どっちが災難? 考えてみれば、当たり前のことであるが、ウィルダネスと現代世界とでは、町の様子は大きく異なっている。 初めて、日本の町並みを見た時の感想は、 「今日は祭りか何か?」だったのだ。 人の数もさることながら、現代人の我々にとっては何でもない、看板や店頭を飾るディスプレイ、 至るところに張られた広告。そこから溢れ出る色の数々が、彼らの目にはとても奇異に映ったのだ。 「め、目がちかちかする」 大きな目をしぱたかせ、ユーキがつぶやく。 彼らが驚いた物は他にもたくさんあった。 その中の一つにテレビがある。 ウィルダネスで、情報の発信源となっているのは主にラジオと新聞、そして人々の噂。 「すごいですねぇ」 目を丸くして感心してはいるようだったが、興味はないらしい。 イサムの反応は、他の者にとっても同様だったらしく、彼らがテレビを見ている姿はほとんど見られなかった。 「ンなものを見て時間を潰す気にはならん」 というのが、ジャンクの主張である。テレビを見るくらいなら、昼寝をしていた方がマシ、ということらしい。 どっちもどっち、というような気もしないではないが。 「………………」 「珍しいな」 穏やかな昼下がり。たまたまサロン室を通りがかった御剣志狼は、 軽く眉を持ち上げて大型テレビの前に陣取っている人物に声をかけた。 「ん〜、まー、たまたまなんだけどね」 振り返ったのは、ウィルダネスからやって来たトーコである。手には大きな丸い醤油煎餅。トーコはそれをかみ砕き、飲み込んだ。 「……プロレス?」 テレビの画面には、白いマットのジャングルが映っており、その上では巨漢の男が二人、あらしを巻き起こしている。 「そー。たまたま目に入って、そのまんま」 指先についた醤油ダレを嘗め取り、彼女は言う。 「何? 何か見るの?」 リモコンはソコだから。すぐ側のテーブルを示し、トーコは立ち上がる。 「いや別にテレビを見に来たわけじゃねぇから」 誰かいないかと思って、顔を出してみただけなのだ。 「あ、そう」 う〜んと伸びをしたトーコは、そこではたと思い立ち、 「ってことは、ヒマしてるワケ?」 「え? あ、ああ。そうだな」 自分たちの世界では学校に通っていた彼も、この世界では通える学校がない。 学業を疎かにしてはいかん、と父親が言うので、それなりには勉強しているのだが、 学校に通っていた頃と全く同じ、という訳には行かなかった。 勉強は大体午前中で終わってしまい、午後は暇を持て余していることが多いのである。 「何か用でもあるのか?」 やや目を丸くした志狼の問いに、 「ンふん。ヒマならちょっと付き合いなさい」 少年の胸元のシャツを引っ張り、彼の顔を自分のほうへ寄せたトーコは、艶然とした笑みを浮かべた。 「へ?」 何をする気だ、と問う暇もなく、志狼の視界が一変する。サロン室がブレたと思った次の瞬間には、 道場に居場所が移っていたのだ。 「《テレポート》したのか……」 理屈では分かっていても、実際に体感してみると、何とも奇妙な感覚である。 「さってっと。んじゃあ、付き合ってもらおっかな〜?」うまい具合に、あたしら以外は誰もいないしね。 どうやらかなり機嫌が良いらしいトーコは、にこにこと笑いながら、志狼の後ろに回った。 「だから、何なんだよって、おい?」 彼女の行動が読めない志狼は、大いに焦る。 「えっとぉ、確か……こう腕を回して、ホールドしてぇ」 「お、おいおいおい? 何だ、何なんだ、ぁッ!?」 ぎりぎりぎりぎり。 「コブラツイストってゆーんだっけ? これでいーの?」 ひょいと志狼の顔をのぞき込み、トーコが問いかけて来る。 「これでいーのってお前なぁっ?! いぃいだだだだだっ!」 トーコに締め付けられている部位がギシギシと悲鳴を上げて、とてもではないが正解云々を言える状態ではない。 「どうなのよ?」ぎりぎりぎり。 「あだだだだだッ! ッ……マテマテマテェ〜ッ!!」 「さっさと答えなさいって」 「だから、マテって……!」 ふと、痛みが止まった。 ほぅと志狼が息をついたその時、 「アンタってマゾ?」ぼそ。 耳元で囁かれた。 「ンなワケあるかあ〜ッッ!!」 逃げ出すことも忘れ、思わず大絶叫する志狼。トーコは、おもいっきり顔をしかめた。 「だったら、いーのかどうか答えなさいってバ」ぎりぎりぎりぎり。 逃げ出せば良かったと後悔してももう遅い。 「痛い! 痛いって、痛いからヤメロ! ってか、ヤメテクダサイッッ!!」 身体に走る痛みもそうだが、それよりも志狼を苦しめるものがあるのだ。 それは背中にあたる、女性特有の二つの膨らみ。平たく言えばトーコの胸である。 彼女の胸は、艦内でもトップクラス。 その柔らかな感触が、背中に当たっているのだ。加えて言うなら、 今日のトーコの格好は、五分丈のスパッツに丈の短いキャミソール。普段よりも、密着度は高い。 「……あんた、顔色がヘンよ」赤いのと青いのがまじってまだらになってンじゃない。 そう言った後で、トーコは「はっはぁ〜ん」と不敵な笑みを浮かべた。 位置関係から、彼女の顔は見えないものの、志狼は嫌な予感に襲われる。 「イーこと教えたげるぅ。あたし、今コレ一枚なのよ」 どかんっ! 志狼が噴火した。 ラストガーディアンに女性は少なくないが、こういう言動を取るのはトーコだけである。 男性陣にとっては、ウレシハズカシな状況なのだが……シャイニングボーイの思考回路は、ショート寸前。 「おま、おまーなっ!」 思考がまともに働かない中、志狼は懸命に彼女を止められる方法を模索した。 ユーキに言い付けるか? いや、言ったところで「あっはっは。まだまだだね、志狼!」と笑われるのがオチだろう。 では、イサム? イサムは「災難でしたね」と言って志狼を慰め、トーコには「あまりからかうものじゃありませんよ」 と軽い注意で終わりそうだ。 ならば、ジャンクか。いやいやこれも、ユーキと大差あるまい。むしろ「喜ばねぇっつーのは、男としてどーよ?」 と逆に何か言われてしまいそうだ。 ラシュネス・・・・・・は、問題外である。あのお子ちゃまには説明した所で分かってもらえそうにないし、第一説明するなんて無理だ。 そうして最後に浮かんだのが、グレイスである。彼女なら、彼女ならトーコに懇々と説教をしてくれるだろう。 (グレイスの説教はスゴイらしいしな) よぉっし、と気合を入れていざ、 「シロー?」 「……はぅ」 「あら」 予期せぬ急襲が。 急襲してきたのは、志狼と共にこちらの世界へやって来たエリス=ベルこと、エリィである。 志狼の顔色は、赤と青のまだらから、青一色へと見る間に変わっていく。 「………………」 「…………え、えっと……その……何だ……」 ぶつかる二人の視線! その後、エリィの視線は上から下まで下りていき、また下から上へと上がって、トーコと密着している背中で止まった。 「………………」 「あっらあ〜……これはちょっとマズいかもねぇ、だーりん」 「ダレが、だーりんだ?! ダレが!」 つんつんと頬をつつかれ、志狼の頬が赤くなる。 「む〜」 案の定、エリィは見る間に頬を膨らませていく。 「私もやる〜!」 「何?!」 少女の発言に、志狼はぎょっと目を丸くした。てっきり怒られるものとばかり思っていたのである。 「バカ! やめろって!」 体を絞める力こそないものの、志狼はまだ技を受けている状態だ。一体どんな技を仕掛けてくるつもりかは分からないが、 後ろにいるトーコにまで被害が及ぶ可能性は高い。 だからこその発言だったのだが…… 「む〜。何でトーコちゃんは良くて、私はダメなのぉっ?!」 「は? 何言ってんだ、お前」 両腕をじたばたと上下に振って、抗議するエリィに志狼は素っ頓狂な声を上げた。 「もーいいわよ! シローのバカァッ!!」 盛大な罵倒を残し、エリィはドタタタタッと道場から出て行ってしまう。 「……エリィさーん、何か勘違いしてマセンカー」 あっと言う間に見えなくなった少女の背中に向かって志狼はつぶやくが、もちろんエリィの耳に届くはずもない。 「ヤキモチなんてやいちゃって、カワイイわねぇ」 志狼を解放したトーコは、少年の横に立ってにんまりと笑っている。 「ヤキモチって……何でだよ……」 少年の発言に、トーコは大きく目を見開き、まじまじと志狼の顔を見つめた。 穴が空くかと思われるほど、じ〜っと見つめられ、志狼は「な、何だよ」と後ずさる。 トーコは何も答えずに、やれやれと肩をすくめ、ぷるぷると顔を横に振った。 人を小馬鹿にしたようなオーバーアクションに、志狼がムッとすると、 「もしもぉ〜し、誰かいますか〜?」 先手を取られ、こんこんと頭をノックされる。 「っだ〜ッッ! 何が言いたいんだよ、お前はっ!!」 トーコの手を邪険に払いのけ、志狼が吠えた。 「………………」 直後、トーコの表情がこわばる。 やりすぎたかッ。一瞬後悔した志狼だが、すぐに(ちょっと待てよ)と思い直す。 いつもいつもからかわれ、遊ばれるのには辟易しているのだ。これくらい強気に出たって、志狼は悪くない。 むしろ、これくらい強気に出なければ、いつまで経っても遊ばれ続けるだろう。 いやしかし、いくらトーコと言えども、相手は女性だ。やはり、邪険に扱うのは後味が悪すぎる。 今のはちょっと悪かった。 志狼が謝罪を口にしようとしたその時、 「若いってイイわねぇ。おねいさん、ウラヤマシイわ〜」なでくり、なでくり。 全っ然、こたえてませんでした。 イコール、謝罪の必要なし。 「言いたいことがあるなら、ハッキリ言えっての!」 頭をなで回すトーコの手を、今度はちょっぴり気遣って払いのけ、志狼は叫ぶ。 「側にいるのが当たり前。いない方がおかしいんだ、な〜んて思ってると足元すくわれるわよ」あのコ、カワイイんだし。 ジトーンと半眼で睨まれ、志狼は言葉に詰まった。 「それに、まだ死人は出てないけど、これから先もそうとは限らないわけじゃない? 無くしてから後悔したって遅いんだから」 そう言うトーコは、哀しげな笑みを浮かべている。おそらく、そういう体験があるのだろう。 「なんか……実感こもってるんだな」 普段全く見せることのない一面に、志狼はどう反応していいやら分からず、視線を泳がせた。 「そりゃあね。これでもアンタよりは、長く生きてるんだから、イロイロあるに決まってるでしょ」 「そう……だよな」 志狼の暮らす世界も社会情勢は不安定だったが、ウィルダネスほどではない。 自分よりも、トーコは死に近い世界を生きていたんだったと、今さらながらに志狼は思い出す。 「ヤぁだ、何、しんみりしてンのよッ! やーね。アンタは何にも気にしなくてイーのよ」 「あ、うん……」 けらけらとトーコが笑ったので、ほっとしたのもつかの間。次の瞬間、 「うおっ!?」 足払いをくらい、態勢が崩される。 「ホホホホッ。油断大敵よッ!」 「ぬおぉぉぉぉぉぉっ?!」 今度は腕十字固めであった。空いている方の手で、ばしばしと道場の床を叩くが、トーコは笑っているだけである。 またしても困るのが、手が胸に当たっていることだ。 「うりうり。降参するなら、はにーって呼んで」 はにーって、何だ。はにーって。 目尻にうっすらと涙をためながら、はにーと呼ばずに脱出する方法を考えていたその時である。 「じゃじゃ〜んっ!」 道場の入り口の扉が開き、一人の少女が中へ入って来た。 「…………」 「…………」 少女は、どこで手に入れて来たのか、コウモリの形をした仮面をつけている。 「……何してんだ、エリィ」 「ちが〜う! 私は、謎の美少女仮面プリティ・エリィ!」 「……仮面つけてりゃ、美少女かどうかナンて分かンないでしょーが」ぼそっ。 技をかけていることも忘れ、トーコが言う。 「いや、だからエリィなんだろ?」 志狼も、技をかけられていることを忘れて問いかけた。 「ち・が・うってバ!!」 だんっと足を踏み鳴らし、エリィ……いや、プリティ・エリィは言う。 「……うわさに聞くマッディ・リオリオの真似でもしたくなったんじゃないの?」ぼそぼそ。 やや遠い目をしながら、トーコがぼやく。 「あー……そうかも…………」ぼそぼそ。 話を聞いたとき、エリィが一番面白がっていたような気がする。 「それで? プリティー・エリィは何をしようってぇの?」 「んっんっんっ。よくぞ聞いてくれました! 覚悟、シロー!」 言うが早いか、プリティ・エリィはダッシュをかけた。 「何?!」 「ちょっ!?」 身の危険を感じたトーコは、志狼の手を放し、《テレポート》でその場を離脱。 「ずりぃぞ!」 志狼が悲鳴に近い叫びを上げた直後、 「とぉ!」 プリティ・エリィは、少年にフライングボディーアタックをぶちかました。 「ぐは!」 そのまま、がっちり上四方固めがキまる。 「あらら」 《テレポート》でその場を脱したトーコは、呆れ半分驚き半分で、眉を持ち上げた。 「にゃふふふ。どーだ、思い知ったか、シロー!」 「思い知ったかって、お前な?!」 プリティ・エリィの下で志狼はもがくが「抵抗するんじゃないのッ」 ぺしっとトーコに頭を叩かれた。 「何でだよッ!?」 「女のコに組み敷かれるのもオツなもんでしょーが」ニヤニヤ。 「…………ッ!」 とたん、志狼の顔が下から上に向かって、どんどんと真っ赤に染まって行く。 「はいは〜い。こういう時は、カウントするのがお約束なんでしょ?」 「ヨロシク!」 「はいな。1! 2!」 プリティ・エリィの要請を受け、トーコがカウントを取り始める。10カウントなのだが、 当然志狼は抵抗しない。なされるがままである。 「9! 10!」 カウントが終わると、プリティ・エリィはさっと立ち上がった。 「ウィナー! プリティ・エリィ!!」 トーコも心得たもので、立ち上がると少女の右手をさっと持ち上げる。 「さて、負けてしまった志狼クン。プリティ・エリィの下はどんな気持ちだったかね?」 ニヤニヤニヤ。 志狼の顔をのぞき込みながら、トーコは問いかけた。 が、少年はゆで蛸にも負けないくらい、顔を赤くしている。目玉もぐるぐる回っているようだから、 とてもこちらの問いに答えられる余裕はなさそうだ。 「んじゃあ、プリティ・エリィ。志狼を押さえ付けていた時の気分はどうだったね?」 今度はプリティ・エリィに向かって問いかける。すると、 「ぅえ?! え、えっとえっと……その……」 こちらもまた、下から上へと赤く染まっていく。しまいには、ぼふん! とバクハツ。 「さっ、さらばなのにゃ〜っっ!!」 プリティー・エリィは、すたこらさっさと逃げて行った。 「ほ〜んと、若いってイイわねぇ」 アハハハハ。 固まって動かない志狼の頭をつつきながら、トーコは無責任に笑う。そこへ、 「……何かあったんですか?」 今、出て行ったのってエリィさんですよね? 道場へ入って来たイサムは訳が分からないといったカオで、後ろを振り返る。 「あ〜、なんて言うか、青春真っ盛りってヤツ?」 「はあ……」 トーコの説明に、イサムは困惑を隠せぬまま、首を傾げた。 「で? 何か用事?」 「ああ、そろそろお茶の時間ですから、ユーキに言われて迎えに来たんですよ」 イサムは答えながら、道場の床の上に転がっている志狼の横にしゃがむと、 「……志狼さん、またトーコさんに遊ばれたんですね」 「もぉヤだ」無言で涙をかみしめる志狼を、イサムが「心中お察しします」と慰める。 トーコはその横で、アハハハハと笑っているだけだ。 イサムは「やれやれ」とため息をつく。 「しょうがないな。志狼さん、仇は俺が取りましょう」 「へ? どうするんスか?」 がばちょと跳ね起きた志狼に、イサムは苦笑いを浮かべた。 「トーコさん」 「何?」 「このことは、みんなに話しましょうか?」 「そーねぇ……。それが良いかもね」 ちょっと待て。それのどこか仇討ちになるというのか。志狼が抗議の声を上げる前に、 「ところで、志狼さん。今日の夕食は下でご一緒にどうです?」 下、というのは、もちろん格納庫にある彼らの寝床ランド・シップの前に広げたプライベートスペースのことである。 「え? あ、まぁ、それはいいっスけど……」 「って、え? ちょ、ちょっとま……」 「待ちません。ちなみに今夜の夕食当番は俺ですから」にこにこ。 いつも通りの柔和な笑みを浮かべるイサムだが、今回の笑顔には有無を言わせぬ迫力があった。 「……なんか、怖ェ……」 父・剣十郎とは違う迫力に、「やっぱり夕食は食堂で食べます」と言い出せない、志狼。しかし、 「志狼さん、そこで大いに今回の被害について語って下さい。夕食の席にはユーキやジャンクさん、 グレイスとラシュネスさんがいますが、構わないですよね?」にこにこにこ。 「! もちろんっス」 イサムの意図に気づくと、彼の迫力が頼もしく思えてくる。 被害報告しだいでは、グレイスだけではなく、ユーキやジャンクからも叱ってもらえるだろう、とのことなのだ。 志狼の目が、悪戯っぽく光る。 「え? ちょ、ちょ……何、あたし? あたしが悪いの? え、あたし何かした?」 したと言えばしたし、していないと言えばしていない。まぁ、このさいだ。こういうことなんて滅多にないので、良い機会である。 何も答えず、志狼はイサムと連れ立って、道場から出て行った。 「夕飯、何なんスか?」 「そんなにたいした物じゃないんですが」 山吹飯と焼き魚と和え物と、と考えているメニューを、イサムが口にしていく。 「山吹飯?」 「あぁ、それは……」 初めて耳にする料理名に、志狼は強い興味を示した。イサムの説明に、ふんふんと熱心に聞き入っている。 トーコの存在は、完全に無視である。 「……ねぇ、あたしが何かした?」 トーコの問に答える者はいない。 その夜、トーコの身にどのような災難が降りかかったのかは、みなさんの想像に任せたいと思う。 合掌。 |