だ。ジャンクは仏頂面を作ると、受け取ったグラスを口につけた。
 このやり取りを横で聞いていた、ブリットと釧は、やはりこの男が最強なのかも知れないと、認識を新たにしたとかしないとか。
 それはともかく、かねてからの疑問もあって、ブリットは具体的な説明を求めることにした。
「ウツホが切り離されたというのは、どういうことだ?」
「ウツホというのは、犬猫、人間といった生物種の名のことではなかったのか? それが何故離れる?」
 ブリットに続く形で、釧が問いを口にする。
「そう言われてもなあ……」
 ウツホが離れたことに関しては、ジャンク自身も驚いているのだ。頬杖をつき、尋ねられたことに対する回答を探す。どう説明すればすんなりと頭に入るのか。
「そもそも、だ。ジャンクと名乗って、お前らの前に存在していた者は、10年前までJと名乗っていた男と、こいつが呼び出した混沌の意思で構成されていた」
 10年前、Jは己の身体と魂を生贄として、混沌の意思を召喚したのである。混沌の意思は、Jの身体と魂を喰って、この世に現れた。 
「お前らの知るジャンクというのは、Jという魂を喰った混沌の意志のことだ」
「では、今ここにいる貴様は何だ?」
 自分のことを語っているはずなのに、ジャンクの口調はレポートを読み上げるように淡々としていた。
 そのことに、嫌悪感のようなものを感じながら、ブリットは語気も荒く尋ね返していた。
「混沌の腹の中にいた、Jという男だ」
「簡単に言えば、人間に戻ってしまったわけですか」
「……そういうことだろうな」
 何でこんなことになったんだかと、ジャンクは嘆く。
「ウツホが離れた理由については、残して来た眷属との接触とシステムの稼動が重なったからだろうな」
 これしか考えられない。
「──にしても、離れたってすぐに戻って来そうなもんなんだがなあ……」
 涙はかけらもこぼれていないが、それでもジャンクは涙を拭うように目じりを押さえた。
「10年ぶりの感覚に戸惑っているとか、あなたを苛めてみたくなったとか、観光していて迷子になったとか──色々考えられると思いますけど」
「おい」
 イサムの言い草に、ジャンクは恨みがましい視線を送る。
「お前が一番楽しんでるだろ」
「はい。けっこう、楽しませてもらってます」
 あっさり肯定されて、ジャンクは撃沈。カウンターに突っ伏し、うめき声を発する。
 笑顔で振りまくイサムの毒舌は、いつにもまして絶好調。普段ならフォロー役がいるのだが、今日は誰もいなかった。
「無様を通り越して哀れだな」
「全くだ」
 釧の評価にブリットも同意する。
「お前ら……」
 助けろよと、ジャンクが視線で訴えてきたが、青年2人は首を縦に振り──
 無理だ。
 藁にすがるような視線をあっさりと切り捨てる。
 2人とも、人と話すことが得意ではないのだ。助けろという方が無理である。
「あり得ないことが起こったんですから、あなたも楽しんでみればいいでしょうに……」
「…………」
 イサムの言葉に、ジャンクはため息をついた。それは、それもそうかと、うなずいているように聞こえる。
 何かを吹っ切るように、ジャンクはグラスの中のバーボンを一気に飲み干した。
「新しい門出に乾杯、ですかねえ」
 空になったグラスに新しく酒を注ぎいれ、イサムは笑う。それを受けながら、
「門出ってほどでもねえだろ」
 ジャンクは鼻を鳴らした。
 そのやり取りを、2人の青年は不思議そうに見つめている。
 隣にいる男は、何も変わっていない。
 2メートル近い身長、膝より長いゼニスブルーの髪、サファイアの目。
 なのに、雰囲気がまるで違う。いつもの彼には、得体の知れなさがあった。視線が合うと、月も星も見えない夜の中でぽつんと独り立たされているような、錯覚すら感じたものだ。
 ところが、今の彼からは、そんな錯覚を受けることはない。どこにでもいる、ごくごく普通の青年にしか見えないのである。
 このままでも、いいではないか。何故、化け物に戻りたがるのか。それは、そのまま疑問となり、
「……何故戻りたがる?」
 釧の口から滑り落ちた。思わず口から出てしまった言葉に、自分でも驚き、わずかに目を見張る。
「確かにな」
 うなずいたブリットは、残っていたわずかな酒を飲み干した。釧の疑問は、そのままブリットの疑問でもあった。
「はん?」
 2人の言いたいことが分からなかったのだろう。ジャンクは、きょとんと目を丸くする。
 言ってしまった以上は取り消せない。釧はもう1度、今度は噛んで含めるように疑問を口に乗せる。
「今のままでも十分強いはずだ。なのに、何故、ウツホとやらを求める?」
 言いながら、釧は、ジャンクが時々、口にしていた言葉を思い出していた。
 彼は、「こっちには来るな」と自分やブリットに言い聞かせるように言っていたのである。
「俺たちには、来るなと言いながら、キサマは何故人外の世界へ戻ろうとする?」
 気の弱い者が今の釧の視線を受け止めたなら、気を失ってしまうかもしれない。それほどに、彼の視線は鋭く研ぎ澄まされていた。
 その視線を受け止めたジャンクは、目を閉じて自嘲する。
「俺には、トーコを守る自信がない」
「それだけのものを持っていてもか」
 人に戻ったというジャンクではあるが、それでもブリットは彼と正面から戦いを挑む気にはなれなかった。
 腑抜けて見えても、ジャンクは強い。
「守れなかった前科があるんでな」
「それが、あなたに人を捨てさせた理由ですか──」
 浮上しかけていた雰囲気が再び重くなってしまったことに、イサムは息を吐く。
 ジャンクが元に戻りたいと思っていることなんて、イサムにしてみればどうでもいいことであった。隣にいるのが、ジャンクでもJでも、彼という存在は変わりないように思うからだ。
 でも、ブリットや釧にしてみれば、そういうわけにもいかないのだろう。ジャンクが「こっちには来るな」と彼らに言っていたことからも分かる。ちなみに、イサムはそんな風に言われたことがない。
 それが意味していることはただ1つ。
 彼らが、ウツホの側に行ってしまいやすいからだ。
 手の中でもてあそんでいたグラスの中の氷が、カランと音を立てる。その様を眺め、イサムはバーボンを1口。
 こうなれば、徹底的に語ってもらうかと、腹をくくる。
「今のあなたと今朝のあなたに、どれだけの違いがあるんですか? 戻りたいと思うからには、それだけのメリットがあるのでしょう?」
 すぐに思いつくのは、力だ。あれだけの力があれば、誰も何も失わなくてすむ。何でも手にすることができる。夢物語として一笑に付される永遠の命でさえ、手に入れられるかも知れないのだ。
 それは、誰にとっても魅力的な話に思われた。
 人の道から外れても、大切な何かを守る力が得られるのなら──ところが、ジャンクの答えは違っていた。
「戻れば、生きなくていいからな」
 禅問答のような答えである。3人の顔に、どういうことだと疑念がはりつく。答える方は、感情の見えない嗤いを浮かべた。
「ほとんどの欲求がなくなるんだ。食事も睡眠もほとんど必要ない」
 とはいえ、ジャンクの場合、とある理由から性状が不安定なため睡眠だけは人の頃よりも必要とするようになった。それだって、眠らないと存在が維持できないという危機感からであり、眠らずにいようと思えばそれも可能だった。
「物がぼやけて見えるからな。物を欲しいと思わなくなる。人の肉体も例外じゃない。そのかわり、心はよく見える。ジャンクの目に映っていた人というのは、色の塊だ」
 サーモグラフィーを想像してくれれば、分かりやすいだろうと彼は付け加えた。人の考えていることが、何となく分かる。望めば、何を考えているのかはっきり知ることだってできた。
「よく思われたいという欲求もない。人に何かを与えたいという思いもないな。第一、面倒くさい」
「待て! それが……そんなものが、メリットなのか!?」
 ブリットは、思わず怒鳴っていた。
 そんなものはメリットとは言わない。デメリットという言葉では言い表せない。代償というのも軽すぎる気がした。
 多くの戦場を経験し、沢山の兵士を見てきた。
 戦争という世界に絶望し、自殺をはかった兵士もいる。心を壊してしまった者もいた。
 彼も、ある意味で心を壊したのだろう。だが、その壊れ方が尋常ではない。あり得ない、壊れ方だ。
 ブリットの激高に、ジャンクは不思議そうに目を見張り、「そうだ」と笑ってみせた。
「これが、ウツホになるメリットだ」
 その笑みの何と誇らしげなことか。無上の喜びに満ちた、聖人をも彷彿とさせる笑みであった。
 魂を、絶対零度の手で握りつぶされたような気がした。



「信じられん……」
 新たに注ぎなおした酒を一息で飲み干し、ブリットは吐き捨てるようにつぶやいた。
 今、ここにジャンクはいない。いつも通りにしていては体調が崩れるだろうと、イサムが彼を自室へ追いやったのである。
「……上には上がいるものですねえ。ブリットさん」
 グラスに口をつけながら、イサムは苦笑いを浮かべた。
 ブリットは、いつだったか、釧に己の殺気をさらけ出したことがある。上には上が、というのはその時のことをさして言ったものだろう。
 そこまで考えたところで、ブリットの思考が止まった。
「貴様、何故知っている?」
 あの時、あの場には誰もいなかったはずだ。
「あの人は、艦内で起きた大抵のことを知っていますよ。いやあ、実に見ごたえがありました」
 両手を握り締め、イサムは言う。まるで、あの試合はサイコーだったな! と語る格闘技ファンのようだ。
「見ていたのか?!」
 ぎょっと驚く釧へ、ジャンクさんが中継してくださったのでと、イサムは笑う。
「つい、ワガママを言ってしまいました。何せ、お2人のあのやんちゃぶりは、見たいと思っても見られるものじゃありませんから」
 勉強にもなりましたし。イサムは、そう付け加えたが、2人は聞いていなかった。
「キサマ……」
 あの一戦を“やんちゃ”の一言で片付けられ、釧は額に手をあて唸る。ブリットはブリットで、言葉を無くしていた。
 やはり、この男が最強なのかもしれない。
 言葉を無くす2人の青年に、イサムはのほほんと、
「青春ってやつですかねえ」
 爺むさい一言をつぶやいた。この中で一番若いのは、彼なのだが。
「……貴様は何とも思わないのか?」
 取り繕うように、コホンと軽く咳払いをしてから、ブリットは尋ねた。この中で、イサムが一番ジャンクとの付き合いが長い。そのわりには、たいしてショックを受けているようにはみえなかった。
 そうですねえ、とイサムは少し考え込む。
「冷たいと思われるのを承知で言いますけどね。あの人が世界をどういう目で見ていようと、俺には関係ないんですよ」
 いつもの場所に彼がいて、美味い食事と酒があって、食べて飲みながら、彼と話をする。それが出来れば、十分だと思うのだ。
「──10年ですからね。それだけの時間があれば、人の魂も人外の道に染まったっておかしくないでしょう?」
「人でありながら、人ではないということか」
 グラスの中の氷を見つめ、釧が言う。
「そういうことでしょうね」
 同じ人であっても、その考え方を理解することができないことは珍しくないのだ。その対象が、人間外の生き物となると、ますます理解は困難になるはずである。
「……人ではないと知っていても、分かっていなかったということか……」
 新しく注ぎなおした酒をあおり、ブリットはため息をついた。
「あまり真剣に受け止めると、お2人の方が参ってしまいますよ。あの人は、ああいう生き方を選んだんです。それは、俺たちが口出しするようなことじゃない」
 それはそうかもしれないが、釈然としない気持ちだけが後に残る。



 翌日。昨夜の釈然としない思いを抱えたまま、ブリットは再び格納庫を訪れた。すると、
「たぁ〜すけて〜え。玉ねぎがいじめるの〜ぉ」
 ウッドデッキのところで、ボロボロ泣きながら玉ねぎをみじん切りにしているトーコに出くわした。
「……何をやっている?」
 ブリットの問いは、彼女ではなく、その向かいに座っている釧に向けたものである。いつも不機嫌そうな表情をしている彼ではあるが、今日はさらに不機嫌さがましているように見えた。
「姉ちゃんの見張り役に大抜擢されたんですよ」
 カウンターの止まり木に座ったユーキが、すまなさそうな笑みの浮ぶ顔を人差し指でかいている。
「何であたしがこんな目に〜ぃ!」
「それを言うなら、俺も同じだっつの! 訳を説明しろ、J!!」
 巨大なモップを手に、BDはランド・シップの壁面掃除をさせられていた。
「いいから、お前ら八つ当たられてろ」
 カウンターの中で、ジャンクは酒棚から酒瓶を取り出している。
「八つ当たりかよ!? 怒るんなら、俺らじゃなくて家出人に怒れ!」
「その家出人がいねえんだよ。諦めろ」
「はっ、鼻が……ツーンって……めうぅぅ」
 思わず額に手を当てるブリットであった。釧も苦虫を噛み潰したような顔で、ウッドデッキに座している。
 昨夜のあの釈然としない思いは何だったのか。
「言ったとおり、真剣に受け止めないほうが良かったでしょう?」
 カウンターで、サヤインゲンを剥きながらイサムが言った。
 全くである。

「どうも……こう……」
 ぐるぐると右腕を回しながら、ジャンクは通路を歩いていた。体の主導権を得たのは、10年ぶりということもあってか、どうもしっくりこないのである。
 近いうちに元の状態へ戻るのだろうが、それまでこの気だるい感覚が続くのかと思うと、少々憂鬱だ。この状態から抜け出すためには、体を動かして今の感覚に慣れる必要がありそうだ。
 そこで、10年前まではほぼ日課としていた射撃訓練でもやってみるかと、思い立ったのである。
 射撃訓練場は、道場やスポーツジムなどがある区画にあった。《テレポート》で移動しても良いのだが、この体に慣れるのが目的のため、ジャンクは通路を歩くことにしたのである。
「なまってるのとは、また違うみたいだしなあ……」
 う〜んと悩みながら、通路を進む。ちょうど、武道場の前に差し掛かったときだ。
 真横から、こちらに近づいてくる気配があった。
 それに気づいたとき、ジャンクは一切の思考を放棄して、すぐさま行動に移った。両隣は壁だから、なんてことは考えなかった。異能力があれば、分厚い壁もあってなきが如しである。
 空間干渉能力で、盾を作る。薄っぺらい紙のような盾ではあるが、これを貫くのは至難の技だ。
「ぐべえっ!?」
 潰れた蛙のような悲鳴が聞こえたが、これも無視する。
「《アルケミネイション》」
 盾を押し返すと同時に、手の中に銃を作り出す。盾によって仰向けだかうつぶせだかに転がされたモノへ、銃口をつきつけ──
「何だ、お前か」
 引き金を引く寸前で、ジャンクはそれを止めた。
「なっ、なんっ、何するンすか、一体?!」
 真っ青になって、通路にひっくり返っていたのは御剣志狼だった。
 どうやら、いつものごとく、父親にぶっ飛ばされたらしい。
「つい、昔のクセで……」
 悪かったなと短い侘びを口にして、ジャンクは手の中の銃を消した。そのまま、銃を握っていた手を志狼に向かって差し出し、彼を立たせる。
「む、昔のクセ?」
 胸に手を当て、志狼はほーっと息を吐き出す。見切りの目と呼ばれる能力があったとしても、今のタイミングで弾丸が放たれていたら、避けることはできなかったように思う。おまけに、銃口は狙いたがわず眉間に向けられていた。当たれば、即死だったんじゃ……? 今更ながらに背筋がぞーっと凍りついた。
「悪いこと大好きだから、敵が多くてなあ……」
 何か近づいてきたら、とりあえずすぐに撃てる体勢に持っていく癖が出来たと、ジャンクは答える。
「今までそんなことなかったじゃないすか……」
「視野が狭くなったせいだろうなあ。思わぬ弊害だな」
 ジャンクは低く唸り、腕を組んだ。
「調子が悪いというのは、本当のようですな」
 壁に開いた穴の向こうから、剣十郎が声をかけてくる。
「こんなにも小心だったかと、自分でも驚いてますよ」
 武道場の中の彼に、ジャンクは苦笑いを向けた。「やっちゃった」というようなことがないよう、気をつけると告げ、その場を後にする。
 夕方。ジャンクは、ウッドデッキの上に、ぐったりとした様子で寝転がっていた。白旗を揚げたい気分である。
「お疲れですねえ」
 その様子を見つめながら、ラシュネスが言う。
「疲れた……」
 あれからも、艦内を駆け回るちびっこたちに遭遇するたび、銃やら鎌やらを作りそうになっていたのだ。ウツホが切り離される前は、誰がどこを移動しているというようなことは知覚できていたため、警戒は必要なかったのである。
「これは、もうあれだな。俺に出歩くなという、天の啓示に違いない」
「何でだよ」
 ぐったりとしたまま言うジャンクに、BDがツッコんだ。




 そういうことがあってか、ジャンクは暇があれば精神世界へと潜り、消えた片割れに向かって呼びかけ続けていた。
 1日が過ぎ、2日が過ぎても、片割れの声は返ってこなかった。5日が過ぎるころ、ジャンクは1つの決意を固め始めていた。
 もう一度、混沌の意思を呼び出す。
 それが最良の方法のように思い始めていたのだ。
 今日で、呼びかけるのは最後にする。そう思い決めて、目を開けたとき、
『我を切り捨てるか?』
 目の前に現れたものがいる。
鷲の前半身に、獅子のたてがみと後ろ半身。蛇の尾を持ち、6対の鋼翼を生やした化け物。
「お前が遅いからだ」
 ジャンクは、ふんと鼻を鳴らした。
 見上げるほどに大きな化け物は、顔から妙なものを生やしていた。釧がつけている仮面にも似たそれは、冬虫夏草のように、高く上へ伸びている。
「何だ、それは?」
『これで我を傀儡にするつもりであったらしい』
 これを切り捨ててくれと、化け物は言う。
「自分で切り離せるだろうに……」
 軽く目を見張って問うと、それがなあと、化け物は首を振った。
『こうなって初めて分かったのだがな、我の行動は汝が決める。我はこれを切り離さねばならぬと分かっているが、それができぬ。本当にそうして良いのかと、迷いが生じるのだ』
 自分で自分が信じられんと、化け物は嘆息する。
「ってことは何か? 俺は全ての主導権がお前にあると思ってたんだが──」
 言いながら、ジャンクの手の中に大鎌が現れた。
『我もそう考えていた。しかし、このことを鑑みるに、最終主導権は汝のもののようだ』
 化け物は膝を折り、彼の前に頭を下げる。
「それはそれで、いいかもな」
 ジャンクは軽やかに足場を蹴ると、無言で大鎌を振り下ろした。



 冬虫夏草のような仮面は、ぎゃっと悲鳴を上げて、精神世界の彼方へ逃げ去っていった。
 その様子を何の感慨もなく見つめるジャンクを、化け物は頭から喰らう。喰われたほうは、悲鳴の1つも上げず、それを受け入れた。



「おっはよ〜ぉん……って、あらあ?」
 眠たい目をこすりながら、トーコは、カウンターに座る。カウンターの中で、サラダを作っていたジャンクは、元に戻っていた。
「戻ったの?」
「御蔭さんで」
 妹は残念そうに肩をすくめるが、ジャンクにとっては、この状態こそが最良なのである。
 少し意識をずらせば、どこに誰がいて、どう動いているかが分かった。警戒する必要は、どこにもない。
「何で戻ったのよ?」
「冬虫夏草もどきをばっさり切り捨てて」
「はあ?」
 何それと首をかしげるトーコに、ジャンクは、
「説明は面倒臭いから省く」と連れない答え。
「……そういや、逃げたあれは、どうなるんだろうな?」
 その答えは、後日に分かる……かもしれない。
「まあ、別にたいしたことにはならんだろ」
 妹の前にサラダを置き、ジャンクは微笑みを浮かべた。






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