「──って、訳なんだけど……ママに許可を取ってもらえないかな?」 『分かりました。部屋自体は空きがありますし、生活費も外へ稼ぎに出てくれるのなら、問題ないと思います』 「うん、私もそう思うんだけど……」 『事前に、許可は必要ですよね。また後で連絡しますから』 「よろしく」 ユマとの通信を切ったエリィは、ふぅと小さく息を吐いた。少し離れた場所では、昨日知り合ったばかりのクオンたち4人が、仲間と話をしている。 彼らは、師匠から紛失物を探してくるように言いつけられ、ここへ来たのだという。 しかも、どうやらその探し物は、エリィたちが活動拠点にしている、ビルタの国境あたりにあるらしいのだ。 らしい、というのは、エナが行ったダウジングの結果なので、悪い言い方をすれば当てずっぽうということになる。 とにかく、そういうことであれば、とエリィたちは同行を申し入れ、見つかるまでの拠点として、ブリザール一家の住まいである天空の城を紹介したのだ。 例え許可が出なくても、行く方向は同じである。それだったら、せめて飛行船をタクシー代わりにしてもらってもバチは当たるまい。 そんな訳で、大所帯になったパーティーは、飛行船が迎えに来てくれる場所へ出発したのであった。 クオンたちの受け入れは、「好きにしな」というママの一言で、許可が下りた。 「助かるけど、何か、拍子抜けやわ」とかなえが言えば、 「懐の広いヤツが、偉くて良かったな」クオンは楽天的に笑う。 武臣は、整備班のリキュールたちを捕まえて話をしており、エナはライフと魔法談義に花を咲かせていた。 そして数時間後── 「かなえちゃん、見えて来たよー!」 「うっわ〜! あれかいな!?」 飛行船の甲板に出て来ていたエリィは、前方に見えて来た天空の城を指さす。 「すげえだろ」 何度見ても、雲の衣を着た天空の城の姿は惚れ惚れする。その感嘆に同意を求めた志狼だったが── 「まさかの出オチ!」 「は?」続いたかなえの感想に、首をかしげざるを得なかったのであった。 魔法使いになりたい! 解説しよう。 要するに、である。 クオンたちが探していた、師匠の紛失物。 それは、ママたちの拠点である天空の城だったのだ。 「……ちょっとっ待てぇっ!? 何だって、あんなバカデカイもん、失くすんだよ?!」 「器用なのね」感心するライフに、 「器用とか、器用じゃねえとか、そういう問題じゃねえだろ!?」 志狼がツッコんだものの、今イチ冴えない。それはそうだろう。正論なのだから。 「協定に出したっつー紛失届の控えもあるぞ」 べろ〜んと見せられた紙は、古すぎて変色しており、さらに虫喰いもあって、文字が読めなくなっていた。解読できる状態だったとしても、果たして読めたかどうか── 「届がこんなになるなんて……一体、何年前に失くしたの?」 「400年くらい前らしいっすよ」 「よっ……?!」さらっとした武臣の答えに皆が絶句すれば、 「250年くらい前には、ニールの原型になった戦闘機を失くしたらしいから、あり得ない話じゃないと思うぜ」 これまたさらっととんでもない言葉が、クオンの口から続けられた。 「……アンタの師匠って……」 「うん……まぁ、骨だからな」 「は? 骨?」 ふっとアンニュイな顔をしたクオンの返答に、これまた皆が首を傾げる。 そして、彼の答えの意味は、それから小一時間後に判明した。 「おう、御苦労!」 エナが、天空の城の心臓部に設置されている装置を操作。「繋がったわヨ」と後ろの開かずの扉を指させば、 「うわ! マジで骨だし!」 クオンよりもやや大きい、ローブを着た、トカゲ人間の骨格標本が登場したのである。 「う、う〜〜〜〜〜ん……」 彼を見たエリィは、その場で失神してしまった。 「何だ、この娘は。人の顔を見て気絶するなんざ、失礼極まりねえな」 骨格標本の抗議の声は、 「骨が動いて喋っとる方が、世間の常識に失礼やろ。多分」 「確信犯が何言ってやがる」 かなえとクオンの反撃にあっていた。 さて、そういった経緯はともかくとして、グリモワールという名の骨格標本は、早速、先住権を主張するブリザール一家代表と協議に入った。 難航するかに思われた協議だったが、わずか10分ほどでケリはついてしまった。 「マリーさん、一体どのような条件で合意を──?」 騙されてやしないかという懸念を抱いた剣十郎だったが、そこは空賊の長である。 「腹はないのに、太っ腹だねえ。アタシとジジイ両方が死んだ3か月後に返してくれりゃあいいとさ。その時、ここに残っている物を家賃代わりに渡すってことが条件だがね」 「何と……! グリモワール殿、それはどういう──?」 「疑うのも無理はねえが、オミから聞かなかったか? こいつは400年くらい前に作ったモンだ。そっちの感覚からすりゃあ、オーバーテクノロジーの塊なんだろうが、俺様から見りゃあ、時代遅れの骨董品だ。正直、回収したところで何にもならん」 解体して売るぐらいしか、利用方法が思いつかないという。 「つまり、今回収しようが、100年先に回収しようが、大して変わらんっつーわけだ」 「なるほど──」そういうことであれば、納得である。 「……何かすげえ人だな」 「人じゃねえよ。骨だ、骨」 「………………」 返答に困る志狼であった。 さて、そんなこんなで、クオンたちが合流して早くも数日が経った。 ジャンクが、グリモワールとの出会い頭に変な物を口に放り込まれて、ずぶずぶと床に沈んで消えた以外は、得に何もなく、平穏な日々が過ぎている。 グリモワール曰く「ただの超ぶっちぎり強力栄養剤を放り込んだだけ」だそうだが、真相はいまだ闇の……いや、棺桶の中だ。 何故かというと、ジャンクが棺桶ベッドの中から出て来ないのである。 とはいえ、蓋をノックすると、二日酔いに苦しむオヤジのような声が返ってくるので、とりあえずは生きているものとみなしている。 二日酔い状態から数日間もの間、脱出することのできない栄養剤なんて、聞いたこともないが。 「毒の間違いなんじゃない?」 トーコは思いっきり眉をひそめたが、棺桶の中の声は「今は俺、蛹だから」というこれまた訳の分からない返事を寄こしている。とりあえず、グリモワールは責めるな、ということだったので、かの骨はスープの出汁にされることなく、元気に動き回っていた。 閑話休題。 平穏であっても、目標のある人間は、勤勉であり、努力を重ねるものである。 が、それは必ずしもスムーズに次のステップへ進めるとは限らないもので…… 「──と、言う訳なんだが……よく分からないという顔だな」 「……すみません」 「いや……」 ホームの数多くある空き室の1つで、レクスは正人に魔法の講義を行っていた──のだが、どうにも上手くいっていない。 理由は分かっている。 正人は、魔法を使うのに必要不可欠であるマナという概念が理解出来ていないのだ。 マナが理解できていないのに、魔法の使い方を説明しても上手くいかないのは当然といえば当然の結果である。 「さて……どうしたものか……」 元は会議室として使うつもりだったのか、この部屋には沢山の机と椅子がある。レクスは手近な椅子を引き寄せてそこの腰を落ちつけた。その時である。 「よぉ、邪魔するぞ」 扉を開けて入って来たのは、グリモワールであった。煙管を口にくわえた状態で、タブレットのような物を持ち、それの表面に指を滑らせている。 「グリモワールさん、何か?」 「あぁ、お前らに用はない。用があるのは、この部屋だ。いくら400年前の骨董品とはいえ、ここを拠点にするなら、環境を改善して使い勝手を良くしてえからな」 リフォームの下見だと、彼はタブレットから目をそらさずに答えた。 「そういえば、お前も魔法を使うんだったな」 「一応な。それがどうかしたか?」 レクスの問いに、グリモワールは顔を上げた。自分に魔法を使うんだったなと、確認されること自体が新鮮で、その質問の裏に隠された意図に興味がわいたのである。 「実は正人に魔法を教えているんだが……どうにも上手くいかなくてな」 「正人に魔法? 何で──って、あぁ、風の妖精と契約したからか」 タブレットを少し操作したらしいグリモワールは、自己完結し、 「上手くいかないってのは、何でだ?」お前、Sランクで魔導師資格も持ってるんだろ? これまたタブレットを操作してから、レクスへたずねた。 「マナなんて初めて耳にするというような人間へは、どう教えればいいのか、皆目見当がつかん」 「あぁ、そういうことか」 この返答で、グリモワールは納得したようである。 「何かいいアイディアはないか?」 「なくもないが……まぁ……後にするか。とりあえず、講義してやるよ。気分転換に」 「気分転換……あの、もうちょっと真面目にお願いできませんか?」 「そうは言っても、俺様はいつもこんな感じだからな」 きっちり講義をしたことはないと、グリモワールは胸を張って答えた。 「クオンはお前の弟子だろう? 武臣は微妙なところだが」 レクスの問いに対する答えは「多分が抜けてる」だった。 「え? ──ということは、多分弟子?」 「そう。正式に弟子として取った訳じゃねえからな。小僧に聞いてみても、似たような答えが返ってくると思うぞ」小僧というのは、クオンのことである。 「ま、その辺のことは気にするな。とっとと始めるぞ」 先ほどまでレクスが使っていた教卓の上にタブレットを置き、グリモワールはその表面を指で撫でた。 「まず、魔法とは何か、定義をしとかねえとな」 すると、モニターのような物が現れ、そこに“魔法とは何か?”という一文が現れた。その下にはこの世界の文字が並んでおり、こちらはレクスに配慮した物と思われる。 「魔法とは──自身の体内に蓄積したマナを変換して“妖精に活動を促し”現象を起こさせるもの、だと教わりましたが……」 「あ? あ、あぁ、そうか、そうか。ここは単一術理特性圏だったか」 何だかよく分からない言葉が出て来た。隣を伺えば、レクスも訳が分からないという顔をしている。 が、グリモワールは気にした様子もなく、「そっか、そっか」と1人で何度も頷いている。 「それは、この世界における魔法の原理だな。まぁ、間違いじゃないが、俺様の求めた答えとは違う。魔法の定義ってのは、直接・間接を問わず、上位次元へ干渉することによって、現世利益を得られる技術、だ」 「技術……ですか」 「その通り。具体的に言うと、魔術と技術、両方が組み合わさったものが魔法だ」 モニターには魔法=魔術+技術という公式のようなものが表示された。 「魔法と魔術、技術は全て違うものなんですか?」 「似ちゃいるが、違うな。魔法は結果。魔術は学問。技術は感覚。これは、魔法演算力という言葉で表されることもある」 正人の問いを受けて、モニターの技術という言葉が、魔法演算力という言葉に変わる。 「魔法演算力とは何かっつーと、この世界の言葉に置き換えると、体内に蓄積されたマナを扱う技術のことだ」 魔法演算力の後ろに“(マナを扱う技術のこと)”というカッコ書きが増えた。 「ここで、お前の答えを思い出してみな。いいか、この世界の人間は、ほぼ全員が潜在的に、程度の差こそあるものの、最低限の魔法演算力を身につけている。っつーことは、どういうことか? この世界で“魔法を教える”っていうことは、魔術を教えるっつーことで、それは学問を教えるっつーことだな。まぁ、この二つを明確に区別してるところは少ないけどよ」 「魔術が、学問……ですか?」 「そうだ。魔術がカバーする範囲は広いぞ。宗教、哲学、思想、科学。呪文唱えて、魔法陣描くだけが魔術じゃねえよ」 「ということは、俺が今、やっているのは──」 「目隠しした状態で、どこにあるか見当もつかん道具の説明を受けて、なおかつ、その道具の使い方を教えてもらってるようなもんだな。そら、分かる訳ねえわな。見えてねえし、手に持ってもいねえんだ。どんなに説明されたって、ちんぷんかんぷんだろうよ」 目からウロコの気分であった。 「俺が上手く教えることができなかったのは、正人のそういう状態を把握しつつも、目隠しの取り方を説明してやれなかったから、ということか」 「だろうな。おぎゃあと生まれたその日から、目隠しのないお前に目隠しの取り方を説明しろっつったって、そりゃあ、無理な話だろ」 なるほど、そういうことかと、レクスは頷いた。 「──ということは、お前たちの所では、目隠しの取り方も教えているのか?」 「まあ、そうだな」 少し脱線をすると、グリモワールたちが事象を起こすのに使っている力は“エーテル”と呼ばれているもので、マナとは異なる定義を持つものである。が、良く似たものには違いないので、ここでは正人の混乱を招かないように、あえてマナと言っていた。 「──ということは、私もそれを教われば、魔法を使えるように──?」 「っつか、お前、妖精と契約してんだろ?」 「え? ええ」 「だったら、別に今のままでもいんじゃね?」 「は? いえ、妖精と契約をしたので、魔法を使えるようになりたいんですが……」 正人の答えに、グリモワールは首を90度傾け、 「お前、自分が口にしたさっきの質問の答え、思い出せ? 妖精がお前のマナを使って働けば、それはもう魔法なんだぞ?」何言ってんの? と言わんばかりの口調である。 「え?」 彼の言わんとしていることがよく分からない。正人も首を傾げれば、 「いいか、何も、呪文やら魔法陣やら、面倒くさいモンを覚える必要はないんだぞ? さっきも言ったが、直接・間接を問わず、上位次元へ干渉することにより、現世利益をもたらすことが魔法だ。現世利益ってぇと大仰に聞こえるが、要は自分のために現象を起こすことだ」 分かるか? と言われても、やはり分からない。困惑していると、 「具体例を上げた方がいいか? お前の契約妖精は風だったな?」 「ええ。シエルと言いますが……」 「名前はどうだっていいんだが……いいか。ここに風車があるだろ?」 そう言って、グリモワールはローブの袖から自分の背丈とさほど変わらない大きさの、赤い風車を取り出した。どこに入っていたんだ、という疑問はスルーした方が良いだろう。 「お前が、そのシエルに向かって、この風車を回せと言う。シエルがお前のマナを使って、風車を回せば、それはもう魔法と言っていい」 「えっ!? それが、魔法?!」 「そうだ。原理には、当てはまるだろ? お前のマナを使って、契約妖精が風を生み、風車を回す、という現象を起こさせた」 目からウロコ、その2。 「レクスに言わせりゃ、それは邪道だ、本当の魔法じゃないってことになるかも知れん」 「まぁ……魔法には違いないが、やや認めづらいものがあるのも事実だな。それは、妖精と契約をしているからこその結果に過ぎん」苦い顔でレクスが応じる。 「邪道だ、何だと言われようが、正当な魔法使いじゃないと罵られようが、それは別に構わねえはずだ。そうだろ? 神条正人。本来であれば、お前の道には、魔法の“ま”の字もなかったはずだ。寄り道したら、たまたま魔法がくっ付いてきて、それなら、使えた方が便利かもしれない、だから学んでみよう、その程度のモンのはずだ。違うか?」 「違い……ません」 「だったら、お前に必要なのは魔術を学ぶことじゃねえ。もちろん、知ってて損はねえだろうが、必要不可欠なモンでもねえわな。お前に必要なのは、魔法を使う知恵の方だ」 「知恵、ですか」 「そうだ。お前が使える魔法は、風系統の魔法に限られる。じゃあ、聞くが、風の魔法と聞いて、お前は何を思い浮かべる?」 「え? えっと……真空の刃を飛ばす……とかですか?」 さっきから、驚いたり、言葉に詰まったり。咄嗟に思いついた案を口にするも、 「想像力が足りねえなあ。それだけか? 風ってのは空気の移動によって起こる現象のことだぞ。音を拡散することもできれば、逆に封じることもできる。自分の移動を速めたり、逆に相手の移動を遅くしたり、な。当然、空を飛ぶというような使い方もできる」 「はぁ……」確かにその通りである。曖昧に頷けば、 「そう言ったカードを頭ン中に持ってろ。で、必要な時、望んだ時に、契約妖精に言えばいいのさ。あいつの話を拡散して、皆に聞こえるようにしろ、とか、その逆とかな。小難しい呪文なんざ、必要ねえさ。お前とシエルの間で意思疎通ができれば、何の問題もない」 それでもう、お前は立派な魔法使いだ! とグリモワールが断じた。 「……あの……言われてみると、おっしゃる通りなのかも知れませんが……ただ、まだ、ちょっと納得できないと言いますか……その──」 どう言えば分かってもらえるのか、正人は頭を悩ませた。 「えぇと……今の例で言うと、私がシエルに頼んで、風を起こしてもらい、風車が回るように仕向けられれば、それは魔法だと言っていい、ということは分かりました」 「応」 「ただ、現状として、私は、私の中にマナがあることも、風を起こすのに、シエルがどれだけ、私の中のマナを使ったのかも理解できていないんです。今後の事を思うと、それはあまり良い事じゃないような気がするんですが……」 「あぁ、何だ。そういうことか」 「えっと……どういうことでしょう?」 「魔法と魔術と魔法演算力がごっちゃになってるんだな。要するに、お前が学びたいのは、魔法演算力の方だってことだ」 モニターの公式によると、魔法演算力とはマナを扱う力のこと、である。 「現状がどういう状態かというと、お前は、金の入った桶を背負ってると思え。中身は見えない。で、契約妖精は、その桶から金をとって、魔法という現象を起こす。中身が分からねえんだから、どれだけ報酬で持っていったのかも分からねえ、とこう言う訳だ」 「なるほど。よく分かります」 「加えていうと、オーダーに相応しい報酬がどれだけかも分からんわけだ。まあ、そこは自分で覚えていくしかない訳だが、せめて、桶の中身を把握するくらいはしときてえな」 「おっしゃるとおりです」 ちなみにレクスレベルになると、桶の中身を把握することは当然のこと、オーダーに対する報酬やそれを値切る方法なども熟知しているという。 「──ということは、だ。2時間目は、別の講師のトコに行け」 「え? どうして、でしょう?」 「俺様じゃ、他人に背中の桶の位置を教えたり、その中身を把握させたりすることができん。これは、一種の才能ってヤツが必要でな、そういうことができる奴とできねえ奴がいるんだ。っつか、できる奴の方が圧倒的に少ないんだが──お前はラッキーだな。エナがいる」 「エナが?」 「そうだ。俺様に言われたっつーと二つ返事で引き受けるだろうから、いつでも行ってこい。っつーわけで、俺様の講義は終了だ」 机の上のタブレットにさっと指を滑らせ、グリモワールはモニターを消した。 「下見の続きに行って来るわ」ひらひらと手を振り、彼は部屋から退室していく。 「はぁ……」 それを見送った正人は、大きく息を吐きだし、椅子の背もたれに体を預けた。時間にしてわずか10分弱程度の短い講義ではあったが、内容は非常に有意義だったと言える。 「今の話でよく分かった。現時点で、俺がお前に教えられることは何もなさそうだ」 「いえ、それでも、色々とありがとうございました」 椅子に座りなおした正人は、素直にレクスへ頭を下げた。今まで教えてもらっていた実績があったからこそ、グリモワールの話がすんなり……とまではいかないまでも、理解することができたのである。 「しかし、あれだけ理解できているというのに、桶の位置やその中身のことを教えることができないというのは、不思議だな?」 「そう……ですね。そういう才能がいる、ということでしたが──そのあたりの事は、エナさんに聞いてみます」 ちょっと食堂で休憩をしてから、正人は図書室に向かった。そこにエナがいる、と聞いたのである。彼女は、ここにやって来てから、ほぼそこにこもりっきりらしい。 図書室のドアを開け、エナの姿を探す。彼女は、窓際の日当たりのよい場所で、本を読んでいたようだ。が、一息ついたようで、本を机に置き、うんと伸びをしている。 「エナさん。今、良いですか?」 「あら、マサト。そろそろ来ると思っていたワ」 「え?」 どういうことかと目を丸くすれば、エナは机の上に手を伸ばし、日光を浴びてキラキラとオーロラに光る蝶を持ち上げた。 「グリモワール様から、メッセージをいただいていたのヨ。アナタに、気付きを教えるように、ってネ」 「気付き?」 「この世界で言うマナを感じること、自力で感じ取れるようになることを、ワタシたちは“気付き”と呼んでいるノ」 「なるほど」 認識している物の数だけ、言葉は存在するということか。 「不出来な生徒かも知れませんが、よろしくお願いします」 「こちらこそ」エナがにこりと笑ったその時、 「エリィちゃん、参上!」 図書室のドアがバンッ! と勢いよく開く音が聞こえた。本人の姿が現れたのは、それから10呼吸ほどの間を置いてからのことである。 正人とエナの姿を見つけたエリィは、唇を尖らせていて、 「正人さん、ずるい!」開口一番、そう言った。 「は? あの……ずるい、とは?」 「レクスさんに聞いたよ! 私たちの場合、魔法はエナちゃんから習った方がいいって!」 「はぁ……」 正人が返答に困っているのを横目に、エリィはエナの方へ顔を向け、 「私も一緒に教えてもらっていい?」 「どうぞ。構わないわヨ」 講師の許可を取りつけたのだった。まるで、小さな嵐のようである。 「エリィは、グリモワール様のお話を伺ってはいないのよネ?」 「う、うん……その……まだ、ちょっと慣れなくて……」 席に着いたエリィは、少し言葉を濁した。 お化け嫌いなエリィは、いくらサイズが小さかろうと、気さくだろうと、死霊魔道士(リッチ)のような姿をしたグリモワールは苦手なのである。 「元々、そういう効果を狙って、ああいうお姿をされているそうだから、あまり気にしなくていいと思うワ」 「へ? そういう効果って……あれ、わざとなんですか?」 「ええ」 わざとあんな姿をする人の心理……。よく分からないものである。まあ、知ったところで、何がどうなるわけでもないのだが。 「それじゃあ、2時間目の講義を始めまショウ。その前に、正人。エリィにグリモワール様から聞いた話をしてあげてくれる?」 「分かりました」 正人がグリモワールから聞いた話は二つ。 1つは、魔法とは、直接・間接を問わず、上位次元に干渉することにより、現世利益をもたらすこと、だということ。 もう1つは、魔法とは結果、魔術とは学問、技術とは感覚であり、魔法=魔術+技術(魔法演算力≒マナを操る技術)という式で表せるということ。 「なるほど〜」しきりに頷きながら、エリィはメモを取り、 「それじゃあ、この魔法演算力っていうのを勉強すれば、私も魔法を使えるようになるって寸法ね!」 「えっ?」 エリィの声に驚きの声を上げたのは、エナである。それを聞いたエリィも 「えっ?」 驚きの声を上げ、目を丸くした。正人も横で、違うんですか? と言わんばかりの顔で目を丸くしている。 「……いいワ。まず、そこから話をすることにしまショウ」 こほんと咳払いをしたエナは、 「ずばり、言うわネ。エリィが魔法演算力を身につけても、魔法を使える可能性は、1割以下ヨ。この世界の魔法に限らず、他の魔法でも、ネ。可能性があるとすれば、アナタの世界の原理に従って編み出された魔法や、それに類似した原理による魔法なら、使えるようになるかも知れないけれど」 「──えぇと……どういうことですか?」 かくんと首を横に傾け、心なしか煤けて見えるようになったエリィを可哀想に思いながら、正人は質問した。 今のエナの言葉が正しければ、正人も魔法を使えない、ということになる。 「そうネェ……アナタたち、妖精っていると思う?」 「えっ? いる……んでしょう? シエルちゃんがいるわけだし──ね? 正人さん」 「え、ええ。いる、はずですが……」2人の答えに、エナは 「そういう答えだから、使えないのヨ」悪戯っぽく笑った。 ますます、分からなくなってしまった。困惑して顔を見合わせる正人とエリィ。 「この世界の人間にとって、妖精がいるのは当たり前のことなの。アナタたちにとって、見えなくても触れなくても空気がそこにあるのと同じ。海の水が塩辛いのと同じ。日の出が見えるって言ったら、東の空を見てるってことと同じことなのヨ。分かる?」 「妖精の存在が、そういうレベルで当たり前だと思っていることは、分かります」 「でも、アナタたちは違うでショウ?」 その通りである。 いくら呪文を知っていても、どんなに複雑な魔法陣を描くことができても、それが発動すると信じていなければ、基本的に魔法は発動しないのだそうだ。 「魔力があっても?」 「どこにしまったのか分からない箪笥貯金は、ないも同然ってことヨ。現実として、アナタたちが、簡単な魔法だからって呪文を教えてもらっても、発動しなかったでショ?」 おっしゃる通りである。 「そうなの! それって、魔法演算力が身についてないからじゃないの!?」 「違うわヨ。魔法演算力が身についてなくても、マサトは魔法を使えるでショ?」 風系の魔法に限定されるけど、とエナ。確かに、その通りであった。 「どういうこと、なんでしょうか?」 「今、マサトが話してくれた式、あれには抜けているものがあるのヨ」 「抜けているもの? 何? 何が抜けてるの?」 自分が書いたメモとエナの顔を、エリィは交互に見比べる。“偉大なる”なんて枕詞がつくグリモワールが教えてくれた式に、穴があるとは思えないのだが。 「アイ、ヨ。その式には、アイが抜けているノ」 「あ、あい? 魔法には愛がいるの?」それは盲点だった。 「……確かに、魔法への愛はないかも知れません……」真剣な顔で悩む正人。 「ワタシが言っているのは、ラブのアイじゃないワ。数式で使われる iは、虚数のことヨ」 魔法=魔術+技術(魔法演算力≒マナを扱う技術)+i これが、正しい式だと言う。 「この場合のiは、道徳的、宗教的、民族的思想背景のことネ。つまり、誰かに教わることなく、魂に刻み込まれる、言われなくても当たり前のことを言うノ」 「えっと……ということは──?」 「空気の存在が当たり前だと思うくらい、妖精の存在も当たり前だと思わない限り、アナタたちにこの世界の魔法は使えない、ということヨ。ただ、唯一の例外が、契約ネ」 分かるような、分からないような。どうも、魔法というのは抽象的で困る。 「そうネ、募金を呼び掛けるようなものだと思ってちょうだい。今のアナタたちは、事務的に募金を呼び掛けているだけなノ。ぼそぼそ、小さい声で、棒読みでネ」 そんな人に募金をしようと思う? たずねられて、正人とエリィは、首を横に振った。 「逆にこの世界の人は、元気な声ではきはきとした物言いで、募金を呼びかけているワケ。仮に魔法演算力を身につけて、この世界の人たちと同じように呼びかけたとしても、目が疑ってるわけヨ。本当に募金してくれるノ? こっちの声、聞こえてる? 言ってる意味、分かります? っていう具合にネ」 「な、なるほど」よく分かる例えである。 「マサトの場合は、向こうから、何してるの? って声をかけてきてくれたようなものネ。その他大勢に声をかけなくても、たった一人に声をかければいい状態になったノ」 「なるほど」よく分かる。 「は〜あぁ……魔法を使えるようになれば、もっとみんなの役に立てると思ったのになぁ」 「みんなの役に……ねえ……その役に立つっていうのは、具体的にどういうことなノ?」 「え? 具体的……に?」 「そう。具体的に、ヨ。攻撃魔法を覚えて、戦闘に参加したいノ? それとも、補助魔法を覚えて、みんなの戦いが有利に進むようにしたいノ? 回復魔法で、みんなを助けたい?」 「えっ……えっと……?」 「戦闘に関わるだけが、能じゃないわヨ? 日常の炊事洗濯、掃除や料理の支度。お金の管理。それから、多岐に渡る情報収集。医療技術の心得、工作技術の習得──」 「す、ストップ、ストップ!」 次から次へと挙げられていく事例に、エリィは待ったをかけた。 「その様子だと、具体的に考えたことはないのネ」 「ナイです……」 しゅんと項垂れるエリィに、エナは「落ちこまなくていいわヨ」と笑う。 「色んなものを見聞きして、色んなことに興味を持てばいいノ。知識を増やすことは、今すぐ役立たなくても、いつか役に立つかも知れないワ」 「いつか、なんて……」 「今すぐ役立とう、なんてそれは少し甘ったれているわネ。シローたちの技は、一朝一夕で身についたものだと思う? 何年もかかって磨きあげて、身につけたものヨ? アナタも同じ時間を過ごして来たはずネ? その間、エリィは何をしてたの?」 「あ…………」 「シローたちは、体を鍛え、技を磨いて来たワ。エリィは、世界を回って見聞を広め、知識を蓄えていたんでしょう? エリクさんに聞いたワ。だったら、アナタの役立ち方は、集めて蓄えた知識をみんなに分け与えることじゃないかしら?」 「う、ん……でもね、この世界は、私の知らないことばっかりだから……」 「あら? だったら、勉強することが増えたと喜ぶべきだワ。ワタシもそう。知的好奇心が疼いて、毎日が驚きの発見ヨ」 エナは本当に楽しそうに笑っている。 「ワタシだけじゃないワ。みんな、いつか、誰かの、何かの役に立つために、日々、学び、研鑽を積むのヨ。その、いつかに巡り合った時、後悔しないように、伸ばされた手をためらわずに掴めるようにネ。そうでしょう? マサト」 突然水を向けられて驚いた正人だったが、エナの言う事には、賛成である。 「ええ、その通りですね。いつか起きる、何かのために、訓練は毎日行うんですよ」 「お……奥が深い……」 「当然ヨ。どの分野であっても、日々、昨日よりは今日、今日よりは明日、より技術が進歩するように、研究開発が続いているのヨ」 「ソウデスネー」思わずがっくりうなだれるエリィへ 「ローマは一日にしてならず、って言うんだったかしら?」 悪戯っぽく笑うエナの言葉は、乾いた笑いにしかならなかった。 「さて、基本的な知識を身に付けたところで、実践といきまショウ。場所を帰るわヨ」 「実践? ここじゃ、駄目なんですか?」 「ここより、良い場所があるのヨ。エリィは、どうする?」 「ん〜……ちょっと自分の役立ち方について考えてみる」 「そう?」 「うん。実践は、またの機会にね」 エリィはそう言って、図書室から出て行ってしまった。エナと正人はその背を見送ってから、移動を開始。 「ここが──?」 「そうヨ」 エナが案内したのは、日当たりの良い中庭だった。とは言っても、つい最近までは草が膝丈ほどの高さにまで生い茂っていた場所でもある。 「ずいぶん綺麗になったんですね……」 中庭は、すっかり見違えていた。あんなに生い茂っていた草は見事に伐採されており、誰が見ても、庭だと言ってもらえる姿を取り戻していた。 中央には丸い石畳があり、壁際にはきちんと刈り込まれた植物が、赤や白の小さな花を咲かせている。その側には3人掛けくらいのベンチも置かれてあった。 「クオン、オミ。悪いけれど、場所を空けてもらえるかしら?」 エナが声をかけたのは、中庭の先客である。クオンと武臣は、中央の石畳の上に向かい合って座禅を組んでいた。 「お? どうかしたのか?」 「グリモワール様からの依頼で、マサトに気付きを教えているノ」 「あぁ。持ち上げるのか」 クオンは小さいままだったので、まるで精巧なCGアニメーションを見ているような気分になる。彼はふわりと浮きあがり、座禅を組んだまま、微動だにしない武臣の頬をぺチペチと叩いた。それで、彼はようやく目を開け、 「何だ? どうかしたのか?」ぱちりと大きな瞬きをする。 「交代だ。マサトを持ち上げるんだと」 「持ち上げる? 上がるんじゃなくて?」 「上がろうと思ったら、普通は2か月から3カ月かかるからな。感覚を掴むのに、ちょっとだけズルをするんだ」 「ふうん」 何だか良く分かったような良く分からないような顔で、武臣は相槌を打ち、石畳の上から立ち上がった。良く見ると、2人とも素足である。 「ここも、あっちも刺激強いっすから、気をつけて」 こことは、石畳であり、あっちは空だった。 「はあ……」さっぱり分からない。 「マサト。靴と靴下を脱いで、この上に立って」 エナに言われ、正人は武臣と交代する形で、石畳の上に立ち── 「っ!」武臣の言った、ここの刺激が強い、という意味を体で理解した。 石の表面がごつごつしているのである。これはアレだ。ツボ押しの上を歩いているようなものである。不摂生をしているつもりはないのだが、あちこち痛い。 「ここに立ってくれる? そして、両手を前に。ワタシの手と合わせて」 ちょっぴり涙目になりながら、正人はエナの前に立った。彼女は平気そうな顔をしているので、痛くないのかと聞けば「その痛さが気もち良いっていうの、あるでショ?」という返事。確かに、そういう部分もある。 「スポーツ選手もそうっすけど、体動かしてるからって、健康とは限らないんすよ」 俺も最初は痛くて涙が出そうになったと、ベンチに座って靴下を履いている武臣が笑う。 「どうしても、同じ部分ばっかり使うからな。体のヘンな所が凝るんだ」 同じように靴下を履いているクオンは、ベンチの背もたれに座っていた。 「いい? どの世界の魔法でも共通して重要視されているのは、呼吸ヨ。エーテルもマナも、呼吸を通して体内に取り込むノ。外部要因を必要としない系統であっても、呼吸は大切なものとされているワ」 「はい」と返事をしてから、ふと思いたち「外部要因を必要としないのに、呼吸は大事なんですか?」質問をした。 「ええ。呪文を唱える時の息継ぎの問題ネ。同じ強さの短い音を何度も響かせるより、同じ強さで長い音を響かせる方が、強力なのヨ」 「なるほど」 「少し俯いてくれるかしら?」 エナの指示を受けて、正人は頭を下げた。すると、正人の額にエナの額が当てられ、 「この方が呼吸を感じ取りやすいでショウ?」 「え、ええ」 「目を閉じて、呼吸に集中して。──吸って……止めて……吐いて……止めて」 後はその繰り返しだ。吸って、止めて、吐いて、止めて、また吸って、止めて、吐いて。 だんだんエナの言葉が遠のいていき、次第に耳に入らなくなっていく。 自分の呼吸する音だけが耳に残り──突然、ふっと軽くなった。 「な!?」 何が起きたのかと、目を開けた瞬間、正人の体は空を飛んでいた。 息をのむほどに美しい青の世界。 数十メートル下は、どこまでも続く、真っ白な雲の原。 その美しさに、正人はただ言葉なく、涙を流す事しかできなかった。 息をすることすら忘れて、何に例えることもできない、美しい世界に心奪われていると、きらりと光る何かが横を通り過ぎていった。 それの正体が気になって見上げると、そこには太陽が光り輝いていた。 きらり。光る。 ぴかり。また光る。 きらり、ぴかり。 ぽつぽつと太陽から降り注ぐそれは、次第に数を増やし、色を増やし、正人に降り注ぐ七色の雨になった。 雨は、通り雨から豪雨になり、ゲリラ豪雨へと規模を変え、正人の体を地上へ押し戻す。 「──っ!?」正人は、目を開けた。 「え……?」 さっき、開けたはずの目がまた、開いた。 ぱちりぱちりと瞬きをすれば、あんなに明るかった中庭が、茜色に染まっているではないか。 「え……?」 「おかえりなさい。手を下ろしてもいいわヨ?」 くすりと笑われ、正人は自分が前に手を出したままの状態だったことに気付いた。 「どう……なって?」 疑問の言葉と共に、足を一歩踏み出したとたん、かくんと膝が折れた。そのまま、地面に尻もちをついてしまう。 何だ、この疲労感は。自身の体が重いと感じる。立ち上がることすらできそうにない。 と、言うより、口を開くのもおっくうだ。自分は一体どうしてしまったんだろうと、茫然自失の体でいると 「お疲れッす」武臣がやってきて、水が入ったコップを差し出してくれた。 正人はそれを緩慢な動作でコップを受け取り、ゆっくりと水を飲み干した。 「っはぁ〜……っ……」 生き返る、とはまさにこのこと。体の中に凝り固まっていた何かが、すーっと引いていく。体が重だるいのは変わらないが、それでもさっきよりはずいぶんとマシだ。 「気分はどう?」 「体は重いですが、心の方はクリアですね。全てが変わって見えるというか……」 周囲の木々や草花。それらも生きていることは分かっているのだが、日常生活において、多くは風景の一部としか認識していなかったように思う。 それが、今、この瞬間。生きているのだと、動物のような存在感と共に自分へ訴えかけてくるのだ。 草木の息使いが聞こえるようだ。 世界は、こんなにたくさんの生命で溢れていた。 これがマナなのかと目から鱗の気分で、そよと吹く風を感じていると、 「後、一週間も続ければ、チャクラが完全に開くわね」 「は?」 さらっと続けられたエナの言葉に、正人の体がぎしりと強張った。 「チャクラっていうのは、体の中心に立つ柱のことヨ。魔法を使う上で特に大切なのは、額にある第6チャクラを覚醒させて、その上にある第7、第8のチャクラの活性化を促し、上位次元からのメッセージやエネルギーを上手に受け取ること……って、大丈夫?」 「……一週間、続くんですか? これが?」 「ええ。一週間くらいあれば、慣れると思うワ。その後、ここでエーテルに気付けるように……マサト? どうしたの?」 「いえ……その……ちょっと……何と言えばいいのか──」 ただ今、自分の甘い考えに、打ちのめされ中。 エリィへ向けられた「ローマは一日にしてならず」という言葉が、自分にも返ってきた。 本当の魔法使いになるのは、簡単なようで難しいらしい。 |