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「本当に大丈夫アルか?」
 事務所にあるデスクに座ったまま、ケイは細い目を軽く見開いた。彼女の視線の先には、広報・アナウンス部担当の北都仁美(ほくとひとみ)が座っている。
「大丈夫、大丈夫。ちょうど今、適任がいるしね」
 手を上下に振りながら、彼女は笑った。小柄で幼い顔立ちのせいか、一見するとハイティーンくらいに見えるが、実ははこれでも、(世間一般でいうところの)結婚適齢期。
「適任? ……ひょっとして、木葉(このは)くんのことか?」
 自分で淹れたコーヒーを飲みながら、ジェームスが北都を見た。
「そそ。ウチの新人、木葉則子(このはのりこ)ちゃん。今日で配属2日目だからさ、きっといいリアクションしてくれると思うのよね」
 人差し指と親指をあごに当て、北都はふふふと笑う。
 彼女は、リー兄妹と同時期にこのラストガーディアンへ配属になっている。その頃からの付き合いなので、兄妹は彼女の性格をきっちり把握していた。
(……これは何か企んでる顔アルな)
(──そうだな)
 視線で会話をした兄妹は、北都へと目を戻した。
「内容は本職に任せるが、新人向けの艦内での注意事項と施設紹介だということは忘れないでくれ」
「分かってる、分かってる。大船に乗ったつもりで、どーんと任せてちょうだいよ」
 北都は胸を叩いて請け負ったが、ケイとしては、その大船の名前が「タイタニック」でないことを祈るばかりだ。
「んじゃ、早速、明日っから撮影に取り掛かるとしますか」
 口元を波打たせた北都は、内線電話に手を伸ばし、どこかに連絡を取り始めた。


オリジナルブレイブサーガSS
ラストガーディアンの暮らし方



「おはようございます」
 アナウンス部のブースの前で、ちょっと深呼吸をしてから、わたしは入り口のドアを開けた。
 木葉則子、2回目の出勤です。
「はい、おはよう」
「おはようございます」
 わたしがブースに入ると、森本チーフと安部先輩がデスクに座ってくつろいでいた。チーフの勤務時間は、そろそろ終わりのはず。チーフは、あくびをかみ殺しながら、お茶を飲んでいる。
「勤務してみて、いかがでしたか?」
「あ、はい。その……分からないことばっかりで、気がついたら1日が終わっていた、っていう感じです」
「誰だって最初のうちは、そんなものよ」
 恐縮するわたしに、安部先輩は微笑みかけてくれた。メガネのむこうの目には、わたしへの気遣いが浮かんでいるように思える。
「がんばって、仕事を覚えますから、ご指導のほど、よろしくお願いします」
「がんばるのは良いことですが、ムリをしないようにしてください」
「はい、チーフ」わたしが頷き返したそのとき、
「おっはよ〜ん!」
 後ろから大きな声が。驚いて振り返れば、北都先輩が満面の笑顔を浮かべて、入ってくるのが見えた。先輩は、とてもきびきびと動いている。朝に弱いわたしとしては、先輩の動きが少し羨ましくもある。
「おはようございます、北都先輩」
 チーフと安部先輩に続いて、わたしも挨拶をかえす。北都先輩は、にぱあっと笑うと、
「ねぇ、のん子。今日で配属3日目だけど、艦内の散策はもう終わった?」
「いえ……まだです。休暇の時に歩いてみようとは思ってるんですけど」
 どうしてそんなことを気にするんだろう? 不思議に思いながらも、わたしが答えると、先輩の目がキラリと光った。
「よっしゃぁ!」
「え?」
 腰を落としてガッツポーズをとった北都先輩。先輩は、訳が分からず、瞬きをしているわたしの手を取って、
「それじゃあ、チーフ、行ってきまぁ〜すっ」
 言うが早いか、先輩はわたしの手を引いて歩き始めた。
「え? ちょっ……先輩?」訳が分からず、わたしは先輩2人とチーフ、3人の顔を交互に見比べた。「どこか出かけるんですか?」
「北都さん、きちんと説明してあげてください。木葉さんが困ってるじゃないですか」
「歩きながら説明しようと思ったんですぅ」
 ちょっぴり目を潤ませて、先輩は上目遣いでチーフを見た。普通の男の人なら、しょうがないなぁって許してしまいそうな雰囲気だわ。
「だったら、そう言ってあげてください」ぼそ。
 ブースの時計を気にしながら、安部先輩がつぶやいた。これから、昼シフト交代の連絡放送をいれるから、時間を気にしてるのだろう。
「じゃあ、ぼくから説明しましょうか。木葉さん、初めてここに来た時にリーさんからたくさんの説明と注意を受けたでしょう」
「あ、はい。たくさんありすぎて、内容まではちゃんと覚えてないんですけど……」
 恐縮しながら答えたわたしに、
「そうですね。話を聞いただけじゃ、なかなか覚えられるものじゃないですから」
「そ・こ・で! ケイとジムから依頼があったのよ! 艦内施設の紹介と注意事項を1つにまとめた番組を作ってほしいってね」
「はあ」
 確かに、映像で見たほうが分かりやすいかもしれない。あれもこれもとたくさん言われたので、現時点で思い出せる注意事項は……通行中も気を抜くなといわれたことくらい。その理由も聞いたと思うけど、思い出せなかった。
「で、その番組の主役にキミを推したってわけ!」
「へぁ!? わっ、わたしデスカっ?!」
 先輩の思わぬせりふに、わたしの声が裏返る。
「そ。配属されて間もないわけだし、これから番組を見る人と変わらない目線で艦内を見て回ることができるでしょ?」
 ねぇ、安部ちゃんもそう思うよねと、先輩は仕事を始めていた安部先輩に声をかけた。椅子をくるりと回転させて、こちらを向いた安部先輩。
「えぇ。妥当な人選だと思います」
 メガネの位置を直しながら、さらっと一言。
「で、でも……安部先輩1人じゃ……」
「大丈夫ですよ。応援を頼んでますから」
 そんな、先輩……。助けてくれないんですか? というか、わたしみたいなド新人より、先輩が出演したほうがいいんじゃ……? ねぇ、チーフそう思いませんか? チー……
「それじゃあ、ぼくはこれであがらせてもらいます」
 湯のみの中身をくぃーっと飲み干し、チーフは席を立った。
 チーフ、帰ってしまわれるんですか。チーフ……。
「お疲れ様でした〜」
「お疲れ様です、チーフ。あ、湯のみはそのままでけっこうですから」
「ありがとう。みなさんもがんばってください」
「お──つかれさまでした」
 ガクリ。わたしは涙を呑んで、ブースから出て行くチーフを見送った。
 そんな私の後ろで安部先輩は、普段どおりに昼シフト変更5分前のお知らせ放送をいれている。ちょっと冷たくないですか? 安部先輩。
「んじゃ、行こうか、のん子」
 にこやかに笑う北都先輩。「はい」と答える以外の選択肢は、わたしに残されていない。
 安部先輩に見送られて、わたしは北都先輩と一緒にブースの外に出た。すると、外には“撮影”と書かれた腕章をしている男性が4、5人集まっていた。
「初めて会うよね〜。広報部所属のヤロー共」
 スタッフジャンパーの下のネクタイの位置を直していた彼らが、がくっとずっこける。あの幾らなんでもその紹介はないと思うんですけど。そう思ったのは、わたしだけじゃなくて、彼らが非難を口にする。
「ちょっ! 北都さん、何なんスかその紹介?!」
「うっさい。高校卒業しちゃったオトコなんてどーでもいいのよ、私はッ」
「ひどッ!」
「ほら、行くわよ。最初は郵便部ね」
 男性たちの恨みがましい視線をスルーして、先輩はすたすたと歩き出した。
「予想はしてたけど、やっぱり酷いよなぁ」
「え゛?」
「あの人、年下好みなんだよ。ボクらみたいのには、そりゃあ冷たくってさ」
 驚くわたしに、男性たちは苦笑いで答えた。いつものことだから、すっかり慣れちゃったけどねと、彼らは肩をすくめる。
「ほらあ! 何してるの!? さっさと来る!!」
 10メートルほど先で立ち止まった先輩が、ぐるぐると右腕を回しながら、わたしたちを叱った。怒っているのは分かるけど、その仕草が子供っぽくて、ついつい笑みがこぼれそうになってしまう。
「おっと怒らせると、飛び蹴りが飛んでくるから、気をつけないと」
 撮影用のカメラを抱えた男性が「くわばらくわばら」と古臭い言葉を口にしながら、先輩を追いかけて走り出した。
 わたしも慌ててその後を追いかけた。──というか、飛び蹴りって何?
 通路を小走りで行きながら、わたしは思わず首をかしげていた。
 アナウンス部のブースから、郵便部のブースまでは本当に目と鼻の先だった。
「おっはよぉ〜ん。って、あれ? ミドミドだけ? ぱっつーは?」
「おはようございます、北都さん。葉月は出張中です」
 窓口でにこにこと笑いながら、答えるのはわたしと同じくらいの女性だった。口元にあるホクロが、少し色っぽい。
「連絡は受けてますから、分かってますよ。艦内の施設案内番組を作るんですってね」
「そうなの。あ、紹介するね。このコが主役ののん子。のん子、こっちは郵便部のミドミド」
 先輩、あだ名で紹介するのやめてください。ミドミドと紹介された方も、苦笑いを浮かべている。この人は、北都先輩みたいにぶっ飛んでるわけではなさそうだ。
「木葉則子です。よろしくお願いします」
「私は、緑川弥生と申します。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
 受付に座っていた緑川さんは、席を立ってわたしに頭を下げてくれた。
「ぱっつーがいないんなら、ミドミドが出るの? カンナーニャは?」
 なんだかよく分からない名前が並ぶ。どれも、先輩が勝手に付けたあだ名なのは間違いないと思うけれど。
「11時頃にならないと、神無は使い物にならないもの」
「あ、そっか。カンナーニャは朝弱かったもんね」
 ぺしっと額を叩いた先輩は、「それじゃあ、始めよっか」と後ろを振り返った。
「始めよっかって、先輩……」
「大丈夫、大丈夫」
 わたしの心配をよそに、先輩はきゃらきゃらと笑い、撮影スタッフたちに準備はいいかと声をかける。
「大丈夫っスよ。木葉ちゃんがカメラ側に立ってください。んで、郵便部の窓口に向かって歩いてもらったら──」
「ん、りょ〜かい」
「はい」
 スタッフの指示に従って、先輩の隣に立つ。
 安部先輩の『昼シフト開始です。今日も一日がんばりましょう』という放送が終わるのを待ってから、カチンコのカッチン! という音が通路に響いた。
 わたしは、指示されたとおり、先輩と一緒に郵便部の窓口に向かって歩いていく。
「ここが、郵便部」
 窓口をしめしながら、先輩がわたしに言う。わたしは、「郵便部ですか」とオウム返しにつぶやいていた。
「そう。手紙を出したり受け取ったりする時は、ここを利用するの」
 うなずいた先輩は、窓口に座っている緑川さんに声をかけた。緑川さんは、先輩に頼まれて、郵便部の業務について話し始めた。
 業務内容は、先輩が言ったとおりで、艦内の郵便・宅配事業を一手に引き受けているのだそう。他に、切手やはがきなどの販売も行っていると、緑川さんは付け加えた。
「個人宛の手紙や荷物は、艦内放送で呼び出しをかけますから、こちらまで受け取りに来てくださいね」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
 にっこり笑う緑川さん。わたしも笑顔を浮かべたそのとき、ふっとわたしの顔に影がさした。不思議に思ったわたしは、影のさした方向に顔を向け……
「ッ!?」ばっ、化け猫!? 叫んで悲鳴をあげたつもりだったのだが、声にならない。ぱくぱくと口を開け閉めしながら、わたしはその場にへたり込んでしまう。
 朝っぱらから現れた、非常識極まりない化け猫は、買い物籠のようなものを口にくわえ、不思議そうに首を傾けた。真っ黒な体は、わたしよりも大きく、山吹色の目はまっすぐにわたしを見つめている。
「あ、ヤマトじゃん」
「え? あ、あの……知ってるんですか? 先輩」
 北都先輩ののんきな声に、わたしは上ずった声で問いかけた。
「おかえりなさい、ヤマト。ちびちゃんたちと一緒じゃないのね」
 窓口の席から立った緑川さんが、ブースへのドアを開ける。すると、ヤマトと呼ばれた化け猫は、さも当然というような顔をして、郵便部のブースの中へ入って行ってしまった。
「…………あのぅ?」
「あぁ、びっくりさせてしまいましたか。あのコは、ヤマトと言って、私たちの大事な仲間なんですよ」
 緑川さんの説明によると、この化け猫は、猫型のロボットなのだとか。購買部のマッコイ姉さんから、黒羽根暦さんというかたに所属祝いということで贈られたのだそう。黒羽根さんには、ヤマトの他にも子猫型ロボット、ノワール、シュバルツ、ネロと名づけた3匹がいるとのこと。郵便部スタッフは、全員、購買からビークルが贈られているのだと聞き、わたしはさらに驚いた。
「郵便部は、購買の妹分みたいなもんだからね」
「そうなんですか」
 もともと、購買部のほうで郵便業務も請け負っていたそうなのだが、各地から勇者が集うようになって手が回らなくなってきたのだという。そこで購買のボス、マッコイ姉さんが、当時購買に在籍していた白神さんをリーダーに任命して、郵便部を独立させたそうだ。
「なるほど」
「のん子が納得したところで、次は購買に行くわよ〜」
 わたしの手を取って、先輩はずんずん歩き出す。
「あ、あの緑川さん、お世話になりました〜」
「いえいえ、たいしたおもてなしもしませんで」
 ちょっと違うような気もするけれど、緑川さんは笑顔で手を振ってくれた。
「マッコイ姉さん、おはようございま〜っす!」
 元気に挨拶をしながら、先輩が購買に入っていく。透明な壁を通して見る購買は、コンビニエンスストアにそっくりだ。ドアの側には“カズマ君1号、大好評発売中!!”と書かれたポスターが貼ってある。カズマ君1号って何なのだろう? ポスターには説明が書かれてあるけれど……こんな物が本当に“大好評”なんだろうか?
「おはようございます」
 カズマ君1号の存在を不思議に思いながら、わたしも先輩にならって、挨拶と共に購買の中へ入った。
 レジカウンターの前に、青いエプロンをした女性が先輩と一緒に立っている。彼女はわたしに気づくと、
「おはようっす。則子っち」
「のり……っ」先輩同様、勝手にあだ名をつけてくれた。
「のん子、この人がさっき言ってたマッコイ姉さん」
「木葉則子です。よろしくお願いします」
「こっちこそヨロシク頼むっす」
 マッコイ姉さんはにこやかに笑いながら、手を差し出す。握手を求められているのだと気づいたわたしは、慌ててその手を握り返した。マッコイ姉さんの手からは、不思議な力強さが感じられる。
「それじゃ、早速撮影にいってみよう!」
「ぅえ?! もっもう!?」
 驚くわたしをよそに、カチンコの音が無情に鳴り響いた。
「ここが、必要ならば、鉛筆からミサイルまで揃うと評判の購買部でーす」
「ミサイルなんて売ってるんですか!?」
 思わず問い返したところで、わたしは自分のバカさ加減にしまったと思った。ミサイルまで、なんてどう考えても冗談に決まっている。
 冗談を真に受けるなんてと、マッコイ姉さんや先輩に笑われるに違いない。恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
「必要なら調達して来るっすけど、ミサイルは高いっすよ?」
「え゛……あ、あの……ジョーダン……ですよね?」
「こんな冗談、あたしは言わないっす」
 キッパリとした力強い否定だった。──否定してほしくなかったです、マッコイ姉さん。
 絶句するわたしをよそに、先輩はカメラに向かって購買での物品購入のしかたを説明している。撮影スタッフも、いたって普通の態度で仕事に専念していた。
 ……わたしがおかしいのだろうか? 自分の中の常識に揺らぎを感じはじめたそのとき、
 「おはようございま……あれ? マッコイ姉さん、何かあるんですか?」
 購買にお客さんが現れた。通路をふさぐような形で立っていたわたしは急いで道を譲り──
「な──っ?!」
 お客さんの姿に、目が釘付けになってしまった。
 中へ入って来たのは中学生くらいの女のコなのだけれど……動物のような耳が顔の横にあるのだ。コスプレという単語が頭をよぎる。けれど、
「おはようっす。今、新人さん向けの番組撮影をしてるっすよ」
「へぇ……そうなんですか。お疲れ様です」
 マッコイ姉さんの言葉に、ぴこぴこと揺れる尻尾! 耳もぴくぴくと動いているし、とても作り物には見えない。
「あ、あの……先輩?」
 ぎぎぎとぎこちなく首を動かし、わたしは北都先輩を見る。けれど、先輩はわたしよりも少女のほうが気にかかるらしい。
「そうだ! ねね、鈴ちゃん。購買での物品購入、実践してみてくれない?」
「え!? あ、あたしがですか?!」
 こんなかんじで、少女を口説いている。
「せんぱい……」がくり。
 うな垂れるわたしの肩を、撮影スタッフの人1人が、ぽんぽんと慰めるように叩いてくれた。ジャンパーには、杉山というネームが刺繍されてある。
「あの女の子は──?」
「あぁ、あのコは別の世界から来た鈴ってコだよ」
 別の世界! 話には聞いていたけれど、本当に別の世界があるなんて……。これが、普通の町中だったりしたら「冗談でしょう?」とたずねているところだけれど、場所が場所だから、杉山さんが言っていることは本当なのだろう。
 わたしは改めて、鈴という少女に目を向けた。
 彼女は、先輩に口説かれてその気になったらしく、ややぎこちない動作で、マッコイ姉さんからノートを購入している。
「はい、OKです」
 撮影班の人が、OKを出したとたん、 「キンチョーしたぁ……」
 胸に手をあてて、鈴ちゃんはほっとした様子で、肩から力をぬいていく。表情も豊かだけれど、彼女の場合、耳と尻尾も表情豊かだ。緊張して少しかたくなっていた尻尾の先が、今はへにょんと脱力している。
 なんだか、カワイイ。
「ありがとね。番組が出来たら、試写会開くから、見に来てね」
 ね、と先輩に同意を求められ、わたしも「ぜひ」と頷き返した。
「あ、はい。その時は……」
 はにかみながら、鈴ちゃんは首を縦に振る。
「その時は私もお邪魔させてもらうっすよ」
「待ってますから!」
 親指を立てて、先輩はにこやかに笑う。唇の間からのぞいた歯が、ヤケにきらりと光ってました。
「それじゃ、次の撮影がありますんで、これで〜」
「はいはい。がんばるっすよ〜」
「マッコイ姉さんも、がんばってください」
 ひらひらと手を振って見送ってくれるマッコイ姉さんに、一礼してわたしは購買部を後にした。
「ここは、医務室ね。その先は研究室になってるわ」
「研究室……ですか?」
「そう。私たちにはあんまりカンケーないところだけどね」
 杉山さんの話によると、研究や開発に熱心な勇者たちが、敵ロボットの研究をしたり、仲間の勇者に使われている技術などを研究したりしているのだそうだ。
「ここは、サロン室」
 次に先輩に連れてこられたのは、広くゆったりとした空間だった。壁際には、自動販売機が並び、テーブルや椅子、大型のテレビも設置されている。毎週日曜日になると、ちびっこたちがこのテレビの前に集まって、ブレイブレンジャーという戦隊モノの番組を観賞しているのだそう。
「詳しいんですね、先輩」
「ふふふ。ブレイブレンジャーを見ているちびっ子を見るのが楽しーのよ」
 握りこぶしを作って、先輩が言う。先輩、なんだか全身からどす黒いオーラが出てるんですけどッ。ぐふふって、先輩……そのヨダレを拭くような仕草はナニ!? すっげぇ怖いんですけどッ……!
「あ、あぁあの先輩! あそこっ、あそこにあるファイルは何なんデスカッ? たくさんありますけどぉっ!」
 サロンの一角にスチールラックが置かれていて、そこにA4サイズくらいのファイルがずらりと並んでいたのだ。


「ん? あぁ、あれね」
 どす黒いオーラを引っ込めて、先輩はスチールラックの下へ向かう。わたしも一緒についていった。ラックには、メモとペンがセットされている。  ファイルの1つを手に取ると、表紙に“ED−12”という番号が振られてあった。その下には、日付も入っている。
「これはねぇ、全国から寄せられたちびっ子たち他、その他大勢からのお手紙よ」
「こんなにたくさん?」
 ファイルを開いてみると、つたないながらも一生懸命に書いたと思われる手紙や、クレヨンで描いた似顔絵などが丁寧に綴じてあった。
「そうなの。何か嬉しいよね」
 これらの手紙には、返事を出すことも出来るそう。手紙には、全て番号が振られていて、この番号を郵便部の窓口に伝えれば、転送もしてもらえるとのことだ。
「こういう方法を取ってるのは、個人情報をおおっぴらにするわけにはいかないからなのよね」
「あぁ、なるほど」
「毎週土曜日には、忙しい人向けに、ぱっつーたちが艦内ラジオを使って読み聞かせをしてるわ」
 今は慣れてきて、だいぶ上手くなってるわねと、先輩は笑う。
「サロンは、いろんな人が出入りするから、他部署の友人知人を作るのにはイイところかもね」
 撮影中の今も、サロン室には色んな人が出入りしている。中には、この手紙のファイルを真っ先に取りに来る人もいた。
「次は、生活班ブースね」サロン室を出て、わたしたち次のブースに向かう。
「広報部の持つ放送スタジオなんかもここにあるわ。後、リー兄妹のいる事務所もここね」
「事務所には、生活班の事務処理用ブースもあるんですよね」
「そうそう。IDカードの紛失とか、ちょっと困ったことや疑問に思ったことは、事務所に問い合わせてみるといいわ」
 ぴっと人差し指を立てて、先輩が言う。ちょうど事務所の受付窓口が私たちの左手に見え、ガラスの向こうで10人くらいの人たちが忙しそうに書類の整理をしている。
 彼らの仕事の邪魔をしないよう、わたしたちはしのび足でブースの前を通り過ぎた。
「ここは、小会議室やミーティングルームがあるわ」
「さっき前を通った事務所に申請すれば、誰でも借りることが出来るんですよね」
「そそ。有志が開催する、趣味の教室にも使われてるわね」
 先輩は、色んな分野からその道のエキスパートが集まって来ているので、友人、知人をたくさん作っておくのはいいことよと、胸を張りながら言った。
「そりゃあ、合う合わないはあるけどね。でも、ここの人はみんないい人ばっかりだから」
「……はい」
 ここに来てまだ3日目だけれど、それでも、先輩の言うとおりだと思う。
 ピンポンパンポ〜ン。
『艦内をご通行中の皆様に連絡いたします』
「あ、安部先輩の声──」スピーカーから聞こえてくる声に、わたしは足を止めた。北都先輩たちも足を止め、焦った様子できょろきょろとあたりを見回し始める。
『ただいまからバイク便が艦内を通行いたします。センターラインの点灯にご注意くださいますよう、お願い申し上げます』
「は?」
 思わず我が耳を疑ってしまった。ケイさんからは、艦内通路を乗り物で移動することは禁止されていると聞いている。
 わたしの考えはそのまま、顔に出ていたみたいだ。
「ぱっつーだけは別よ! のん子、壁に張り付く!!」
「え?」
 訳が分からないまま、わたしは言われたとおり、壁に張り付いた。撮影スタッフのみなさんも、ぴったりと壁に張り付き──
 1台の白いバイクが、目と鼻の先を通過していく!
 全身から、どっと冷や汗が噴出した。
「せせせせ、せんぱい?」
 首がぎぎぎと音を立てる。
「あっ! あのっ!」
「え?」
 ちょっと遠慮がちな声に振り向けば、巫女服を着た、12、3歳くらいの女の子が立っていた。めがねをかけた女の子は、緊張で頬を赤くしている。
「くっ孔雀のッ、注意した方がいいですよ〜……ですぅっ」
 手に持った看板をくるりと回転させて、孔雀と名乗った少女は言った。看板には、丁寧な字で「孔雀の注意した方がいいですよ」と書かれてある。
「あ〜、孔雀ちゃんだぁ♪」
 先輩は嬉しそうな顔で、彼女に手を振った。
「あ、どうも──。あ、えと……あのですねッ、艦内では、白神さんのバイクだけじゃなくて、他のものも通るんですぅ」
 その一例として彼女が上げたのは、西山音彦使用ソニックバイク、セキュリティチーフ神崎慎之介ほか。
「あの……バイクはともかく、この神崎さんはどうして──?」
 持っていた看板を裏返して示された例に、わたしは首をかしげた。
「そ、それはですねぇ……あ! みっ見ていただいたほうがはやいと思いますぅ!!」
 食堂の方を見た孔雀ちゃんは、大慌てでぴったり壁に張り付いた。
「のん子! 壁に張り付く!!」続けて、先輩も壁に張り付く。
「え?! きゃ?!」
 さっきのバイクを思い出して、わたしも壁に張り付いた。
 ドドドドドドドド……!!
「な?! なに!?」
 食堂のほうから地響きが聞こえてくる。まるで、ヌーの大移動のような音だと感想を持った時、
「くぅさぁなぁぎぃぃぃ!!」
 地の底、あるいは地獄の鬼が発するような鬼気迫る尋常ならざる声が、地響きにかぶさって聞こえてきた。
「きっ来ましたぁっ!」
 目じりに涙を浮かべ、孔雀ちゃんが叫ぶ。
 訳が分からず、でも恐怖だけははっきりと感じているわたしの前を、特撮ヒーローが通過して行った。
「な、なに?」
「ブレイバーよ!!」
 後で先輩から教えてもらったのだけれども、CRONOSの草薙咲也さんがクロノテクターを装着した姿をブレイバーと呼ぶのだそうです。
 どうして、そんな状態で艦内を疾走しているのかというと、
「逃がさん!!」
 木刀を手にした袴姿の青年が、ブレイバーの後に続いて私の前を駆け抜けていく。その疾走スピードは、ブレイバーに負けていない。
「な……? いっ今の……神崎さん──ですよね?」
 あっという間に見えなくなってしまった2つの背中を見送りながら、わたしは問いかける。
「はい。わっ私が注意した理由、分かってもらえたと思いますぅ。その……白神さんのバイクと違ってですね、センターラインが光ったりしないので、じゅうぶんに気をつけてください〜。轢かれたらタイヘンですぅ」
 あんなのに轢かれたら、タイヘンどころではないと思います。
「それでは、失礼しますぅっ」
 ぺこりっと頭を下げた孔雀ちゃんは、たたたたっと植物園の方に向かって走り出す。
 ぺしょっ。
 あ、コケた。
 大丈夫かな? 今すぐ駆け寄って手を貸したほうがいいのかな? わたしが対応に困っていると、孔雀ちゃんはすぐに起き上がった。よかった、大丈夫そうだ。
「すみません、すみませんっ」
 彼女は、わたしたちにぺこぺこと頭を下げて、改めて走り出した。
「う〜ん……あのドジっぷりはキュートよねぇ」
「……先輩」コケたあのコを見て、あなたはそんなことを思ってたんですか。
 思わずジト目で先輩を見てしまうわたし。その視線に気づいたのか、先輩は乾いた笑いを浮かべ、
「だいじょーぶそうで良かったわねぇ。ささ、次に行くわよぅ。次は──大食堂ね!」
 そそくさと通路を歩き始めた。しょうがないなぁと思いながら、わたしは先輩の後に続く。
 大食堂は、朝のピークをすぎたせいか、だいぶ人が少なくなっていた。それでも、私服を着た人が20人くらいいて、遅めの朝食を食べている。
「食堂のメニューは、とぉっても豊富よ! セットメニューはもちろん、単品の追加もできるわ」
 先輩はそう言いながら、食券の券売機の前に立つ。券売機の横には、小さめのディスプレイボックスが置いてあった。ボックスの中には、日替わりメニューの見本が置かれている。本日の朝の日替わりセットは、薬膳粥と茹で鳥、温野菜サラダという品揃え。ちなみに、わたしも今朝はこのメニューを選んだ。お粥も、茹で鳥も、下手なチャイニーズレストランより美味しかったのを思い出す。
「あ、そうだ、先輩。この間から思っていたんですけれど、この1本皿とか2本皿というのはどういう意味なんですか?」
「ん? あぁ、それね。それは、単品メニューのグレードを表してるの。こっち来て」
 先輩に連れられて行ったのは、入り口横の壁だった。そこには、“本日の1本皿”“本日の2本皿”といったプレートがかけられている。それらのプレートの下に“目玉焼き”“ゆで卵”“焼き魚(鮭)”といったメニューのプレートがかかっていた。
「単品が欲しい人は、これを見て、どの食券を買えばいいのか、判断するってわけ」
「なるほど」
「アフター5になると、アルコールも出るのよ」
「アルコールもですか!?」
 食堂の中をぐるりと見回せば、未成年の少年少女の姿も見られる。
「のん子……アルコールが出るのと、アルコールが飲めるのは、別の話よ? 未成年は飲めません」
「あ、そっそうですよね」
「そうよ。飲酒はオトナの特権なんだから!」
 北都先輩は、えへんと胸を張った。あの、見た目だけで言わせてもらえるなら、クリスマスを迎えてるとは思えませんよ、先輩。
「食堂については、これくらいで、次に行くわよ!」
「あ、はい! 次はどこですか?」
「次は下の層におりるわよ。下には、武道場やスポーツジム、大浴場に温水プールがあるの」
「温水プールもあるんですか?!」
 思わず目を丸くするわたしに、艦内の余剰熱を利用してるのよと、先輩が得意顔で説明してくれた。
 下の層は階段に近い側から、武道場、スポーツジム、大浴場、温水プールという順で入り口が並んでいるそうだ。
 わたしが、この層におりるのは、今日が始めて。仕事が終わると、もう何にもする気が起きなくなっちゃうので、部屋のシャワーを浴びて早々に就寝していたからだ。
「ここが武道場。中は土足厳禁だから、気をつけてね」
「はい」
 武道場では、護身術教室なども開かれているから、後学のためにも余裕があれば顔を出してみるといいわよと、先輩が教えてくれた。
「なるほど……」ここは戦艦なのだし、敵が侵入してくる可能性もある。そうなったときのレクチャーは受けているけれど、備えあれば憂いなしとも言うし……仕事になれて余裕ができたら、参加してみるのもいいかもしれない。
 わたしがそう思ったとき、先輩は次に向かってもう歩き始めていた。
「あ、先輩……!」
 慌てて追いかけようとしたその時──
 どっ! ばこずめしゃばきぼこぉっ!!
「うきゃぅっ?!」
 背後から奇妙奇天烈な音がした。驚いて振り向くと、少年が通路に倒れていた。
「ちょ……ちょっと、あなた、大丈夫ですか?!」
 ついさっきまで、そこには誰もいなかったはずなのに。わたしは、驚き半分不思議さ半分で、少年に駆け寄った。
「あ、志狼くんじゃない。大丈夫?」
「先輩、お知り合いで?」
 わたしの疑問に、先輩は「まあね」と得意顔を浮かべ、この少年はブレイブナイツリーダーの御剣志狼くんというのだと教えてくれる。
 御剣くんは、少しだけ痛そうな表情を浮かべながらも、
「大丈夫っスよ……」
 自分の力で立ち上がった。
「あっ、あの、すいませんッ!」
 今にも泣き出しそうな声で、呼びかけてきたのは
「あ、孔雀ちゃん」
 そう。巫女服少女、孔雀ちゃんだった。彼女は、先ほども持っていた看板を恥ずかしそうに掲げて、
「孔雀のっ、注意してくださいね〜……その2、ですぅっ」
 先ほど以上にへどもどしながら、孔雀ちゃんは右手の指を2本、立てて見せる。
「その2? ってか、何やってんスか?」
「ん〜……新人向けの艦内紹介番組を作成中でね。この様子じゃ、志狼くんもバッチリ出ちゃうわね〜」
「は!? 俺もっスか?!」
「んふふふ。一躍ゆ〜め〜じ〜ん〜っ」
 わたしの後ろで、先輩と御剣くんがこそこそと会話をしている。孔雀ちゃんは、あぅあぅと今にも泣き出しそうになっていた。わたしは、後ろは気にせず、何に注意すればいいのかしら? と彼女の問いかける。
「ふぇ……」
「がんばって、孔雀ちゃんっ」
「はっはい、がんばりますっ」
 わたしの励ましが効いたのか、孔雀ちゃんはすんと鼻をすすってから、「あのですね」と口を開いた。
「ぶっ武道場では、毎日言語を絶する修行が行われていますぅ。な、なので……こんなふうに」
 彼女が武道場の方を指差したので、わたしはそちらに視線を向け……絶句した。
「壁から人が飛び出てくることも、珍しくないんですぅ」
 そんなバカな。
 けれど、マンガみたいにくっきりと人型に空いた穴を見せられれば、信じないわけにもいかなさそうだ。
「いつまで休憩しているつもりだ、志狼」
 人型の穴の向こうから、厳格そうな雰囲気の男性が顔を覗かせる。着物を着た彼は、手に木刀を持っていた。



「今、行く──!」
 ぶつぶつつぶやきながら、御剣くんは人型の穴をくぐって武道場へ入って行った。
「えと、そういうわけですので、武道場の側を歩くときは気をつけてください」
 ぺこりっと頭を下げた孔雀ちゃんは、わたしたちが向かう先の方へ駆けていく。どこへ行くのだろうと不思議に思って孔雀ちゃんの背中を見ていると、
「きゃんっ?!」
 彼女の姿が忽然と消えた。
「え?」
「むっ! 今のはカンナーニャの仕業とみた!!」
「カン……?」
 どこかで聞いた名前である。どこでだっただろう? わたしが首をかしげていると、杉山さんが「郵便戦隊の青木さんのことだよ」とこっそり教えてくれた。
 杉山さんによると、彼女は艦内に作られた隠し通路について熟知していて日ごろからよく利用しているらしい。そのため、神出鬼没なのだそうだ。
「そうなんですか」
「まぁ、今みたいなことは早々あるわけじゃないから」
「はあ……」
 なんか、今まで遭遇した諸々の出来事に比べると、たいしたことじゃないように思えてしまう。……それは、わたしの気のせいではないですよね?
「ん〜っと、のん子。次行くよ〜」
「あ、はい」
 先輩に促され、わたしは立ち上がった。
 次は武道場のお隣のスポーツジム。武道場の訓練についていけない人や基礎体力を作りたい人などが、良く利用しているという。また、日ごろの運動不足を解消するのにもオススメよと、先輩。
「んで、ここが大浴場。24時間利用可能で、覗き対策はバッチリだから安心して入れるわよ」
「覗きなんているんですか?」
 世界の平和を守る勇者たちが集う場所だ。そんな不心得者がいるとは思えないんですけど。わたしがそういうと、先輩は人差し指を左右に振りつつ、チチチと舌を鳴らす。
「いくら勇者といえども人の子よ! 青春真っ盛りなんだから、甘酢っぱいことの5つや6つっっ!!」
「…………せんぱい」
 5つや6つって……。背中に大波を背負って力説する北都先輩。わたしは、がくりと肩を落とす。
「どれくらいバッチリかというと、ジムが『ふふふっ』って暗黒笑いするほどバッチリなのよ」
「ジム?」
「後方のジェームスさんだよ。いつも気難しそうな顔をしてる……」
 こっそりと杉山さんに耳打ちされ、わたしはぽんと手を打った。
 受入教育の時の講師をつとめていたケイさんのお兄さんが、ジェームスさんだ。髪をオールバックにして、楕円形のメガネをかけてる人。わたしが確認すると、そのとおりだと杉山さんがうなずく。
 あのジェームスさんが、「ふふふっ」って笑う…………想像しただけで、背筋にぞくっと寒気が走った。
「とまあ、そういうわけだから安心して入ってね」
 ぽんぽんと私の肩を叩いて、先輩は笑った。爽やかな笑顔ではあるのだけれど、わたしの背筋に走る寒気は一層強いものとなった。
「あ…あの……」
「考えるな。想像するな。まだ犠牲者は出ていないっ」
 撮影スタッフは全員、なぜか涙ぐんでいた。そんな彼らの存在を軽く無視して、先輩は高々と手を掲げて、
「それでぇ、お風呂の次はぁ、温水プールね!」
 元気に宣言した。
 大浴場の前をとおり、わたしたちはプールに向かった。
「プールは実際に見てもらったほうがいいわよね!!」
 きらきらと目を輝かせて、先輩は強引にわたしを更衣室に連れ込もうとする。
「みじゅぎですか!? 北都さんっ!!」
「ンなワケあるかいっ!!」  

がすっ!

「へぐぅっ!?」
 先輩の飛び膝蹴りが、華麗にクリーンヒット。飛び膝蹴りをくらったスタッフは、後ろにひっくり返ってしまった。
「せ、せせせせんぱい!? ちょっ……」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。さ、行くわよ〜」
 にこにこと笑ったまま、先輩はわたしの手を引いて、プールへ入っていく。
「え? あ、ああああの先輩?!」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
 同じセリフを繰り返して、先輩はわたしを引っ張っていった。
 更衣室からプール出ると、強い日差しがわたしを襲う。思わず目の上に手をかざして日よけを作ると、目の前には南国ムードたっぷりの光景が広がっていた。
「うわぁ! すごいですね!」
「でしょう? 24時間利用できるっていうのが、嬉しいわよね」
 男性側更衣室から出てきた撮影班スタッフ。(さっき、先輩に蹴られた人は、もうぴんぴんしていた)カメラは、プール内部へと向けられている。わたしたちは、カメラに従う形でプール内の散策を始めた。
 内部には、熱帯系の植物が配置され、砂浜も作られている。小さな屋台のようなものもあって、軽食や飲み物なども求めることができるようだ。プールの脇にはデッキチェアも並んでいた。
 波の出るプールでは、少年少女たちがビーチボールで遊んでいる。
「あら? あの先輩、あそこは一体……?」
 水難救助訓練でもやっているのだろうか?
 わたしが見つけたのは、救助訓練用のダミー人形とその側に立つ2人の少女、訓練参加者と思われる人だかり。2人の少女のうち1人は、クリップボードを持って白衣を着ており、もう1人はマントを羽織っている。マントを羽織ったほうは、どう見てもローティーン。白衣のほうにしても、ハイティーンにしか見えない。
「なんだろうね? いってみよっか」
 興味を覚えたわたしたちは、さっそく参加者たちの輪に加わった。
「さて、こちらが、今回お見せする新兵器」
 白衣の少女がすっと地面に手を向ける。すると、どこをどう操作したのか、地面からにょきっと巨大なハンマーが生えた。
「プールにおけるセキュリティ強化のため、我々が共同開発しました、カートゥーン・ハンマーです」
 外見は、ピコピコハンマーのようにも見えるそれは、己を鼓舞するように無意味に動く。
「は? カートゥ……?」
 ワケが分からずぱちぱちと瞬きをするわたし。参加者だと思っていた人たちは、どうやら野次馬だったみたい。ほ〜とかへ〜とかいう声が上がったあと、白衣の少女はマントの少女に視線を向け、次の行動を促した。
 赤毛のマント少女はこくりと頷く。
「不埒な行いをした人はこのように」
 ハンマーがダミー人形に振り下ろされ、持ち上げられた。
「えぇっ!?」
 次の瞬間、目にしたものに、わたしはかつてない衝撃を受けることになる。
 ひらり、ひらひら。
 紙のようにぺらぺらになったダミー人形が、ゆるやかに落ちてくるのだ。
「うっそぉー」
 隣で先輩も目をまん丸に見開いている。もちろん、撮影スタッフや野次馬も同じだ。
 わたしたちの驚きに満足したように、2人の少女は口角を持ち上げて笑う。
「これで驚いてもらっちゃ困るのよ。このハンマーの真髄はこれからよ」
 ふふふと不適な笑みを浮かべたマント姿の少女。彼女はいつの間にか、大きなヤカンを持っていた。
「さあ、とくとごらんなさい」
 少女は、ヤカンの中身をぺらぺらになってしまったダミー人形にかけた。たぶん、水なのだろう。
 人形に水がかけられ、わたしたちは再び信じられないものを目にすることになる。
「ほら、この通り!」
 ダミー人形が元の厚みを取り戻したのだ!
「すごい……」
 としか言いようがない。これは現実? それとも夢? わたしは手品でも見ているのだろうか?
「人体には全く影響しない、親切設計ですので、とっても安心です」
にっこり笑って、白衣の少女。とたん、
「いやそれは色々おかしいだろ!!」
 野次馬の中からツッコミの声が上がる。わたしも同意見です。そんな話は信じられませんと訴える。
「チッチッチッ。みなさん、我々、マッディ・リオリオと──」
人差し指を振りながら、白衣の少女。続けて、マントの少女がモノクル(片メガネ)の位置を直しながら、
「ドクトリーヌ・リリーの科学力──」
 2人揃って胸をはる。
「甘く見てもらっては困ります」
 そういう問題じゃないと思います。
 あぁ、でも、ここラストガーディアンはオーバーテクノロジーの宝庫なのですよね。そのことを考えればもしかすると──
 わたしが思考のループに陥りかけたとき、
「のん子、逃げるよ!!」
「へ?」
 わたしの手を引いて、先輩が駆け出した。慌てて撮影班も追いかけてくる。
「先輩?」
 戸惑うわたしの耳に、
「そんなわけですので、次は人体実験をしてみたいのですが──」
 マッディ・リオリオと名乗った少女の無邪気な声が届いた。
 プールサイドはたちまち、野次馬とハンマーのサバイバルレース会場に変わってしまう。
「……というか、自由に動くんですね、あのハンマー」
 離れたところでその光景を眺めるわたしたち。
「みたいね」
 先輩も珍しく、呆然としている様子だ。
「あの、先輩……? あの2人は一体…………」
 くいくいっ。
「ん?」
 スーツの袖を引っ張られたような気がしたので、わたしは振り向いた。すると、そこには黒髪の可愛らしい少女が立っている。歳は、孔雀ちゃんと同じくらいだろうか。ただ、着ているのは巫女服もなければ水着でもない。普通の黒いワンピースだ。
「ん」
 少女は無言で、後ろ手に隠し持っていた看板をわたしに見せた。
 看板には、やや丸っこい字で『翡翠のマルヒ情報』と書かれてある。
「え〜っと……あなた、翡翠ちゃんっていうの?」
 こっくり。わたしの問いに、少女ははっきりと頷いた。翡翠ちゃんは、白衣の少女とマントの少女の方へ顔を向け、
「まっでぃ・りおりお と どくとりーぬ・りりー、平和を守る正義のかが……」
「翡翠ちゃん? 違いますよね?」
 少し離れたところから、マッディ・リオリオの声がかかる。彼女は満面の笑みを浮かべているが、目は決して笑っていない。
 後ろを振り返り、こくこくと何度もうなずいた翡翠ちゃんは、
「……2人は、平和を守るせいぎのびしょうじょかがくしゃ」
 小さく咳払いをしてから、わたしたちの方に向き直り、言い直した。それを聞いたリオリオは満足そうな笑顔を浮かべる。
「な、なるほど……」
 うなずくわたしの額にも冷や汗が浮かぶ。
 翡翠ちゃんは、ほっと胸を撫で下ろすと、看板を大事そうに抱え、プールの出入り口に向かって走り始めた。その先にはハイティーンの少年が待っていて、「どうも」と会釈をしてくれる。
「あ、ここちらこそ」
 わたしも慌てて会釈を返した。
「あの男の子は、風雅陽平くん。翡翠ちゃんに仕える忍びなんだって」
「忍び……ですか」
「うん。けっこー強いんだよ。私の好みじゃないけど
「はぁ……」
「北都さんは、好みがウルサイから」ぼそ。
「あの好みじゃなぁ。オトコはなかなか」ぼそぼそ。
「こらぁ! そこぉっ!!」
 こそこそと話をする撮影スタッフに、先輩の飛び蹴りが炸裂した。
 ひらりと着地を決めた先輩は、
「さ、次に行こっか」
 男性2人を沈めたことなど、気にした様子もなく、にこりと微笑んだ。
 温水プールを後にして、通路を進む。
「次はぁ、機関部だけど……1部のスタッフを除けばあんまり縁のないところね。危険区域に指定されてる場所もあるから、通るときにはIDの認証が必要になってくるところもあるわね」
「なるほど。でも、最低限、場所は覚えておいたほうがいいですよね」
「おいたほうがいいんじゃなくて、覚えておかないと。警報が発令したり非常宣言が出された場合なんかは、情報をもとに自分で判断して行動しなきゃいけなくなってくるし」
「あ、そうですね。はい」
 先輩の注意をしっかり胸に刻んだところで、わたしたちは階段をのぼった。
「機関部の上には、植物園がありま〜す」
「植物園ですか?」
「そう。これも温水プールと同じで余剰熱を利用して作られたのよ。艦内の福祉施設の1つね」
 こちらもプールと同じく、24時間利用できるそうだ。
 植物園は大まかに4つのゾーンに分けられていて、それぞれ春夏秋冬をイメージしているそう。艦内通路には、グリーンも配されていたりするけれど、これだけたくさんの緑に囲まれることができるのはココだけだそうだ。
「なんだか、ほっとしますね」
「そうそう。ここのスタッフにお願いすれば、咲いてる花を分けてもらうこともできるらしいわ」
「そうなんですか」
 緑の小道を歩きながら、わたしは周りを見回した。小道はくねくねと曲がりくねっていて、まっすぐじゃない。並べられた枕木も、幅があったりなかったり。長さもてんでばらばらだ。上を見上げると、小鳥がチチチと鳴きながら、飛んでいくのが見えた。
「鳥も飼ってるんですね」
「ほとんど放し飼いらしいけどね。植物園の半分くらいは、雑草を刈り取るくらいしかしてないって話だし」
「そうなんですか?」
「一般スタッフは、ここを植物園って呼んでますけど、ここのスタッフは雑木林って呼んでるらしいですよ」
 園内には小川もある。その上にかかった小さな橋を歩きながら、杉山さんが言った。
「雑木林は鳥が作る。俺たちは、それにちょっと手を入れるだけだっていうのが、彼らの持論でね」
「へぇ……」
「職人の数だけこだわりがあるってことなのかしらね〜」
 改めて回りを見回してみる。雑木林と言われるとうっそうとしたイメージがあるけれど、ここはとても明るい。木漏れ日が地面に届き、時々枝葉が揺れる。チチチと聞こえる鳥の声もステキだ。ここが戦艦の中だということを忘れそうなくらい。
「ステキなところですね」
「さっきの温水プールと並んで、艦内デートスポットの1つだしね」
 にっこり笑って先輩が言った。「分かります」とわたしが言おうとしたとき、先輩は視線を別方向に向け……「けっ」
「せ、先輩?」
「あ〜……そっとしといてあげて」
 ぽんぽんとわたしの肩を叩いて杉山さん。彼の回りにいるスタッフたちも、涙をこらえている。
「みなさん……」
「その先は言わないでくれぇっ!!」
「は、はぁ……」そんな涙ぐまなくても。
 まずいことを言ったかなぁと……私が少し反省していると、木と木の間を大きな黒い影が横切った。
「え?」
 自分の目が信じられなくて、思わず目をこすってみるわたし。今、影が横切ったあたりをよぉっく見てみるが、特に変わったところは見られなかった。わたしの気のせいなのだろうか?
「のん子、どうかした?」
「あ、じつは今──」
 わたしは今見たものを先輩に説明した。話を聞いた先輩は、大して驚きもせずに、「あぁ、それは……」
 言いかけたところで、先輩が固まった。どうしたんだろうと思ったら、先輩のスーツの袖を翡翠ちゃんが引っ張っていた。
「翡翠ちゃん……えぇと……もしかして、マルヒ情報?」
 少女の顔を覗きこむようにしてわたしが問いかけると、翡翠ちゃんはこっくりと頷いた。
「その2」
 指を2本立てて、「ここ、あにうえいる」
「はい?」
 あにうえ? あにうえということは、翡翠ちゃんのお兄さんということで……翡翠ちゃんのお兄さんということは、もしかしなくても勇者の1人ということなんじゃあ? 何で、勇者がここに? いや、いてはいけないというわけではないけれど、今の言い方が妙に引っかかるわけでって……あぁ翡翠ちゃん。そんな満足そうな笑顔を浮かべて、去って行かないで。もうちょっと分かりやすく、お姉さんに説明してくれないかな〜?
「せんぱぁい……」
「何でそんな泣きそうになってんのよ、キミは。えっと、翡翠ちゃんのお兄さんは、釧さんって言うの。正式に乗務員登録をしてないから、個室がないのよ、あの人。だから、ここで生活してるみたい」
「ありなんですか? そういうの」
「ありなんじゃないの?」よく分かんないけどと、先輩。
「下手に艦外で活動されるよりはいいっていうのが、上の見解じゃなかったかな」
「はぁ、そうなんですか」
「まあ……何か問題を起こしたって話は聞かないし、いいんじゃないの?」
 朗らかに先輩は笑っているけれど、わたしとしては「園内の鳥捕獲禁止」というあの立て札が気になるんですけど。それでも、問題はないんでしょうか? ねぇ、先輩。
「話変わるけど、植物園からは、展望廊下に出ることができるの」
「展望廊下ですか」
「そそ。すっごく見晴らしいいんだから」
 あそこが植物園出口展望廊下入り口ねと、先輩が指差す。
「あそこに何かありますけど……あれは?」
 わたしが見つけたのは、出入り口付近にあるコテージのような建物だ。近づくと、オープンカフェになっていた。
 ティーセットなどの喫茶メニューのほか、植物園で栽培しているバラを使ったジャム、ハーブなども販売しているそうだ。
「こういうのは購買でも買えるけど、艦内で作られてるってトコロがポイント高いみたいよ」
「あ、何となく分かります」
 仕事が終わったら、わたしもハーブを買いに来ようかな。営業時間を確かめると、夜は7時までとあるので、何事もなければじゅうぶん間に合いそうだ。
「それでぇ、ここが展望廊下!」
「うわあ! すごいすごい! 先輩、雲が下にありますよ!」
 展望廊下は、天井部と壁の1部が透明になっていた。
「これだと……さっきのオープンカフェからここの天井を通して星を見ることもできそうですね」
「もちろん。それもカップルに好評のデートコースらしいわね」
 言ったあとで、先輩はふんっと鼻を鳴らす。恋人がいないというのは、先輩にとってかなりキツイ(悔しい?)ことみたいだ。
「それより、ここから船首の方へ向かうわよ!」
「船首の方には何があるんですか?」
「発令区って言えばいいかな? ブリッジとか、上層部の執務室とかそういうのがあるの」
「なるほど」
 展望廊下もスタッフの憩いの場所の1つになっているみたいだ。自動販売機やベンチ、観葉植物などがところどころに置かれているほか、端末も設置されている。
「あ、ついでだから端末についてもちょっと話しとくわね」
 ぴっと人差し指を立てた先輩は、前方にあった端末に近づいていった。わたしもその後に続く。
「端末の役割は、大きく分けて3つ。1つめは現在地を知るなどのナビ的役割。2つめは連絡事項を確認するなど、掲示板的役割。3つめは、個人の口座残高の確認のほか、艦内取引の明細についても問い合わせることが可能よ」
 ちなみに現金の引き出しは、郵便部前と生活班メインブース前、ブリッジ側の端末で行えるとのこと。
「もうちょっと増やして欲しいって声もあるんだけど、管理のことを考えるとそれも難しいらしくてね」
「町の中には、けっこう気軽にあちこちあるみたいですけど」
「あっちこっち作ったはいいけど、被弾してぶっ壊れちゃいました、なんてことになったらシャレにならないでしょ」
「あ! そうですね」
 先輩の言うとおりだ。
「それと、ここに配属されたからには1日1回必ずチェックしときたいのが、コレ」
 タッチパネルを操作して、先輩が画面に出してきたのは「トリニティ予報」という情報コラムだった。
「ブレイブナイツのブリットさんが来てから始まったんだけど、的中率が高いのよ。オフの予定なんかはこれを見て決めるとイイわよ。あと、襲撃率が高い日には心構えが出来るしね」
「こんな番組、あるんですね」
「オリジナル番組の中でもかなりの高視聴率を誇ってるわね」
「わたしもチェックしておきます」
「ん。そうしなさい」
 ちょっと芝居がかった仕草で、先輩はうなずいた。
 端末から離れたわたしたちは、発令区を目指して歩き始める。
「あ! 隼人くんだ! おっはよ〜!!」
「うぉ! って、あぁ……なんだあんたか」
 隼人くんと呼ばれた少年は、先輩がイノシシのように突進してくるのに驚いたようだ。ぎょっと目を見張っていたものの、先輩の姿を認めると、すぐに落ち着きを取り戻したみたい。
「ちょっと、“あんた”はないんじゃなぁい? 私はキミより年上なのよ?」
 ぷくっと頬を膨らませて先輩が抗議する。
「とてもそうは見えないだろ」少年はあっさりと言った。その後で、わたしに気づいたらしく、誰だ? と問いかけるような視線を向けてきた。どう見ても年下なんだけれど、その視線の鋭さに、わたしは弱腰になってしまう。
「はっハジメマシテ。木葉則子と申します。アナウンス部に配属になったばかりで……その、よろしくお願いします」
「あぁ。大神隼人だ」
「隼人くん、のん子、威嚇しちゃダメじゃない」
「威嚇なんてしてない」
 先輩の抗議に、大神くんは仏頂面になる。あぁ、なんだ、そうか。この子は、人付き合いが苦手で、少し不器用なだけなんだ。それが分かったとたん、彼に少し悪いことをしたかなと思う。
 でも、謝ろうと思っても、なんて謝っていいのかが分からない。こういうタイプはヘタに頭を下げると不機嫌になったりするし……。どうしたらいいだろうと、わたしが悩んでいると、
「おい、隼人! そいつ、捕まえろ!!」
 居住区に続いている廊下から、20くらいの青年が飛び出してきた。彼が指差した“そいつ”は、しゃかしゃかと異様な速さで、展望廊下を疾走。
「なに? ッ……ちょっと待てぇ!?」
「きゃッ?!」
 わたしの足元をあっという間に走り去って、どこかへ消えてしまった。
「くっそ! 日に日に早くなってねぇか!?」
 青年は悔しげな表情のまま、走り去って行ったそれを追いかけていく。
「今の……」
 わたしの記憶が確かなら、購買の出入り口に貼ってあったポスターとそっくりだった。名前は確か……
「あれがウワサのはぐれカズマ君1号かしら?」
「はぐれ?」
 目の上に手をかざして、先輩が青年の背中を眺めている。
「……剣も大変だな……」大神くんもぽつりと一言。声音には、どこか哀れむような雰囲気があった。
「がんばれ〜」
 とっくに見えなくなってしまった和真さんの背中に向かって、先輩はひらひらと手を振る。励ます声は、どこが投げやりだ。
「それじゃ、行きましょうか、先輩。では、失礼しますね」
「お、おぅ……」
 大神さんは、わたしよりも先輩のほうが気になるようだ。ムリもない。先輩は、うっとりポーズで、じーっと彼を見つめているのだ。
「い・き・ま・す・よ、せ・ん・ぱ・い……!」
 先輩を引きずるようにして、わたしは歩き出す。
「行きたくなぁ〜い!! うぇ〜ん、は〜や〜と〜くぅ〜んっっ!! かむぶゎ〜っく!!!」
 移動してるのは、大神さんじゃなくて、わたしたちです。先輩。
「う゛う゛っ……隼人くぅ〜ん……」
「先輩……」
 目じりに涙をためて、先輩は展望廊下の方を見ている。
 は〜あぁ、と大きなため息をついた杉山さんは、しょうがないなとつぶやいた後、こう言った。
「北都さん、秋沢兄に告げ口しますよ。乗り換えたって」
「ダメッ! っていうか、乗り換えてないからっ!! 私の愛は、平等よぉ〜っ!!」
 居住区のほうに向かって先輩は、叫ぶ。
「先輩、落ち着いて……」
 今にもアナウンス部のブースにダッシュして、放送スイッチを入れそうな先輩の剣幕にわたしは驚く。
「虚しい愛情だと思うけどな」ぼそ。
「ぃやっかましいっ!!」
 がすっ!! 先輩のフライングヒールキックが杉山さんの顎に直撃。
「あっ、アゴはやめてくださいよっ!!」
「つーんっ」
 杉山さんの抗議を先輩は知らん顔して受け流し、
「のん子、ここが発令区なのよ」存在も無視した。
「先輩……」
 わたしはがくりとうな垂れる。
「えっとぉ、ここにはブリッジとか、艦長の執務室とかあるのね。あと、作戦会議室もあったはず〜」
 わたしの腕に手を回し、先輩はぐいぐいと歩き出した。それにつられてわたしも歩いていく。杉山さんは「くっそぉ〜」と悔しそうにしながらも、わたしたちの後をついてきている。強いんですね、杉山さん。
「発令区で1番のオススメスポットは、あそこ!」
 先輩の指の先には、ホテルのロビーにあるようなティーラウンジがあった。ワインレッドの絨毯が敷かれた落ち着いた雰囲気の空間である。
「わぁ……ここもステキですね」
「ほらほら、のん子、こっちこっち。ほら、ここからの景色もサイコーでしょ?」
 窓が大きく取られているので、まるで高層ホテルのラウンジにいるような雰囲気がある。
「本当! 展望廊下のオープンな雰囲気も良いですけど、こっちの落ち着いた雰囲気も良いですね」
「でしょう? 特にこの窓際は“恋人たちの指定席”なんて呼ばれてて、やっぱりカップルに人気があるのよ」
「へ……ぇ……あの、先輩。顔が強張ってます」
「ふ……隼人くぅ〜ん、飛鳥くぅ〜ん! 私とここでお茶して〜えぇ!!」
「先輩? ちょ……泣かないでくださいよ?!」
 とつぜん、泣きべそを浮かべる先輩。わたしはぎょっとなって、思わず回りを見回した。ラウンジにいた人の視線がわたしたちに集中する。
「せっせんぱい?!」
 助けを求めて撮影班スタッフを見たが、彼らもあわあわと狼狽していた。そこへ、
〈仁美様、皆様が困っておられますぞ〉
 細かな刺繍が施されたハンカチとともに、鋭い爪の生えた真っ赤な手が差し出された。
「ひぅっ!?」
 そこに立っていたのは金属の体を持つ真っ赤な竜。見上げるほどに大きな竜の口は……わたしなんて、ぱくりと1口で食べられてしまいそうなほどに大きかった。
「あ、カイザードラゴン」
 竜からハンカチを受け取った先輩は、平気な顔で鼻をかんだ。先輩、それ絶対高いですよ! 
「あの……あれって、高いんですよね?」
〈ハンカチはハンカチでございますから。物の値段などお気に止め下さいますな〉
「あ……ごっめぇん……。後で洗って返すからぁ」
 ぐずぐず言いながら、先輩は受け取ったハンカチで涙を拭う。
「キミが、も〜っとず〜っと若かったら、放っとかないのに」
〈私もあと20歳ほど若ければ、仁美様の恋人候補に加えていただけたかと思うと……残念でなりませんな〉
 真っ赤なドラゴンは、芝居がかった仕草でいやはやと首を横に振っている。先輩は、イタズラっぽい笑みで、またまたぁと、ドラゴンの腕を肘でつつく。
「あの……」
 すっかり取り残されてしまったわたしだ。そこへ、呆れたような声がわたしの後ろから聞こえてきた。振り向けば、モデルのような美少女が、呆れ顔でたっている。
「20歳って……カイザー、あなたいくつなの?」 
〈これは麗華様。…………歳でございますか? はて、これまでどれだけの年月を過ごして参ったのやら……〉
「え〜と……あの……何て言ったらいいのか……」
 首を傾げるドラゴン。わたしは、がっくりうな垂れる。
「ところで、北都さん、こちらは?」
「あぁ、のん子って言って、うちの新人〜」
「木葉則子と申しますっ」
 先輩の紹介になってない紹介に対抗するつもりで、わたしは大きく声を張り上げた。先輩だけならともかく、他の人にまで“のん子”と呼ばれるのはイヤだったからである。
「そう。私は神楽崎麗華よ、よろしく。こっちはカイザードラゴン」
〈以後お見知りおきくださいませ、則子様〉
 神楽崎さんは優雅に微笑み、カイザードラゴンさんは会釈をしてくれた。
「よろしくお願いしますっ」
 わたしは彼女たち以上に深く頭を下げていた。
〈それでは、お近づきのしるしにお茶などいかがですかな?〉
「わ! いいの?」
 カイザードラゴンさんのお誘いに、先輩は嬉しそうに手を叩いた。
「先輩、まだ仕事中ですよ?!」
「休憩休憩。ず〜っと歩き詰めだったんだし、ちょっと早めのお昼休み〜ってことで。ね?」
「賛成〜」
 撮影班スタッフも諸手を上げて先輩に賛成したため、わたしたちはここで休憩することになった。
 カイザードラゴンさんが淹れてくだすったお茶は、とても美味しかったです。
 ティーラウンジで、美味しいお茶をいただきながら、神楽崎さんからラストガーディアンであったいろいろな話を聞かせてもらいました。
 突拍子もない話ばかりだったのですが、先輩やスタッフが「あったねぇ、そんなこと」なんてうなずくので、わたしは先行きが少し不安になりました。
 ぴんぽんぱんぽ〜ん。
『昼シフトの皆さん、そろそろお昼ご飯の時間です。食堂に集まってください』
「これは……麻紀ちゃんの声だね」
「えっと、昨日、お手伝いに来てくれてた──?」
「そそ。後でお礼言わないとね」
 小さく首を傾げるわたしに、先輩はこくこくとうなずいた。
 その後もうしばらく休憩してから、わたしたちはアナウンス部のブースに戻りました。もちろん、お茶をご馳走になったお礼は、ちゃんと言いましたよ。
「たっだいま〜って、あれ、麻紀ちゃん? ゆっこは?」
 窓口からブースを覗くとメガネをかけたハイティーンの少女が座っていた。このコが、西宮麻紀さん。わたしが軽く頭を下げると、西宮さんはにこりと笑い返してくれた。
「安部さんなら、お昼ご飯の買出しに行きましたよ。撮影、終わりですか?」
「ん〜大体終わったんだけどぉ……のん子、せっかくだから、格納庫にも行って来る?」
「格納庫……ですか?」
「うん。格納庫にも、いろいろあるのよね。どうする?」
「あ……じゃあお願いします」
 わたしは頭を下げた。どうせなら、一気に回ってしまうほうがラクに思えたからだ。
「それじゃ、行って来るね。麻紀ちゃん、もうちょっとだけここお願い」
「任せてください」
 どんと胸を叩いた西宮さんは、笑顔でわたしたちを送り出してくれた。
「格納庫はぁ……まぁ、説明しなくても大体分かるよね」
「はい。小さくなれない勇者が生活していたり、乗り物が収容されてるんですよね」
 メイン通路を船尾に向かって歩きながら、わたしは答える。
「そうなんだけど、けっこうスペースが空いてるのよね。だから、バスケットコートとか、砂場とかあるのよ」
「砂場……ですか?」
 バスケットコートは分かるとしても、なぜ砂場? 思ったことをそのまま疑問に乗せると、先輩は行けば分かるとわたしの肩を叩いた。
 整備班の更衣室前が、吹き抜け状になっていて、長いエスカレーターがのびていた。
「はぁ……わ、わ、すごい!」
 エスカレーターから下を覗き込むと、たくさんのロボットがいて、その合間を縫うように、たくさんの人が働いていた。
「ひろ〜い。すごいですね、先輩」
「のん子、子供じゃないんだからさぁ」
「へ? え、あ……すっすみません」
 呆れ顔を浮かべる先輩を見て、わたしは急に恥ずかしくなった。
「ま、気持ちは分かるけどね。ここってすごいのよ、ほんと」
 ふふっと笑った先輩は、何を思ったか両手を口に当てて、

「やぁっほぉぉぉぉっ!!」

『………ゃっほぉぉぉぉ……』
「山びこ? うわぁ、すご……はぅっ!?」
 下から、下から視線が刺さる。
「うるせぇぞ、アナウンス部!」
『……せぇぞ、アナウン……』
 バレてるし!
「ひえぇぇぇっ。ご、ご迷惑おかけしました〜〜!」
『……ぉかけしましたぁ……』
「あははは♪ たまにやると気分爽快なのよ」
「せんぱぁ〜い……」
 わたしは泣きたくなった。後ろにいる撮影班の人たちは、みんな悟りきった表情で、肩をすくめている。
 ……わたし、ここでやっていけるのかしら?
「のん子もやってみると、すっきりするわよ」
 ブルブルブルブルブル。わたしは、思い切り顔を左右に振って、先輩の誘いを辞退した。
 何か別の話題はないかしら。そう思って、格納庫の中を見回したわたしは、小型のロボットがボールで遊んでいるのを見つけた。
「ロボットがボール遊び?」
「あぁ、あのコはね、ラシュネスっていって、ロボットの中で一番精神年齢が低かったと思うわ。要するにおこちゃまなのよ」
「だから、ボール遊びを?」
 背中に羽根のようなものを生やしたロボットの相手をしているのは、ミドルティーンくらいの少年だった。
 彼らの背後には、20メートルくらいの壁がある。
「あの壁は何ですか?」
「あぁ、あれは壁じゃないのよ。あそこでボール遊びをしてるラシュネスたちの家で、ランド・シップって言うんだって」
「家……なんですか?」
 遊んでいる彼らの後ろを通りながら、先輩は言葉を続ける。
「そそ。正式登録してるから、個室は割り当てられてるんだけど、何かあそこの中の方が暮らしなれてるからって言ってね。ここで暮らしてるのよ」
 わたしが壁と称したのは水陸両用の乗り物なのだそうだ。この乗り物をぐるりと回りこむと、酒場とリビングを足して2で割ったような空間が目の前に広がっていた。
「こんち〜」
「こんにちは、北都さん。そちらは……はじめまして、ですね」
 先輩の挨拶に振り返ったのは、カウンターの止まり木に腰を下ろしていた青年だった。にこにこと優しそうな笑顔のまま、彼はこちらに近づいてくる。わたしはぺこりと頭を下げて、
「はじめまして、木葉則子と申します」
「イサム・ヤクシジです。艦内の見学ですか?」
「はい。あ、それを兼ねて新人向けの番組を作ってるんです」
 わたしの返事に、ヤクシジさんは「それは大変ですね」と軽く目を見張った。
「ねぇねぇ、ここも番組で宣伝してあげようと思うんだけどぉ……」
 きょろきょろと回りを見回しながら、先輩。ヤクシジさんは、苦笑いを浮かべると、
「今昼寝中なんです」
 そう言ってカウンターに向かい合うようなかたちで置かれているウッドデッキに目を向けた。つられて目を向けると、ヤクシジさんよりもさらに大きな男の人が、こちらに背を向けて寝転んでいるのが見える。
「う〜ん……どうする、宣伝」
「別に儲けることが目的じゃないんで、必要ないと思いますけど」
「あの、もしかして、ここでは、お酒がいただけるんですか?」
 カウンターの後ろには、ずらりと酒瓶が並んでいるからまず間違いないと思う。思ったとおり、ここではお酒が飲めると、ヤクシジさん。
「アルコールだけじゃなく、普通のお茶やコーヒーもありますし、食事もしていただけますよ」
「食事もできるんですか?」
「えぇ。ほぼ年中無休、24時間で営業してますから」
「そうなんですか」
 よかったらいつでもお越し下さいと、ヤクシジさんは笑う。なんか、見ていてホッとする人だ。
「ん、宣伝バッチリ」
「はあ……」
 いつの間にカメラを回していたんだろう。
「最後にお店の名前をどうぞ」
「あぁ、COWBOYといいます」
 よろしくお願いしますと、ヤクシジさんは頭を下げた。
「番組できたら、試写会するから来てね〜」
「楽しみにしてますね」
 一層目を細めて笑うヤクシジさんに、先輩はにぱぁっと笑顔を浮かべ、
「試写会のお客さん用にコーヒーと紅茶、お願いっ」
「それが宣伝費というわけですか」
「先輩……」
 しっかりしているというか、ちゃっかりしているというか。
「分かりました。用意しますよ」
「やった♪ ありがと〜」
「すみません」
 思わず恐縮して頭を下げるわたしだが、ヤクシジさんはどこか面白がってるようにも見えた。気にしないで下さいと、顔の前で手を振ってくれる。
「それじゃあ、次行こう、次!」
「わ! 先輩?!」
 話はまとまったからと、先輩はわたしの腕を引いて歩き出した。
「ほらほら、あそこが砂場。んで、その向こうにバスケットコート」
「あ、本当ですね」
 砂場は無人だったけれど、バスケットコートでは、小学生くらいの男の子たちが試合をしていた。
「んじゃ、2層は特にめぼしいものはないから、1番下に下りるよ〜」
「1番下には何があるんですか?」
 エスカレータを使って下に向かいながら、わたしは聞く。
「格納庫名物、ロボの湯よ!」
「ロ、ロボの湯……ですか?」
 瞬きをするわたしに、先輩は簡潔な説明をしてくれた。
「ロボット専用の大浴場」
「なるほど」
 最下層につくと、忙しそうに働いている整備班スタッフから「もう叫ぶんじゃねぇぞ!」とクレームの声がかかる。
 そのたびに、「すみません、すみません」とわたしは頭を下げて回った。なのに、本当に頭を下げなくちゃいけない人は、
「えへへ。ごめんして〜え」
 全く悪びれた様子もなく、ぺろりと舌を出している。
 …………本当にやっていけるのかしら、わたし。
「あ、ほらほら。あそこ、あそこ。あそこがロボの湯!」
「大きいですね、入り口」
「そりゃあ、ロボットのお風呂だし」
 わたしの感想に、先輩は苦笑する。そこへ、ぬっと影が振ってきた。
「ちょっちょっと! 踏まないで! 下、下、下ぁっ!!」
「……そんなところにいると危ないぞ」
「まさか、急に出てくるとは思わなかったの!」
 見上げるほどに大きなロボットに向かって、先輩はぶんぶんと手を振り回しながら抗議する。
「……キミ、フォーティアだったっけ?」
「そうだ」
「ロボの湯って、どうなの?」
「どう……とは?」
 先輩の質問の意味が、このロボットには分からなかったみたいだ。
「どうって、感想よ、感想」
「感想?」
 表情に変化は見られないものの、何となく不思議そうにしているのが分かった。
「気持ちいいとか、あるでしょ。そういうの」
 めげずにたずねる先輩。そこへ、彼の後ろから、小型のロボットがこちらへ向かって歩いて来るのが見えた。肩には大きなタオルを引っ掛けている。
「んあ? んなところで突っ立ってどうしたよ?」
「BDか……ロボの湯についての意見を、といわれているのだが──」
 自分の膝丈ほどしかないロボットへ、フォーティアは視線を向けた。
「意見〜?」
 なんだそりゃ、と言いたげにBDは目を見張った。
「感想よ、感想! ロボの湯はどうなの? って聞いてるの」
 ぶんぶんと手を振り回しながら、先輩が叫ぶ。BDは、ぽんと手を打つと、フォーティアに向かって親指を立てろと言った。
「こうか?」
 彼は言われたとおり、親指を立てた。
「ロボの湯最高!」
「ロボの湯、サイコウ?」
 フォーティアは、BDのセリフをそのまま真似する。訳が分かっていないのは、わたしの目からみても明らかだ。
「おうよ。ロボの湯、最高! 風呂あがりのオイルは、絶品だ!!」
 わははは〜と豪快に笑いながら、彼は去っていく。
「……だ、そうだ」
 フォーティアは、無表情に言った。
「あ、うん。ありがとね」
 お礼を言う先輩は、今にもぶっと吹きだしそうだった。それを何とか必死でこらえている。かくいうわたしも、笑いそうになるのを懸命にこらえていた。
 彼はわたしたちの様子には気づかず、そのまま去っていった。
「ぷッ……かっかわいい!」
「あの無表情さがっ!」
 フォーティアが遠ざかってから、わたしたちは一気に吹きだした。あの微妙な雰囲気は、ロボットとは思えない。
 2人でひとしきり笑ったあと、先輩は目じりの涙を拭った。
「さぁって、と。これで、艦内の大きな施設は全部回ったわね」
「注意することも、あれで全部ですか?」
「まぁ、そうね。後は基本的なIDカードを失くさない、とかそういうのだから」
「もし、失くしたりしたら、すぐにリーさんのところへ届け出ないといけないんですよね」
「そうそう。そのまま放ってたら、地獄めぐりが待ってるから、要注意ね」
 今まで見てきたことを思うと、その“地獄めぐり”の言葉もシャレになってないような気がするんですけど……。
 その朗らかな笑顔も危険度を倍増させてるだけじゃないでしょうか。先輩……。
「で、どう? 艦内を回った感想は?」
「……1日も早く、色んなことに慣れないといけないなぁって思いました」
 バイトの経験もあるので、始めた頃の不安感とか緊張感とかは知ってたけれど……
「その、仕事ももちろんそうなんですけど、普段の生活についても、ここのルールを把握しなきゃなって」
 でないと、命に関わりそうだ。
「のん子なら大丈夫よ!」
 先輩……あんまり信用できません。



 数日後、この番組の試写会が行われたのですが、おおむね好評だったようです。その……
「世間の常識を思い出すことができたような気がする」って。





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