ママ・ブリザール


──深夜12:30──

 豪華飛行客船“ゴールデン・マイラ”の大広間は、着飾った紳士淑女で溢れかえっていた。その中心には、客船の所有者であるビルタの大富豪、アルトゥーリ・バックマンがにこやかに笑っている。
 彼の愛娘の名をいただくこの飛行客船は、ビルタとフォルトーを10日という日程で結んでいる観光飛行客船だ。
 ビルタとフォルトーの険しい山岳地帯は、人を拒む天然の要塞であるが、空路を行けばそれは大自然の宝石に変わる。
 夏でも雪の残る高山や朝日に浮かび上がる山々のシルエット、夕焼けの素晴らしさ。
 眼下に広がる一面のパノラマは人々の目を楽しませてやまない。
 ビルタとフォルトーの上流階級の間では、このような観光飛行客船に乗って、雄大なパノラマを楽しむのが、最近の流行だった。
 飛行船自体、数が少なく、2割がバックマンのような国を代表するような商人であり、残りの殆どは国や軍といった組織が所有する物となっていた。
 それほどまでに数の少ない物であるから、乗船したがる者は後を絶たない。まして、ゴールデン・マイラのような豪華飛行客船となると、半年先まで予約がいっぱいというような状況である。
 乗船した紳士淑女は、みな申し合わせたように「景色もお料理もパーティーも全てが最高でしたわ」「夢のような10日間だったよ」「一生の思い出になりますわ」と、口々に褒めそやし、うっとりとした表情でタラップを降りていくのだった。
 乗客に夢のような10日間を提供するため、ゴールデン・マイラの自衛力は軍艦に勝るとも劣らないとさえ言われるほどのものを有している。
 現に、何度か空賊──世界的にも貴重な飛行船で賊働きを行う嘆かわしい人種が世の中にはいるのだ! ──を追い払っていた。その功績は、フォルトーからも高く評価されていて、近くバックマン氏は何らかの号を授かるのではないかと、噂されるほどでもある。
「ふあー……目がちかちかするワ」
「フン。貴族ってのは悠長なモンだな」
 広間を見下ろす位置から楽しげに語り合う男女を見下ろすのは、人間の少女とワーウルフの青年だった。2人とも簡易ながら武装をしており、明らかにパーティー会場から浮いた存在である。まあ、客船の護衛として乗り合わせているのだから、浮いてしまうのは、仕方のないことだ。
「くっそう。香水っていうのか、これ。鼻がおかしくなりそうだ」
 何度も大きなくしゃみをして、ワーウルフの青年は鼻をすする。
 飛行船の護衛なんて、簡単な仕事だからと聞いていて──実際その通りだったが──こんなに香水の匂いがキツイと聞いていれば受けなかった。
 残る旅程は後2日。さっさとビルタに着けばよいのにと思わずにはいられなかった。


「フン。軍船にも匹敵するってうたい文句のわりに、内部の警備はお粗末なもんだねえ」
 手袋をきゅっとはめて、具合を確かめながら彼女は呟いた。乗客はみんな大広間に集まっていて、客室は静かなものだった。
 空賊の襲撃は、海賊の襲撃と大差ない。大砲ぶっ放して足を止め、そこへ乗り込み、白兵戦を展開。掻っ攫える物は人でも何でも掻っ攫い、仕事が終わったらさっさと逃げる。
 そういうものなのだが……そういう方法が取れるのは、部下が数十人いるような大所帯だけの話だ。
 彼女のところのような小さな所帯は、こそこそと入り込んで空き巣のような稼ぎ方をしている。引き上げ時に派手に暴れていくとあって、この手口は今もばれていない。
「これだから空賊稼業ってのはやめられないねえ」
 扇情的なルージュが乗る唇の端が、にいっと真上に持ち上がる。帽子から覗くのはいぶし銀の髪。アーモンドの双眸には、猛禽類の鋭さが宿る。
 軍隊の制服にも似た服に身を包むその姿は、まさに女将軍。齢を重ね、世間的には初老の域に突入しているのだろうが……花の盛りはこれからとばかりに咲き誇って見えた。
 彼女の後ろには、小さな子供たちがちょこちょことついて回っている。
 コンコン。
 部屋をノックする。客は出払っているが、客が連れてきた侍女や侍従は部屋にいる可能性が高い。
 コンコン。
 もう一度ノックする。ややあって返事があった。
「定時巡回に参りました。扉を開けていただけますか?」
「はい。少々お待ちくださいませ」
 扉の向こうで誰かが動く気配がする。女性の左に張り付いた子供が、懐から小さな丸い玉を取り出し、構える。
「お待たせいたしました」
 扉が開くと同時に、女将軍はぷしゅっと香水を1噴き。扉を開けた侍女は、ふらっと昏倒する。
 その足元では子供が丸い玉を室内へ放り込んでいた。ころころ転がったそれは、部屋の中央にいくと、ぶしゅっ! 甘ったるい匂いを部屋中へ振りまくのだった。
「よし、40秒で掻っ攫ってずらかりな」
「はーい。ママ! わっかりましたあ!」
 女性の指示を聞いた子供は、小声で答え、室内へ入っていく。丸い玉が噴射した匂いは、人を昏倒させる効果を持っているが、人とは違う人体構造をしている子供には無効の物だった。
 どこからどう見ても8歳児くらいにしか見えない子供だが、実は錬金術にて生み出されたホムンクルスなのである。
「次行くよ」
「はーい!」
 ママと呼ばれた女将軍の近くには、3人の子供がいる。みな、ホムンクルスだ。
「ママ、今12時35分。作戦その2移行まで、あと10分!」
「ヨーソロー。時間ギリギリまで粘るよ!」
「わっかりましたあ!」
 次の部屋の前に立つと、再びママは扉をノックする。2度3度ノックしたが、今度は返事がない。
「おや、留守かね。だったら話は早い」
 ドアノブの下の鍵穴に手を当て、ママは小さく呪文を唱える。鍵開けの呪文は見事成功し、ホムンクルスが1人、室内へ押し入っていった。


──深夜12時45分──

「時間だぜ、べいべー!」
「おーっ!」
 眼下に巨大な豪華飛行客船を見下ろし、最大2人乗りという小さな飛空船が空を舞う。フロントには竜頭骨があしらわれていかつい作りになっているが、側面に回ると魚や鳥、トンボやカブトムシといった子供の落書きのようなものが描かれている。
 スカルヘッドという名のこの飛空船は、空賊ママ・ブリザールの配備品だった。スカルヘッドの底部には、蜘蛛形の多脚戦車アラクネが張り付いている。
 スカルヘッド、アラクネ共に操るのは、子供型ホムンクルス、総勢6人の小隊だ。
「よーっし、いっけー!」
 客船の船体を垂直に駆け下り、目的のポイントへ急ぐ。ポイント近くで、船体を大きく真横に倒し、アラクネの連結を切り離す。
「そおれぃっ!」
 スカルヘッドとの連結を切り離されたアラクネ操縦席では、命綱とも言える粘着糸を放出。客船の船体にぶら下がり、
「とぉ!」
 多脚で接地。船体を蹴ってジャンプし、
「しゅーと!」
 もう1つの装備品、爆弾を船体に向かって投げた。
 直後、客船は大きく横へ傾き、船体からもうもうと煙が上がる。瞬く間に非常ベルがなり、船内は混乱の渦に叩き込まれた。
「ママ! 着いたよ!」
「ヨーソロー。時間通りじゃないか。警備兵がここへ駆けつけるまで、120秒。姿を見られないうち、100秒で破壊工作! 20秒でずらかりな!」
「はーい! わっかりましたあ!」
 ママの指示を受け、アラクネは装備している爆弾を周囲にぽいぽい撒き散らしていく。
 その間、客室に侵入してめぼしいものを掻っ攫っていたホムンクルスたちは、開いた大穴から外へ脱出。
「わーい。今日も大漁だぞー!」
 ぽてぽてと客船の船体を駆けていく。自分たちを作ったおじいちゃんこと、バノブルー特製ブーツのおかげで、垂直な壁にもぴったり張り付くことができるのである。逆さまになっても落っこちない、スグレモノなのだ。
「後、30秒!」
 破壊活動を続けているアラクネへ、ママが指示を飛ばす。と同時に腰にぶら下げている大口径の銃に手を伸ばした。武器といえば、剣や槍、斧といったものが一般的だが、科学技術の進歩により、火薬を使って鉄の弾を飛ばす銃という物が生みだされたのである。まだまだ一般的ではないマイナーな武器ではあるが、ママはこれを気に入っていた。
 弾は消耗品のため、少々コストがかかってしまうが、これほど使い勝手のよい武器はめったにない。
 たとえば、相手が魔法使いならば、連中が呪文を唱えだした直後にズドンとやってしまえる。戦士や騎士にしても、発射された弾をよけられる者はまずいない。少なくとも、ママが愛用しだしてからのこの数年、そういった戦士や騎士に当たったことはなかった。
「引き上げるよ!」
「はーい!」
 破壊工作に勤しんでいたアラクネたちはぴたりと活動を止め、自分たちが開けた穴から大空へ飛び降りていく。
  「10秒! 8、7、6、5、4、3、2、1」
 全ての戦車が飛び降りて行ったのを見届け、さあ自分の番だと穴から身を躍らせかけたその時、
「動くんじゃねえ!」
 ママの動きを制する者が現れた。
 だだだだっと素早く駆け込んで来たのは、ホールを警備していたワーウルフの青年である。その後ろには、呪文を唱えだした人間の少女もいた。
「おや。アタシの予想より20秒ほど早いたぁ、やるじゃないか」
 銃を持った腕を組み、孫のような年齢の2人へママは不敵な笑みを向ける。
「この状況でずいぶん余裕だな」
「は! お前たちとは年季が違うんだよ。年季が」
 言いながら、腕組み状態のままママは銃の引き金を立て続けに2度引いた。
 一発目は少女の集中を途切れさせるため、こめかみスレスレのところを狙ったもの。
 もう一発は、ワーウルフの青年の腿を貫いた。
「きゃあっ!?」
 こめかみを掠め飛んでいく銃弾の風圧に少女の集中が途切れ、腿を貫く熱く鋭い痛みに青年が悲鳴をあげる。
「ぐぁっ?!」
「ふん。警告と威嚇は同時にやってちょうど良いくらいさ。覚えときな!」
 言い捨てたママは、ひょいと空中に身を躍らせる。
「な!?」
「うそ?!」
 飛行呪文を唱えた形跡はどこにもなかった。落下途中に呪文を唱えるという手がないわけではないが、その集中力たるや相当なものが必要となるはずである。
 2人は慌てて大穴を覗き込み、落下していく老婦人の姿がないか探したが、眼下には分厚い雲が広がるばかりで、ワーウルフの発達した視力を持ってしても人影を見つけることはできなかった。


 2人が、無法国家デューオでも名の知られた盗賊一族・ブリザールの中に名を連ねる空賊集団ママ・ブリザール一家の名を耳にするのは、この後しばらく経ってからのことである。




*************




「お前たち、今回もご苦労だったね! 首尾は上々だよ!」
 エールの入ったジョッキを片手に、ママは飛空挺の食堂を見回した。テーブルについているのは、12人のコブンたちと1人の老人。この老人は、空賊稼業を支える大事なメカニックであると同時に、ママの夫でもあった。
「あれだけありゃあ当分、生活は安泰じゃな」
 にこにこと笑う夫・バノブルーへ、ママは一瞥を向け、
「アンタが、研究費だの開発費だの言って無駄遣いしなければの話じゃないか。そこら辺、分かって言ってんだろうね。このクソジジイ」
「分かっとるよ、マリー」
 妻にクソジジイ呼ばわりされても、バノブルーは怒る様子もなく、平然としていた。妻が自身をそう呼ぶのは、愛情の裏返しだと分かっているからである。
「しばらく研究開発は休みじゃわい。後1ヶ月くらいせんと頼んどるマルキニウムが届かんのでなあ」
「ちょっと待ちな、ジジイ」
「ん? なんじゃい」
「なんじゃい、じゃないだろ! マルキニウムがどんだけすると思ってんだい!?」
「必要なんじゃもん」
「なんじゃもんって、アンタ幾つだと思ってんだい!? 唇尖らせて拗ねたって気持ち悪いだけだよ!」
「祖父殿、その話、ぼくは初めて聞くが?」
 むっと頬を膨らせるのは、一家の財布を握っているコルンだった。
「はて? そうじゃったかの? ジンには言ったはずなんじゃが……」
「コルンにはオッケーもらったって聞いたよ…………?」
 すっとぼけるバノブルーへ、交渉担当のジンがジト目を向ける。確かに、マルキニウムの商談をまとめてきたのは、自分だったが、それは金庫番の許可があると聞いたからだ。
「はて? そうじゃったかな?」
「おじーちゃんッッ!!」
 ジンが非難がましい目を向けるのとほぼ同時に、
「愚か者! 枯れ果ててしまえ!!」
 コルンがソロバンを投げ放つ!
 ただの計算道具のはずなのだが、長方形の物体はしゅんと空を切り、メカニックの額と頭の境目を直撃!
「うひぃ!?」
 ソロバンのスピードと威力に耐えられず、バノブルーは椅子ごと後ろにひっくり返った。
ごちぃんっ……!
「おぅまい……2段がまえかよ……」
「あいっかーらず、絶妙な角度でえぐってくな……」
 真後ろにひっくり返り、後頭部を強打した年寄りは、目を回していた。額と頭の境目には、見事にソロバンの珠の跡が残っている。
「さすがだぜ、コルン……」
 小型飛空艇スカルヘッド隊のリーダー・ラムと白兵隊のリーダー・ブランデーは、業師コルンへ賞賛の目を向けた。心の底から「ぶらぼー!」と叫び、拍手を送ってやりたい気分である。
 腕っ節なら、自分たちのほうが上なのだが──どうにも勝てる気がしない。コイツにだけは逆らうまいと心の底から思うのであった。
 一家の戦闘面を担う2人に恐れられていることを知ってか知らずか、コルンは、食堂の壁に当たって跳ね返って来たソロバンを当然のような顔をしてキャッチする。
 反射角度まで計算しての1投……もはや神業としか言いようがない。
 ソロバンを内ポケットにしまった金庫番は、
「マルキニウムはすぐさま売り払ってくれる」
 面白くなさそうに鼻を鳴らした。ママにお伺いを立てれば、「ヨーソロー」と返ってくる。
「待ってよ、ママ! マルキニウムは必要なんだよ!」
「そうだよ! 今、魔法探知機をごまかす機械を作ってるんだ!」
「マナを無力化できる、マルキニウムは必要だよ!」
 リキュール、ウォッカ、ピンガの3人が身を乗り出して、異を唱えた。この3人、バノブルーの助手をしているのである。
 3人組は、拳を振り回し、マルキニウムの必要性を切々と説く。とぼけてごまかそうとする研究開発班の長よりもしっかりしている。
「いつも思うけど、大変だねえ」
「だねえ。ぼくたち、関係なくてよかったねえ」
「ほんと、ほんと。どうでもいいけど、お腹すいたねえ」
 傍観者に徹しているのは、ウィスキー、ワイン、ビールの3人だ。この3人、自分たちの生活空間である浮遊島での生活関連の雑事をを引き受けている。今、テーブルの上に並べられている食事もワインを中心に、この3人が用意したものだ。
「へい、アラック。このままじゃ、いつまでもご飯にならねえぜ」
「だねえ」
 ラムの指摘に、母艦のメイン操舵手をつとめるアラックがうなずいた。
「ブランデー、テキーラ。止めて来いよ」
「おれがあ? 気がすすまねえな。ラムが行けばいいじゃねえか」
 嫌そうに言うブランデーの横で、多脚戦車隊リーダー・テキーラが面倒くさそうに肩をすくめて、
「こういうのは、リーダーの仕事だと思うよ、うん」
 リーダーというのは、アラックのことである。彼は、コブン全員のリーダーもつとめているのだ。
 つまり、テキーラよりアラックのほうが、いちおう偉いのである。
 おまえが止めろよ、いや、おまえが。
 そんな押し付け合いを4人がしていると、
「いい加減にしな!」
 ズドンと銃声が一発。食堂の天井に穴が開く。
「あーあ……」
 アラックがため息をついた。
 ママが座るあたりの天井は、補修跡だらけだったりする。痺れを切らしたママが、天井に向かって発砲するせいだ。
「頼んじまったもんはしょうがない。あきらめな、コルン」
「くっ……ママがそういうのであれば……仕方あるまい」
 悔しそうに唇をかみ締めるコルンであった。
「ジン、次からは相手の言うことを鵜呑みにするんじゃなくて、自分でもちゃんと確かめるんだね」
「はあい」
 椅子に座りなおしたジンは、不満を隠しきれないまま、大きなため息をこぼす。
「ジジイ以下、リキュール、ウォッカ、ピンガのおかずは1品抜いちまいな」
「えぇっ!?」
「ええっ!? じゃないよ。家族をだましたんだ。それくらいの罰は当然さ」
 ふふんと笑ったママは一同を見回し、不服はないねと確認する。
 一家の長の決定だ。不服はない。
 1品抜きという罰に、ジンの機嫌が少しだけ直ったようだ。
「それじゃ、食事にするよ!」
「はあ〜い! いっただっきま〜す!!」


 ささいな揉め事は日常茶飯事。それでも、すぐに仲直りできるのが、家族の良いところだ。



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