オリジナルブレイブサーガSS
Shout



 先日のトリニティ襲撃により、ぼこぼこのべこべこにされたラストガーディアン。現在は秘密ドッグで修理点検の毎日である。
「よし。整備班新人に連絡がついた。全員、明日には指定場所に集まれるとのことだ」
 艦外の後方支援スタッフとの通話を終えて、受話器を電話に戻す。
「回収のほうもだいじょぶアルよ。マッコイ大姐が仕入れの帰りに拾ってくれるネ」
 ぐっと親指を立てて、報告主はにんまりと笑った。
 ぼろぼろのヨレヨレ状態となったラストガーディアンの修復は1日でも早いほうがいい。修理は、不眠不休の24時間態勢で行われていた。しかし、どうにも手が足りない。
 そこで、整備班は、着任待ちの新人に目をつけた。一日も早い彼らの受け入れを、艦の管理部であるブリッジに要請。ブリッジはこれを承諾した。ブリッジからの指示を受けて動き出したのが、後方である。
 後方とは、伝票整理を中心に事務関係の雑事を担当する部署のことだ。所属は二名。後方という名前よりも、リー兄妹という呼び名のほうが何倍も有名だった。
 兄の名前は、ジェームス。髪をオールバックにして、楕円形のメガネをかけた気難しげな人物である。
 妹は、ケイ。やはり楕円形のメガネをかけている。目は糸のように細く、起きているのか寝ているのか、今いち判別がつきづらい。
「艦内ルールの説明は、彼女にやらせろ。乗艦後は、部屋に案内。IDカードの配布は移動時間に行え。荷解きは後回し、五分で着替え、すぐに整備班へ引き渡す」
「ハオ。──だいじょぶアルか?」
「さあな。だが、これぐらいで折れるようなら、長続きはせん」
 ジェームスは、ふんと鼻を鳴らす。
 彼ら兄妹が常日頃仕事をしているところは、生活班事務所の一角であった。その壁には、10数枚ほどの紙が貼られている。いわく、 『ラストガーディアン日常訓示』
 たとえば、『1に図太さ2に体力、34がなくて5に諦め。開き直ればパラダイス』その横に小さくケイ・リーとあった。その隣は『朱に染まるが吉』『良く食べ、良く寝ろ、良く働け。仕事を楽しめ、日々研鑽』など、力強い筆跡で書かれた訓示が並ぶ。その中で一際大きな輝きを放っているのが、この言葉。
『ロボ愛&メカ萌至上主義。』
 まさに整備班のための言葉と言えよう。整備班は、自分のことは2の次3の次。ロボットやマシンへ惜しみない愛情を注げる人間でないと勤まらない。
「それもそうアルな」
 冷たいともとれる兄のせりふに、妹はあっさりうなずいた。
「とはいえ、ただ優秀なだけのスタッフは、ここにはいらん。この艦が求めているのは、図太く順応性の高い優秀なスタッフだ」
 同じ部屋で仕事をしている生活班の人々も、その通りであると力強くうなずいた。ここで働けるのは、ピアノ線くらいの頑丈な神経の持ち主か、ナイロンザイルのような極太の神経の持ち主。もしくは、柳の枝や竹のようにしなやかでないと無理である。
 新人の着任は、ほとんど毎月あるが、ラストガーディアンになじめるのはごく少数であった。退艦理由はさまざまだが、そのほとんどがここで暮らしていく自信がなくなった、というものである。まあ、今までのあれやこれを思えば、無理からぬことではあるが。
「そういう意味ては、カノジョ期待できるネ。神楽崎サン、赤沢サンの推薦つきヨ」
 ケイが手に取ったのは、履歴書のコピーだ。写真の貼付欄には、まだ10代の少女の姿がうつっている。
「だといいが」
 履歴書には、黒羽根暦と書かれていた。



「ニーハオ。よく来たアル。ワタシ、ケイ・リー言うよ。今日、一日よろしくアル」
 ラストガーディアンへの連結橋で今月最後の新人を出迎えたケイは、にこやかに笑って手を差し出した。
「黒羽根暦ですわ。あたくしの方こそ、よろしくお願いいたします」
 ケイが差し出した手を握り返した少女は、とても愛らしい笑顔を浮かべている。暦が着ているのは、淡いグリーンの小花模様のワンピースに同じ色のオーバーワンピース。どちらもリボンとレースをふんだんに使った、可愛らしいもので、ラストガーディアン艦内ではあまり見かけない服装だった。手荷物も藤製のバスケットに詰め込んできたらしい。
 まさしく、お嬢さま。雑誌の中から抜け出てきたかのような彼女の姿に、ケイは内心目を真ん丸くしていたのだが、そんなことはちっともおくびにも出さず「最初は、部屋に案内するヨ」
 いたって平然とした態度で、暦を先導していく。案内されるほうも、表情は変わらない。
「一般スタッフ、ふつうは2人部屋ヨ。でも、黒羽根サン、まだルームメイトいないネ」
「では、当分の間は1人部屋ということになりますわね」
「ハオ。でも、いつ新人さん来るか分からないアルから、荷物広げる、お薦めしないネ」
「分かりましたわ」
 居住区へ向かう間も、ケイはいろいろと暦に質問した。ありきたりなところで、ラストガーディアンの第一印象。赤沢卯月や神楽崎麗華から推薦をしてもらったいきさつなど。また、移動途中にBANスタッフとしての順守事項や、ラストガーディアン内でのルールなどを明記したテキストに目を通したか、なども確認した。
「ええ。一通り目を通してますわ」
「ハオ」
 それならいいと、ケイは小さくうなずく。
 やがて1つのドアの前にたどり着いた。
「ドアは暗証番号の入力か、IDカードのスキャニングで開くアル。カードは後で渡すアルよ。暗証番号は、ジブンで設定するネ」
 ぴぴぴっとテンキーを操作したケイは、一歩横にずれて、暦に暗証番号を入力するよう促した。少し考えるそぶりをみせた少女は、最大何桁なのかを、ケイにたずねる。
「最低4桁ネ。最大は16桁」
「分かりました」
 ぴぽぱぱぽぽぴっと、暦はためらうことなく番号を入力していく。
「もう1回入力するヨ。これで、登録完了。次からは1回の入力で開くアル」
 少女はもう一度同じ番号を入力した。入力が終わると、ぷしぅっというエアの抜ける音とともにドアが開く。
 今朝まで暦が使っていた部屋とは比べものにならないくらい狭い部屋である。備え付けられているのは、簡易キッチンとユニットバス、それにクローゼットと2段ベッド。ベッドの頭側には、収納式の机が備わっている。
 それらの使い方を簡単に説明したケイは、クローゼットを開けて、
「とりあえず、郵便部の制服を着るネ。制服、ジャケットとブラウスだけでボトムは決まってないヨ。ワタシ、動きやすい服、お薦めするアル」
 あらかじめ用意しておいた、郵便部の制服を暦に手渡した。
「……動きやすい服……ですか?」
 制服を受け取った暦は、困ったように眉間にしわを寄せた。彼女が普段着ている服は、ロングスカートが中心である。
「なければ、購買でそろえればいいネ。購買で揃わないモノないアル」
「そう……ですか。では、後で購買をのぞいてみることにいたしますわ」
「艦内の案内もかねて、これから行くアル。とりあえず、上着だけでも着るよろし」
 ケイに促され、暦はオーバーワンピースを脱ぎ、上着に袖を通した。
「では行くアル」
「はい」
 さっさと靴を履いて部屋の外へ出て行ったケイを、暦は急ぎ足で追いかける。



 それから小1時間ほど経った頃。先日、ラストガーディアンへやって来たばかりのブレイブナイツの面々が某所に呼び出された。
「あれ? ブリットはどうした?」
 整備班の手伝いを抜け出して来た龍門拳火が、ブリッツァー=ケイオスの姿がないことに軽く目を見張る。彼は、理由もなく時間に遅れるような人物ではない。
「ブリットさんなら、報告会のほうに顔を出されてます。修理ついでに艦の設備に少し手を加えたそうで──」
 ユマの返事に、その場にいた面々は大いに納得した。先日の戦闘における彼の采配は見事としか言いようのないものである。ブリットの意見は、これからの戦いにおいても重要なものとなるだろう。
「時間に遅れるわよ」
 集合場所に指定されているミーティングルームのドアを指さし、龍門水衣が淡々とした声音で言う。
 ガンガンッと、いささか大きな音で扉をノックしたのは、獣虎陸丸だ。
「何やってんのよ! 音、大きすぎ」
「こんなに大きな音がするなんて思わなかったんだよっ」
 獣のような耳と尻尾を持つ少女に注意された少年は唇をとがらせた。
「鈴こそ、何でそんなに尻尾パタつかせてんのさ?」
「こっこれは、別に……何でもないわよ!」
 少女はぷいとそっぽを向く。
「何を騒いでいる」
 ミーティングルームの中から出て来たのは、髪をオールバックにして、楕円のメガネをかけた青年であった。ラストガーディアンの一般スタッフ用の制服に、腕カバーといういで立ちである。
「早く入れ。時間の浪費は罪だ」
 ドアを大きく開けた彼は、実にそっけない口調で彼らに言った。
 何だか偉そうなやつだなと、拳火は鼻を鳴らす。とはいえ、自分たちを呼び出したのは彼に違いないのだろうから、5人はおとなしく部屋の中へ入った。
 ミーティングルームには先客がいた。
 両サイドの髪をポニーテールのようにリボンで結び、ブルーの上着を着た少女である。
 5人がラストガーディアンにやって来てから数日経つが、見覚えのない少女だった。
「適当に空いている所に座るといい」
 ミーティングルームには、折り畳み式の机が6つ並び、それとは少し離れたところに1つ並んでいた。離れた机の後ろにはホワイトボードが立っている。
 ホワイトボードの前には、一人の女性が座っていた。細い目、楕円形のメガネをかけ、女性スタッフ用の制服に袖を通している。
「ブリットさん、どうしたネ?」
 女性が口を開いた。
「ブリットさんなら、報告会に出席していてここには来られないんです」
 空いている席に座りながら、ユマが答えた。
「そうか。なら、始めよう。私はジェームス・リー。こっちは妹のケイ・リー。我々二人で、後方関係の担当をしている」
「簡単に言うと、伝票整理と新人の受け入れしてるネ」
 兄ジェームスは立ったまま、妹ケイは座ったまま口を開く。
「諸君に集まってもらったのは、これを渡すためだ。君たちは、マッコイ大姐が突然連れて来たものだから、着任に間に合わなかった」
 ジェームスは言いながら、メンバーの名前を読み上げ、一枚のカードをその机の上に置いて回る。
「なあに、コレ?」
 早速カードを手に取り、鈴はしげしげとカードを見つめた。その隣では陸丸が、同じような顔でカードを眺めている。
「諸君のIDカードだ。艦内での生活には必要不可欠な物だから、無くさないように」
「もしも、無くしたりしたら、地獄のフルコースご招待アルよ」
 ケイがまじめな顔で言う。
「これは、ブリットくんのカードだ。君の手から彼に渡しておいてくれ」
「は、はいっ」
 緊張した面持ちで、ユマはブリットのカードを受け取る。その前では、拳火が「ブリットくん?」聞き馴れない言葉に、魚の小骨が喉に引っ掛かった時のような顔をしていた。
「そのカードの使用について、注意点があるので、覚えておくように」
「聞いてない、知らないは、通用しないアル」
「まず、そのカードは自室などの鍵として使用される。また、一般職員や各部署への応援者は、それで出退勤などの勤務管理も行っているので、出勤・退勤の時には必ずスキャンを行うように」
「スキャンを忘れた時は、忘れず上司に申告するアルね。放っておくとお給与がきちんと支払われなかったりするアル」
「また、艦内での売買行為は、そのカードを通して行われている」
「残高には注意するよろし。残高照会は、部屋の端末でできるアルよ」
「艦外では、ATMなどでのキャッシングも可能となっている。もちろん、クレジットカードとしても使うことは可能だ」
「ご利用は計画的に。テレビCMでも言ってるネ。クレジットとして使った場合、支払い方法によっては手数料取られるアル」
 するすると『ご利用は計画的に』と書かれた小さな横断幕を広げ、ケイが言う。彼女は兄が注意点を述べるたびに、オーバーリアクションで補足説明を入れていく。
 何というか、新手の漫才みたいである。
「では、私からは以上」
 ジェームスは、ケイの隣に座った。かわりにケイが立ち上がる。
「そこに座ってる、黒羽根暦、言うヨ。明日から郵便部で働くネ。ほぼ同じ時期に、同じ年代のコがここへ来たのだから、これも何かの縁ヨ。仲良くするよろし」
 ケイに紹介された暦は、席を立って「よろしくお願いいたしますわ」と頭を下げた。
「では、これで終わりヨ。わざわざ集まってもらってすまなかたアル」
 と、いうことで解散。ミーティングルームにいたのは、10分にも満たない時間だった。
「これだけのために呼ばれたのかよ」
 部屋を出た拳火は、不満顔でつぶやく。彼が手伝いをしている整備班は、忙しさのピークを越えたとはいえ、まだまだやることは山積みだった。
「彼女と私たちを会わせたかったんでしょ」
 一番最後に部屋から出て来た暦に、水衣は目を向け、軽く目を見張る。
 暦の着ている、リボンとフリルたっぷりのワンピースに驚いたのだ。
「今日はもうお部屋に戻られるんですか?」
「いいえ。あたくしは、これから格納庫の方へ参りますわ」
 ユマの質問に、暦は首を左右に振って答える。格納庫ならば、拳火にとってなじみの場所だ。そんなところに何をしに行くんだと、たずねれば、暦はふぅと小さくため息をつく。
「購買部のマッコイ姉さまから、格納庫へ行ってある物を受け取ってくるように言われておりますの」
「マッコイ姉さんから?」
 購買の手伝いをしている水衣は、ぱちぱちと瞬きをした。暦が配属になる郵便部は、購買部の妹分だと言っていたような気がする。  ここ2、3日、マッコイ姉さんがご機嫌だったのは、暦がくることを知っていたからだろうか。
「ええ。葉月お姉さまから、絶対に行くようにと言われておりますし……」
「あたしも行っていい?」
 なんか面白そうと、鈴は目をきらきらさせて、暦を見上げた。
「もちろんですわ」
 にこりと笑った少女は、では、参りましょうと歩きだす。
「私も行きます〜」と、Bウォッチでの通信を切ったユマが追いかけて来た。
「ブリットさんも格納庫の方にいらっしゃるみたいなので」
「待って。オレも行く!」
 少し遅れて、陸丸がやって来る。
 水衣は購買が関係しているなら、拳火は格納庫に行くのならという理由で、結局全員が格納庫に向かうこととなった。



 そして格納庫。
「ブリットさん!」
 ユマはこちらに向かって歩いて来る長身の青年の姿を認めて表情をほころばせた。
 向こうもこちらに気づいたらしく、分かる人にしか分からない、変化が顔に表れる。
「ブリットさんのカードを預かって来ました」
 ポケットから彼の分のカードを取り出し、ユマは手渡す。手渡されたブリッドは、「そうか」と一言。カードをポケットにしまった。
「む? 何だ貴様は?」
「黒羽根暦と申します。こちらの格納庫で、マッコイ姉さまからある物を受け取って来るように言われておりますの」
 横柄とも取れるブリットの態度に気を悪くした様子もなく、暦は微笑みを浮かべて会釈をし、ここへ来た理由を述べた。
「それらしき物をご覧になっていらっしゃいません?」
「それなら、その先に妙な物が置いてあったが──」
 顎をしゃくって示した彼に、暦は丁寧に頭を下げて礼を言う。拳火はちょっと目を丸くして「お前、この態度に腹立ったりしねぇの?」とこっそり耳打ちをした。
「わざとでしたら、おなかの中から小腸を引きずり出してリボン結びにしてさしあげるところですけれど、そうではないでしょう?  でしたら、怒るだけ無駄ですわ」
 落ちて来た髪をさらりとかきあげ、暦は言った。本当にやりかねないように見えるところがコワい。鈴と陸丸の口から「ひえぇぇ」と小さな悲鳴が上がる。
「あたくし、無駄なことはできるだけしたくないんですの」
 暦はふふっと微笑んでみせる。
「……いつの間にこんなモン……」
 ジェームスに呼び出されるまでは格納庫で働いていたのに、この存在には全く気がつかなかった。
「知らなかったの?」
「俺が居たときにはなかったぞ、こんなモン」
 冷ややかな水衣の声に、拳火は何とも言えない生ぬるい表情を浮かべ、扉を指さす。
 黒塗りの重厚な造りの扉は、ずももぉ〜んと格納庫に鎮座していた。高さは6メートルくらいだろうか。扉の上部には『資格なき者の立ち入りを禁じるっす〜』などと書かれてあった。
 早くも嫌な予感満載である。
「何、怖いの?」
 気後れしている陸丸に、鈴は意地の悪い口調で声をかけた。少年は、あからさまにむっとなり、言い返す。
「そっそんなわけないだろ! そういう鈴こそ怖がってるじゃんか」
 少女の耳と尻尾が下に下がっていることを指摘した。とたん、鈴の耳がピンと立ち上がり、尻尾はぶわっと膨らんだ。
「何ですってぇ!?」
「何だよ?!」
「ちょちょっと、二人ともケンカはやめてください」
 あわててユマが間に入るが、年少組のケンカはおさまりそうにない。少女は助けを求めて、水衣やブリットに視線を送る。が、二人とも放っておけとばかりに、目の前の扉を観察していた。拳火も扉が気になるようで、コンコンとノックをしている。
「俺のマイトで溶かしてやろうか?」
 後ろを振り向き、赤毛の少年はニヤリと暦に笑いかけた。
「そこに読み取り装置があるわよ」
 扉の横に設置されている読み取り機器を指さし、水衣が冷ややかな口調で言う。
「ふっ。このあたくしの前に立ち塞がるとは、いい度胸をなさってますわね! いいでしょう。このあたくしに不可能などないということを頭の先から足の先、骨の髄まで分からせてさしあげますっ!!」
 ずびしぃっ。目の前に立ち塞がる扉を指さし、暦は高らかに宣言。装置に自分のカードを読み取らせ、扉を開ける。
「すげーけど、何か違くね?」
 拍手を送りながら、拳火は首をかしげた。
「ズレてますね」
 ユマは苦笑いを浮かべている。鈴と陸丸の当てこすりも、いつの間にやら中断していた。多分、暦の迫力に圧倒されたのだろう。水衣とブリットは、分かる人にしか分からない笑みを浮かべていた。
 暦はためらうことなく、扉の中へと入っていく。マッコイ姉さんからの贈り物よりも何よりも、黒羽根暦という人物の言動に多大なる興味を覚えた拳火たちが、その後についていく。
 扉の中は薄暗く、どこに続いているのか、全く想像ができなかった。
「どこまで行くわけ?」
 鈴の疑問に答えられる者はだれもいない。
「……というより、明らかに構造がおかしいんですけど……」
 ラストガーディアンの大きさと格納庫の位置、扉のあった場所、歩いた長さなどを考えると、とっくに戦艦の外に出ていないとおかしいのだが。ユマはこめかみに人差し指を当てて、う〜んと考え込んでいる。
「エリィが言うには、ここで起きることは、あまり深く考えない方がいいらしいわよ」
「ここじゃ何が起きても不思議じゃねぇって、志狼も言ってたな」
 水衣や拳火と違い、ユマが説明のつかない事象を受け入れるのには、些少の時間がかかるのだ。
「あ! ドアがあるよっ」
 たたたっと駆け出す陸丸少年。先ほどの扉のようにカードの読み取り機器がないか探すのだが、どうにも見当たらない。
「何もありませんわね」
 気難しい表情で、暦がドアに手を触れる。すると、パンパカパーンとファンファーレが鳴り響いた。ぱっと光が灯り、場が明るくなる。ドアには、両手を広げたくらいの大きさがあるタッチパネルのような物が組み込まれていた。
『れっつぷれい!』
 ちかちかとパネルの上で文字が踊っている。
「なんだあ?」
 拳火が目を真ん丸くしていると、パネルに幾つものボタンが表示された。
「このボタンを押せばいいの?」
 1つ1つのボタンは、3本指くらいで押すとちょうどいいような大きさである。鈴がしげしげとのぞき込んでいると、『あーゆーれでぃ?』の文字が。
「えっ?」と驚きの声を挙げて鈴が一歩下がる。とたん、ボタンが、ちかちかっと光り出した。
「は、はじまっちゃった!」
 何が何やら分からないままに、ボタンの点滅が終了する。『りぷれい?』とパネルに表示され、その下にイエスとノーのボタンができた。鈴は迷うことなく、イエスのボタンを押す。再び、ボタンが光り始めた。
「……最初はこのボタンだったよな?」
 拳火が1つのボタンを押し、次はこれと別のボタンを押す。
「はずれ」
 ばかっ。
「へ?」
 水衣の「はずれ」と何かが開く「ばかっ」は全く同じタイミングであった。
「うぉおぉっ?!」
 拳火の足元に突然落とし穴が! そしてその下から、昔ゲームセンターで人気を博したピンクのワニが大きなサイズで現れる!
『食ぁべちゃうぞ〜』
「ぬぉぉぉぉぉ」
 拳火、ワニの大口から逃れるため、180度開脚を披露。ちょっとでも気を抜けば、ぱくんっとやられてしまう。
 1分後、ワニは穴の中へ帰っていった。
「どうなってんだ、ここはっ!?」
 ぜえぜえはあはあ、肩で呼吸をしながら拳火が吠える。
「マッコイ姉さんがプロデュースしたのなら、これくらい普通だと思うけど」
 水衣は常に冷静であった。

 ──拳火の回復タイム──

「もう1回やってもらったほうがいいよね」
 陸丸は言うと、りぷれいの下のイエスに触れる。パネルは再びちかちかと点滅しだした。
「最初はこれで、次がこれ。で……えっと、どれだっけ?」
「ちょっと、最初の2つしか覚えてないのに、ボタンを押したの!? もうっ。次はこれっ」
 鈴が陸丸の行動を非難し、ボタンを押す。
 ばかっ。
「えぇ?!」
「鈴ーっっ!!」
『ぱっくんちょっ』
 哀れ、年少組はワニの餌となってしまった。
「鈴ーっっ!? 陸丸ぅっっ?!」
「二人とも大丈夫ですかっっ!?」
 あわてて穴の中をのぞき込み、拳火とユマが少年少女の救出に取り掛かる。水衣は、額に手を当て、小さくため息。ここにいるのが暦一人だったら、マッコイ姉さんは、どうするつもりだったのだろう。
「はにゃほれ」
「ひれはれ」
 救出された陸丸と鈴は、目を回していた。
「……これは貴様の試練じゃなかったのか?」
 腕を組んで壁に寄り掛かっているブリットは、暦に目を向ける。
少女も腕を組んで、じぃっとパネルに見入っていた。暦は上半身と指先、つま先をわずかながら動かしている。
「分かっていましてよ」
 難しい顔をしている少女は、ブリットの方を見ることなく答えた。
「大丈夫です。ボタンの点滅する順番は私が覚えましたから」
 むんっと胸の前で拳を握ったユマ。パネルの前に立ち、少しのちゅうちょもみせずに、ボタンに触れていった。
「さすが、ユマっち!」
 拳火が称賛の声を上げた直後、
 ばかっ。
「ええっ!?」
 3度、ワニの巣への入り口が開いた。
「させないわ」
 抑揚のないつぶやきとともに、水衣は腕をすっと横に走らせる。とたん、開いた落とし穴の上に氷がはられたのであった。


「……何なんスかね、コレ……」
 ウィルダネス組の生息地にて、珍しくまったりとした時を過ごしていた御剣志狼は、頭の上を指さす。温かい液体が額を伝って、つつぅーっと鼻筋へと流れて来る。
「ワニですね。ずいぶん小さいですが……」
 志狼と並んでお茶をすすっていたイサム・ヤクシジのこめかみに冷や汗が浮かんだ。
 こういうことをしそうな人物として真っ先に候補に上げられる者は、彼らの後ろにいる。
 1人目。物質転送能力で、どこからかワニを連れて来れるトーコ。
 2人目。精神物質化能力で、ワニを作り出せるジャンク。
 だがしかし、トーコは兄の腕を枕にし、ジャンクは妹を抱き枕のように抱えて昼寝の最中であった。
 犯人とは考えにくい。
 真上を見てみるが、キャットウォークに人影はなかった。
「──とりあえず、傷の手当をしましょうか」
「うっす」
 ワニの上顎と下顎に手をかけて、志狼は自分の頭から災難の主を引きはがした。


 まさかリーダーに災難が及んでいるとは露知らず、ユマは「ありがとうございます」と水衣に頭を下げる。
「順番は合っていたはずだが?」
 眉間に皺を寄せるブリット。そんな彼に暦は冷ややかとも取れる言葉を投げた。
「ええ。順番は合っておりましたわね」
 氷の上に座り込んでいるユマに手を貸して彼女を起こし、暦はパネル前に仁王立ち。
「自信を持ってくださいな、ユマさん。順番は合っておりましたわ。でも、リズムが違っていましてよ」
 暦は言うと、いきなり解答ボタンを押していく。そんなことをして大丈夫なのかと、控えていたメンバーは目を丸くしたが、落とし穴は開かなかった。
『ぱーふぇくと。では、これはなに?』
「ビゼーの《カルメン》より〈前奏曲〉」
 パネルの問いに、暦は即答する。
「な、なにそれ?」
 目を白黒させている鈴に、オペラの曲ですわと暦が答えた。
 パネルには次の問題が表示される。
「これも、オペラの曲なのか?」
 ちっ、ちかっちかーっと、やはりボタンが点滅した。拳火の問いかけに暦は、でしょうねと短い返事。
「こういう繰り返しだったよな?」
 考え考え、拳火はボタンを押して、失敗。
「ぐふぅあっ!?」
 今度は真横から鉄拳が飛んで来た。
「反応が鈍いわ」
「くっそ〜。もう1回だ!」
 姉の辛辣な評価に、拳火は奥歯をぎりぎり言わせながら立ち上がる。
「……あなた、何を考えてらっしゃいますの?」
「あれを避けてやるに決まってるだろ!」
 少年は、きっぱり断言した。志狼がいれば、「違うだろ!」とツッコミが入るのだろうが──あいにく彼は、この場にいない。
「次は、簡単に避けてやる!」
 ビシッ。暦の額に青筋が浮かんだ。
「あたくしの邪魔をするなら、引っ込んでいなさい、この金目鯛カラーッッ!!」
「きんっ?!」
 なんじゃそりゃあ、と拳火がぎょっと目を丸くした。どこに鯛との共通点があるんだと、思わず我が身を確かめる。──と、
「あたくし、障害物には容赦しなくッてよ!」
 叫ぶと同時にハズレボタンをぽちっ。と同時に、バックステップで後ろに下がり──
「がふっ!?」
 拳火に鉄拳、炸裂。
「簡単に避けてくださるんじゃなかったんですの?」
「いっ今のはひきょーだろ」
 脇腹を押さえてうずくまる少年を、暦はふんっと鼻で笑い飛ばす。
「攻撃の予告をする敵がどこにおりまして?」
 ふわさっと髪をかきあげる、黒羽根暦、16歳。両手を腰に当てての見事な仁王立ち。その立ち姿には、並々ならぬ迫力がある。
「あわわわわ」
 陸丸と鈴は、逆らってはいけない人物が御光臨あそばされたと、部屋のすみっこにて縮こまっていた。
「全く。問題に最挑戦するというのならまだしも、ペナルティに挑戦したいだなんて、何を考えてらっしゃいますの?」
 暦はぶつくさ文句を言いながら、べちべちべちとボタンを押していく。これもノーミスでクリアし、
「ワーグナーの《ワルキューレ》より、〈ワルキューレの騎行〉」
 この後に続く3問目、4問目、5問目も暦はパーフェクト解答。あっさりと扉を開けたのだった。
「お見事」
 水衣の称賛も、少女は当たり前のものとして受け止める。なぜなら、この試練は、暦のために用意されたものだからだ。
「さ、参りましょう。それとも、こちらでお待ちになられます?」
 このような挑発的な物言いをされると、拳火が引き下がるはずもなく、一行は彼女と共に先へ進んでいく。
「ずいぶん詳しいようだな」
 斜め後ろから降って来た声に、暦は肩越しに振り返った。嫌味も感嘆も含まれない、事実だけを述べた淡々としたブリットの声音に、暦は好感を持つ。誇らしげな笑みを口元に浮かべ「あたくし、将来、そちらの道に進もうかと、真剣に考えておりますの」
「そうか」
「ええ」
 暦とブリットの会話を、ユマは後ろで聞いていた。彼が、自分から誰かに声をかけるのは珍しい。しかも、相手は女のコ。
 威圧的、近寄り難い、何か怖い。女性陣の多くは、ブリットをそう評価している。
 そんな中、暦は、彼の態度を平然と受け止めていた。ブリットの方も、暦には好印象を持ったようである。
 ユマの表情は見る見るうちに沈んでいった。眉間には深いシワ、唇はへの字に結ばれ、顔はうつむき加減。前を歩くブリットの背中をジトーっと上目使いで見つめる。
 手は、無意識のうちに自身の髪に触れていた。暦の真っすぐでさらっさらの髪とは違って、ユマの髪はクセが強い。
 ため息と共に目線を下に落とせば、自分の着ている服が目に入った。ゆったりした黒いパンツとカットソー。暦は、女のコらしい淡いグリーンのワンピースを着ている。
 ああいう服装が好みなのかしらと、ユマは自分のカットソーの裾を引っ張った。
「大丈夫よ」
「はっはいっ?」
 ぽんと肩に手をおかれ、ユマはあわてて顔を上げた。隣を見れば水衣が微笑んでいる。
「大丈夫。あなたが心配しているようなことにはならないわ」
「わっ私はべつに……」
「あれだけ顔に出しといて、何言ってんだよ」
 水衣とは反対側の肩に手をおいたのは拳火であった。ユマの顔から湯気があがる。
「水衣姉ぇの言うとおり、心配なんてしなくても大丈夫だって」
 とは言え、回りからどれほど大丈夫だと太鼓判を押してもらっても、不安になってしまうのが世の常だ。
「えぇ……」
 ユマが浮かべた笑みは、かなりぎこちなかった。拳火がブリットに殴り掛かりたい衝動に駆られるほどに、その笑顔は痛々しい。
「あ! 次の部屋だっ!」
 彼の衝動をぎりぎりの線でおし止めたのは、先頭を歩いていた陸丸の声であった。見れば、前方に開けた場所があるのが分かる。
「猫ぉ───っ!」と叫んだのは鈴だった。
「まあ」
 部屋に入った暦は、口元に手を当て目を丸くした。10人くらいが入れる部屋の中央に、ポテトチップスの段ボール箱がおかれ、その中に子猫が3匹入っていたのである。
「見て見て、すっごくカワイー」
 1匹の子猫を抱いた鈴は、水衣とユマの元へ駆け寄った。少女の腕の中で小さな黒猫が、むにむにとむずかっている。
 気難しげだったユマの表情が、ほころんだ。それを見た水衣の表情も優しくなった。
「こんなところに子猫を閉じ込めるなんて、何を考えてらっしゃるのかしら?」
 両手を腰に当て、暦はぷりぷり怒っている。
「よく見ろよ。こいつ、ロボットだぜ」
 子猫の首後ろをつまみあげ、拳火が暦の前にぶら下げた。
 なぁ〜ぉ。
「……ロボットですの? このコが?」
 目の前の黒猫を暦は、しみじみと見つめる。が、頭の上ではクエスチョンマークがサンバを踊っている。
「このコたちの目をよく見てください。カメラみたいになっていますから」
 鈴から子猫を受け取ったユマが、暦に言った。
「抱き心地もちょっと違うよ」
 残る1匹を腕に抱いた陸丸は、猫をあやすように喉を指先でかいてやっている。少年の腕の中で、子猫は気持ち良さそうに目を細めていた。
「────ああ! 本当ですわね」
 ようやく気づいたらしい。心底驚いたような声を出した暦に、拳火は一言。
「にぶっ」
「先程の一件をお忘れ? あなたとはこれで、一勝一敗の引き分けでしてよ」
 暦はふんと鼻を鳴らす。いつから勝負になったんだろう? と陸丸は首をかしげた。
「貴様が受け取る物というのは、それのことじゃないのか?」
 ブリットが持ち上げたのは、空になった段ボール箱である。箱の側面には『拾って下さい。』と油性マジックで書かれてあった。
「このコたちがあたくしの受け取る物?」  拳火から子猫を受け取った暦は、腕の中の黒猫をしみじみと見下ろす。その時だ。
『ふははははーっす。さすが暦っち。難無くここまでたどり着けたようっすね』
 ぶぅんとモニターの起動音がしたかと思うと、壁面一杯にサングラスをかけたマッコイ姉さんの姿が映し出された。
「マッコイ姉さん」
『ノンノン。この姿の時はボスマッコイと呼んでほしいっす』
『そしておいらは、哀愁のぽすとめ〜んでやんす』
 ボスマッコイの隣で、郵便局の職員のような人形がぱくぱくと口を動かしている。
 その声に聞き覚えがあるような気がして、陸丸と鈴が、ん〜っ? と首をかしげた。
「では、ボスマッコイ。あたくしが受け取るものというのは、このコたちのことですの?」
 暦が抱いていた猫が、するりと腕の中から抜け出し、左肩に乗り、首後ろを回って、右肩におさまった。それを見た2匹の猫も、アタイたちもそっちがいいとばかりに、陸丸、ユマの腕の中から抜け出し、左肩に飛びつき、最後の1匹は頭の上に飛び乗った。
「……あなたがたねぇ……」
 腕を組み、暦が嘆息をもらす。あまり重いと感じないのがせめてもの救いである。
『もう懐かせてしまったっすか。そのコたちはまだ名前が決まっていないっす』
『かわいい名前をつけてやってほしいでやんす』
 モニターの中で、ボスマッコイとぽすとめ〜んが笑っていた。
 なぁ〜ごぉ〜……  ドンッ!
『なっなんでやんす?!』
 ぽすとめ〜んがあたふたと手を動かす。
 ドンッ!
 部屋が揺れる。
 なぁ〜ごぉ〜
「ばっ化け猫!?」
 正面から現れた巨大な黒猫に、部屋にいた全員が目を丸くする。
暦の肩と頭の上にいる子猫たちと違い、こちらは目が完全にイッてしまっていた。
「マッコイ姉さん!?」
『ボスマッコイっす。おかしいっすね。こんな大きな猫ロボット、誰が発注したっすか?』
『リー兄妹に問い合わせてみるでやんす』
 じ〜ころろ〜じ〜。机の下から昔懐かし黒電話が出て来て、受話器を取り、ぽすとめ〜んがダイヤルを回す。
「ンな悠長なことやってる場合かよ?!」
 ポケットからグローブを取り出して装着し、拳火は吠えた。水衣も同様にグローブを装着する。
 化け猫は今にも襲い掛かって来そうなのだ。
「鈴と暦さんは、下がってて!」
 両袖から棒を取り出して合体させ、さらに背中から棒の先端に取り付ける刃を取り出す。愛用の槍を構えた陸丸は、その切っ先を化け猫に向けた。
 なぁ〜ごぉ〜……
 化け猫は身体を低くして、こちらの様子を伺っている。
 ユマも銃を抜いて構えた。ブリットは、銃を抜きこそしないものの、必要だと判断すれば瞬時に抜く構えだ。
「気に入りませんわ」
 ぽつり、暦がつぶやく。
「気に入らないって、何が?」
 彼女のそばにいた鈴が、彼女を見上げた。その目には純粋な疑問が浮かんでいる。鈴と目を合わせた暦は、ふっと口元を緩めた。
「これは、あたくしの試練です」
「何言ってるの?! マッコイ姉さんだって、あの化け猫のことは知らないって!」
 鈴の激高に、モニターから『ボスマッコイっすよ〜』と緊張感のないツッコミが入った。
 ボスマッコイのツッコミを聞き流して、暦はふんと鼻を鳴らす。きっと眉間に皺を寄せ、「あたくしが、あたくしの試練だと言えば、あたくしの試練ですわ!」叫んだ。
 何を言い出すんだと、全員の視線が彼女に集まる。
 が、暦はそれを一顧だにしない。
 大きく息を吸って、腹に力をためる。
 頭の上、肩の上の猫たちは、慌てて前足で両耳を押さえた。
 高まれ、集中力。
 限界突破だ、腹筋力。
 目指すは、世界の大舞台!

「おとなしくしてなさいっっっ!!

 このっ暴走化け猫ぉぉぉ─────っっっっ!!!」


 この日、地上にあるラストガーディアンが揺れたという。


「ぐぅっ!」
 その頃、ウィルダネス組の生息地。イサムの横で、彼の手作り饅頭をほお張りながら、まったりしていた御剣志狼。
「↑♯←★◆◎↓◇☆§!?」
 饅頭を喉に詰まらせた。
「大丈夫ですか!? 志狼さん?!」
 イサムの声に答えることもできない。
 どんどんどんっ。志狼は、胸を左拳で連打しながら、右手を湯飲みに伸ばし、がぶりと一口。
「ぶぁっちゃ?!」
 湯飲みの中身は、熱いお茶であった。
「グレイス! 水を──!」
「はい。ただいま!」
 舌の火傷と息苦しさに、志狼は身もだえする。
 そんな騒ぎの中でも、ジャンクとトーコとユーキ(増えた)は、すぴ〜っと幸せそうに昼寝を満喫していたのだった。


「みっ耳がキ───ンだよぅ〜」
 目をぐるぐる回しながら、鈴が訴える。他のメンバーも反応は似たようなものだ。唯一防御が間に合ったブリットも、ちょっとツラそうにしている。
『すっすごい声でやんすぅ〜』
『これがうわさのハウリングボイスっすか』
 机につっぷしながら、ボスマッコイは息も絶え絶えにつぶやいた。ぽすとめ〜んは、下の人がつぶれているらしく、声はすれども、姿は見えない。
「ふんっ。あたくしに不可能はないと言ったはずです」
 黒羽根暦、完全勝利の仁王立ち。
 彼女の目線の先には、引っ繰り返って泡をふいている化け猫がいる。
「さて、ユマさん? あたくしのお願いを1つ、聞いていただけません?」
「おねがひれすかぁ?」
 上半身をぐるぐる回転させながら、ユマが虚ろな声で言った。
「ええ。あなたは、こういう方面にお詳しいのでしょう? お伺いしておりますわ」
 にっこりと笑う暦を、我に返ったユマは、きょとんとした顔で見つめ返す。
 暦のお願いというのは、化け猫のAIを再教育することであった。
『私からもお願いするっすよ〜』
『お願いするでやんす〜』
 モニターから、まだヘロっているボスマッコイとぽすとめ〜んの声がする。
「はあ……分かりました。調べてみます」
 そして調べた結果、AIは再教育が可能とわかり、ユマはその教育方針をたずねに、暦に会いに部屋を訪れた。
「こんばんは。どうですの? あのコは更生できますの?」
「こうせ……ええ。大丈夫ですよ」
 ユマは力のない微笑みを浮かべる。どうしても、昼間の──暦とブリットが親しげに話をしていたことを思い出してしまって、普通に笑うことができない。
 暦は、眉間に皺を寄せて目をテンにするという荒業を繰り出した。トドメが特大のため息である。
「お節介だとは思いますけれど、あなた、もう少しご自分に自信をお持ちになられたらいかが?」
 うつむくユマに、暦はさらに言葉を続ける。
「あなたが何を勘違いなさっておいでなのかは知りませんけれど、あたくし、あなたのハードルになるつもりは全くありませんわよ」
「え?」
 目を丸くして、ユマは顔を上げた。
「あの方がお認めになったのは、あたくしではなく、あなたでしてよ。昼間お伺いしていたのは、あなたのことですわ」
 少女の目を真っすぐ見つめながら、暦はにこりと微笑む。とたん、ユマの顔が真っ赤になった。
「ふふふっ。大丈夫ですわよ。あたくしの目から見ても、あなたはとても可愛らしいですもの」
「暦っ……さん……」
「本ッ当に可愛らしいですわ、ユマさん。どこかの脳細胞全滅小娘とは月とスッポンですわねー。あたくしが連れ帰ってしまいたいくらいでしてよ」
 暦のユマいぢりは、しばらく続いた。
 あの黒猫がヤマトと名付けられ、暦の下でせっせと働くようになるのは、もうしばらく後のことである。