オリジナルブレイブサーガSS
Girl’s scat



「退屈……。あたくしの日常は、こんなにも張り合いのないものだったかしら?」
 ふぅとため息をつき、少女は町の景色に目を向ける。車中から眺める町は、喧噪に満ちていた。ドア一枚隔てた向こう側が、とても遠いものに思えてならない。
「……嫌だわ。なんて顔……」
 車の窓に映る少女の顔は、今にも雨がふり出しそうなどんよりとした曇り空だ。
「こんなの、あたくしではなくってよ」
 では、本当の自分はどんな顔をしていたのだろうか。
 少女はため息をついた。
 信号が赤から青に変わって、車が走りだす。それに促されるように、少女は視線を窓の外から膝上の書類に移す。
 桃井皐月に関する調査報告書と題された書類には、今現在、彼女がBANの所有するラストガーディアンなる戦艦に搭乗していることが書かれてあった。



*****     *****



 黒羽根暦(くろばねこよみ) は、いわゆるお嬢様という人種である。高校へは運転手付きの高級外国車で登校なんて、当たり前。庶民には社交界などという存在すら疑わしいような場所にだって出掛けてしまうのだ。
 それはさておき、人に囲まれていることが当たり前のお嬢様でも、一人になりたい時くらいある。特に、落ち込んでいる時は余計に一人になりたくなるものだ。
 そんなわけで、天気のよい日曜日の午後。暦は一人で、町を散策していた。
 袖を通しているのは、お気に入りのワインレッドチェックのロングワンピース。フリルとリボンも一杯ついた女のコらしいデザインのものだ。
 とはいえ、どんなに可愛らしい格好をしていても、それを着こなす人間が暗い顔をしていたなら台なしである。
「……あたくしったら、何をしているのかしら?」
 肩からこぼれ落ちてきた髪をかきあげ、暦はため息をついた。こんな風に町を歩いていても、この憂鬱が晴れるとは思えない。
 少女の目に映る世界は、灰色のままだった。
「──帰ろう」
 肩を落とし、視線を落とし、暦は歩いて来た方向へ戻ろうとする。その時だ。
「あたし、もうっ……大っカンゲキです〜。麗華さんと一緒に外を歩けるなんて〜っ」
「大袈裟ね」
「おおげさなんかじゃないですよ〜」
 少し前まで、ほとんど毎日聞いていた声。下を向いていた顔を上げると、そこに懐かしい顔があった。
 大きな目とソバカスの浮いた顔。マシュマロのような頬は、どこまで伸びるか試してみたくなる。記憶のままの顔が、そこにあった。
「桃井……皐月……!」
 暦の瞳に光が宿る。


「でも、麗華さん、それだけでいーんですか?」
 ドリームナイツの一員にして皐月の憧れの君、神楽崎麗華は、ハンドバックと紙バッグを一つぶら下げているだけだ。中は、皐月が美味しいと太鼓判を押した店のケーキである。
「あなたが買い過ぎなのよ」
 麗華の視線は、皐月が鈴なりにぶら下げた紙バッグやビニール袋に向いていた。この中には、ケーキやマフィンなど焼き菓子、プリン、パン、スナック菓子からお煎餅、和菓子、チョコレート、キャンデーなどが入っている。
「えぇ? そうですかー? でもぉ、葉月ちゃんたちにも食べてもらいたいですし……」
「それにしたって、多すぎるわ。絶対に余るわよ?」
「いつもこれくらい買って帰りますけど、余ったことないですよ〜」
「……あなたたち、ダイエットっていう言葉は知ってる?」
「それくらい、知ってますよぉっ。あ、でも、したことはないかも。葉月ちゃんたちも、したことないんじゃないかなぁ」
 うらやましい話である。麗華の口から、自然とため息がもれた。
「ここで会ったが百年目!」
 突然の声に、麗華の表情が固まった。ぱちぱちと瞬きすれば、目の前に見知らぬ少女が立っている。
 リボンとフリルがふんだんに使われた、女のコっぽい可愛らしいロングワンピース。長い黒髪は、サイドとトップを一つにまとめ、バックはそのまま流してあった。
「桃井皐月! あたくしと勝負なさいっ!!」
 ずびし。
 黒目がちの猫目少女は、皐月を指さして言う。その表情は、とても生き生きしていた。
「あ〜! よみちゃんっ! 久しぶり〜。元気だったぁ?」
 にぱあっと笑う皐月だが、よみと呼ばれた少女は、眉間に深いしわを刻む。
「──皐月さん?」
「なーに? よみちゃん」
「あたくしの名前は、こぉ・よぉ・みっ! 黒羽根暦だと、何度言えば分かるんですの?! この春のうららの隅田川頭は!!」
 隅田川頭って何だ。
 麗華は、めまいを感じて額に指先を当てる。
「……ん? 黒羽根? もしかして、黒羽根グループの?」
 黒羽根グループは、ホテル業を中心に観光事業に力を入れて成功している企業グループだ。黒羽根グループ会長の孫娘が、麗華と同じ年頃の少女だという話は聞いている。
「えぇ、そうですわ。あなたは、神楽崎麗華さん……でしたわよね?」
「私の名前を?」
「何度か、パーティーでお姿を拝見しておりますわ。お話をさせていただく機会はございませんでしたけれど」
 パーティーは、はっきり言ってあまり好きではない。だから、どんな人が出席していたのかも、麗華はほとんど覚えていなかった。
「えぇ〜!? よみちゃん、麗華さんと一緒にパーティーに出てたのぉ?! ずるぅい!」
「何がずるいんですの!? あなたも何度かご一緒にしてるはずですわよ!! 大体、一緒『に』ではなくて、一緒『の』ですわっ!」
 暦の反論に、皐月は「えぇ〜」と不満顔を浮かべる。
「覚えてないよぅ〜」
「覚えている方が奇跡ですわ」
 暦は、ふんっと鼻を鳴らした。
「……道端でなに騒いでんの?」
 振り返ると、皐月と同じ郵便部所属の赤沢卯月が、妙なものを見るような目付きで立っていた。いつも頭に巻いているハチマキが、今はヘアバンドに変わっている。
「卯月ちゃんっ。おかえりなさい〜。でも、何の用だったの?」
 一緒にラストガーディアンを出た卯月だが、途中で別れて実家に帰っていたのである。
「あぁ、何でもないよ。ちび共が庭の灯籠倒しちゃってさ、それを元に戻してくれって」
「ちび共?」
「一番目と二番目の兄ちゃんの子供」
「卯月ちゃんちは、大家族なんだよね〜」
「まーね。──って、そのコは?」
 暦の存在に気づいたらしい、卯月は麗華に聞いた。見るからにお嬢様といった雰囲気の暦は、皐月に繋げるよりも麗華と繋げた方が自然に思えたのである。
「よみちゃんっ! あたしの友達なの〜」
「……皐月の友達?」
「卯月ちゃん、今の間は何!? あたしにだって、友達くらいひるも──ひらいぃっ?!」
 皐月の言葉を遮ったのは、暦だった。そばかすの浮かぶ頬を、思いっきり引っ張り、
「あたくしの名前は、黒羽根暦だとたった今教えたばかりでしてよ?! あなたの記憶力が、トコロテン天突きに入れられたトコロテンなのは先刻承知ですけれどっ!? ちょぉ〜っとばかり、押し出すのが早いんじゃありませんっ?!」
 卯月は、ぱちぱちと瞬きをしている。
「……え……っと?」
「さっきから、この調子よ」
 額を押さえたまま、麗華がため息をついた。
「──そうなんだ。──ま、いっか。あたしは、赤沢卯月。こよみって呼んでいいかな?」
「えぇ。けっこうですわ」
 卯月が差し出した手を、暦は握り返す。
「じゃ、立ち話もなんだし、移動しよっか」
「たちばな!」
 頬を引っ張る暦の手から解放された皐月は、心の底からの笑みを浮かべて言った。
「たちばな?」
 何のことだか分からない麗華と暦が、きょとんと目を丸くする。だが、丸くなった暦の目は次の瞬間には元に戻っていて、
「それって、もしかして、テレビ雑誌の取材は一切断っている、甘味処の?」
「さぁっすが、よみちゃん! そうだよ。あたしもずーっと探してたんだけど、なかなか見つけられなくって。そしたら、卯月ちゃんが知ってるって言うからぁ、じゃあって」
 皐月はにこにこと嬉しそうに笑っている。
「この近くにあるんですの?」
「らしいよ〜。ね〜、卯月ちゃん」
「まぁね」
 卯月に連れられて、少女たちがやって来たのは、町角にひっそりとたたずむ小さな甘味処であった。えび茶色の暖簾には、『たちばな』の文字が白く抜かれている。
「こんにちは〜」
 店の引き戸を開けて、卯月が店の中へ入って行った。常連っぽい声の掛け方である。聞けば、小さい頃から、よく通っていたのだそうだ。
「いらっしゃい。あ〜! 赤沢の──お久しぶりですぅ〜」
「ホント、久しぶりだよねぇ。今日は、友達も連れてきたんだ」
 店の奥から出て来たボブカットの女性に、卯月は愛想よく笑い掛けている。
「まぁまぁ、わざわざありがとうございます。さささ、どうぞどうぞ」
 世話好きそうな顔立ちの女性は、彼女たちに座敷席を勧めてくれた。
「わ〜い。何にしよっかな〜」
 座敷席についた皐月は、テーブルにおかれたメニューを手に取り、難しい顔でそれをにらむ。
「あたし、きび団子セットね」
「私も同じものを」
「え〜、もう決まったのぉ? う〜ん……と、よし。メニューにあるの、全部ください」
「は?」
 注文を取りに来ていた女性の目が、テンになる。卯月と麗華の目もテンになった。
「メニューにあるの、全部、お願いします」
「あたくしも同じものをお願いしますわ」
「は?」
 再び、目がテン。
「メニューにあるものを一通り、2品ずつ。ただし、きび団子セットだけ4品、でお願いしますわ」
「は、はあ……分かりました」
 言い聞かせるような暦の言葉に、店員の女性もとりあえずうなずいた。
 そうして、テーブルに並べられるメニューの品。きび団子セットにはじまり、みたらし団子やお汁粉、お饅頭など。一品一品の量は少なめだが、それでも数が揃うとかなりの量になる。
 小1時間後──
「──くっ……こっこんなことって……」
 暦は、半分泣きそうになりながら、ゆっくりとみたらし団子を咀嚼していた。
「無理しない方がいいからさ、もう──」
「な、なんのこれしき……」
 卯月の言葉も耳に貸さず、暦はすべてのお皿を完食する。と同時に、ばったりとテーブルの上に倒れた。
「本当に大丈夫なの?」
「──らいじょーぶれすわ……」
 気づかわしげな麗華の声にも、暦は意地を張る。半死半生の体ながら、その黒い目には皐月の姿を映していた。
「ん〜……すいませぇん。きび団子のセットとお汁粉をもう1つずつお願いします〜」
 がたっ。
「? よみちゃん、どーしたの?」
「悔しいぃぃぃぃぃぃ」
 座敷に倒れた暦は、悔しさと胸焼けに耐えるのであった。
 黒羽根暦、惨敗。
「もぅ、よみちゃんてば、無理しちゃダメじゃない。腹八分目ってコトバ、よみちゃん物知りなんだから知ってるでしょ」
「……つまり、あなたはまだ腹八分目じゃないってことなのかしら?」
 皐月のぷち説教を聞いた麗華は、信じられないものを見るような目付きでツインテールの少女を見た。
「さすが四次元胃袋」
 ぼそっと卯月がつぶやいたその時、携帯の着メロが2つ、同時に鳴り響く。1つは、クラシック音楽らしきもの。もう1つは、必殺仕事人のテーマ曲である。
「もしもし?」
「もしもぉっし」
 クラシックは麗華の携帯、必殺仕事人は卯月の携帯が発信源だったようだ。
「何ですって!?」
「ホントなの?!」
 二人の驚き声が、ほぼ同時にあがる。
「ごめん。ちょっと家に帰らなくちゃ」
「今度は何?」
「じーちゃんが作った泥棒よけに引っ掛かったオッチャンがいるんだってさ」
 携帯をヒップバッグにしまい、卯月は席を立った。
「すぐに戻ってくるけど……皐月、あんたの持ってるケーキ、うちの冷蔵庫で冷やしとこうか?」
「いいの?」
「いいよ」
 二つ返事でうなずいた卯月は、眉間に皺を寄せて通話を続けている麗華を見る。何か事件でもあったのだろうか。
「ごめんなさい。急用ができて、行かなくちゃならないところができたわ」
 通話をきった麗華は、重苦しいため息をつきながら言う。
「それは、ケーキを持ち歩いても大丈夫なワケ? 良かったら、皐月のと一緒に麗華のもウチで冷やしとくけど」
「──お願いするわ。あぁ、でも、一人じゃ大変でしょうから、私も一緒に行くわ」
「ありがと。じゃあさ、皐月はここか、その先にある公園で待っててよ」
「あ、うん。分かった」
 皐月がうなずき返すと、二人の少女は慌ただしく店を出て行った。
「──聞いていいのか分かんないけど、何か事件でもあったわけ?」
 隣を小走りで進む麗華に、卯月は好奇心で彼女の通話内容を聞いてみた。
「えぇ。このあたりで不可解な行方不明者が続出しているらしいわ」
「ふぅん……不可解なって、どんな?」
「見つかった人は、かなり衰弱しているそうよ。男も女も、もちろん年齢も関係なくね」
「なるほど。それで、その調査を?」
「えぇ。そういうこと」
 小走りのまま、麗華は器用に肩をすくめてみせた。
「だったら、うちのばーちゃんやオフクロたちに聞いてみる? うちって近所のおばちゃんたちのたまり場みたいになってるし」
 主婦の口コミ情報網は、結構侮れないよと、卯月は笑う。何の手掛かりもない状態だし、聞いてみて損はないかもしれないと、麗華は判断した。
「そうね。話を聞かせてもらえると嬉しいわ」
「決まりだね」
 少女二人は、にっと口角を持ち上げる。


*****     *****



 追加注文したセットとお汁粉を完食しても、卯月が戻ってくる気配はなかった。
「……よみちゃん、お店出られる?」
「もちろんっ……ですわッ」
 少し間があいていたのが気になるが、公園に移動するくらいなら、本人の言うとおり、大丈夫だろう。
 卯月が言っていた公園は、たちばなの目と鼻の先にあった。砂場とブランコ、すべり台があるだけの小さな児童公園である。
「ふぅ……」
 暦は小さなため息と共に、入り口近くのベンチに腰を下ろした。喧噪と縁を切った公園は、暦を気遣ってくれているようである。
「誰もいないねぇ」
 暦の隣に腰掛けた皐月は、足をぶらぶらさせながら公園の中をぐるりと見回した。
「そうですわね」
 人影のない公園というのは、ずいぶん寂しいものである。自分たち以外の何かの存在を求め、暦は視線を巡らせた。
「……何ですの、あれは」
「な、なに商店街?」
 隣で皐月が首をかしげていることから、彼女の目にも暦と同じものが見えているらしい。
「『黄昏商店街』と読むんですわっ。──でも、どうしてこんな所に?」
 看板とそれを支える2本のポールは、公園の敷地内にあった。普通に考えるなら、それらがあるのは公園の外のはずである。
 ポールの間から見えるのは、古めかしい店構えの商店ばかり。昭和30年代を再現したような、そんな雰囲気であった。
 立地がおかしければ、商店街を取り巻く雰囲気もおかしい。どの店もかたく扉を閉じているのだ。通りにも人影はない。
 見るからに怪しい。怪しすぎる。怪しすぎて、馬鹿にされているのではと勘ぐりたくなるほどだ。誰も、近づかないのは明白──
「すっごぉ〜い! わ〜い、行ってみよ〜っ」
「〜〜〜っ……! あなたという存在を忘れていましたわっ!!」
 黒羽根暦、痛恨の失態。引きとめようと手を伸ばすも、それは空振りに終わった。
「ああいうところに、隠れた名店があったりするんだよぅっ!」
 卯月に預けなかったパンやら焼き菓子やらの入った袋を両手にぶら下げ、皐月はどだだだだっと商店街に向かって一直線に走る。
「ああっ、もうっ! お待ちなさい、このチョロQ娘っっ!!」
 大急ぎで追いかけて行きたかったが、走るだけの元気が今の暦にはない。その理由が、食べ過ぎというのが情け無さ過ぎる。
 しかし、このままレッスンを続ければ、世界レベルのオペラ歌手にもなれると言われた声量は健在だ。
「待てと言っているでしょうっ!? このワンツークイーンッッッ!!!!」
「いや〜っっ!!」
 暦の怒鳴り声の直後、皐月の絶叫が響き渡った。ワンツークイーンというのは、皐月の小中学校時代のあだ名である。通信簿の成績の見事さからつけられたものだ。
 暦は自分のペースでゆっくりと歩く。皐月は、ポールの先、30メートルほどの所で耳を押さえてうずくまっていた。
「よみちゃん、ひどい〜」
「酷いのは、考えなしのあなたの行動ですっ」
 涙目で見上げてくる皐月の言い分を、あっさりと返り討ちにして、暦はふんっと鼻を鳴らした。
 ぐるりと見回してみても、寂れた商店街に変わりはない。ただし、おかしな所は幾つもあった。レトロな外観を持つ店。公園の中にポールが立っているという立地、人影のない通り。軒を連ねる店のシャッターは、どれもかたく閉ざされている。
「あ、パン屋さん、発見〜」
 どででででっ。
「あなたって人は・あ・っ……!」
 ふつふつと殺意がたぎる。
「あ〜、ここもお休みだねぇ」
 食パンのような形をしたパン屋の看板は、辛うじて『にこにこパン』と白字で書かれているのが読み取れた。
「さ〜つ〜き〜さぁん?」
「う? ──あだだだだだっ?! いだっ、いだいよ、よみちゃんっ!?」
 こめかみに、暦の拳がぐりぐりと押し付けられる。
「よみちゃ、痛い〜って、ああ! 人! 人がいるよっ!」
「何ですって?」
 ふっと力を抜くと、その隙を逃さず皐月は逃げた。優雅さのカケラもないどででで走りで、人影の方に向かってゆく。
「全く! 祖父母の顔が見てみたいですわっ」
 親の顔と言わないのは、皐月の両親を暦は知っているからだ。万年花畑の親は、やはり万年花畑なのだと、思ったものである。
「こんにちは〜?」
 皐月が見つけた人影は、まだ若い主婦のようであった。手には買い物袋をさげているのだが、表情は虚ろでどこを見ているのかすら定かではない。左右にゆらゆら揺れているところが、不気味である。
「こんにちは〜?」
 返事がなかったので、もう一度声をかけてみたのだが、やはり返事はない。主婦の顔の前で手を振ってみるが、ノーリアクション。
「よみちゃん、この人ヘン〜」
「あなたに変だと言われては、その方も立つ瀬がありませんわね」
 憎まれ口をたたきつつも、暦は主婦を観察した。普通なのは服装だけ。魂の抜け切った顔、左右に揺れる体。定まらない焦点、こちらの行動に対する反応も一切なし。
「最初から分かりきっていたことですけれど──おかしいですわよ……この商店街」
 暦は皐月の首根っこを押さえておこうと、手を伸ばしたが──すかっ。
「ん?」
「あー! あっちにはお菓子屋さんが!」
 どででででで。
 既に皐月は走りだした後であった。
「おっ、おのれぇぇぇぇっっ……」
 伸ばした手の指先をわきわきと動かし、暦は自分の行動の遅さに腹を立てる。皐月に腹を立てないのは、立てるだけ無駄だと知っているからだ。
「こんな所に長居は無用! 帰りますわよ!」
 暦は皐月の後を追いかけて走りだす。
 二人の少女が走る先に、巻き貝のような形の細いタワーが見えていた。


「失敗だったわね」
「違うよ。失敗なんかじゃない」
 たちばなへの道を急ぐ麗華の表情は、とても険しい。その隣に並ぶ卯月の顔もいつになく神妙だった。
 それもそのはず。行方不明者続出事件の手掛かりになればと、赤沢家に出向いた麗華は、そこにいた主婦たちから事件の核心に繋がる情報を得られたのである。
 卯月の言うとおり、主婦の口コミ情報網は侮れなかったというわけだ。
 彼女たちの話によると、行方不明者は、甘味処たちばなの先にある公園付近で、発見されることが多いらしい。
 衰弱が激しくて、入院する者がほとんどだということなのだが、半月もあれば元気になって退院していくそうだ。
 さらに、友達の友達のお兄さんのお嫁さんの妹だか弟だかが、行方不明になっていたという人もいて、もっと詳しい話を聞くことができたのは運が良かった。
 その人が言うには、川べりの土手でぼんやり座っていると、目の前に古めかしい商店街が現れたというのである。
 その人は、現れた商店街を怪しく思ったそうだ。こんな怪しさ満点の商店街に、誰が近づくんだと、馬鹿にさえしたのだそうである。 
しかし、気がつくと足を踏み入れてしまっていた。しかも、一本道だったはずの商店街が振り返ると、幾つもの道に枝分かれしていて、帰り道が分からなくなってしまっていたのだそうである。
「もしも、桃井さんと黒羽根さんがその商店街を見つけたら、どうすると思う?」
「多分、こよみは動かないんじゃないかな。それこそ、その商店街が何かを使っておびき寄せるとかしてない限りはね」
「──そうね。でも、桃井さんは?」
「絶対に動く。怪しさ爆発でも、絶対に行く」
 卯月は断言した。
「……止められると思う?」
「分かんない。神無なら、皐月が動く前に止められるだろうけど……」
 対皐月用兵器の呼び名は伊達じゃない。
「私も同じ意見よ。黒羽根さんが桃井さんを止められる可能性は低いと思うわ」
 止めようとはするだろうが、結局は引きずられて行きそうだ。
 角を曲がり、たちばなの前を通過する。二人と別れてから小1時間ほど経っているので、公園の方にいるはずだ。
「あ、いた!」
 公園の入り口近くのベンチに座るツインテールと黒髪。二人が無事でいることにほっとしながら、卯月と麗華は二人の前に回った。
「また食べてるの!?」
「あ、麗華さん。卯月ちゃんもお帰り〜」
 もぐもぐと口を動かしながら、皐月はにこりと笑う。その隣では、暦が気恥ずかしそうにしながら、レーズンパンを食べていた。
「──おなかが空いてしょうがないんですの」
 上目使いで二人を見上げ、暦は言う。
「……1つ聞きたいんだけど、変な商店街を見なかった?」
「変な商店街?」
 麗華の質問に皐月が首をかしげた。
「あなたの言う変な商店街というのは、後ろにあるそれのことではなくて?」
 レーズンパンを食べ終えた暦が、卯月と麗華の間を指さす。二人が後ろを振り返ると、そこには『黄昏商店街』の看板を支える2本のポールが立っていた。
「うそ……さっきまでこんなの……」
 3メートルくらいの高さにある看板を、卯月は信じられないとばかりに目を真ん丸く見開いて見上げる。
「──間違いなさそうね」
 肩口から落ちて来た髪をかきあげ、麗華は不適な笑みを浮かべた。
「罠の見本のようなあの商店街が、気になっていらっしゃるの?」
「えぇ。実は──」
 暦の問いかけに、麗華は赤沢家で得られた情報を話す。
「なるほど、そういうことでしたの。でしたら、あの中で妙なものを2つ見ましたわ」
「行ったの?」
「自分で糸を切ってしまうような非常識凧娘がいるんですものッ。行きたくもないのに、行かなくてはならなかったんですわ」
 卯月の声に、暦は不満たっぷりに鼻を鳴らした。
「商店街の中央になると思いますけれど、細い巻き貝のような塔とタコツボと地球儀を足して2で割ったような機械がありましたわ」
「あったねぇ。あ! 麗華さん、あたしがそこまで案内してあげます〜!」
 言うのと立ち上がるのと麗華の手を取り、走りだすのはほぼ同時だった。
「えぇ?!」
 皐月ダッシュのスタートの瞬間をとらえるのは至難のワザである。気がつけば、卯月と暦の二人だけが公園に残され、皐月と麗華は商店街に向かって走っていた。麗華は、皐月に走らされているのだが。
「──ああっ、もうっ! 追いかけなきゃ」
 頭を抱え、身をよじり、卯月が叫ぶ。
「そんなに急がなくても大丈夫ですわよ」
 すっかり小さくなってしまった二つの背中を、暦は余裕の表情で見つめていた。
「どこが大丈夫なのさ?!」
 走りだした皐月を止めるのは、神無でも難しいのだ。卯月では完全にお手上げである。
「任せていただきますわ」
 暦の瞳がキラリと光る。息を吸って、吐いて、吸って……
「止まりなさい!! このっ人間ハムスターッッ!!!」
 鼓膜が破れそうなほどの大きな声。
「いにゃ〜んっっっ???!!」
 対して返って来た叫び声は、悲痛の色が濃かった。
「ふんっ。ざまあご覧なさい。パターンは読めてきましてよっ」
 黒羽根暦、勝利の仁王立ち。
「何、その人間ハムスターって」
 かくんと肩を落とした卯月は、半ばぼうぜんとしながら、隣の少女に問いかけた。
「理科の観察で、ひまわりを育てた経験はありまして?」
「…………まさか…………」
「そのまさかですわ」
 観察用に配られたひまわりの種を、皐月は食べたのである。
「ばかだ、ばかだとは思ってたけど……」
 二人に追いつくため、ゆっくりとした歩調で卯月は歩きだす。それに続く形で、暦も足を踏み出した。
「16の今より8歳の頃の方が、ばか度は上に決まってますわ」
「あ〜……そうかも」
 なんだか、とってもやる瀬ない気分である。
 走る気にもなれず、卯月と暦はのんびりとした足取りで、皐月と麗華を追いかけて商店街へ足を踏み入れた。
「ふえぇぇ〜。よみちゃんてば、ひどいよぉ」
 商店街の道のど真ん中で、皐月は丸くなっていた。訳が分からず、麗華はため息をつく。
「一体なんなの?」
 突然止まった皐月にも驚いたが、暦の声量にも驚かされた。
「──桃井さん、しっかりしてちょうだい」
「へぅ〜」
「すごい、すごい。止まってる」
 押っ取り刀で駆けつけた卯月に、麗華はちょっぴり情けない目を向ける。目は口ほどにものを言う。麗華の目は、「コレを何とかしてくれ」と雄弁に語っていた。
「大丈夫、大丈夫」
 卯月は二つ返事で請け負い、しゃがみこむ。
「ねぇ、皐月。この間、教えてもらったバウムクーヘンだけど、あれってどこで売ってるワケ?」
「え? あぁ、あれね。あれはねぇ──」
 うつむいていた顔がぴょこんと上がり、皐月はにこにこと話し出した。
「……あまり変わってないかも知れませんわね」
 暦は額に手を当て、ため息をつく。
「──桃井さんは、赤沢さんに任せるとして。黒羽根さん、あなたが見た巻き貝とタコツボというのは、どこに?」
 戦う前から既に気力の大半を消費しているような気がするが、そのあたりを深く追及するのは、精神衛生上よろしくない。そう判断した麗華は、建設的な疑問を口にした。
「……あぁ、あそこですわ。巻き貝の頭が見えてるの、おわかりになります?」
「えぇ。見えるわ」
 暦の指さす先には、鋭い三角形が見えていた。色も形も、巻き貝という形容がぴったりである。
「あなたたちはここにいて」
 巻き貝の位置を確認した麗華は、3人を置いて歩きだした。何が起きるか分からない以上、彼女たちを連れて行くのは危険だと判断したのである。
「神楽崎さん、そちらは行き止まりですわ」
 麗華の足がぴたりと止まった。
「巻き貝の側まで行けそうですけれど、途中で行き止まりになっていましたわ」
 ばつが悪い思いを抱えて麗華が振り返ると、
「こちらですわ。あたくしが案内してさしあげます」
「ちょっ──!?」
 麗華が止める暇もなく、暦はさっそうと歩きだした。その後を、皐月が追いかけていく。
「あ〜、よみちゃん、待ってぇ〜」
「二人とも、待ちなさい!」
 急いで制止の声をかけたのだが、
「あなたが急げば良いだけですわ!」
 待てを別の意味で受け取ったようだ。
「あんたの気持ちは嬉しいけどさ、ここまで来て仲間外れはないんじゃない?」
 麗華を見上げ、卯月はにやりと笑う。
「大丈夫だって。ヤバいと思ったら、あたしがあの二人を抱えて逃げるからさ」
「……分かったわ」
 何を言ってもむだだと悟った麗華は、特大のため息をついて、歩き出した。
 艦長や郵便戦隊リーダーである白神葉月の苦労が、少しだけ分かったような気がした瞬間である。
 暦の先導にしたがって歩くこと約30分。
「あれですわ」
 麗華たちは、巻き貝とタコツボの前に到着した。
 巻き貝の高さは、10メートルくらいだろうか。合体する前のロボットたちを見上げるのと、ほぼ同じくらいの角度ではないかと推測された。
 土産物としてよく売られている、貝殻のセットの中の巻き貝とよく似ている。存在そのものが怪しいことを除けば、特に怪しいところはなさそうだ。
 一方、タコツボ+地球儀÷2と評された方は、怪しさ満開。大きさは直径2メートルほど。表面には、色とりどりの形がボタンのようにくっついていた。
 本物の地球儀が左右にしか回せないのに比べて、こちらのタコツボ地球儀もどきは、前後にも回すことができた。機械に明るくない4人には、どういう仕組みでこの地球儀もどきが宙に浮いているのかは分からない。
「弥生ちゃんがいてくれればよかったのに」
 タコツボもどきをぐりぐりと動かしながら、皐月がつぶやいた。緑川弥生は、郵便部の中で一番機械類に強いのである。
「どうかな。ヘンな形のボタンがいっぱいあるだけで、キーボードみたいなのとかケーブルを繋げそうな穴もないし、弥生がいても分かんないことに変わりはなさそうだけど」
「謙治がいても同じでしょうね」
 タコツボもどきを観察する麗華の眉間には、深いシワが刻まれていた。携帯のディスプレイには、圏外の表示が出ている。不審物発見の報告もできないし、指示を仰ぐこともできない。
「どうする? 一度戻って、誰か呼んでくる?」
「そうね……」
 自分たちではどうしようもないと、麗華が結論づけたその時、
『そぉ〜は、さぁ〜せんのじゃ〜あ!』
 もくもくと白い煙が吹き出し、少女たちを取り囲む。けほけほと、咳き込むのは皐月と卯月だ。二人より10センチほど高い暦と麗華は、口元ガードが間に合ったらしい。
『見ぃ〜れば、何やぁ〜ら、上等ぉ〜のにほい! きさまぁ〜らの、生体エネェ〜ルギ〜もすぅ〜いとってやぁ〜るのじゃ〜あ!』
 じゃきんっ。じゃこここじゃきんっ!
 巻き貝が飛び上がって、ずれて捻って、回転して。気がつけばロボットになっていた。
 地面に着地する音も、よく耳にする音に比べるとやや軽い。どことなくゲッ〇ー2を連想させるフォルムであるが、パワータイプとかスピードタイプとか、そういう雰囲気も全くなかった。
 表情もどこか貧相だし、体格もひ弱である。
 とはいえ、ロボットはロボットだ。大きさも平均的な合体前ロボットくらいはある。武装らしいものは見当たらないが、油断はできない。
「それの扱いは任せるわ」
 麗華は言うと、目の前に現れたロボットをきっと見据える。
「ブレイカーマシン、リアライズ! カモン、フェニックスブレイカーッ!!」
 彼女のブレスレットから紅蓮の火柱が立つ。火柱は空を赤く染め上げた後、炎の瀑布となって麗華を飲み込んだ。
「なっ!?」
 炎の眩しさから目を守るため、暦は腕をかざす。細めた視界に、赤い巨鳥の姿がうつった。
『あなたの相手は、この私よ!!』
『な〜まいき〜な小娘ぇめぇ!』
 巻き貝ロボットVSフェニックスブレイカー! 両者睨み合って一歩も引かず。慎重に間合いを取りながら、相手の出方を伺っている。
「麗華さん……大丈夫かなぁ?」
「麗華が、あんな窓際ロボットに負けるわけないだろ。それより、こいつを何とかしなくちゃ」
 対峙する2体のロボットを、皐月ははらはらと見守っていた。その横では卯月が、タコツボをぐりぐり回しながら、あーでもなさそうだしと思案にふけっている。
「そうですわ。あんなエリートコースから外れて窓際に左遷されたその腹いせに部下に当たり散らして気を紛らわせていそうな落ちぶれ中間管理職の相手は、彼女に任せて、あたくしたちはこちらに集中すればいいんです」
『聞〜こえぇたぞぉ〜!!』ぽぴー。
 巻き貝ロボットの頭から、湯気が出た。
「どうやら、図星だったようですわね」
 腕を組んだ暦は、ハンッと鼻で笑う。何十倍も大きいロボットを相手取って、一歩も引いていないところがすごい。
「かっこいいなぁ、こよみ」
「よみちゃん、すっごぉ〜い」
 卯月と皐月は思わず拍手をしていた。
『黒羽根さん! あまり刺激しないでちょうだい! 窓際中年はキレやすかったりするんだからっ』
『だぁ〜まぁれぇぇぇっっっ!!』
 窓際中年ロボもとい、巻き貝ロボットはフェニックスブレイカーに向かって、三角錐のような腕で切りかかってくる。
 しかし、哀しいかな、その攻撃はまるでなっていない。感情に任せて適当にぶん回しているだけなのだ。
『この程度なの!?』
 それらの攻撃を危うげなく避けた麗華はお返しにと、ヒートパルサーを撃つ。
『だぁっちちちちっ?!』
 熱線は全て命中。巻き貝、避けるそぶりすら見せなかった。避けるまでもないと判断したのか、単に鈍いだけなのか。
『こぉ〜んなこーげきィ……・ヘッ屁でもな〜いわあ!』
 声が裏がっているところから、単に鈍いだけのようだ。一見細身に見えるのだが、このまま冬眠しても大丈夫なくらい、分厚いものを抱えているのかもしれない。
「これは、面倒かも知れないわ」
 フェニックスブレイカーのコックピットで、麗華は忌ま忌ましげに舌打ちをする。巻き貝ロボットの外装には、目立った外傷が見当たらない。窓際でも、管理職は管理職。油断は禁物だということであろう。
 一方、その足元では、3人の少女がタコツボもどきを前にうんうん唸っていた。
「や〜ん。もぉ、全然分かンないよぅ! 何のヒントもないんだもん。こんなパズルと〜け〜な〜い〜!」じたばたじたばた。
 両腕をぶんぶか、上下に振り回し、皐月が騒ぐ。全国的にもの知れたゲーマーである皐月は、パズルゲームだって得意なのだ。
「多分、このボタンを押していけばいいんだろうけど……」
「────賭けに乗る気はありまして?」
 難しい顔をしている卯月に、暦が不適な笑みを向ける。
「賭け?」
「このボタンには見覚えがありますの。すべて、商店街にあった看板と一致していますわ」
「え? じゃあ……!」
「ただ、押す順番が問題なんですわ。入り口に近かったものから押すのか、この場所に一番近いものから押すのか……」
 着眼点そのものや、出発点が間違っている可能性だってある。
 卯月は、生唾を飲み下した。
「入り口に近いのは何?」
「パン屋の看板ですわ。色は白。ここに近いのは、赤の紳士服のお店のものよ」
 3人の少女は沈黙する。
 頭上では、巻き貝ロボと鳳凰のバトルが続行中だ。巻き貝は地上に立っているから、少女たちが巻き込まれないよう、麗華が細心の注意を払ってくれている。
 それを思えば、1分1秒でも早く、このタコツボを何とかして麗華の負担を減らしたいところだ。
 それとも、彼女があの巻貝を片付けるのを待ってから、じっくり取り組むべきだろうか。
「ん〜〜〜……最初はっパン屋さんっ!」
 言葉にすると同時に、皐月が白い食パン型のボタンを押す。
「な?! その根拠はなんですの!?」
「卯月ちゃんより、葉月ちゃんの方がエライもんっ」
 自信満々に皐月は言い切った。
「はあ?!」
 目を丸くする暦に、葉月は自分の上司にあたる人なのだと説明する。
「それだけですの!?」
「気持ちは分かるけど、押しちゃったものはしょうがないよ。皐月のカンを信じよう! 次は?!」
「……いいでしょう。次は青のクリーニング屋さん、シャツの形ですわ!」
 暦の記憶のもと、3人は、タコツボの表面のボタンを押していく。看板は、順番に並んでいたわけでもないらしく、
「次は!?」
「別れ道で二つの看板があって……赤いおもちゃ屋の看板と緑の文具店の──」
「えぇと……あたしより弥生のほうが偉いから、緑が先!」
 とか、
「桃色の美容院の看板と青の魚屋の看板が!」
「ここは神無ちゃんに譲っちゃう! 青!!」
 とかいうやり取りを何度か繰り返した。
 勘と言うのもおこがましいような、選択の仕方である。
「早く、早く!」
「緑の八百屋に黒の帽子店、紫の花屋!」
 少しでも時間をあけると、ボタンを押し間違えていないかという不安が、少女たちの胸に押し寄せてくる。
「えぇ〜あ! 緑の八百屋!」「黒の帽子屋、あった!」「花屋も見つけましたわっ!」
 タコツボぐりぐり、目玉もぐりぐり。3人の少女は、何も考えずにボタンを見つけると同時に、ばしんっと押していく。
「赤の紳士服──これがラストですわっ!!」
 目の前にある蝶ネクタイの形のボタンを、暦は力任せに押し込んだ。
 ガガガガッ、ピーッ。
「なっ、何!?」
「まさか、間違ってたの?!」
 卯月と皐月の顔が、瞬時に青ざめる。
《きゅーいん君、機能停止します》
 タコツボから聞こえてきた、機械の合成音。瞬間的に走った緊張が、一気にほどけた。
「やっ、やったぁ〜!」
「ざまあ御覧なさい。窓際中間管理職」
「全くだね。さ、早くここから離れよう。麗華の邪魔になる」
 この場に座り込んで休憩したい気持ちもあったが、それではフェニックスブレイカー操る麗華の負担になってしまう。
「うんっ。──って? あれ? これ、なんだろう」
 ぼち。
 ギギュギュンギュンギュギュンッ。
「へぁ?!」
「ちょっ!? 皐月、あんた、今、何をしたわけ!?」
「なな何って、ここにボタンがあったからぁ」
「このッくるみ頭! 考えなしにもほどがありましてよ!?」
 2方向から責められ、皐月はあうあうと口ごもる。だって、ボタンがあったら押してみたくなるのは人のサガというものだ。まして、押しちゃダメ、なんて可愛らしく丸字で書いてあったりしちゃったりなんかしたら、絶対にみんな押しちゃうに決まっている。
《きゅーいん君、自爆もーど、せっと完了》
 なんだかよく分からない仕組みで、宙に浮いていたタコツボが、ごっ、がこがろろんとかいう音を立てて機械から外れ、地面に転がった。
「ちょっ……自爆って……!?」
「カウントダウンが始まってますわ! 後、50・・・・・・いえ40秒!」
 もはやここまでか。思考はほぼ完全停止。何をしたらいいのか、何をするべきなのか、頭の中は真っ白で、何も思い浮かばない。
「うっ卯月ちゃんっ! あのロボットまで、これを配達できる!? 速達でっっ!!」
「えぇ? あ! 分かった!」
 タコツボに手を回し、卯月は踏ん張った。
「ぬぬぬぬぬっ……おっ重いっ……」
 顔を真っ赤にして歯を食いしばりつつも、何とかタコツボを持ち上げる。
「敵は!?」
「そのまま真っすぐ! 神楽崎さんっ! 避けなさーーーーーいっっっ!!!」
 薄いガラスなら割れるんじゃなかろうかと思われるほど、大きな声であった。
「何!?」
 暦の超音波に、麗華は顔をしかめる。その視界に飛んで来るタコツボが目に入ったため、脊髄反射にて機体を制御。タコツボを避ける。
『ぬおっ?!』
 フェニックスブレイカーの機体がちょうど良い目隠しとなっていたためか、巻き貝ロボの回避行動が遅れた。
『これは、我が愛しのきゅーいん君っ!?』
 が、避けようともせずに、がっちり両腕で受け止める。『我が愛しの〜』などと言っているあたり、仮に見えていたとしても受け止めていたかもしれない。
《自爆》
『ぎょうわぉえぇぇぇっ?!』
 きゅーいん君なる機械の爆発に巻き込まれ、巻き貝ロボは一気にボロボロに。愛する(?)機械に心中を迫られるとは、彼も思わなかったのだろう。
 しかしこれは、麗華にとって大きなチャンスだ。
『これでおしまいよ!』
 フェニックスブレイカーの全身が、炎で包まれる。それは、あたかも小型の太陽が出現したかのような熱量だった。
『バースト・トルネード・ブレイクッッ!!』
 翼を折り畳み、小型の太陽となった鳳凰は、高速で回転。一筋の閃光となって、
『な〜ぜだぁ、きゅーいん君〜っ!?』
 愛しい機械の裏切り(?)に苦悩する巻き貝ロボのボディを貫いた。
『そぉ〜んな、ぶゎ〜かなぁっ?!』
 土手っ腹に大穴をあけられた巻き貝は、よろよろとよろめき、爆散する。
「うわっ?!」
「ひゃあっ!?」
「や〜ん、あたしのおやつ〜ぅ」
 タコツボのボタンを押すために、地面に置いていたのがあだとなったようだ。皐月の荷物は、木枯らしに散らされる落ち葉のようにどこかへ飛んでいってしまった。


「……えぇ。これで、事件は解決。万々歳ってとこからしらね」
 巻き貝ロボが倒されたことによって、黄昏商店街も消滅。さほど広くない公園には、行方不明になっていたと思わしき人たちが陸揚げされたマグロのように転がっていた。面倒をさけるため、4人は119番に連絡した後、早々に公園から引き払ってきている。
 今は、卯月の家にお邪魔していた。麗華は、ここからラストガーディアンへ連絡を入れている最中である。
「あ、また救急車」
 遠鳴りに聞こえる救急車のサイレンに、皐月が顔をあげた。口からは、プラスチックのスプーンがはみ出ている。
 遠くへ飛ばされたと思われたおやつは、意外にも公園の敷地内に落ちていたのだ。とはいえ、中身はしっちゃかめっちゃかで、大分ダメになっていた。
「ふぅ……」
 事件が解決してリラックスした様子の皐月と麗華と違い、暦は浮かない顔をしていた。
 明日から、いや今夜からまた退屈な日々が始まるのかと思うと、憂鬱でしょうがない。
「こよみ、ちょっと──」
「何ですの?」  廊下から手招きする卯月を不審に思いながら、暦は立ち上がり、そちらへ向かった。
 つやつやと照り映える廊下には、チリ1つ落ちていない。暦がいた部屋とは別の部屋からは、近所の主婦たちが集まって談笑しているらしく、笑い声が聞こえてきている。
「あのさ、今ちょっとお伺いをたててたんだけどさ」
 快活な卯月にしては、珍しく歯切れが悪い。短い付き合いではあるものの、彼女らしくないことくらいは分かる。
「あたくしが協力したことに、何か問題でも?」
「違う違う。そんなんじゃないよ」
 しぴぴぴっと顔の前で手を振った卯月は、実は……と、暦に耳打ちをした。
「──本当ですの!?」
「ウン。本当。こよみさえよかったら、の話だけどね」
 暦は返事も忘れて、卯月の顔を見つめ返していた。


*****     *****



 10日後──
「そ〜っと、そぉ〜っと……」
 今日は、植物園にある喫茶店にて新作のケーキが発売される日だ。それを聞いた皐月は、朝一番にそちらへ向かい、ケーキをゲットして来たのである。
 もちろん、仕事には遅刻だ。
「抜き足差し足……」
 みんなはデスクワークに集中しているので、足元には目を向けていない。こっそりと席について、知らん顔で仕事に交ざれば、怒られないはずだ。多分。
「そぉ〜っと……?」
 ニャオン。
 目の前に子猫がいた。ベルベッドのリボンを首にまいた、黒猫である。ロボットのようだが、その仕草は本物の猫そのものだ。
「何でニャンコがここに?」
 伏せていた体を起こし、皐月は首をかしげる。その背後に影が忍び寄った。
 がしっ。
頭を掴まれたときにはもう遅い。
「その前に、何か言わなくちゃならないことがあるんじゃないか? ん?」
 みしみしみしいっ。
「にょぁぁぁぁぁ」
 頭蓋骨がヘンな音を立てる。
「お手がらですわ、シュバルツ」
「ふぇ?」
 目の前にふわりと現れたAラインの黒いスカート。そのスカートの方へ、シュバルツと呼ばれた黒猫ロボが駆け寄っていく。
 視線を下から上へ。ベルベットのリボンをつけた猫のほかにレースのリボンとサテンのリボンをつけた猫が、左右の肩に1匹ずつ。
 スカートの上は、郵便戦隊のジャケットだ。それを着ているのは──
「よみちゃんっ?!」
「あたくしの名前は、黒羽根暦だと、何度言えば分かるんですの?!」
 くわっと牙をむいて、暦が叫ぶ。
「えぇ?! なんで、ここに?」
「あたしが推薦したんだよ。こよみなら、ここでもやっていけると思ってさ」
 ほお杖をついて、卯月がにやりと笑った。
「人員要望は前から出していたのよ。許可も出ていたけれど、これといった人材もいなくて、困っていたところだったの」
 リーダーの白神葉月は説明しながら、皐月と目線を合わせる。目の前にきた葉月の顔を、皐月はぱちくりと瞬きして見つめ返した。
「書類審査やご両親との話し合い、学校の調整なんかで少し時間はかかったけれど」
「黒羽根暦、今日から、こちらに配属されることが決まりましたの。よろしくお願いいたしますわ」
「そーなんだぁ。あたしのほうこそ、よろしくねっ。よみちゃんっ!」
 皐月は満面の笑みを暦に向けた。
「というわけで、あなたが買ってきたこのケーキは、みんなでいただくことにします」
「えぇ!?」
 ケーキの入った箱は、葉月の手によって皐月の前から机の上に移動させられた。
「新メンバーを歓迎して、買ってきてくれたんでしょう?」
「うぇえっ?!」
 弥生の落札微笑並の有無を言わせぬ葉月の笑顔、滅多に見られるものではなかった。皐月の顔から、さーっと血の気が引いていく。
「お茶が入りましたよ〜」
「弥生ちゃんっ?!」
 会話に参加して来ないと思ったら、お茶の準備をしていたらしい。緑川弥生は、にこにこと笑いながらティーカップを机の上に並べていく。
「よくもまぁこれだけ買ってくるな、小動物」
 種類の違うものが3種、各4つの合計12個のショートケーキが箱の中に並んでいた。
「1人1つね。暦、どれにする?」
「そうですわね。今の季節はモンブランが美味しいですし……」
「ひ〜んっっ。あたしのケーキぃ〜」
「仕事をサボって買いにいくあなたが悪いですよ〜。予約をしておいて、お昼休みに買いに行きなさいって、いつも言ってるのに〜」
 絶叫する皐月に、弥生がのほほん顔でぷちお説教。
「だあってぇ〜っ」
「言い訳は聞きません。今日の遅刻は、この6コで許してあげる」
 残りの6コは、お昼休みにでも部屋へ持って帰ってきなさいと、葉月は苦笑まじりに言った。
「今日は遅刻するなって、昨日言われてたじゃん」
「そ……そーだったけ? あ〜でもでもぉ……やっぱりみんなひどいぃぃ〜!!」
「酷いのはお前の記憶力だ」
「酷いのは、トイレットペーパー並に薄いあなたの責任感ですわ」
「やぁ〜〜〜〜んっっ」
 こうして、郵便戦隊に新しいメンバーが増えたのであった。