オリジナルブレイブサーガSS 夏の残り香 |
「ふん! ふんっ! ふんむっ!!」 宇宙のどこかで、熱心に素振りを行う男が1人。30がらみの強靭な肉体を持つ男の名前は、ガシュー。撃滅のガシューと呼ばれ、その無比なるパワーは勇者たちをも圧倒する。 彼が熱心に振っているのは、剣ではなく身の丈よりも大きいハンマー。ガシューはこれを片手で難無く振り下ろし、振り上げていた。 そこへ、がしゅーさまぁ! と下級魔人が数名、我先にと転がるようにしてやって来る。 「何だ?」 ハンマーの素振りを止めて、下級魔人たちを一瞥すると、彼らはきゃわきゃわと報告を始めた。何でも、ブラック・スターズを名乗る3人組のアイディアが実現可能になったと言うのである。 「…………おぉ! アレか! よしっ。なら、今すぐに取り掛かるのだ!」 随分長い間があってから、ガシューはぽんと手を打った。魔人たちはそのことについて、追及もしなければ、不審の目を向けることもなく、わっかりましたあ! と敬礼し、わきゃわきゃと騒ぎ立てながらガシューの前から去って行く。 「ふふふ。この作戦が成功すれば……」 取らぬタヌキの何とやら。ガシューは、あごに手をあて、ぐふふふふとにやけた笑みをこぼすのであった。 時と場所が変わって、ラストガーディアン。 下界では残暑が厳しいらしいが、空の上にあるラスガーには、あまり関係がない。 しかし、この艦は、下界では起こり得ないことが多々起きるのである。艦の上層部では、神経性の胃炎がはやっているとか、いないとか。その真偽の程は定かではないが、今日も上層部の神経をちくちくといたぶってくれそうな事件が起きていた。 「────」 普段は格納庫の一角に(強引に)作った居住スペースでいることの多いトーコが、この日、珍しくラスガーの一般居住区通路にいた。 その目付きは険しく、唇は真一文字に結ばれている。彼女を包む空気はピリピリと震えているようで、見る者の肌を刺激した。 ぶぅ〜ん…… 決して小さくはない羽音がトーコの両の鼓膜を刺激する。 「そこかぁっっ!!」 構えていた巨大虫取り網を一閃。 「捕まえたぁぁぁッッ!!!」 網の中で羽をばたつかせていたのは、体長30センチはあろうかという、巨大な蚊! これより、普通の蚊と区別するため、巨大蚊をモスキートと呼称する。 「やったね! 姉ちゃんっ!」 「トーゼンっ!」 てけけけっ、と走り寄って来た弟に、トーコはVサインを向けた。 「結構、集まったねぇ」 ユーキは背中に背負った巨大虫かごをおろしながら、つぶやく。背にあたる部分は、咬まれないようにと3センチほどの分厚い鉄板で覆われていた。 「いくわよ?」 「おっけぇ」 虫かごのシャッターの上に、虫取り網を設置。モスキートが暴れても大丈夫なように、網の輪の部分は、手足を使って押さえる。また網の口のところを、トーコが手で握っていた。 「せぇ、のっ!」 ユーキが音頭をとって、シャッターを開ける。完全に開ききったタイミングをねらって、 どげしっ! トーコが網の上からモスキートを殴りつけた。 モスキートは、抵抗することも衝撃に耐えることもできず、シャッターが開いたのをいいことに外へ出ようとする仲間を押さえ込むような形で、ひょろりらと虫かごの中へ落ちていく。 「とお!」 そして、ユーキが手早くシャッターを閉めた。 「ココロ嬢の方はどうかしらね?」 「イサム兄さんがいるんだし、大丈夫じゃないかな。ココロちゃんも強いしさ」 そう。トーコ&ユーキと同じ装備で、ココロ&イサムも艦内を駆けずり回っているのだ。 「何でこんなことに──?」 巨大虫取り網を華麗にかつ、巧みに操ってみせながら、ココロは涙していた。 「ココロさん、後ろ!」 「このぉっ!!」 巨大虫かごを背負ったイサムの声に応え、ココロが虫取り網を旋回させ、巨大な蚊を捕獲する。 「ううっ……カインさま……。ココロは、ココロはッ……」 ──だれか、彼女に励ましのお便りを。 「……ずいぶん集まったな」 その頃、格納庫にあるウィルダネス組の居住スペースでは、ジャンクが煙草を吹かしながら、留守番をしていた。 「ここらで一度片付けた方がいいんじゃねぇのか?」 あぐらをかいてその場に座っているBDが、上空を見上げぼやく。 「そうだな……」 彼らの視線の先には、ジャンクが自身の異能力で切り取った10メートル四方程度の別空間がある。 問題なのは、この別空間そのものではなく、この中に閉じ込めてあるものだ。 「早く片付けてくださいません?」 口元を手で覆い、グレイスが目線を逸らしながらいかにも気持ち悪そうな声で言う。その姿は吐き気をこらえている人間そのものである。 「ふぇ〜ん。気持ち悪いですぅ〜」 びくびくしながら、ラシュネスが空間へちらちらと視線を向けた。 「気持ちのいいもんじゃねえわな」 彼らが見ているのは、空間内にびっしりと詰め込まれたモスキートの群れである。 「はっはっは。みんな、酷いぞぉ。人類みな兄弟。仲良くしようじゃないか」 少し離れた所から、やけに朗らかな声が聞こえてきた。その声に続くような形で、 「そうです! みなさん、生き物はいじめちゃダメですっっ」 と、可愛らしい声。 普通であれば、誰もがこれらの声に賛同するだろうが、今回は違った。 「〜〜ッ……──(何かに耐えている様子)トォッ……コたちが、もうすぐ戻って来るから、それと合わせて片付けるか」 聞こえて来た声を完全に無視して、ジャンクはロボットたちへ声をかける。 「ソッソーデスカ」 かたかたと小刻みに震えながら、ラシュネスが答えた。BDとグレイスも反応は似たり寄ったりである。 ウッドデッキの土台に背を預けるような形でいるソレに目を向けないように注意しながら、4人はトーコたちの帰りを待った。 「ただ今、戻りました……」 ぐったりとした表情で、ココロが戻って来る。彼女のペアを組んでいたイサムの方は、苦笑いを浮かべているだけで、特に疲労している様子はない。 「どうしたんだ?」 「俺たちには分からない葛藤があるようで」 背負っていた虫かごを下におろしながら、イサムが答える。 「まあ、大変! すぐにお休みになるべき──」 スカカカカッ! 致死量に及ぶ殺気を含んだクナイが、声の主へとすっ飛んでいった。発言主は「酷いですわぁ!」と抗議するが、ココロはこれを黙殺した。 この尋常ではない疲れ具合は、誰のせいだと思っているのか。 こんこんとわき出る殺意を必死で押さえ込みながら、ココロはちらりとジャンクの顔を伺い見た。 アレへ抱く殺意は、自分よりも彼の方が何倍も上だと考える。とはいえ、その感情を彼の横顔から感じ取ることはできなかった。 「たっだいま〜」 「お帰りなさい」 丸まっていきそうな背中をピンと伸ばし、ココロはトーコたちを出迎えた。 「ジャンクさん、こっちもよろしく〜」 「ああ」 ユーキが提出した虫かごの中身をイサムたちの物と同様に、ジャンクはモスキートうごめく空間へ転移させる。 「《イクステンション》」 開いた右手をぎゅっと閉じれば、大量のモスキートを封じ込めた空間が、きゅぅんっというやや甲高い音と共に消滅した。 「はっはっは。さすがだなぁ。容赦がない」 「やかましい!」 背後からの朗らかな声に、とうとうジャンクが我慢しきれなくなったようである。精神物質化能力により、その手に現したのは、自身の身長とほぼ同じサイズのマシンガン。 トーコの《クリエイション》と違って、ジャンクの《アルケミネイション》は、創造制限らしきものがない。 「殺す。今すぐ殺す。コイツを殺して楽になってやるっっ」 兇悪な武器の銃口を敵に向け、ジャンクは今にも引き金をひこうとしていた。その時、 「待って! 待ってください! 争いはいけませんっ。平和的に話し合いで解決すべきですっっ!!」 敵と銃口の間に、別の者が滑り込む。 「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」 その者の姿にトーコが、激しく悶絶していた。悶絶とはまではいかないものの、ユーキやイサム、ココロは全身に鳥肌をたてて震えている。 「わたくしたちの精神の安寧のためにも、あなたがたは黙ってらっしゃい」 グレイスは有線式アームを伸ばすと、問題のソレに向かってぷしーっとスプレーを噴射した。 「ぬぉぉぉぉぉぉ」 「いやぁぁぁぁぁん」 とたん、ソレが苦しみ出す。 「ああ! いけない、大変ですっ。お香が終わっちゃってます〜」 「それは大変!」 ラシュネスの指摘に、ユーキが慌てて新しいお香をセット。火を点けた。 「けほけほけほっ」 「いぢめちゃいやぁぁん」 もくもくとよって来る煙に、ソレはけほけほと咳き込む。 「くそぅ。これでいいんだけどッ、いいんだけど、何か釈然としないわッッ」 「同感だ」 現したマシンガンを消し、ジャンクは妹の意見に賛成した。 「あはははは」 イサムが乾いた笑いをこぼした、その時である。新たな被害者の声が届いた。 「キッ、キサマァッ!」 「をや?」 この声は、仮面の忍者赤影──ではなくて、釧のものではないか。どうしたんだと、声の方向に目を向けると…… 「よしてくれ! 俺は、俺と争うつもりなんてこれっぽっちも──!」 「黙れ!!」 顔も声も動きもそっくりな二人が、ハイレベルな攻防を繰り広げていた。ただし、そっくりとは言え、多少違うところがある。 それは、まとっている雰囲気だ。 防戦一方の方は眉尻を限界まで下げ、目元にはうっすらと涙まで浮かべている。 もう一方の方は、仮面で表情が隠れているものの、こちらは眉尻を限界まで吊り上げているものと思われた。 「うわあ」 とんでもないものを見てしまったと、ユーキが体をぶるりと震わせる。 「ああっ。あそこにもナカマがっ」 トーコはうっとりと目を細めた。 「言ってる場合か。釧! これを使え」 ジャンクは、先程グレイスが使用したスプレーを、怒っている方の釧に放り投げる。 「泣けてくるが、効き目はある」 「何だと?」 スプレーを受け取った釧は、ジャンクの言葉を不思議に思いながらも、とりあえずそれを使ってみた。 「ぐわぁぁぁぁぁ」 なるほど。物凄い効き目だ。しかし、泣けてくるとはどういう意味なのだろうか。 釧は、スプレーを見つめ、その言葉の意味を心の底から理解した。 スプレーには、鶏マークが燦然と輝き、キ〇チョールと赤字で書かれてあったのである。 「……確かに……泣ける」 床の上でのたうちまわっている自分とそっくりな敵の姿を見下ろした釧は、やる瀬ない気分をたっぷりと味わったのであった。 ──間── 「──なるほど。そういうことか」 額に青筋が浮いているような気もしないではないが、釧はジャンクたちの説明に、一応の納得を示した。 「ひぃぃぃん。もうやめてぇ」 「げほけほけほっ」 「ごほごほごほっ」 ラシュネスがお香と称した物は、渦巻き型の蚊取り線香であり、それに燻されているのは、トーコ、ジャンク、釧のそっくりさん。 彼らは、モスキートが変化したものである。 当人たちいわく、たとえわずかでも血を吸うと、吸った者の能力をほぼ完全にコピーすることができるという。 ただし、性格は反転されるのだそうだ。 「……ひょっとして、これで手駒を増やそうとしたんでしょうか?」 単純に考えるなら、正義の勇者が反転することで悪の勇者となってもおかしくはない。 「イサムの言うとおりかも知れねぇなあ」 あごをなでながら、BDはうなずいた。しかし、ここが人間心理の複雑なところで、性格を反転させてみたところで、必ずしも悪に走るというわけではないのである。 トーコの偽物は争いを嫌う。ジャンクの偽物はやたらと愛想が良いし、釧の偽物も気弱そうながら、かなり人懐っこかった。 「当初の目的とは掛け離れたところで、ダメージが大きいです」 ココロの総合評価に、その場の全員が力強くこっくりとうなずいた。 たとえ能力をコピーできるとしても、表れた性格が性格な上、所詮は『蚊』にかわりないことが幸と不幸の境目であると言えよう。 「……とりあえず、モスキートの捕獲を続行するぞ。それと、どこかに母体がいるはずだから、それを叩く」 ジャンクの言葉に、異を唱える者はいなかった。早速、装備が整えられ、一同はラスガー艦内へと駆け出して行く。 「がんばってくださ〜い!」 ロボットたちの声援を背に受けて、モスキート退治のゴングが熱く鳴り響く! カーンッ。 「なんっ……何ッなんなのさ、アレっ?!」 「さ、さあ……」 郵便部の窓口の下にへたりこみ、赤沢卯月は、ばっくんばっくん言っている心臓をなだめるべく、胸に手を当てていた。その隣では、同僚の緑川弥生が、いつになく狼狽している。 窓口から、そ〜っと作業室をのぞけば、悪夢がそこに具現していた。 「神無……いい加減仕事して……」 ぽそっと囁くような声は、作業室の隅っこからである。そこにいるのは、桃井皐月だ。どこから持って来たのやら、みかんの段ボールの上で、ほそぼそとスクラップブック作りを行っている。平素では弛緩しまくった血色のよい顔が、やけに青白く、陰気になっていた。 「ええ〜っ。ってゆーかぁ、アタシが手伝うよりぃ、皐月一人で全部やっちゃったほうがダンゼン早いってゆーかぁ……。ほら、アタシって不器用な人じゃない? だからぁ」 唇を尖らせ、反論するのは青木神無だ。いつもはてきぱきと仕事をこなすのに、今は完全にダレている。しかも、言い訳をしながら、彼女は爪の手入れをしていたのだ。唇もいつになく赤く、ツヤツヤと光っている。 「こっ、こんなの……」 「「あり得なあ〜い」」 卯月と弥生は、ひしっと抱き合って嘆いた。どちらも休憩に行く前までは普通だったのに、帰って来たらこの在様なのである。 「……ここにも被害者がいたか」 苦渋に満ちた声に弥生が振り返ると、そこには声と同じく苦渋に満ち満ちた表情の忍びが立っていた。 「釧さはぁ〜ん? どほぉなってるんれすかあ、コレぇ……」 郵便戦隊の隊員たるもの、艦内の主要メンバーは一通り把握している。卯月は、涙ながらに仮面の忍びに状況説明を求めた。 「──と、いう訳だ」 ロープで偽者をふん縛りながら、釧は今回の事件について説明する。 「なるほど。そういう訳だったんですね」 蚊取り線香に火を点け、弥生は納得顔でうなずいた。 「それで、この偽者はどうしたらいいんですか?」 釧から偽者をふん縛ったロープのはしを受け取り、卯月がたずねる。 「格納庫にいるジャンクの所へ連れて行け」 そう言うと、釧は次の被害者を探して、郵便部を後にした。 この場合の『被害者』とは、モスキートに血を吸われた者を言うのか、偽者の言動に触れた者を言うのか、定義に悩むところである。 ココロの言うとおり、当初の目的とは掛け離れたところでのダメージが大きかった。 「おのれ……忌ま忌ましい……」 自らの修行不足を反省しつつ、釧は先を急いだ。 「くっそぅ。一体、ドコにいるのよ!?」 その頃、トーコは母モスキート(仮称)の姿を探して艦内をかけずり回っていた。 途中、艦内掲示板の前で押しピンを手にぶるぶる震えながら、 「こっ…これを、ポスターの女の人の鼻にぷすっとさしちゃえ、なんてッ。ああ、ボクは何て悪いコなんだろうッッ」 などとつぶやく、某オタ少女の姿を見かけたり、立派なお髭を生やしたおじさまが通路の陰に隠れ、 「誰もおらぬようだな。よ、よしッ」 とつぶやき、一歩踏み出したは良いが、前方から自分の方に向かってくる人の姿を発見したのだろう。ひぃとやけに可愛らしい悲鳴をあげて、そそくさと陰に隠れ直す姿を見かけたりした。 何やら背筋が薄ら寒かったりしたが、トーコはつとめて平静を装い、それを無視する。 敵は『蚊』の習性を強く残していた。なので、母モスキートは卵を生み付けられる、水が大量にある場所に潜伏していると思われる。 温水プールはハズレだった。貯水タンクも見て来たが、こちらもハズレ。植物園の池も空振りで、まさかそんな訳はあるまいと、一応ランドリールームも見て来た。もちろんハズレである。あとは大浴場くらいしか残っていない。 「ここがハズレだと、もう探すところがないわよ!?」 ぶちぶち文句を言いながら、トーコは女湯の暖簾をくぐった。脱衣場には何人かの女性がいたが、トーコはこれを無視。そのまま、ずかずかと脱衣場を通り抜け、浴場の扉を開けた。 「ひゃあ!?」 勢いよく開いた扉に、先客の女性から悲鳴が上がる。トーコはそれすら聞き流して、浴場をぐるりと一瞥した。 「ハズレか」 ちっと忌ま忌ましそうに舌打ちしたトーコは、「邪魔したわね」とそっけない言葉を残して女湯を出る。 「残るは、ここか」 見据えたのは、男湯の暖簾だ。 普段の言動からそうとは思えないが、トーコとて一応、お年ごろの娘さんである。いくら、艦内の事件を解決するためとはいえ、男湯には── 「邪魔するわよ!」 ……何のためらいもなく、彼女は男湯の暖簾をくぐり、中へ入って行った。 「うわあ?!」 驚いたのは、中にいた男性陣である。 慌ててバスタオルやタオルを用いて、体を隠す。が、トーコはそれすらも目に入っていない様子で、ずかずかと脱衣場を進み、がらっと浴場の扉を開く。 「うわああああっ???!」 先程の悲鳴とは比べものにならないくらいの大きな悲鳴が浴場に響き渡った。 「な何やねん?! 何があったんや!?」 古いなぁと思いつつ、まいっちんぐぅなどと口にして、西山音彦はタオルで体の前を隠し、回転する。ポイントはしっかり持ち上げられた左足。ほかにも、おおぅ、モーレツゥとかいう声が聞こえてきた。 誰かは知らんけど、なかなかツボを心得とるやないかと、音彦は妙な感心をする。 しかし、悲しいかな。突然の乱入者は、これらのお約束的リアクションに全くの無反応であった。 「トーコさん、こんなトコに何の用なんや?」 手早くタオルを腰に巻きつけ、音彦はトーコの顔を伺いみる。 彼女はふふふと含み笑いを浮かべ、じぃっと浴槽の一点をにらみつけていた。 「な、何や?」 ぱちくりと瞬きを繰り返し、音彦もトーコの見つめる浴槽に目を向けてみる。しかし、そこにあるのは、何の変哲もないただの浴槽であった。おかしなところなど、何一つない。 「見つけたわよ! このエロモスキート!!」 トーコが叫ぶと同時に、彼女の背後から男の物と思われる腕が出現。それがしゅっと真横に一閃すると──── 「うわぁぁぁぁぁぁっっっっ!?」 体長1メートルはあろうかという、巨大な蚊が現れた! しかも何やら産卵中! 頭の上に小さな王冠が乗っかっているところが何とも小憎たらしいが、男湯は瞬く間に大パニックに陥る。 「なんっ、何やアレェェェェッッッッ!!」 しゃかしゃかと手足を動かし、音彦は浴槽から逃げた。あんな巨大な蚊がいる浴槽につかっていたのかと思うと、背筋がゾォッと凍る思いである。 「場所を移すわよっ!」 《クリエイション》能力で、巨大な虫取り網を造り出したトーコは、目にも止まらぬ早業で、母モスキートを捕獲。 「卵の始末は任せたわよ、音彦っ!」 「なっ、何やてぇ?!」 彼の了承も聞かず、トーコは《テレポート》し、母モスキートを艦外へと連れ出した。 「ぶちのめす!!」 ぶぅぅぅん。 艦外へと連れ出された母モスキートは、自分の羽をふるわせ、トーコに接近する。 「虫けらごときがあたしに勝てるかぁっ!」 猛々しく吠えたトーコは、母モスキートに回し蹴りを食らわせた! 「《アトミック・フレイム》ッッ!!」 手の中に炎の塊が生みだし、トーコはそれを巨大蚊に向かって放り投げる。メジャーリーグでの活躍も夢ではなさそうな豪速球が、母モスキートを襲い、爆散。 「I’m No.1!!」 トーコは拳を天に向かって高らかに突き上げた。 「ワイが、何かしたやろか……」 15センチほどの卵がずらりと並ぶ浴槽を見つめる音彦の背中は、哀愁に満ち満ちていたとか、いなかったとか。 彼に手伝いを申し出る声もなく、音彦はただ途方に暮れていた。 「むぅ……」 ほぼ同時刻の別の場所。ガシューは、難しい顔で腕組みをし、とある一点を見つめていた。 彼が見つめる遥か先には、にっくき勇者共の母艦、ラストガーディアンがある。 帰ってきませんねぇとは、部下の声。 計画では、勇者の能力をコピーし、性格を反転させたモスキート人は、艦を攻撃することなく、こちらへ戻ってくるはずだったのだ。 「……飽きた。この計画はなかったことにする」 腕組みをほどいたガシューは、こきこきと首を鳴らし、部下を置いて去ってゆく。 はあいと可愛らしい返事を主人に返し、部下たちは残念だったねぇ、などと言い合った。 「おお、そうだ。計画はなかったことにしたが、やるべきことはちゃんとやっておけ」 10メートルほど離れたところで足を止めたガシューから、別の命令がおりる。 部下たちは、わっかりましたあ♪ と嬉しそうな声と共に、びしいっと主人に向かって敬礼をした。 この後、この計画を提案した3人組へ『オシオキだべぇ〜』という声が伝わったとか、伝わらなかったとか。 |