「なっ……?! 何で付いて来たんだよッ!?」
 肩に掴まっているトーコに向かって、和馬は吠えた。
「何でって、こっちの方が面白そうだったから」
 和馬の怒鳴り声も、トーコには馬耳東風である。けろっとした顔で、「まぁまぁ、ヤっちゃったモンはしょうがないじゃない」と、和馬の肩をポンポンと叩く。
「どうなっても知らないからな」
「自分の面倒くらい自分で見るわよ」
 トーコは和馬の肩から手を放し、周囲をぐるりと見回した。
「ところで二人はどこよ?」
「あ、ああ。そっちの方が先決だな」
 和馬もトーコと一緒になって、詩織とリーファの二人を探す。
「何ていうか、気味の悪い空間だな」
「最ッ低ーの趣味よね」
 一言で言えば、内蔵のような空間。ぬめぬめとしたどぎついピンク色がどこまでも広がっているのである。
 地面はなく、二人はふよふよと宙に浮いている状態だ。
「あ! あそこ、いたっ!!」
 詩織とリーファは、この奇妙な空間を下へ下へと落ちていっていた。二人が全く身じろぎしていないことから、気を失っているのではないかと思われる。
「あんなトコにって……何よ、あれ!?」
 トーコが見た物は、この空間の奥底で蠢くタールの海であった。タールの海はそれ自体が生物であるかのように、脈打っている。
「ひょっとして、あれが夜蘇って奴なんじゃないのか?!」
 この空間の底面一体を覆い尽くすタールの海に、和馬は生唾を飲み込んだ。もしも、この怪物が復活したらと思うと、背筋が凍る思いである。
「何だろうとかまやしないわ。とにかく、二人を返してもらうわよっ」
 トーコは叫び、ぱんっ! と両手を打ち合わせた。
「《クリエイション》」
「トーコ?」
 トーコが異能力で作り出したのは、何と釣竿。
「そぉれ、一本釣りっっ!」
 獲物は鰹ではなく、詩織とリーファである。見事に二人を釣り上げたトーコだったが、その後の事は全く考えていなかった。
「うわっ?! とぉっ……とっとっ……!」
 自分の真上に降って来た二人に、和馬は慌てて飛びのく。だが、直後に二人を受け止めないと、また同じことの繰り返しだと気づき、両手を差し出した。
 結果、
「どぉうわぁっ?!」
 いくら何でも女性二人を支えることなどできるはずもなく、ぐるんと縦に一回転。
「《フロート》」
 再び落下して行くかに思われた詩織とリーファは、トーコの物質を浮かせる異能力によって救われた。
「あははは、ごめんごめん。何にも考えてなかったわ」
「あははじゃないだろ?!」
 和馬は怒ったが、本人は「だから謝ってンじゃない」とちっとも悪びれた様子がない。
 どうもトーコは自分以上に後先を考えない性分らしいと、和馬はため息を吐き出した。その脳裏に「人の振り見て我が振り直せ」という言葉が浮かんだのは、内緒の話である。
「まぁ……いいや。二人は取り返したんだし、戻ろう」
「お世話になります」
 詩織をトーコが、リーファを和馬が抱え、準備は万端。和馬は神経を集中させて、仲間たちのいる元の空間へ続く扉を作って行く。
〈我が供物を横取りしようとは、何者か?〉
「何だって?」
 その声は、空間全体の震えと共に和馬たちの耳に届いた。
「我が供物ってことは、夜蘇って化け物が言ったんでしょ。出て来なさい!!」
 トーコが怒鳴ると、足の下に広がるタールの海が盛り上がり、
〈人の身でありながら、我を呼び捨てるとは分を弁えぬ女よ〉
「海坊主みたいだな」
 和馬はボソッとつぶやいた。
〈我をあのような下等な化け物と同列に扱うとは……許せぬ〉
「誰もあんたに許してもらおうなんて思ってないわよ」
 トーコはふてぶてしい顔をして舌まで出し、オマケに親指はキッチリ下を向いてた。
〈女ぁぁっっ! 百人もの人間を食らった我を怒らせた己を呪うが良い!!〉
 夜蘇の体の一部が、槍のように尖り、トーコと和馬目がけて飛んで来る!
「いいっ?!」
 リーファを抱えている今の状態では、避けきれない。和馬は思わず身構えた。
「《シールド》」
 詩織を抱えていない方の手を前面にかざし、トーコはエネルギーの壁を作り出す。
〈何っ?!〉
「は! 何を偉そうに言うかと思えば。たかが百人じゃないか」
 ペロリと唇の端を嘗めたトーコは、瑠璃色の瞳を爛々と輝かせた。
「トーコ?」
 彼女の顔をのぞき込んだ和馬のこめかみを冷や汗が伝っていく。
「こちとら、千人は軽いってのっ! 《ゴッド・メイス》ッッ!!」
 ドゴォォォッッ!!
 トーコが右手を振り下ろすと、光の土鉾が夜蘇を押し潰した。
「うお、すげぇっ」
 BANに集った者たちには、彼女のような力を持った者もいるが、生身でこれだけの出力を出せる者はそうはいない。
「感心してないで、早く帰ろ」
「そ、そうだな」
 よし! と気合を入れ直すと、和馬は再び扉の作成にかかった。
〈おのれぇぇっっ! 許さぬ! 許さぬぞぉっっ!!〉
「あんたに許してもらおうなんて思ってないって、言ってンでしょーが」
 トーコの態度は、あくまでふてぶてしい。


***************


「ねぇ、オレ的ルール発動しちゃっていい?」
 夜蘇の眷属に取り憑かれた人々の攻撃をひょいひょいと交わしながら、ユーキはうんざり顔でつぶやいた。
「オレ的ルール?」
 鎧装着済みのルキスが、殴り掛かって来た男を投げ飛ばし、問いかける。
「邪魔するヤツはぶっ倒す」
「この人達は操られてるだけなんだぞ?!」
「ですが、瞬さん、いつまでもこのままという訳にも行きませんよ」
 イサムは体を回転させて、飛び掛かって来た女性を避けた。そのまま、首筋に手刀を叩き込む。
 女性はその場に崩れ落ちたが、気を失うことはなく、先程よりもより強い殺気を身にまとって振り向いた。
「くそっ。せめて気を失ってくれれば……」
 戒の言うとおり、操られている人々は決して気を失わない。せいぜい、数十秒間、行動不能になるくらいなのだ。
「雄大さんとおっしゃいましたか……何か、いい方法はないんですか!?」
 突っ込んで来た青年をすっ転ばせ、達矢は雄大に問いかける。
「と言われてもな……。昔は気絶させればそれで問題はなかったんだが……」
 壮年の男の尻を蹴飛ばした雄大は、弱り顔を浮かべた。
〈昔よりもパワーアップしているということでしょうか……〉
 カイザードラゴンは、背中に悠と綾奈、それに固まったままの柳をかばっている。
「柳君ってば! 早く正気に戻ってよっ!」
 がくがく、ゆさゆさ。
「しっかりしてください」
 悠と綾奈は彼の陰に隠れて、必死で柳を覚醒させようと努力していた。
「ふははは! どうやら、手も足も出ないようだな!!」
 傾尊は、自分が優位に立っていることが嬉しくて仕様が無いようである。胸を反っくり返らせ、高らかに笑う。
「フ、ン……本来の肉体の持ち主の意識はかなり奥底に追いやられてるようだな」
 新しいタバコに火を点けながら、ジャンクはつぶやいた。ちなみに、彼は何もしていない。何故か誰も襲い掛かろうとしないのだ。
「あ、ジャンクさん、何か企んでるでしょ?!」
 殴り掛かって来た男を跳び箱の要領で、ひょいっと飛び越えたユーキが、彼を指さす。
「まーな。けどまぁ、もうちょっと待て」
 ぷかぁと煙を吐き出して、ジャンクは不適な笑みを浮かべた。
 その時である。
 ダン!
「何だ?!」

 ダン! ダ、ダダン!

「何の音なの!?」

 ダン! ダ、ダダン!

 周囲を見回して見ても、音源がどこなのか皆目検討がつかなかった。
「ジャイ〇ント・ロボか?!」
 朱南柳、復活! である。
「そんな訳ないでしょう?!」
 言われてみれば確かにジャイ〇ント・ロボ出現時のリズムに似ていたが、そんな訳があるはずない。
 悠は、呆れ半分、怒り半分の複雑な表情を浮かべていた。
「あ、あそこ……っ!」
 綾奈が指さしたのは、傾尊の後ろ。今もメラメラと燃えている炎であった。
 ぴしっと亀裂が入ったかと思うと、そこから飛び出して来たのは、
「おおっとっ……!」
 リーファを抱えた和馬と
「おどきっ!」
 詩織を抱えたトーコだった。
「ぶぎゅるっ」
 トーコは傾尊の頭を踏み付け、カイザードラゴンの真ん前に着地した。
「ただいまっ」
〈お帰りなさいませ〉
「っは〜……疲れた〜っ」
 和馬は着地と同時に、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「詩織、リーファッ!」
「大丈夫。気を失ってるだけだ」
 和馬の言葉に、眷属に取り憑かれた人間たちの相手をしている仲間たちもホッと胸を撫で下ろした。


***************


「んで、まだ片付いてなかったの?」
 連続で空間を越えるという大仕事をこなした和馬と違い、トーコの方はまだまだ元気である。ヤル気満々という風に右腕をぐるぐる回しながら、前に一歩進み出た。
「操られてるだけだから、ダメだって言うんだよ」
 唇を尖らせて、ユーキが言う。
「はぁ〜……お人よしねぇ」
 やれやれとため息を吐きながら、トーコは頭を掻いた。襲って来る人間の数は、残念ながらちっとも減っていない。
「なぁ、どうにかならねぇのか?」
 遅れて参戦する前に、柳は綾奈に尋ねてみた。綾奈は強い霊能力の持ち主であると、小耳に挟んだことがあるからである。
「一人や二人ならともかく、これだけの数となると、私には無理です」
 すみません、お役に立てなくてと、綾奈は申し訳なさそうにうなだれた。
「ふははは! 打つ手なしといった所だな! そのまま力尽きるまで戦い続けるといい!」
 己の優位を信じて疑わない傾尊は、大笑いしている。
「……先にあいつを片付けてしまわないか?」
 眉間に深い皺を刻み込み、瞬はちょうど隣に並んだ達矢に言った。
「賛成ですが……彼らがあそこまで行かせてくれそうにありませんよ」
 ふぅと小さくため息を吐き出した達矢だが、次の瞬間、ぎょっと目を丸くさせた。
「なっ?! 腕が……変形した!?」
 傾尊を守るような感じで、今まで動かなかった者たちの腕が、まるで鎌のようなカタチに変形したのである。
 それに勇気づけられたか、はたまたそんな方法もあったと気づいたのか、それまで襲い掛かって来ていた他の者たちも腕を鎌のような形に変形させた。
 ぐへっ、ぐへっ、ぐへっ。覚悟を決めな。
 言葉こそ喋りはしないものの、彼らの顔は如実にそう語っている。
 にじりにじりと近づいてくる彼らに、ルキスが忌ま忌ましげに舌打ちをした。
「くそっ。このままじゃ、やられてしまうぞ! どうする?! 戒!」
「この人達に取り憑いている眷属を何とかして追い出さないと……」
 戒は助けを求めるように雄大へ視線を送ったが、向こうはひょいと肩を竦めるだけだ。
「ジャンクさん、何か企んでるんでしょー!? 何とかしてよっっ!!」
 ユーキが半泣き状態で叫ぶ。
「何とかしろって言われてもなー」
 面倒臭そうに頭を掻きながら、ジャンクはボヤいた。
〈何か、策をお持ちなのですか?〉
 悠と綾奈に加え、気を失ったままの詩織とリーファの二人も守らねばならず、カイザードラゴンも大忙しである。
「まぁ、な。疲れるし、面倒臭いから、本当はやりたかねぇんだけどな」
 ヤレヤレとため息を吐くと、ジャンクは一歩前に進み出た。直後、
 どくんっ!
 何か黒いモノが、夜蘇の眷属に取り付かれた人々と戦っていた者たちの中を掠めていく。
「なっ……」
「何だ、今の……」
 それはホンの一瞬のことだったが、戒は膝を折り、必死で不快感の残滓に耐えた。
「ぐっ……」
「これは…………」
 瞬と達矢は口を押さえ、胸の奥から込み上げて来る吐き気を必死で押さえ込む。自分たちとは対極にある、ありとあらゆる負の感情が、自分の中を駆け抜けて行ったと表現すればいいだろうか。こんなことは今だかつて経験したことがなかった。
「何なんだ? 今のは……」
「みんな大丈夫?」
「しっかりして下さい」
 戒や瞬たちに比べ、ルキスやユーキ、イサムは割合に平気な顔をしている。
「おいおいおい……どうしたって言うんだ?」
 柳も膝を折った仲間たちの元に駆け寄り、その体を支えた。
「だい……じょうぶだ」
 戒はくらくらする頭を振って、己を奮い立たせる。瞬と達矢も、やや間を置いて顔を上げた。たが、顔色はあまりよくない。
「ああっ! 見てっ!」
 悠の声に、男たちは顔を上げ、彼女が見ている方向に目を向けた。
〈これは……っ〉
「取り憑かれていた人達が……」
 びくんっと体を大きく痙攣させたかと思うと、その場にばったばったと倒れて行くではないか。鎌になっていた腕も元に戻っている。
 大仕事を終えた為、ロクに動くこともままならない和馬は、説明を求めてジャンクを見上げる。
「《フォール・ダウン》」
 ジャンクの小さな呟きは、とても不吉な響きを含んでいた。
「なっ、なっ、なぁ〜っ!?」
 傾尊は、まさかの事態に目を剥き、口をぱくぱくとさせている。
「一体、何をしたんだ?」
 何とか意識を保とうと努力している雄大が、頭を振りながらジャンクに聞いた。
 ジャンクはフーッと紫煙を吐くと、
「夜蘇の眷属とやらの精神にアクセスしただけだ。連中は俺の意識に敗北し、壊れた」
「壊れた……だと?」
 雄大の表情が、急に青白くなったかと思うと、その後は急激に赤くなっていった。
「幸い、そこの人間の意識は奥底に押しやられていたからな。少々時間は掛かるだろうが、ま、その内元に戻るだろうさ。問題ねぇよ」
 彼が何かを口にする前に、ジャンクは平然とした口調で言う。どうやら、雄大が何を言わんとしていたのか、すぐに理解したらしい。
「本当だろうな!? 本当に、取り憑かれていた人々の精神は傷つけていないんだろうな?!」
 雄大の怒鳴り声に、全員がはっと息を飲んだ。彼は、ジャンクが夜蘇の眷属だけでなく、あの体の本来の持ち主である人間の精神をも傷つけているのではないかと危惧しているのだ。
「傷つけるも何も……言ったろう? 夜蘇の眷属の精神にアクセスしただけだってな。本当なら、こんな面倒臭い事はしないんだぞ?」
 平然としているメンバーたちよりも、戒や瞬、達矢は光の要素が強い精神を持っている。ジャンクの精神は彼らとは反対に負の要素が強いため、若干ながらその影響を受けてしまったのである。
「信じて大丈夫。この人達が死んでたなんて、寝覚めの悪いことはないわよ。それに、ジャンクは嘘も言わないわ」
 ねぇ? とトーコは兄に目を向けた。兄は「ああ」と短く肯定する。
 保証人が一人だけでは何とも心もとなくて、戒たちは他の二人にも確認を求め、目線を向けた。
「そうそう、大丈夫だよ。ジャンクさん、嘘は言わないもん」
「第一、嘘を言う理由がありませんしね」
 ユーキとイサムは、殊更明るい口調で答え、笑っている。3人が3人共口をそろえて大丈夫だと言うので、ようやく信じてみようという気になった。
 仲間たちの心情を理解したのか、ユーキはもう一度安心させるように頷いた後、
「んで! どこへ行くのかな?」
「びっくぅっ!」
 抜き足差し足のこそ泥モードで、この場からこっそり立ち去ろうとしていた傾尊は、思いっきり背中を跳ね上げた。
「オレが倒すっ!」
 戦闘中ほとんど固まっていて出番のなかった柳は鎧装着すると同時に飛び出した。
「なっなっなあ〜っ?!」
 どごっ!
 柳のストレートが傾尊の右頬に炸裂。
「ジャブジャブ、いけぇい、フックだ、それアッパー!」
〈楽しそうでございますな、トーコ様〉
 やや呆れ顔のカイザードラゴンだったが、トーコは気にせず、満面の笑みを浮かべて「すンごく楽しいv」とうなずき返した。
「あ〜疲れた。眠い」
 そんな彼女の肩に、ジャンクが背後から手を回し、頭の上に自分の顎を乗せる。
 ずしっと来た重みに、「をう」とトーコは小さい悲鳴を上げた。
「これでっ、どうだぁ〜っ!」
 柳が会心のストレートを放ち、傾尊の体は大きく後ろへ傾く。だが、
「ひはっ、ひははははっ。素晴らしい。痛みが全くないとは……ひははっ。ひひはははははっ!」
 傾尊は、不気味な笑い声と共にゆっくりと態勢を立て直した。
「からくりの身体を持っているせいか!」
 雄大が、悔しげに唇を噛み締める。
「ひはははは! 誰にも我は倒せんっ!」
 傾尊は狂気に歪んだ顔で、柳に襲い掛かった!
「おっと」
「なにっ!?」
 柳は、それを余裕で交わす。
「このっ!」
 ひょい。 
「えいっ!」
  ひょい。 
「やあ!」
  ひょい。
   「とお!」
「なんのっ」
  どご。 
「ぐぉっ」
 柳が無造作に繰り出した拳が、傾尊の顔面にクリーンヒット。
 だが、痛みを感じないと言った通り、傾尊はすぐに柳への攻撃を再開した。
「えい!」
  すかっ。 
「とお!」
  すかっ。 
 未だかつて、これほど情けない攻防を見たことがあっただろうか。いや、ない(反語)
「何て言うかさ……弱ッ」
 ユーキが、ぽか〜んと口を開けたままぼやいた。イサムは、何だかなぁという表情で頬をこりこり掻いている。
「ですが、柳さんの攻撃も大きなダメージにはなってませんよ?」
「そうだな」
 浮かべているカオは複雑怪奇な瞬も、イサムの意見に同意した。
「どちらも決定打に欠けるというか……」
 達矢はどういう表情を作るべきか、困っているようである。
「なら俺が!」
 戒は剣を振りかざし、傾尊に躍りかかった。
 ざくっ!
「くふふふふ。まだまだ」
 右の手首から先が戒の繰り出した剣撃によって吹っ飛ぶ! だが、傾尊の手首がにょきにょきと生えて来たのである。
 これから先は、柳と同じだ。
 BAN史上稀に見る低レベルな攻防が続く。
「はぁ〜あぁ。何か、もうどうにでもしてくれって感じなのはオレだけ?」
 すっかり疲れ果ててしまった和馬は、その場に仰向けになって寝転がる。
 これほど緊張感のないギャラリーも前代未聞だろう。放っておけば、このまま柳と戒、傾尊だけを残して山を下りて行きかねない状態である。
「何とかならないんだろうか?」
 幸いにしてルキスだけはマトモだったようだ。何とかこの状況を打ち破れないものかと思案顔を浮かべると、
〈ならば、僭越ながら私めが〉
 ずずいっとカイザードラゴンが前に進み出て来たのだった。
「何か良い手でも?」
 達矢の質問に、カイザードラゴンはお任せくださいと胸を張り、
〈トーコ様は、確か風の能力もお持ちでございましたな?〉
「遠・中・近距離、全部持ってるけど何?」
〈あの男を空へ吹き飛ばしていただきたいのですが……〉
 トーコはジャンクを背負ったまま、ぐりりと体を動かし、傾尊の方へ目を向ける。
「おっけぇ、任せなさい。ちょっと、ジャンク邪魔」
 頭の上にある兄の顔をぺしぺしと叩き、トーコはジャンクをどかせた。
「柳、戒っ! あんたらも邪魔よっ!」
「邪魔ってなんだよっ!」
 トーコの怒鳴り声に抗議しつつも、柳と戒は傾尊から離れる。
「ぬ!? どのような策を講じようとも無駄だ、無駄っ!」
 かっかっかっとどこぞのご隠居のような笑い声を上げる傾尊。甘い、甘すぎる。
 ここにいる人間の中には、非常識を地で行く者が多数含まれているのだ!
「そのセリフ、そっくりてめぇに返してやる。《ストーム》ッ!」
 ギラーンと物騒な光を瞳に宿したトーコは、両手から暴風を放つ。

 *暴風 暴風警報の基準とはまた別。風力階級10に相当。風速は毎秒24・5メートルから28・4メートル。人家に大きな損害が起き、樹木は根こそぎになる。

「なっ、なンッ……だぁ〜っ?!」
 樹木が根こそぎになってしまうような暴風では、いくら機械仕掛けの体を持っていても耐えられるはずがなく、傾尊の体は木の葉のように空高く舞い上がった。
「やっぱ、すげぇな……」
「トーゼンよっ、トーゼンッ」
 ぼうぜんと空を見上げている和馬に向かって、トーコはVサインを作る。そんな彼女の頭上に再びジャンクが乗っかって来て、トーコは「をうっ」と小さなうめき声を発した。
〈お見事です、トーコ様。それでは、これで最後にいたしましょう!  カイザー・コロナ・ブレスターッッ!!〉
 カイザードラゴンの胸のエンブレムから放たれた光が、夜空に一筋の線を作る。
「あ、蒸発した」
 むむむっと夜空を見上げていたユーキがぽつりと呟き、空に向かって合掌。チーン。
「見えたんですか?」
 達矢の質問に、ユーキは「目も良いんだよ、オレ」と笑顔で答える。
「鼻と耳だけじゃなくて、目も良いのか」
 すごいなとルキスが目を丸くした。
「つくづく便利な能力だな。異能力って言うのは」
「能力については個人差がありますから、まちまちですけどね」
 感心したような口調の瞬に、イサムは苦笑いを浮かべる。
「それよりも、詩織さんとリーファさんの方が心配です。まだ目が覚めませんか?」
「ええ。さっきからずっと声をかけたり、揺さぶったりしてるんだけど……」
 一向に目を覚ます気配のない二人に悠は憂い顔を向けた。


***************


「まだ……」
「え?」
「まだ終わってません」
 綾奈が、夜空を見上げる。それにつられて全員が彼女の見上げた方向へ顔を移すと、
『ま、まだ終わっとらぁ〜んっっ』
 輪郭がぼやけた、人型のようなモノが夜空にふよふよと漂っている。
「傾尊っ!!」
 すっかり存在を忘れられていたっぽい雄大はキッと人型を見上げると、
 しゅぽんっ!
 まるでシャンペンからコルクを抜いた時のような音と共に、子孫の体から抜け出てたのである。
『今回はひとまず退散じゃ〜』
 へろへろのまま、逃げ出す傾尊を雄大は大慌てで追いかけて行った。
 後に残された子孫の体は放ったらかし。危うく地面にぶっ倒れそうになる所を、戻って来た柳が「おっとっとっ」と支える。
「……何かあったのか?」
 霊感は備わっているものの、今回は何も気づかなかった柳には、急に雄大が倒れたようにしか見えなかったのだ。
 綾奈がこういうことがあったんですと説明すると、他にも事態がよく分からなかった者たちはなるほど納得と頷いた。
 さて、傾尊については雄大に任せるとして、残るは詩織とリーファの二人である。
「詩織! リーファ!」
 変身を解いた戒が、ぺちぺちと二人の頬を叩くが反応はない。
「一体、どうなってるんだ?」
 立ち上がれるまでに回復した和馬が、綾奈に尋ねる。
「二人の意識が、かなり奥深くにまで押しやられているんだと思います」
「どうすればいい?」
「それは……」
 押し黙ってしまった綾奈に他の者も、沈痛な面持ちで黙ってしまった。
〈夢幻界からお二人の覚醒を促すことはできませんでしょうか?〉
 カイザードラゴンの提案ではあったが、それが可能かどうかについて判断できる者はいない。
 彼らが頭を悩ませている一方でトーコは、キャンプファイアーの火の消火にかかっていた。とは言え、異能力で水を作り出し、それをぽいっと火に放り込むだけの簡単消火である。
「火の始末は終わったわよ。そっちはどう?」
「二人の意識が奥深くに押しやられてて、綾奈さんにも打つ手なしだって」
「ふぅん」
 弟の返答にトーコは、軽く唇を尖らせた。
「……こうなったら最後の手段にでるしかないわね」
 きゅっと唇を堅く結んだ悠は、ぐぐぐっと拳を握り締める。
「最後の手段?」
 ちょっとばかり上ずった声で柳が、悠を上目使いに見やる。その隣で、ルキスは首を傾げ、瞬や達矢、和馬は不思議そうに顔を見合わせるばかりだ。
〈そのようなものがあるのですか?〉
 カイザードラゴンも意外そうに目を見張り、イサムやユーキに疑問の視線を投げかける。
 もちろん、イサムやユーキにも悠の言う「最後の手段」とやらがどんなものなのか、見当もつかない。
「あるわ。とっておきのヤツがね」
 悠は悪戯っぽく笑い、クエスチョンマークの大行進をやらかしている男たちにウインクを送った。
「それは一体?」
 綾奈にも、彼女の言う「とっておき」がどんなものか分からない。
「戒!」
「な、何だ?」
 悠から指名を受けた戒は、こぼれ落ちそうなほど大きく目を見開いた。
「二人にキスするのよっっ!!」
「へ? あ……何だって?」
 驚愕にますます目を大きく見開く戒と違い、その他の男たちは大いに納得したようで、ぽんっと手を打ち、その手があったかと大きく頷いた。
「何故キスなんだ?」
 おとぎ話を知らないルキスは納得しかねる様子である。それは戒も同じだった。
「いい? 昔っからお姫サマの眠りを覚ますのは王子サマのキスだって、相場は決まってるの!」
 ざっぱ〜んっ。
 悠の背後に巨大な白波が見える。
 彼女の圧倒的な迫力に、戒は二の句を紡ぎ出せない。
「あ〜、そう来るのね。やっぱり」
 トーコは生ぬるい表情で、つぶやいた。背中におぶさっている兄は「面白い見物になるな」と完全に他人事扱いである。
「いきなり、何を言い出すんだ!?」
 ようやく我に返った戒は、大いに焦り、回りはリアクションに困っていた。
 こういう状況でなければ、大いに囃し立ててやる所なのだが、場合が場合だけに今それをやるのは不謹慎である。
「人命救助のマウスツーマウスなんて常識でしょ!? 常識! ほら、さっさとやる!!」
 悠はあくまで強気だった。
「あ、あの……何も今すぐ起こす必要はありませ……」
「このままにしておいたら一体いつ目を覚ますって言うの?!」
 綾奈に最後まで言わせず、悠は怒鳴り返す。その目には涙が浮かんでいる。
「それはそうだが……」
 確かに悠の言うとおりなのだが……
「でも……なぁ……」
 瞬と和馬が、お互いに弱り顔を見合わせた。
〈とりあえず、場所を移動致しませんか?〉
 カイザードラゴンの提案だったが、悠はそれを採用しようとはしない。
「……戒さん、オレたち離れてた方が良い?」
「そういう問題じゃないと思うよ、ユーキ」
 だらだらと冷や汗を流しつつも、がっちり固まってしまっている戒に、イサムは軽い同情の目を向ける。
「究極の選択ってやつか?」
 腕組みをした柳が低いうなり声を上げた。
「戒は何を悩んでいるんだ?」
「まぁ、キスをしたから必ず目を覚ますという訳でもないですし……」
 達矢の説明にルキスは、それはそうだがと小首を傾げる。
 回りの注目を一身に浴びながら、戒は必死に考えていた。
 キスをしても目を覚ます保証はないのだし、綾奈は今すぐ起こさなければならない訳でもないと言っている。なら、このまま宿へ運んで自然に目を覚ますのを待った方がいいのではないか? だが、それでは悠の言うとおり、いつ目を覚ますのかは不明だ。
 それに、それに、である。相手の女性の許可もなしにキスをするのは……
「しょうがねぇなあ。今回だけだぞ」
 心底面倒臭そうに言ったのは、ジャンクだった。妹の背中から離れた彼は、すっかり短くなったタバコを携帯用灰皿に押し込み、詩織とリーファの側にしゃがみこむ。
「…………ジャンク……さん?」
 目を真ん丸く見開いたまま、戒はジャンクの行動を見守る。
 もしかすると彼が二人にキスを?
「え? ちょっ……」
 悠も戒と同じことを思ったらしく、ジャンクの肩に向かって手を伸ばす。
「あ〜あぁ、何だって俺がこんなに働かにゃならんのかね」
 ジャンクはボヤきながら、詩織の額に手を当て、次にリーファの額に手を当てた。
「ん。終わり」
 額から手を放したジャンクは、立ち上がってコキコキと首を鳴らす。
「お、終わりって?」
 行き場所を失った手を宙にさ迷わせ、悠はジャンクと詩織、リーファを交互に見やった。
「ん……」
「うぅ、ん……」
「詩織! リーファ!」
 一体、どういう仕掛けか、二人がゆっくりと目を開けたのである。
「大丈夫ですか?」
 綾奈の質問に、二人は「ええ」と短い返事を返して来た。
〈これは……一体どういう?〉
 目を白黒させているカイザードラゴンに、ジャンクは「精神感応能力使った」と素っ気なく答える。
「どんな風に?」
 それだけじゃ分かんねぇよと、柳が唇を尖らせた。他の者たちも気持ちは同じだ。
「まぁ、要するに、二人の中に残ってた夜蘇の妖気っていうのか? それの残りかすを引き受けた後、二人の意識に直接呼びかけたわけだ」
「そんなことができるんだったら、最初からやって下さいよ!」
 悠と柳が眉を逆立てて抗議したが、ジャンクは「疲れるし面倒だし」と反論する。
「そういう問題じゃないだろ?」
 和馬が軽く批判するも、彼がぐてぇっとトーコに覆いかぶさっている所を見ると、確かに相当疲れているようではあった。
「あんたね……重いっての」
 不満たっぷりにトーコは、ジャンクの額をぺちぺち叩く。それをイサムとユーキが「まぁまぁ」と宥めている。
「ずっと……戒の声が聞こえてたわ」
 意識は回復してもまだ起き上がれる状態ではないようだ。詩織はかすかに潤んだ瞳を戒に向け、かすれがちな声で言う。
「ごめんなさい。心配をかけてしまって」
「いや……こうして無事だったんだ」
 リーファが伸ばして来た手を、戒は強く握り返した。
「本当。無事で良かったわ」
「お姉ちゃん……」
 労るような悠の微笑みに、詩織は何と言葉を返していいのか分からなくなる。
「二人とも無事で良かった」
 戒は詩織の目尻に浮かんでいる涙をそっと拭ってやり、二人に向かって笑いかけた。
「もう大丈夫ですから」
 綾奈の言葉に、二人は安心したように微笑みを浮かべる。



「はっはっはっはあ。あたしら、完っ璧に存在を忘れられてるわね」
「ま、しょうがないんじゃない?」
「我々はお邪魔でしょうから、先に山を下りるとしましょうか?」
 トーコの背中に乗っかったまま、ジャンクが「イサムに賛成」と手を挙げた。
〈ああ、もうすぐ夜明けのようですな〉
 白々と明けて来た東の空を見上げ、カイザードラゴンは眩しそうに手を目の上に翳す。
「ふわぁ〜あぁ。結局徹夜になっちまったな」
「ああ、そうだな。早く宿に戻ろう」
 柳とルキスは欠伸をかみ殺しながら、歩き出した。カイザードラゴンは20センチサイズに縮み、ルキスの手によって運ばれる。
「大きくなったり小さくなったり、便利だよね〜」
 ユーキはルキスの横に並び、カイザードラゴンの鼻先をつついた。
〈ユーキ様の異能力も十分便利だと思いますが〉
「そぉ?」
「宿に帰ったら、寝るわよ〜」
「宿の人にはどう言い訳しましょうか?」
「もう働かねぇぞ」
 心底嫌そうな表情を浮かべるジャンクに、イサムは分かってますよと苦笑を浮かべる。
「先に帰るって、声をかけ辛いですね」
「全くだな」
 メガセイヴァーチームを横目に見やり、達矢と瞬は指で頬を掻いた。
「あ、オレ、紙とペン持ってるから、書き置きして行こうぜ」
 何故持ってるんだ? という疑問は置いといて。和馬は、先に帰るとストレートに記した紙を目に付きやすい、低いところにある枝に刺した。
「ふあぁ〜あぁあ……眠い」
「寝て起きたら、また温泉だな」
「いいですね、それ」
 バスターチームののんびりした会話も、メガセイヴァーチームには届かない。
 和馬の残した書き置きを握り締めた悠が、
「どうして先に帰るのよ〜っっ!!」と、大声で怒鳴ったり、
「ひどいです」と、綾奈が涙ぐんだり。
「どうやって戻ろうか……」
 今だ起き上がることもままらぬ詩織とリーファを見下ろして、戒が途方に暮れるハメになるのはもう少し後の話であった。
 さてさて、上空では途方にくれている戒達を、遠巻きに見詰めている者がいた。
「何、やってんだか……あいつらは」
 律子から調査チームの様子を見に行くように言われた緋桜である。出て行かねばならないだろうとは分かっているものの、途方に暮れている悠たちというのも珍しい。
「もうしばらく見物してるとするか」
 彼らの様子をしっかりカメラに撮って、緋桜はこのフィルムの使いどころについて思案するのだった。
「ううっ……みんなの薄情者ォ〜っっ!!」
 悠の叫びは朝日の中に吸い込まれて行く…………。

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