オリジナルブレイブサーガSS 初めてのおつかい |
勇者ロボが人間になってしまったという、ラストガーディアンをゆるがす大事件は、クルーたちの間で好意的に受け止められている。普段、共に過ごすことができない者と、一緒に過ごすことができるようになったのだから、当然といえば当然のことかもしれないが。 「っつーても、こう……何となく調子が出ねぇっつか何つーかなぁ……」 カウンターの止まり木に座り、右肩に左手をおいて首をゆっくりと回すのは、ウィルダネスから遅れてやってきたロボット、BDだ。人間になった彼は、30前くらいのがっしりとした体格の男性になっている。少し伸びた髪を後ろで1つにまとめていることや、ミリタリー風の格好は、戦場帰りという言葉がぴったりとハマっていた。 「やっぱり妙な感じなわけ?」 「だなー。視界が全然違ってるしなー。ソレが大きいのかもなー。参ったなあ」 「早く慣れるといいね」 「慣れたら慣れたで、元に戻った時がなあ……」 BDの話し相手をしているユーキは、留守にしているジャンクにかわってバックバーに並ぶボトルを磨いていた。ユーキの身長よりもまだ高い酒棚には、上から下までびっしりと酒瓶が並んでいる。ジャンクが持っている酒はここにあるだけが全てではなく、ランドシップの中にもかなりの量が積み込まれてあった。その中には、彼が自分で漬けた自家製果実酒も多く含まれている。 「たっだいまです〜」 「今帰りましたわ」 のんびりしていた場の空気が、賑やかになった。艦内の散策に出かけていたラシュネスとグレイスが帰ってきたのである。 「おかえり」 BDとユーキの声がぴたりと重なった。 「どうだった?」 「楽しかったですよ〜」 カウンターに上半身をのせ、ラシュネスはにこにこと笑っている。ユーキは、カウンターの向こう側にしゃがんで酒瓶を磨いているのだ。顔を見ようと思ったら、そうやって身を乗り出すしかないのである。 ウッドデッキのすみっこに腰を下ろしたグレイスも上機嫌で、「なんだか不思議な感じでしたわ」と感想を口にした。 「この中って、あんなふうになってたんですねぇ。BDさんも一緒に行けば良かったのに」 その1点だけが、不満らしい。ラシュネスは、ぷくうっと頬を膨らませた。BDは、まあそのうちになと、言葉をにごす。 「きっとですよ?」 「分かってるって」 言葉遣いだけを聞いていれば、小学生くらいの子供にしか思えないが、人間の姿になったラシュネスの見た目はイサムとそう変わらない年齢であった。ただ、顔立ちは幼く、どこか頼りなげだ。着ている服も大きめのブラウスにズボンという格好なので、頼りなさは1.5倍増である。 「くすくす。ところで、ラシュネスさん。ユーキさんにお願い事があるのですわよね?」 口元に手を当てて、グレイスが優しげに笑う。彼女は17、8歳くらいの少女の姿をしていた。純粋に見た目だけで言うなら、グレイスが一番年下ということになる。淡いピンクのワンピースと薄い水色のエプロン。彼女の服の色は、そのままロボットだったときのボディカラーと一致していた。 「オレにお願い? 何かな?」 「お願いっていうか……あのですねぇ、ケエキっておいしーんですか?」 「ケエ──ああ、ケーキのこと? うん、そうだね。美味しいよ」 「しゅーくりーむとか、チョコレイトとか、くっきーとかも?」 「まぁ……嫌いって話はあんまり聞かないね。苦手だっていう人はいるけど」 ユーキの返答に、ラシュネスは「そうなんですかあ」と何度も頷いた。 「──何かあったの?」 「散策の途中に、郵便部の皐月さんをお見かけしたんですわ。これからお菓子を買いに行かれる途中だったようで、とても楽しそうに歌ってらっしゃったんですのよ」 ケーキにキャンディ、チョコレート♪ と、まぁお菓子を順番に並べただけのものだったらしいが、ラシュネスが興味を持つには十分だったというわけだ。 「ふぅん……だったら、作ってあげようか?」 「ええっ?! ほっ本当ですかっ!?」 ユーキの何気ない一言に、ラシュネスの表情が一変する。キラキラと目を輝かせ、じぃっとユーキを見つめた。 「うん。いいよ。さすがにチョコレートはムリだけど。そうだな……ケーキとシュークリーム、どっちがいい?」 「どっち……う〜〜〜〜〜ん…………」 苦笑いを浮かべながら、ユーキがたずねると、ラシュネスは腕を組んで真剣に考え始めた。 「……………………」 悩んでいる。 「う〜〜〜〜〜〜〜〜ん」 かなり悩んでいる。 「え〜〜〜っとぉ…………」 結論は、まだ出ないらしい。 「…………両方作ろっか?」 「本当ですかぁ!?」 ぺっかー。ラシュネスの顔が、明るく輝いた。期待のこもった眼差しで見つめられ、ユーキは力なく笑う。 「いいよ。作ってあげるよ。ケーキとシュークリームの両方」 「うわぁ〜い! ありがとうございます〜ッ」 諸手をあげて大はしゃぎするラシュネス。ユーキは、そこまで喜ばなくても、と苦笑する。 「すげぇ悩んでたな」 「本当に」 ギャラリーに徹していたBDとグレイスは、はしゃぐラシュネスの姿に笑いをかみ殺していた。 「さて──と。それじゃあ、両方作るけど、それじゃあ材料が少し足りないんだ。だから、購買までお使いを頼んでいいかな?」 「もちろんですッ」 ぐぐっと拳を握り締め、ラシュネスは力強く請けおった。艦内は一応一通り歩いてきたのだから、大丈夫なはずである。 「それじゃ、いるものを書き出してくるからちょっと待ってて」 ユーキはそう言ってランド・シップの中に入っていく。その間、購買への行き方を思い出しておかなくては。 「え〜っとぉ……」 「ほれ、こいつを持っていきな」 「う?」 思考を中断し、ラシュネスは声をかけてきたBDの方を見た。その視界に、カーキ色のカバンがおさまる。BDが、ぽいっと投げて寄越したのは、カウンターの横に吊り下げられているお買い物袋であった。少量の物を買い足しに行くときなど、ユーキがよく利用しているものである。 「……わたくしもついて行こうかしら?」 艦内の移動だから、心配はいらない。さっきも歩いて来たばかりだし、大丈夫のはず……なのだが、どうにも不安がつきまとう。 わたくしもご一緒しますわと、グレイスが口に仕掛けたその時、 「ちはーっす。何か食わせてもらえないかなあ?」 整備班の人間が3人ほどやってきた。眉が限界近くまで下がっているところを見ると、かなり空腹らしい。 グレイスは「分かりましたわ」といつもの調子で答え、キッチンに回りこむ。グレイスは、ウィルダネスでイサムの身の回りの世話もしていたので、簡単な料理ならできるのだ。 ラシュネスも同じようにキッチンに回りこんで、お客さんに出す水をグラスに注ぎ始める。 「すまん。ちょっと手伝ってもらえんか?」 整備班に続いて顔を出したのは、生活班の班長さんであった。普段ならロボットに手伝ってもらっている荷下ろしだが、今はそのロボットが激減したため、手が足りないのだという。 「あぁ、いいぜ」 班長さんの申し出を二つ返事で了承したのはBDだ。 「イサムとユーキは? いねぇのか?」 「イサムは留守だなぁ。ユーキは、中で雑用してる」 「そうか。なら、終わったらこっちに来てくれるように言ってくれ」 「分かりましたわ」 クロワッサンに切れ込みを入れながら、グレイスが返事をする。よろしく頼むと言いおいて、班長さんはBDを連れて荷下ろしの現場に向かった。 「────あ!」 しまった。 ユーキもこの場から離れることになるのなら、留守を守るのはグレイスの役目になる。それは、ラシュネスについていくことができなくなるということだ。荷下ろしが終わるのを待ってから出発というわけにもいかないだろう。 「はーい、お水でぇっす」 「お、ありがとう。なんだい、ヤケに機嫌がいいね。何かあったのかい?」 「えへへ〜。ユーキがケーキとシュークリームを作ってくれるんですぅ」 「へぇ……そうなんだ。じゃ、今中で作ってるのかな?」 「いえ、材料が少し足りないそうなので、今はお使いメモを作ってるところです。私がお使いに行くんです〜」 にへにへと、ラシュネスは嬉しそうに笑っている。早くお使いに行きたいらしく、買い物袋を持ったままだ。 「困りましたわね……」 グレイスが小さなため息をこぼすと同時に、ユーキが戻ってきた。手には財布とメモが握られている。 「ユーキさん、ちょっと……」 「ん? どうかしたの?」 料理の手を休めて、グレイスはBDが荷下ろしの手伝いに行ったことと、ユーキにもその手伝いを頼みたいといわれていることを伝えた。話を聞いたユーキは「そっか〜」と渋い顔を浮かべる。大人3人、トーコ、イサム、ジャンクは、今回の人間化事件によって艦内に起きている大小の問題──戦力低下や衣食住の件など──を話し合う会議に呼ばれていた。イサムとジャンクはともかく、そういう場にトーコがいてもしょうがないんじゃないかとは思うのだが……呼ばれてしまったのだから仕方ない。 「──ラシュネス、1人でお使いに行ける?」 「だっ────だいじょうぶですっ」 表情がくしゃっとゆがんだのは一瞬のこと。次の瞬間にはきりりと引き締まって、ぐっと握りこぶしを作ってみせる。 艦内の散策から帰ったばかりだし、万が一迷子になったとしても、誘拐の心配はない。交通事故も、まず大丈夫だろう。それでも、不安が残るので、グレイスは調理の手を一時ユーキに預け、大急ぎで簡単な迷子札を作り、買い物袋に括りつけた。 「道が分からなくなったら、むやみに歩き回らずに、誰かにたずねてくださいましね」 「分かってますよ。大丈夫ですっ」 むんっと小さく気合を入れて、ラシュネスは「行ってきますね」と居住スペースを出発。 「……大丈夫かな?」 早くもラシュネスを心配するユーキであった。その隣では、グレイスも不安顔を浮かべている。 「初めてのおつかいってヤツだな。こりゃ」 クロワッサンサンドにかぶりつき、整備班の1人がつぶやいた。今すぐに家庭用の撮影機材を片手に追いかけて行きたいような気もする。しかし、休憩時間が45分しかないので、それは無理な話であった。 残念。 「え〜っとぉ……」 格納庫を出たラシュネスは、ユーキからもらったメモを歩きながら見ていた。ラシュネスへと書かれたメモには、生クリームとグラニュー糖、卵、あればフルーツを少しとある。フルーツは特に指定がなく、何でもいいそうだ。 「う〜ん……何がいいんでしょ〜?」 何でもいいといわれても、フルーツはトーコやユーキが食べているのを見たことしかないので、よく分からない。ここは、マッコイ姉さんに相談してみよう。「これがいいっすよ!!」とズバリ答えてくれるに違いない。 ケーキもシュークリームも見たことはあるのだ。みんな美味しそうに食べているのも知っている。しかし、ラシュネスはそれを食べてみたいと思ったことはなかった。どんなにキレイにデコレーションされていても、ラシュネスの目から見れば、食べ物に見えなかったからである。 「でも、人間になったとたん、食べてみたいな〜って思ったんですよねぇ……」 別に、腹が空くとか、そういったことはないのだが……なんとも不思議な話だ。それでも、こんなチャンスは二度とないに違いない。食べてみたいと思って、なおかつ食べられるのなら、チャレンジしてみるのが男の子というものだ。 「楽しみです〜」 きゃふ〜♪ うきうきと弾む足取りで、ラシュネスは購買への道のりを急いだ。と、その時である。通路の中央がぴかぴかと光りだした。トーコやイサムから、通路の中央が光ったら、迷わず壁にぴったり張り付けと何度も言われたことを思い出す。 「はわわわわ」 ラシュネスは、慌ててぴったりと壁に張り付いた。その目の前を白いバイクが一台、通過してゆく。 なるほど。壁に張り付けと言われたわけだ。 「は〜、びっくりしましたぁ……」 あっという間に遠ざかってゆくバイクを見つめ、ラシュネスは胸をなでおろす。 「───にゅ?」 きょろきょろきょろ。 バイクが通過する寸前まで手に持っていたお使いメモがなくなっている。 「あれ? あれれれ?」 何を買って来るのかはちゃんと覚えていた。生クリームとグラニュー糖と卵と、フルーツだ。でも、どれだけ買えばいいのかまでは、覚えていない。 「はぅ〜?! どどどどどーしましょう?!」 ラシュネスは半べそをかいて、頭を抱えた。お使いも満足にできないなんて──! トーコ……はともかく、ユーキやBDの弟として失格ではないだろうか。 手の甲で目尻ににじんだ涙を拭い、ラシュネスは、すんっと鼻をすすった。その目線の先は、先ほど通過していったバイクに向けられている。 「きっと、バイクが通り過ぎた時に飛ばされちゃったのでしょー」 よし。気合を入れたラシュネスは、口をへの字に結んで、バイクの後を追いかけることにした。きっと、バイクの通り道に落ちているに違いない。 「葉月さん、今日も忙しそうだよ〜」 あっという間に見えなくなってしまった白いバイクを見送り、空山ほのかはぱちぱちと瞬きをする。郵便部には、少女もお世話になっているから、葉月の多忙さは多少心配でもあった。彼女が過労で倒れたこともあると、人づてに聞いているだけに、あまり無理はしないでほしいと願うばかりである。 「あれ? 葉月さんの落し物?」 ひらりんと空から舞い落ちてきたのは、一枚のメモであった。何気なく文面に目を落としたほのかは、穏やかだった表情から焦燥感の濃いものへと激変させる。 少しクセのある字がのっているメモは、『ラシュネスへ』と書かれたお使いメモだったのだ。 「大変! ラシュネスさん、きっと、必死で探してるよ〜」 彼の精神年齢が子供と変わらないことは、ほのかも知っている。ラシュネスの話を聞いて、かわいいと思ったことも1度や2度ではない。 とりあえず、バイクが来た方向へ向かうのがベストであろう。メモをしっかりと握り締めたほのかは、ラシュネスの姿を探して走り出した。 「うっうぇぇ〜……おっ落ちてましぇぇぇ〜ん…………」 ぽろぽろと涙をこぼしながら、ラシュネスはとぼとぼと通路を歩く。メモは落ちていないし、誰かにたずねようにも、たずねる相手がいないのではどうしようもなかった。 「めう〜……ユーキに怒られますぅ〜」 多分、ユーキは怒らないだろう。グレイスやBDも怒らないに違いない。でも、やっぱり1人じゃ無理だったかと呆れるくらいはするだろう。ラシュネスは、それが怖かった。涙をこぼし、しゃっくりをあげつつも、メモを諦めきれずに探して歩く。 「あ! ラシュネスさん、見つけたよ〜!!」 「う? ほにょかしゃん?」 えぐえぐと涙ぐみながら、ラシュネスはこちらに走ってくるほのかを見た。額にはうっすらと汗が浮かんでいる。 「コレ! 落として困ってるんじゃないかと思って……。探してたんだよ」 肩で息をしながらほのかが差し出したのは、ラシュネスが探していたお使いメモであった。 「ああっ!! あっありがとうごじゃいます〜!! ず〜っと探してたんですぅ〜っっ」 だばー。 ラシュネスの目から、涙が滝のように流れ落ちる。嬉しさのあまり、涙腺が壊れたらしい。 「良かったぁ。見つからなかったら、どうしようかと思ってたから」 見た目は青年、中身は子供という、彼の大げさにも思える反応に、ほのかは苦笑いを浮かべた。言い換えれば、それだけ必死になって探していたということである。ほのかは、ほっと胸を撫で下ろした。 「ほらほら、男の子がいつまでも泣いてちゃおかしいよ」 ポケットからハンカチを取り出したほのかは、ラシュネスの涙を拭いてあげる。おとなしくされるがままになっていたラシュネスは「はひっ」と力強い返事を口にした。 「ほのかさん、ありがとうございました」 「これぐらい何でもないよ。それより、そのメモなんだけど、お菓子でも作るの?」 「はい〜。ユーキが、ケーキとシュークリームを作ってくれるんです〜」 「そうなんだ。それで、ラシュネスさんがお使いを頼まれたんだね」 「そーなんです。それじゃあ、行ってきますね。ほのかさん、ありがとうございました〜」 「気をつけてね〜」 ぱたぱたと小走りで駆けていくラシュネスを、ほのかは手を振って見送った。 「ふふっ。かーわいいなぁ〜」 遠ざかっていくラシュネスの背中を、ほのかは微笑ましげに見つめている。 〈……姫様……〉 声はすれども姿は見えず。しかし、この声はほのかにとって馴染み深いものであった。 「どうしたの? シャドウさん」 〈購買へ行くには、手前の角を曲がらなくては──〉 「あぁっ?! そっそーだよ!」 今にもスキップを踏み出しそうなほど、ラシュネスの背中は上機嫌である。ほのかは慌てて追いかけようとしたが、 「お待ち下さいませ、姫様。これもラシュネス殿の成長には必要な試練かと……」 姿を現した影の聖霊に止められ、口をもごもごさせた。 「〜〜〜〜〜〜〜ッ……分かったよ。そうだね。かわいい子には旅をさせろって言うもんね」 しばしの葛藤の後、ほのかは顔を上げる。でも、このまま知らん振りをするのはできなかったので、こっそりラシュネスを尾行することにした。 ナマはじめてのお使いである。 「がんばってね、ラシュネスさんっ」 こそこそと忍び足で小柄な青年の後を追いかけつつ、ほのかは小声でエールを送るのだった。 てくてくてく。 購買を目指して、ラシュネスは歩く。時々、後ろから「あぁッ」とか「あッ」「う〜」「ふみゅ〜」などという声が聞こえてくるのを不思議に思いながらも、歩いていた。空耳にしてはやけにはっきり聞こえる気がするが、振り返っても誰もいないのだからしょうがない。 「うにぅ……。なーんか、おかしーですねぇ」 歩けば歩くほど、人気のないところに向かっているような気がする。購買の回りは、それなりに人通りがあって賑やかだったように記憶しているのだが。 「……う〜ん……ここは一体、どこなんでしょう?」 ラシュネスは首を傾けた。「やっと不審に思われましたか……」 「う?」 ささやき声にラシュネスは回りを見回してみるが、やはり誰の姿もない。ラシュネスは、先ほどとは反対の方向に首を傾けた。 「困りました……」 現在位置が分からなくなってしまった。ここは、分かるところまで戻るしかないだろうか。腕を組んで考えていると、 「神無ちゃん、ゴメンして〜ぇ」 泣き笑いに近い少女の声が聞こえてきた。 「ごめんですめば、警察も裁判所も探偵もいらないな?」 「ふにゃ〜ん……探偵の意味が分かんないよぅ」 「…………小動物にはまだ早かったか」 「神無ちゃん…………?」 ネコのように首根っこをつかまれたまま、皐月は肩越しに神無の表情を伺った。顔色はおろか、眉1つピクリとも動いていないところが、彼女らしいと言えば彼女らしい。 葉月の後輩だと聞いているが、学校でどのような経緯があって彼女と知り合うことになったのだろうか。ここに来るまでは、どこで何をしていたのかなど、マッコイ姉さんほどではないにしろ、神無に謎は多い。 「ねぇ……って、あ〜! ラシュネスくんだ。やっほ〜」 「こ、こんにちはです」 手を振ってくる皐月に、ラシュネスはぺこりと頭を下げた。ぶらんと片手で持ち運びされている皐月の手には、ケーキを入れる紙製の箱が後生大事に抱えられている。 「こんなところでどうした?」 軽く眉を持ち上げて神無がたずねてきたので、ラシュネスは購買に行くところなのだと答えた。 「購買? 購買なら全然方向が違うよ〜」 「うぇ!? そ、そーなんですか?!」 どうりで人気がないはずである。神無が言うには、このあたりは一般職員もあまり立ち寄らない区画なのだそうだ。 「ふむ。ちょっとコレを持ってくれないか」 「あ、はい……って……え?」 神無が差し出したのは、皐月。一応、受け取りはしたものの、心中フクザツである。 「神無ちゃんッ?! コレって、ひどくない?!」 「酷くない。仕事中に抜け出してケーキを買いに行くような奴の主張など、葉月が認めても私が認めない」 一撃必殺。神無は、同僚の主張を冷淡に切り捨てた。 「あ〜んっっ。神無ちゃん、ゴメンしてってば〜」 「黙れ、鳥頭」 容赦のない罵倒が皐月を責める。 「さて──待たせた。今、いるのはこのあたりだ。購買は、1つ上のフロアの──ここになる」 ジャケットの内ポケットから神無が取り出したのは、簡易版艦内マップであった。胸ポケットにさしてあるペンで、彼女は、購買への道をマップに書いてくれる。 どうやら、全然違う道を歩いていたようだ。がっくりと肩を落とすラシュネスに、 「まぁそうしょげるな。慣れないうちはよく迷う。私もそうだったしな」 「あたしもあたしも〜」 はいはいはいっ! と皐月が元気に手を上げる。しかし、「お前の場合、迷うとは言わないだろ」 神無によって、彼女の主張はまたもや一蹴されたのであった。 「うにぅ〜」 「ヘコむな。迷うのはお前だけじゃないと言ったろう」 言いながら、神無はポケットからイチゴ味のキャンディを取り出し、ラシュネスの口に放り込んでやった。 「にゅ?」 口の中一杯に広がる未知の味に、ラシュネスが目を丸くする。神無はふふっと笑うと、それが“甘い”ということなのだと教えてくれた。 「おぉ〜」 これがそうなのか。なるほど、“美味しい”ものである。 「神無ちゃんっ。あたしのは?」 「ない」 即答して皐月を黙らせた神無は、今しがた説明に使ったマップをラシュネスに手渡した。 「えっえっ? いいーんですかぁ?」 マップの右上に裏とか書いてあって、空恐ろしいものがあるのだが。そのことを言うと、使用後は速やかにジャンクさんに手渡すようにと、神無から言われた。 「…………わかりました」 なるほど。あそこらへんからの出回りモノか。納得である。 「ありがとうございました〜」 郵便戦隊の2人に向かって深々と頭を下げ、ラシュネスは意気揚々と購買に向かって歩き始めた。 「これがあれば、もう大丈夫です〜」 足取りは、今までになく軽い。 「ねぇ、あの地図って渡しちゃってよかったのぉ?」 「ちゃんとジャンクさんに渡すように言ったし──」 「よくないよっ」 「は?」 皐月と神無の前に現れたのは、ほのかである。ぷくぅっと頬を膨らませ、上目遣いで神無を睨んでいた。 「──よかったのかもしれないけど、ズルはよくないよっ」 「ズルはダメなんだって」 何のことか分からないけど。ネコのように首根っこをつかまれたままの皐月が、肩越しに振り返って言う。その視線を真っ向から受け止めた神無は、「お前が言うな」とばかりにジト目でにらみつけた。 「訳が分からん……」 神無は、弱り顔で後頭部を掻く。今しばらくは、郵便部に帰れそうにない。 「あっありましたぁ〜! やっと着きましたぁ」 ラシュネス、感動。消えてしまわれてはたまらないので、ラシュネスは大急ぎで購買部に駆け込んだ。 「いらっしゃいっす〜。おや、ラシュネス君じゃないっすか」 「こんにちは、マッコイおねーさん。ユーキにお使いを頼まれてきました〜」 「ほほ〜。それはご苦労さまっす」 神無にもらったマップをお買い物袋にしまい、ラシュネスはお使いメモをマッコイ姉さんに見せる。 「了解っす。すぐに用意するっすよ〜。フルーツは何がいいっすかね?」 「えーっとですね、それがよく分からなくて……ケーキとシュークリームを作ってもらうんですけどぉ」 「ははぁ……そうっすか。だったら、色どりを考えてイチゴとキウィ、黄桃あたりでどうっすかね?」 イチゴは赤、キウィは緑。黄桃の色はよく分からなかったが、マッコイ姉さんが選んでくれたのだから、大丈夫だろう。 「じゃあ、その3種類下さ〜い」 「毎度ありっす〜」 お会計を済ませると「これは、おまけっすよ〜」とマッコイ姉さんが、一口サイズのチョコレートを5つ、ラシュネスの手のひらにのせてくれた。 「ありがとうございます〜」 マッコイ姉さんにお礼を言い、ラシュネスは再びマップを広げる。今度は、マップとにらめっこしながら進んだので、迷うことはなかった。 「ただいまです〜」 「お帰りなさいまし」 心の底からほっとしたような声で出迎えたのは、グレイスである。格納庫のいつものスペースには、トーコやイサム、ジャンクも帰ってきていた。会議とやらは終了したらしい。 「お帰り、ラシュネス。遅いから心配してたんだよ」 「えへへ〜、すいません。ちょっと迷ってたんです〜」 ちょっとなのか? というツッコミはさておき、ラシュネスはお買い物袋から買ってきた物を取り出して、カウンターの上に並べた。ついでに、おまけでチョコレートをもらったことを報告する。 「よかったじゃない。ちゃんとお礼は言った?」 「言いましたよ〜」 大丈夫です、とラシュネスは頬を膨らませる。 「ん、ご苦労様。じゃあ、ケーキとシュークリーム作ろっか。ラシュネスも手伝ってくれるよね?」 「もちろんです〜」 人間になって一番嬉しのは、前以上にユーキのお手伝いができることである。ラシュネスは、カウンターを回って、ユーキのいるキッチンに並んだ。 「ちょっと迷ったって、自力で何とかなったのか?」 「いいえ〜。ほのかさんと神無さんに助けてもらいました〜」 水道で手を洗いながら、ラシュネスがBDの質問に答える。その後で、神無からもらったマップは、ジャンクに渡さなければならないことを思い出した。 「──あぁ、これか。なるほどな」 「何がなるほど…………」 「あなたを指名するわけですね」 マップを広げるジャンクの両サイドから、BDとイサムが覗き込む。2人ともほぼ同時に、裏の文字が目に入ったようだ。 「1つ前の版だな」 「1つ前?!」 さらっと出てきたセリフに、お菓子作りに集中しているユーキとラシュネス以外の面々が、ぽかんと口を開ける。 ラシュネスにとって、お菓子作りは想像以上に面白かった。 材料を混ぜたり、しぼったり、クリームをぬったり。ケーキは、前の日から準備していたとかで、マロンケーキを作るのだそうだ。 オーブンから香ばしい匂いが漂ってきたときには、何となく誇らしい気分になったりもした。 オーブンから取り出し、仕上げの作業。絞りがねからクリームをむにむにと搾り出す作業も面白い。 「はい。これで完成」 「おお〜。できました〜」 目の前に並ぶマロンケーキと、フルーツを飾ったシュークリーム。ラシュネスは、ぱちぱちと拍手を送った。 「できたの〜?」 「できましたよ〜」 お菓子作りに参加しない人たちは、ウッドデッキの方で会議のことを話していたのである。 「それじゃあ、お茶にしましょうか」 「ですわね」 イサムとグレイスが立ち上がり、キッチンの方へやってきた。ラシュネスは、2人と入れ替わりで、ウッドデッキへお菓子を乗せたお皿を持っていく。 「お、美味そうにできたなぁ」 「えへへ」 BDの褒め言葉に、ラシュネスは嬉しそうに目を細める。 「うまいもんねぇ」 「はじめてでここまでできれば上出来だな」 トーコもジャンクも褒めてくれたので、嬉しさは倍増だ。 お茶はすぐに用意され、ラシュネスはケーキを口に運ぶ。さっきのキャンディとは違う甘さが口の中、いっぱいに広がった。 「ラシュネス、どう? 味の方は?」 「とぉ〜っても美味しいですぅ」 口の周りにクリームをくっつけたまま、ラシュネスは満面の笑みを浮かべて答えたのだった。 |